| Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第14章+BLACK・KNIGHTS 第152話 T e m p t a t i o n リアンと別れたティエル達は、ここ大都市カーソンにて一番大きなホテルの予約を済ませた。 さすが大都市のホテルだけあり、客数に合わせてホテルの部屋数もかなり多いようである。 今までの田舎町の宿屋とはロビーからして大きく異なっていた。 赤い絨毯が敷き詰められた床。凝った細工のシャンデリアに、一目で高価なものと分かる置物の数々。 まずティエルが驚いたことは、部屋の中にティーセットが置かれていたことであった。 一旦荷物を部屋に置き、その後はジハードやクウォーツと共に夕暮れまでのんびりと町を見物していたのだが、 そろそろリアンが戻ってきているだろうとホテルへと引き返したのだった。 だが、彼女の特徴を挙げてフロントの者に聞いても、そのような者はここへ立ち寄っていないとのことだ。 会員証を手に入れるために、まだ町のどこかにいるのだろうか。 とりあえずティエルはおとなしくリアンの帰りを待つことになったのだ。 男性に宛がわれた部屋では、ベッドの上で寝転がりながらジハードが分厚い小説を読み耽っていた。 一階のロビーに宿泊客が自由に借りることのできる本が数冊置いてあったのだ。 そしてカーテンの引かれていない窓辺には、下に広がる夜景を黙ったまま見つめるクウォーツの姿。 この部屋は18階にあり、窓から眺める風景は実に良い景色なのだ。町は色とりどりの光が溢れている。 しかしそんな美しい景色を目の前にしていても、クウォーツの顔色はひどく優れなかった。 何度も生唾を飲み込み、震える指で襟元に締められたリボンタイを軽く緩める。 「……どこか具合が悪いのかい?」 のんびりと本を読んでいたジハードが顔を上げ、背後から彼に声をかけた。 「先程から顔色がひどく悪いように見えるのだけど。疲れたのなら横になっていた方がいいよ。 それとも少し治癒魔法をかけようか? ここは賑やかな町だから、ちょっと人に酔うかもしれないね」 「大したことではない。……少し、外の風に当たってくる」 クウォーツは額に浮き出た汗を軽く拭うと、扉に向かってふらふらとした足取りで歩き始める。 「……ねえ、本当に大丈夫なのかい? 外の風もいいけど、早く戻ってきた方がいいよ」 しかしジハードの言葉に何も返すことはなく、彼は扉を開けると口を押さえながら廊下を駆け出した。 廊下ですれ違っていく者達が、一体何事かと次々と振り返っていく。 階段をほぼ飛び下りるような形で一階まで辿り着いたクウォーツは、そのまま夜の街へと飛び出した。 行き先は別にどこでも良かった。とにかく誰もいないところへ行かなくては。このままでは、まずい。 どこをどう走ってきたのは既に分からなくなっていた。ただ人の少ない方へと走り続けた。 濃いピンクや紫色に輝く派手な魔法灯の店が立ち並ぶ人の少ない通りへと辿り着いたクウォーツは、 更に薄暗い路地へとフラフラと入り込み、そこで倒れこむように腰を下ろした。 呼吸を少しでも宥めようと深い呼吸を繰り返す。まるで頭の中にぼんやりと靄がかかったようであった。 何とか意識を保ち続けようと、手元に落ちていた酒瓶の欠片を強く握り締める。 手のひらに痛みが走り、赤い血が溢れ出した。その痛みに、少しだけ頭の中の靄が晴れたような気がした。 メビウスの指輪のお陰で、以前のように気が狂いそうになるほど血に飢えることはめっきりと少なくなった。 もう長くはないと思われていた身体の方も、ほぼ健康体に戻ったといっても支障がないほど回復している。 だが、時折こんな風にどうしようもなく血を奪いたくなる衝動に駆られることがある。 見境がなくなるのが怖かった。 ティエル達であろうとも、自分はいつか手にかけてしまうのかと。首を引き裂き、殺めてしまうのかと。 しかし、頭の中で声が響く。殺してしまえと、泣きながら抗おうとする彼女達を手にかけてしまえと。 これは自分のもう一つの心の声なのだろうか。これこそが本心からの言葉なのだろうか。 『……何を迷っているのだ。クウォルツェルト』 「え?」 突如現実に響いてきた低い男の声に思わず顔を上げたクウォーツは、目を細めながら辺りを見渡した。 目の前には霧が蠢いていた。とてつもなく禍々しい気を発する紫紺の霧。全身がぴりぴりとする威圧感。 その霧が段々と人の形を成していく。 『殺すのだ。……奴等を殺せ、クウォルツェルトよ。人間など、所詮は我らと相容れるはずがないのだよ』 「……誰なんだ貴様は? 気安く私の名を口にするな」 座り込んだままクウォーツは逃げることも向かって行くこともできず、ただ相手を睨み続けていた。 この者が誰かは分からない。しかし、本能的に悟っていた。この影は危険だと。決して近づいてはならぬと。 冷水を浴びたような感覚に、自分が小刻みに震えているのが分かった。 影が揺らめいた。……笑っているのだ。くつくつとした嘲る様な低い笑い声が辺りに響き渡った。 影からゆっくりと手が伸ばされる。後ずさりたくとも身体が動かない。硬直したように指一本すら動かなかった。 「触るな!」 揺らめくその手が彼の頬に触れる瞬間、クウォーツは全身の力を振り絞って左手で振り払う。 紫紺の霧が引き裂かれ、それと同時に禍々しい空気も消えた。 辺りは何事もなかったかのように再び元の静寂に包まれる。 暫くクウォーツは固まった様に座り込んでいたが、やがて息を吐き出してぐったりと壁にもたれかかった。 間違いない。これは恐れの感情である。この自分が、底知れぬ恐れを抱いているのだ。 「畜生。……恐れだと? この、私が、恐れを抱いているだと……?」 自嘲気味にそう呟いた彼は、ぎりっと強く唇を噛み締める。噛み切った唇から、ぷつりと鮮血が溢れ出した。 「……あんた、そんな所で何してんの?」 その時、随分と呆れた声が響いた。 ゆっくりと視線だけを移動させると、肌も露わな格好の女が路地に座り込んでいる彼を眺めていた。 どうやら売春婦のようである。先程の出来事に気を取られていて、気配に気づくことができなかったのだ。 「ねぇ、あんたどうせ女探しに来たんでしょ。あたしはどう? 悪くないでしょう」 そんな彼の心境など露知らず、長い赤毛の娼婦は笑みを浮かべながら豊かな胸を揺すって強調させる。 白い首筋。惜しみなくさらけ出された胸元。女は警戒心の欠片もなく、クウォーツに近寄ってくる。 「今は女を抱くような気分じゃない。……他を探せ」 思わずごくりと生唾を飲み込む。一時は治まっていた渇きが再び彼を襲い始めたのだ。 薄暗い路地。辺りに通行人はいない。目の前には格好の獲物。殺してしまえと耳元で誰かが甘く囁く。 「ふふーん……じゃあ、あたしがそんな気分にさせてあげるわよーって、なんてね……きゃっ!」 近づいてきた女は足元に転がっていた酒瓶に躓き、バランスを崩してクウォーツへと倒れ込んでしまった。 「いったぁ! 誰よ、こんな所にゴミを捨てたのは! ごめんね、あんた怪我しなかっ……た……」 頬を膨らませながら顔を上げた彼女は、そこで初めてクウォーツの瞳を間近で目にする。 薄いアイスブルーの瞳。まるで氷をはめ込んだ様な無感情で冷たい瞳が彼女を見つめていた。 思わず言葉を失い、その瞳に彼女は魅入ってしまった。目が離せない。離れない。離すことができない。 転んだ時に傷つけたのだろうか。彼女の白い首筋にはくっきりとした赤い線が生まれていた。 傷口から細い糸のような赤い血が滴り落ちていく。 喰らい付きたくなる衝動を必死に抑え、だが、クウォーツはその赤い色から目を逸らすことができなかった。 心までも犯されていく様な深紅の血色。思考が一瞬中断され、頭の中が痺れていくような感覚を覚える。 ──おかしくなりそうだった。 むしろ彼女を引き離すことができない今、既にどこかおかしくなっているのかもしれない。 駄目だ。彼女を早く引き離せ。見るな。引き離すんだ。堪えろ。引き離せ。できる。引き離せ。引き離……!! 「……え、きゃっ!?」 気が付くと、女を強く引き寄せていた。 零れ落ちる赤い糸をなぞるように、舌に血を絡めながらゆっくりと舐め取っていく。 どこか酔ったような目つきの女は頬を紅潮させながら、拒む様子もなく彼に身を預けていた。 「あんた血が好きなの? なんだかヴァンパイアみたいね……」 一旦首筋から唇を離したクウォーツを見て、彼女はくすりと妖艶な笑みを浮かべながら顔を近づける。 「でも、あんたみたいなヴァンパイアなら襲われてもいいかな」 無防備に差し出された首筋を、再びクウォーツは舌でなぞる。そして、今度はより深く尖った牙を埋め込んだ。 つぷりと溢れ出す深紅の血。 この世の何よりも甘美で。脳を痺れさせ、理性など簡単に失わせてしまう。彼にとっては禁断の美酒である。 「くっ……あ、あぁっ! ……はぁっ」 快楽に歪んだ女の口から、喘ぎとも苦痛ともつかぬどこか切なげな吐息が洩れていた。 歪んだ笑みを浮かべながら、彼は娼婦を自分の身体の下に組み敷くと、貪る様に血を啜り続けた。 殺すことに何を迷う必要がある。今までもこうして殺し続けてきたではないか。それを今更拒む理由などない。 彼女達をいつか手にかけてしまうかもしれない? ヴァンパイアだと知っていながら共にいる彼女達が悪いのだ。 血に濡れた唇で胸元にキスを落とし、軽く痕を付けていく。 どこか強請るような娼婦の脚の動きにクウォーツは彼女の衣服をたくし上げ、滑らかな内腿に手を滑らせた。 ──その刹那。 「クウォーツ……」 唐突に聞き慣れた女の声がした。 それと同時に地面に何かが転がる。……青い水晶が飾られた杖。これもよく見慣れたもの。 口を血で汚しながら顔を上げたクウォーツの瞳に映ったものは、こちらを見つめているリアンの姿であった。 +DeadorAlive+ |