Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第14章+BLACK・KNIGHTS

第155話 ハンナとダフ屋ヘルグ





ほんの数分歩いた頃だろうか。
道の真ん中には割れた酒瓶がいくつも転がっており、時折風に吹かれて新聞の切れ端が足に絡みつく。


大通りから人目に付きにくい路地を曲がると、
やがて随分と魔力の弱まっている明かりがぼんやりと光っている大きな看板が見えた。

茶色く薄汚れている看板は、一体何が書いてあるのか既に判別できなかった。



そこで、前を歩いていた娼婦が振り返った。どうやらダフ屋ヘルグの家に到着したらしい。
彼女はうっすらと明かりの洩れる窓の前を横切ると、同じく汚れた看板のかかる扉を勢いよく開けた。




「ただいま、ヘルグ兄さん──」

「う、うわわっ!」
「いやぁん!」


彼女が扉を開けると同時に、中から男女の悲鳴が上がった。
一体何事かと怪訝に思ったクウォーツは、神経質そうに眉をしかめながら軽く家の中を覗いてみる。




「おいおい、ハンナ! 扉を開ける時はノックくらいしやがれよ……」
「キャハハ! いいじゃないヘルグちゃん、妹さんに見られながらも燃えるわぁー」


薄暗い部屋のカウンターの上には、恐らく30後半の男女が抱き合っていた。

無精ひげを生やした小柄な男と、赤いルージュを塗りたくった茶色の髪の女。
男の方は慌ててズボンを引き上げながら愚痴を言っている。邪魔をされたためかどこか不機嫌そうである。



「一体どこの世界に、自分の家に入る時いちいちノックをする奴がいるのよ。兄さんったら懲りないんだから。
あれほど店の方に女を連れ込むなって言ってるでしょう? ……あたしが目のやり場に困るのよ」


クウォーツをここまで案内した女は、どうやらハンナという名前らしい。

彼女は呆れたように長い赤毛をかき上げると、兄ヘルグの背後で笑みを浮かべている中年女性に目を向けた。
毛虫のようなつけ睫毛、青いアイシャドウ。随分と派手な印象が強い女である。



「また新しい女連れてきて……。兄さん、この間の金髪ジュリアさんはどうしたのよ?
これが最後の恋だーとか言ってなかった? 貢いで貢いで、どうせまた捨てられちゃったんでしょうけどね」




「う、うるせぇよハンナ! 人のことが言えんのか? ……お前だって男連れ込んでるじゃねぇか」
そこで、ようやく一同の視線が戸口に立っていたクウォーツへと注がれた。

「……それにしても一体どこでこんな男を拾ってきたんだよ。おい、まさか家でおっぱじめる気じゃねぇだろうな」



「あたしの客じゃないわよ。れっきとした兄さんの客なんだから。この人はね、さっきあたしを助けてくれて……」
「貴様がダフ屋とやらか」

つかつかとカウンターまで歩み寄ったクウォーツは、胡散臭そうにこちらを見ているヘルグの胸元を掴む。



「サバス・コレクションに参加するための会員証が欲しい。あるなら出せ。隠し事をしない方が身のためだぞ」
「な、なんだぁ!? 態度のでかすぎる奴だな、おい!」

突然胸元を掴まれたヘルグはあまりにも予期せぬ出来事に、暫く呆気に取られていたのだが。
やがて我に返ったのか、クウォーツに向かって唾を撒き散らしながら怒鳴り声を発した。




「ケツの青い若造が、いいかオレを嘗めるなよ。この闇の世界で何年商売を続けていると思ってんだ!
そのくらいの脅しでびびる男じゃねぇんだよ。……分かったら、さっさとその手を離しやがれ!」




「まあまあ、二人共そんなに睨み合わないでよ。兄さんも落ち着いて。いいじゃない、会員証売ってやってよ」
二人を宥めるように間に入ったハンナは、ボサボサになった長い髪を背に払いのけながら口を開く。

「今日だってたくさんサバス・コレクションの会員証を求めて客が来たんだけどさ、兄さん皆追い返しちゃってんの。
……あ、何人かには売ったんだっけ。女だけに。会員証代を払わせておいて、やらせないと売らないとか言って」



「へへへ、三人目の客の女が一番良かったぜ。なかなかスケベな女でよ」
下卑た笑みを浮かべたヘルグは、それから完全に白けている顔つきのクウォーツに指を突き出した。

「というわけだ、オレは野郎にゃ会員証を売らねぇんだよ。欲しけりゃ女だ! 女を連れてこーい!」




「……話にならんな」

大きな笑い声を上げているヘルグを一瞥すると、クウォーツはハンナに向けて軽く肩をすくめて見せる。
その瞬間。涼しげな彼の瞳に悪魔の本性である、どこか殺気の込められた赤い光が宿った。


「それならば仕方がない。手荒な方法を取るか」




「大丈夫よ、あたしが何とかしてあげるから。一応あんたは恩人だしね」
クウォーツの殺気に気づいているのかいないのか、ハンナは怪しい笑みを浮かべながら兄を振り返る。

「ねえヘルグ兄さん。あたしからもお願い、この人に会員証売ってやって。助けてくれた恩人なんだよ」



「駄目だ駄目だ、諦めな。男には用はねえ」
あっちへ行けとばかりに手を振るヘルグだが、ハンナは諦めない。

「あ、そ。……それじゃ明日から食事は自分で作りなさいよ。兄さんの好きなミートローフも、二度と作ってあげない」


「ヘルグちゃんはミートローフが大好物だしねぇ」
背後で例の中年の女性が、甲高い声を上げながら笑っていた。




「そ……そんなのアリかよ!? おい、嘘だろハンナ!?」

妹の顔を恐る恐る覗いてみたヘルグだったが、残念ながら彼女の顔は本気のようである。
やがてヘルグは脱力したように、カウンターの中の椅子にもたれかかった。


「畜生、仕方ねぇ。妹を助けてくれたらしいしな……特別に会員証を売ってやるよ。で、一体何枚入り用だ?」



「……4枚だ」
「4枚か……ほんじゃ、4枚で4億リンかな。びた一文負けられねぇ。払うのが無理なら、女をよこせ……」

そこまで言いかけて、ヘルグは妹ハンナの冷たい視線を感じ取る。それから慌てて言い直した。


「よ、4億はちと暴利だったかな……へへへへ……じゃあ4000万で……畜生、睨むなよハンナ!
400……ああ、もう400万で売ってやるよ! いくらなんでもこれ以上は負けられねぇぞ!?」




「それで構わない」
ホテルで別れる前にリアンから渡された金貨袋を、クウォーツはどさりとカウンターに置いた。


「……ちぇっ、本当に無愛想な奴だな。あーあ。いっくら綺麗なツラしてやがっても、所詮はヤローだしなぁ。
なんかあんたの顔見てんと、別に男でもいいやって気になっちまって危ねぇ危ねぇ。変な気分にさせんなよ」



「いいかげん客に手を出すのはやめてよ! ……兄さんは少し痛い目に遭った方がいいと思うのよね」
会員証をクウォーツに渡しているヘルグを目を細めて眺めながら、ハンナはどこか怒りを帯びた声で言った。

「……無理矢理女を抱こうとするのはやめて」


「無理矢理じゃねぇよ、合意の上だぜ。なぁ、ミシェルちゃーん」
「きゃはは、ヘルグちゃんったらくすぐったぁい」




周囲の目も構わずことを始めようとする二人を後目に、クウォーツとハンナは外へと出て行った。
外は先程と同じように、汚い看板を薄暗い光が照らしていた。遠くで客を呼び込む女達の声が聞こえる。


「ごめんね、あんな状態だから茶も出せなかったよ。でも目的の物が手に入ったみたいで……よかったね」
やがて、家の中からくぐもった嬌声が洩れ始めた。

「あのバカ兄貴……少しは周囲に気を使いなさいよね。本当にどうしようもないんだから……。
──ねえ、時間あるならどっか行かない? あ、商売で言っているんじゃないから、お金なんか取らないよ」




「やめておく」
少し肌寒い風に吹かれて乱れてしまった髪を整えつつ、クウォーツはハンナへと顔を向ける。

「……色々と世話になったな。もう二度と会うこともないだろうが」



「本当に変な男。……これだけいい女が誘っているっていうのに。ま、その変なところが気に入ったのかもね」
思わず笑いを吹き出した彼女は、それからニッと健康的な笑みを浮かべた。


「引き止めちゃって悪かったわね。……バイバイ、名前も知らない色男さん」

その言葉に何も返さず、クウォーツは背を向けると薄暗い夜の街を歩き始める。
振り返ることもなく去っていく彼の背を、ハンナは苦笑を浮かべながら眺め続けていた。





真夜中に吹く風は冷たく、クウォーツはコートの襟を立てながらホテルまでの道を急いだ。
娼婦街を抜けると時刻も時刻なので、大通りには人影一つすら見受けられない。

ようやくホテルに辿り着くと、入口の前に立っていた守衛らしき人物がスッと一礼をする。


ホテルの中は既に消灯しているのか、長く続く廊下に薄暗い明かりが点々と灯っていた。
こちらも同じくしんと静まり返っている。



ようやく自室の扉が見えてきた時。……向かいのドアの前に立っているリアンの姿が目に入った。




「……おかえりなさい」
クウォーツが部屋の前まで辿り着くと、彼女は小さな声でそう口にした。


「まだ起きていたのか?」
呆れたように声を発したクウォーツは、先程ヘルグから受け取った会員証を懐からごそごそと取り出す。

「4枚で400万。安心しろ、手荒な方法を取るまでもなく手に入った」




「400万ですって!? 4000万以上は覚悟していたんですけど……一体どんな方法で脅したんでーすの?」
受け取った会員証を信じられないように見つめ、リアンは唖然とした顔つきでクウォーツに顔を向けた。


「聞いていなかったのか? 手荒な方法は取っていないと言ったんだ。……まぁ、色々あってな」
長い前髪をかき上げると、クウォーツは自室のノブを掴む。

「もう寝ろ」



そう言ってノブを回そうとするが、掴んでいた手がふと止まる。


「……お前は先程、私はお前のことを何一つ分かっていないと言ったな。ああ、確かに分からないことがある」
「なんですの?」

振り返ったクウォーツの青い瞳を、血のように赤い瞳で見つめ返す。




「何故私を助けようと思ったのだ。ハイブルグ城で、お前達を殺そうとした私を。……それが分からない」
そして、彼はどこか絞り出すような声で言った。


「同情か? それとも哀れみか? 畜生! お前達にとって私は、そんなにも無様で哀れに見えたのか!?」




そう強く言葉を発したクウォーツは唇を噛み締め、声をかける間もなく部屋に姿を消してしまった。
音を立てて勢いよく閉じられた扉。辺りに再び静寂が戻る。

「……ばか」
閉じられた扉を見つめ、リアンは一人小さく呟いた。







+DeadorAlive+