Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第13章+蒼月の夜

第149話 悲しみの雨





悪夢のような出来事から、早三日が過ぎた──。


その日から雨は止むことなく降り続け、まるで無念のうちに死んだサクラ達の涙のようであった。
サイゾウの両親が彼の遺体を引き取りに来た。年老いた両親の後ろ姿は、実に寂しく、悲しくもあった。

身寄りはトガクレだけであったサクラ、天涯孤独の身であるソウジの葬式はこの道場で行うことになったのだ。



三人が魔物の襲撃で命を落としたという噂は瞬く間に近所に広がったようで、
これからは町の中でも安心はできないな、と訪れた人々は口々に言っていたのだった。


身内だけの簡単な葬式を昨夜行い、さすが師範代を務めるだけあって気丈なトガクレ、
そして手伝いを申し出たティエルやリアン、そしてジハードは朝から家中を忙しなく走り回っていた。

だが、葬式の日ですらサキョウの姿はどこにも見受けられなかった。あの日から彼の姿を全く見ていないのだ。




ささやかな葬式も無事終わり、サクラ達の遺体はサキョウの両親達の眠るあの墓地へと埋葬された。
まさか再び近いうちにここへ訪れることになるとは、あの時誰が思うだろうか。


──そこにもサキョウは姿を現さなかった。




一夜明け、急に人気のなくなったソウジ道場の屋敷で、現在ティエル達はサキョウの帰りを待っている。
庭に面した障子を全開にしていたティエルは、畳の上で座り込んだままボーっと雨の景色を眺めていた。

何を話すでもなく。口数の多い彼女にしては珍しく、先程から一言も発していない。



敷かれたままの湿気た布団の上で膝を抱え込みながら俯いているのはリアン。
あの日、彼女が一番近くサクラ達の元にいたのだ。助けることができなかったと、色々と思うことがあるのだろう。


特に変わった様子もなく、手にした小説を読んでいるクウォーツ。ぱらぱらと落ちてくる前髪を時折払っている。
ようやくコウの治療が終わり、疲労したジハードは布団の上で寝転がっている。だが眠ってはいないようだ。




「……サキョウ、一体どこに行っちゃったんでしょうね。サクラさん達のお葬式にも姿を見せませんでしたし」
重苦しい沈黙が続く中、リアンは膝を抱えたままの姿勢で随分と元気のない声を発した。

「戻ってくるといいんですけど……」



「この激しい雨と共にサキョウの悲しみも流してくれればいいのだけど、そうはいかないものだよね」

「……わたし」
ジハードの言葉に、今まで押し黙っていたティエルは突然立ち上がると畳んであった赤い外套を掴む。

「サキョウを探しに行ってくる。サクラさんの近くにサキョウはいると思うんだ。必ず近くにいると思うんだ」




「あの死神の少女がまた襲ってくる可能性もあるから、気をつけるんだよ。危なくなったら逃げるんだ」

少しだけ顔を上げたジハードは、歩き始めているティエルの背中に声をかけた。
彼女の背中越しには、雨の降り続ける中庭が見える。


「……うん」
そう一言だけ呟いたティエルは自分の外套を羽織ると、そのまま足早に廊下を歩き去って行った。




ティエルが去ると、座敷は再び静寂に包まれる。聞こえる音は延々と響き続ける激しい雨音のみであった。
残った三人は言葉を発することもなく、暫くの間どこか重苦しい沈黙が続く。



『エルキドに帰るのは本当に久々だな……幼馴染達も元気にしているであろうか。ううむ、楽しみだ』



「ひどいよね。サキョウ……あんなにも故郷に帰ることを楽しみにしていたのに。……本当にひどいよね」

癖がついてピンピンとはねた髪を直すこともなく、上半身を起こしたジハードが誰に言うわけでもなく呟いた。
リアンは俯いていた顔を上げ、ジハードの方へゆっくりと視線を移動させる。



「ぼくは許さない。サキョウの家族を殺したあの者を。絶対に、絶対に許さない……!!」


穏やかな表情を決して崩さないジハードにしては珍しく、激しい怒りをあらわにして手を握り締めていた。
あまりにも強く握り締めた拳は白くなってしまっている。




「私があの場に居合わせていたら、サクラさんを守ることができたのに。死なずに済んだかもしれないのに」
外は相変わらず激しい雨が降り続いている。ティエルはどこまでサキョウを探しに行ったのだろうか。

「今となってはもう遅いですけどね……」


つんと湿った木の臭いがする。
エルキドの家屋は殆ど木で作られているため、外に出てもあちこちの家から湿った臭いがするのだ。




彼らが暫く黙り続けていると、玄関の方向から雨音に混じって人の話す声が微かに聞こえてくる。

ここ数日近所の者達が花や供え物を持って道場を訪れることが多かったので、おそらくその人々であろう。
気丈なトガクレが応対しているようだ。傷を負ったコウもそろそろ起き上がることができるだろう。




「……」
完全に読み終えてしまった小説をぱたんと閉じたクウォーツは、立ち上がると廊下の方へと歩き始めた。


「どこに行くんでーすの?」


「別に。何故行き先を貴様にいちいち言わなくてはならんのだ」
リアンに向かって素っ気無く言葉を返した彼は、そのまま振り返ることもなく歩き去っていく。




「……ぼくらも行こう」
言葉もなく廊下を見つめ続けていたジハードとリアンだったが、唐突にジハードが立ち上がった。

「え? 行こうってどこへ……」
「ぼくらも、サキョウを探しに行こう」


目を白黒させている彼女に向けてそう言ったジハードは、リグ・ヴェーダを抱えると駆け出したのだった。





**********





一方サキョウの姿を探し続けるティエルは、廊下をフラフラと歩いていた。
ソウジが死んでいた座敷を覗き、道場の周囲を一周してもサキョウの姿はどこにも見受けられなかった。

玄関で傘を一つ掴んだティエルは、激しく降り続ける雨の中を飛び出した。



(サキョウ……一体どこにいるの……!)
半ば泣いているような表情のまま、ティエルは見慣れぬ家々が立ち並ぶ道を駆け続ける。

途中ですれ違った数人が一体何事かと振り返っていたが、そんなことを気にしている場合ではない。
何回か転び、衣服が泥水を吸っても、それでも彼女は走るのをやめなかった。




……どのくらい走り続けていただろうか。


(ここは……)
気がつくと見覚えのある低い塀に囲まれた墓地へと辿り着いていた。

サキョウの両親と、サクラ達が眠っているところである。



ゆっくりと門をくぐり、綺麗に掃除が行き届いている墓場内を見回してみる。やはり、人影は見つからない。
大きく溜息をつき、元来た道を戻ろうとしたティエルの瞳に、この雨の中傘も差さずに佇む人影が映る。

グッと唇を噛み締めたティエルは、ゆっくりとその人物まで歩き始めた。



こちらに背を向けて、新しい墓の前でしゃがみ込んでいる大きな背の前で立ち止まったティエルは、
その背にそっと傘を差し出した。




「……ティエルか……」


急に差された傘に気が付いて振り返ったのは、随分とやつれた老人の様な顔つきのサキョウであった。
いつもあんなにも健康的で、生気に満ち溢れていた彼の面影などどこにもない。まるで別人のようである。

ぼうぼうに伸びた髭。髪は雨に打たれて額に貼り付いており、目の周りがすっかりと窪んでしまっている。
強い輝きを秘めていたはずの黒い瞳は虚ろで、ティエルを見ているのかさえも分からなかった。



「すまんな……ワシは皆に心配をかけてばかりだ……」




ひとは、たった数日でこんなにも変わってしまうのだろうか。
蚊の鳴くような弱々しいサキョウの声。髪には数日前まではなかった白髪が混ざっていた。

喉が熱くなったティエルは唾を飲み込むと、彼に泣き笑いのような歪んだ笑顔を向けた。



「……みんな、サキョウの帰りを待ってるよ」
強い風が吹いてティエルの握っていた傘が飛ばされてしまい、地面にカラカラと転がっていく。

「リアンもジハードも。クウォーツだって言葉には出さないけど、サキョウのこと心配してる」



そんなティエルの言葉にもサキョウは反応せず、手に抱えていた何かをギュッと抱きしめた。


「あ……」

それは、あの日サクラが手渡してくれた弁当箱である。中には彼女が心を込めて作った握り飯が入っていた。
抱きしめた衝撃でふたがずれ、握り飯の一つがぬかるんだ地面に落ちる。




「ワシは……駄目であろうなぁ……」

力の抜けた声だった。
サキョウは落ちた握り飯を拾うと、それを優しく手で包み込む。サクラのことを思い出しているのであろうか。

彼の瞳から溢れ出た涙は、雨に流されて顔中を濡らしていた。



「もうお前達と旅を続けていく自信がないのだ……」



「サキョウ……ごめんね。あの日わたしが墓参りに早く行こうだなんて言ったから……」
堪え切れなくなったティエルの瞳からも大粒の涙が流れ落ちる。

「あのままサキョウが道場にいたら、魔物からサクラさん達を守ることができたかもしれないのに……!
みんな、みんな死ななかったかもしれないのに……!!」



「……言うな、ティエル。もう言うな……!」
大きく声を上げて泣くティエルを引き寄せると、サキョウも彼女の肩を抱きしめて泣き続けた。




「……」

その様子を墓場の入口で眺めていたクウォーツは顔を伏せて静かに踵を返すが、その足がピタリと止まる。
背後には同じくずぶ濡れのリアンとジハードが立っていたのだ。




「……ワシはもうお前達と共に行くことはできない。こんな心のままではきっと迷惑をかけてしまうだろう」
ティエルの両肩を優しく掴むと、サキョウは言い聞かせるようにして口を開いた。

「それに……ここにいてやりたいのだ……」



「……うん」
震える声でそう返したティエルは、それから生気のないサキョウの瞳を見つめながら続ける。


「でもね、サキョウ。またいつか、サキョウと一緒に旅ができる日……待ってるよ。待ってるから」




サキョウは何も答えない。
俯いたまま、サクラの弁当箱を見つめている。


「今度はさ、敵討ちなんて何も関係のない楽しい旅ができる日……待ってる」
そう言うとティエルはサキョウに歩み寄り、別れを惜しむ様にその大きな身体をギュッと力一杯抱きしめた。

「だから……わたし達、行くね。そのためにもやらなくちゃいけないこと、あるから」



墓地の出入口には、傘もささずに立っている三つの人影。
ティエルは名残惜しそうにサキョウから身を離すと、背を向けて彼らの元へとゆっくりと歩き始めた。




「……ワシは」
サキョウの声。

「ワシは……どうしようもなく弱い心の男だ。全てがどうでもよくなっているのだ……。
おかしいだろう、惨めだろう。どうすれば強くなれる? 教えてくれ……お前達のように強くなりたい……」



「……ねえ、サキョウの望んでいる強い心って……どんなものを言うんですの?」
リアンは濡れて頬に貼り付いた青緑の髪を払いのけると、静かに背を向けて歩き始めた。

「どんなに大切な人間が死んでしまっても、決して涙を流さない心のこと? 何も感じない心のこと?」



「それがもしもサキョウの望む強い心というのならば、ぼくは強くなりたいとは思わないよ」
いつものように柔らかい微笑みをサキョウに向けたジハードも、ゆっくりと背を向ける。

「強くなんかなくとも、どんなに弱いと言われても。愛する人の死に涙を流せる心を……ぼくは誇りに思う」



「無理に強くなろうとも思うな」
何の感情も読み取れない顔つきでクウォーツは長い前髪をかき上げると、立ち尽くすサキョウを振り返った。

「それに、貴様が思っているほど私達は……私は強くない」




「さよならなんか言わないから。サキョウ」
最後に、ティエルが呟いた。

「全てが終わったら……会いに来て、いいかな」



雨の中遠ざかって行く四つの人影を、サキョウは物言わぬままいつまでも見つめ続けていた。
今も顔を濡らしているものはその激しい雨によるものなのか、それとも──……。







+DeadorAlive+