| Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第10章+勇気の条件 第113話 Evil Eye 「おうーい、クウォーツ起きてる? ねえ、入っちゃうよ。ティエルさん、入っちゃいますよ?」 銀のトレイに夕食を乗せたティエルは、何の物音も聞こえてこないクウォーツの部屋の前に立っていた。 こんな調子で毎晩ティエルは彼のために夕食を運んでくるのだが、 次の日ティエルが部屋を覗くと彼女が置いたそのままの状態でトレイがテーブルに置かれているのだ。 彼が姿を見せなくなって5日目になる。 それでも未だ起きる兆しのないクウォーツに、ティエルは正直不安な心が隠せなかったのだ。 このまま目覚めることがなかったら? ……もしも、二度と目覚めることがなかったら? と。 今夜も普段と同じくトレイを持ったまま、器用に部屋の扉を開けて中に入る。 中は殆ど真っ暗で、ようやくテーブルに辿りついたティエルはそこにトレイを静かに置いた。 テーブルの上の燭台にマッチで火を灯すと、辺りが薄ぼんやりと明るくなる。 一回も使われた様子のないベッドの横には、この場に似つかわしくない黒塗りされた棺が置かれていた。 ごくごく普通の寝室に、棺がひとつ。よく考えてみると、実に妙な光景である。 テーブルの上にはしおりが挟んである古ぼけた推理小説と、鞘に入った妖刀幻夢。 それと誰かが昼にさし入れたのか、既に酸化して茶色くなっているリンゴの皿が置いてあった。 ティエルは一つ大きなあくびをすると、空いているベッドに手足を投げ出すようにしてゴロンと寝転んだ。 「……やっぱさ、心配しちゃうじゃない。顔見せてくれなくちゃ、心配しちゃうじゃない。これって普通だよね?」 しかし勿論、棺からは何の反応もない。 そんな体勢のまま暫く横になっていたティエルは、次第に眠りの中へと落ちていったのだった。 ・ ・ ・ 部屋の壁には、ロウソクの燃えるゆらゆらとしたオレンジ色の光が映っている。 そんな壁に大きく映し出された棺のふたが、微かに動いた。次の瞬間、ゆっくりと開かれていく。 棺のふちに指輪のはまった細い指が触れ、中からクウォーツが気怠そうに起き上がった。 二、三回その青い髪に手櫛を入れると、彼はどこかぼんやりとした表情で辺りを静かに見渡す。 「……?」 そして当然ではあるが、本来自分のベッドである場所に眠るティエルの姿を見ると首を傾げた。 いつの間にか自分は彼女の部屋に来ていたのだろうか? 確かに自分の部屋で眠りについたはずだ。 ……ならば何故、ここでティエルが眠っているのだろう? とりあえずクウォーツが黙ったままでいると、視線に気づいたのかティエルがうっすらと目を開ける。 その途端彼女は目を見開くと勢いよく飛び起きて、ホッと安堵の表情を浮かべながら口を開いた。 「……クウォーツ!? よかった、眠りから覚めたんだねっ。もう、ほんとに心配したんだから!」 「心配しただと? 私は事前に眠ると言っておいたはずなのだが……」 ティエルの喜びの意味が全く分からず、クウォーツは神経質そうに整った顔を歪める。 気の弱い者は真っ直ぐに彼の瞳を見つめることさえもできない。これは町中でよく見かける光景である。 どこか迫力のあるクウォーツの美貌に気後れしてしまう者が殆どなのだ。 しかし、ティエルに気後れなどそんな言葉は縁遠い。 「だってさ、わたしヴァンパイアのことはよく知らないんだもの。 ……あ。勉強不足とか言わないでね。それでも五日近くも眠り続けていたら心配になるでしょ」 ティエルはどことなく拗ねたように口を尖らせながら、苦虫を噛み潰した表情のクウォーツを見る。 「でもやっぱり顔見たら安心しちゃった。そうだ、5日間も飲まず食わずなんだからお腹空いてない? わたし夕食持ってきたんだけど……あ、ちょっと冷めちゃってるかな」 そう言いながらティエルは身体の向きを変えると、テーブルの上の銀のトレイを指さした。 ここに持ってきたのは随分と前であったので、薄い色のスープは完全に冷めてしまっている。 「……いや、別に腹は空いておらん」 彼にしてはひどくゆっくりな動作で棺から身を起こすと、軽く手を振ってふたの上に腰掛けた。 どうもまだ、頭がはっきりとしない。まるで靄がかかったようである。 目の前に座るティエルをぼんやりと眺めてみる。生気に満ち溢れていて、とても生き生きとした少女。 さらさらとした真っ直ぐな茶色の髪が、彼女の首を伝って背中に流れていた。 その襟元から覗く白い首筋に牙を埋め込んだのなら、一体どれほどの美酒を啜ることが出来るのだろうか。 少女の上げる断末魔の悲鳴は、さぞかし美しい響きとなって彼に快楽をもたらすことだろう。 普段は涼しい青色のクウォーツの左の瞳に、段々と黒ずんだ赤い色合いが混ざり始めてくる。 どこか普段とは様子の違う彼に、思わずティエルは目を瞬いてほんの少しだけ首を傾げた。 よくは分からないけれど、──怖いのだ。 何故かひどく、クウォーツが怖かった。まるで普段の彼とは別の人物が目の前にいるようであった。 心がここに定まっていない表情のまま、クウォーツがゆっくりとこちらに向かって身を近づけてくる。 動かない。身体が、魔法がかかったかのように動かない。 後ずさることも出来ぬまま、ティエルは固唾を飲み込んで目の前のクウォーツを見つめていた。 死人のように冷たい彼の指先が、ティエルの頬に触れる。あまりの冷たさに彼女はビクッと身を震わせた。 その指が肌をなぞりながら、段々と下へと移動していく。 首筋。胸。腰。そしてすべすべとした腿の感触を楽しんで愛撫しているかのように、ゆっくりと手を這わす。 彼は既に、息がかかるほど近くにいた。今までこんなにも間近でクウォーツを見たことはない。 生命という雑物が宿っているとは思えない、壮絶で凄惨な美しさに。ティエルでさえも目を奪われてしまう。 ──改めて、彼は人間ではないのだと思った。 まるでスローモーションのように緩やかな動作で、クウォーツはティエルの首筋に顔を近づける。 その唇が、彼女の肌に触れようとしたその時。 「……っ!!」 弾かれたように、唐突にクウォーツが身を引いたのだ。 彼の瞳は既に澄んだ青い色に戻っており、明らかに狼狽の色が表情に現れている。 それと同時にティエルも魔法が解けたかのように、その場にヘナヘナとへたり込んでしまった。 「す……すまない、私はどうかしていたようだ。指輪のお陰で、暫くは衝動が抑えられていたのだが……」 普段のクウォーツの様子に戻っている。彼は額の汗を拭いながら指輪を見つめていた。 血を拒み、己の身体を精神共にボロボロにしてしまっていた彼だったのだが、 メビウスの指輪によって大分回復したようであった。 この指輪のお陰で、少しの間血を吸わなくとも人間と同じように生活できるらしい。 「眠りから覚めたての私は調子がおかしいようだな。あまり近くにいない方がいい……早く部屋に帰れ」 「た、確かにちょっと怖かったけどさ。……いつものクウォーツじゃなかったんだもん」 ようやく気分が落ち着いたらしいティエルは、ベッドの上で大きく深呼吸をすると上半身を起こした。 「でもね、それじゃあ余計に心配するじゃない。クウォーツは血が必要なんでしょ? だったら……少しで良ければ血ぐらいあげるよ。血気盛んな若者ですので、死なないまでに。さあ!」 そう言ったティエルは思い切って自分の袖をめくり上げると、健康的な腕を彼の前に差し出す。 さあどうぞ! とばかりに差し出された腕を見つめ、迷ったようにクウォーツはポリポリと頭を掻いた。 「突然そんな事を言われてもな……気持ちは嬉しいが、もっと切羽詰ったときにお願いするよ」 それから彼はゆっくりと立ち上がると、紺を帯びた黒いコートを叩きながらベッドの端に腰掛ける。 「とにかく、今は一人にしてくれ」 「でも! クウォーツ調子悪いみたいだし、だったら余計に一人にするわけにはいかないよっ」 実に素っ気無く言葉を発したクウォーツに、ティエルは思わず両手を握り締めて詰め寄った。 「お願いだからわたし達に頼ってよ。一人にしてなんて言わないでよ。もっとわたし達を信用してよ……!」 「……そうではなくて、別にこのまま部屋にいても構わないが……とりあえず私は着替えたいのだよ」 「えっ? あ、着替え……ええっ!? き、きききゃーーーっ! ごめんなさいっ、すぐに出て行くから!」 思わず悲鳴を上げたティエルは、ボソリと言葉を発したクウォーツから勢いよく後ずさる。 そんな予想外に初々しい彼女の反応が面白かったのか、彼はからかうようにティエルへと身を寄せた。 「なんだ? 可愛らしい奴だな。お前、それくらいで顔を赤くさせるなよ。……何を想像しているんだか」 「その、あの、想像なんかしてない、してないよ! そ……それじゃ、ゆ、夕食、ちゃんと食べてよね!」 半分泣きそうな表情で顔を真っ赤にさせ、ティエルはドタバタと部屋から出て行ったのだった。 大きな音を立てて勢いよく閉まった扉を見つめ、少々やりすぎたか、とクウォーツは肩をすくめたが、 それから普段どおりの無表情に戻ると、複雑な眼差しでメビウスの指輪を見つめた。 「……うむ? ティエル、どうかしたのか? 顔が真っ赤だぞ??」 慌てて部屋に入ってきたティエルを見て、寝転がっていたサキョウは一体どうしたのかと口を開く。 「確かクウォーツの様子を見に行ったのではなかったのか?」 「ねえ、何かあったんですの?」 「なっ、なんでもないよ!」 ゆでだこの様なティエルの言葉に、フルーツにかぶりついていたリアンとサキョウは、首を捻るだけであった。 +DeadorAlive+ |