Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第15章+ダンス・マカブル - 愛しき貴方に花束を -

第163話 愛しき貴方に花束を-2-





まるで蛇のように蠢く意思を持った鞭は、獲物を求めて部屋の中を暴れ回る。


鞭を避けるために姿勢を低くしたクウォーツの頭上に、弾け飛んだシャンデリアの破片が大量に降ってきた。
バラバラと降り注ぐ硝子の破片は、彼の頬や腕を深く傷つける。

思わず怯んだクウォーツの隙をバアトリが見逃すはずはなく、蹲る彼に向かって勢いよく鞭を振り下ろした。




「くっ……!」

クウォーツの右腕を容赦なく捕らえた鞭は彼の服と肉を裂き、鮮血が薔薇の花びらのように宙を舞う。
飛び散った血はシャンデリアの破片を赤く染め、それは光に反射してきらきらと妖しい色を放っていた。



それを陶酔したような眼差しで眺めていたバアトリは、引き寄せた鞭に付着した血をぺろりと舐め取った。


「さぁて……お遊びは終わりにいたしましょうか。見たところ、あなたもそろそろお疲れのようですし。
……どうしてもイデアの在りかを吐かないと仰るのなら、残念ながらあなたを殺さねばなりませんね」

脈打ち肥大した鞭を構え、バアトリの黒い瞳に狂気じみた光が宿る。



「しかし簡単に殺してしまうのも面白くありません。……わたくしを傷つけた代償は払って頂かねば。
手足を一本ずつ鞭で引き千切ってあげましょうかねぇ? それとも、その瞳を抉り取るか」




余裕の表情のバアトリとは裏腹に、対するクウォーツは焦りとも恐れともつかない表情を浮かべていた。
肩を大きく上下させ、息も荒い。鞭で裂かれたと思われる右腿から止めどもなく血が流れ出している。


(──勝てない。馬鹿な! ……何故だ。相手が強すぎるのか、それとも私が弱いのか。脆弱なのか。
こんな者にすら勝つことができないほど、私は弱いのか? この程度の力しか出せないのか……!?)

悔しさのあまり唇を強く噛み締める。裂けた唇から血が溢れ出し、口の中に鉄の味が広がった。
汗と血が交じり合った生温かいものが首筋を伝っていく感触が、ひどく気持ちが悪い。




「……クウォーツさん」
不意にバアトリが動きを止め、声を発した。

「痛いでしょう。苦しいでしょう。そんなに傷ついてまで、あなたは一体何を守ろうとしているのですか?」



「それは……」
バアトリの問いに答えようとして、クウォーツは途中で言葉を止めた。

そもそも一体何のために戦っているのだろうか。守るべきもの? ……それは一体誰のことだろうか。
誰のために、何のために、今、戦っているのだろう。




『ぼくは傷を癒やすことはできても、心の傷まで癒やすことはできない。
もっと力になりたい。助けになりたい。……けれど、ぼくはティエルの力にも、サキョウの力にもなれなかった』

ジハードの言葉が脳裏をかすめる。



『心を癒やすことはできないけれど。それでもこの手で精一杯彼らを守っていきたい』

……なんと甘いことだ。その時クウォーツはジハードに対し、そう思った。
他人を守るなんて馬鹿馬鹿しい。


『私は自分を守るために剣を握る。あの金髪の騎士も言っていたように、力のない者は生きてはいけない。
誰かを守るなどという行為は、己の強さを弱者に見せ付けたいだけの単なる自己満足にしかすぎない』




だからこそ。ジハードが深く傷つくことも承知で、彼はこの台詞を言ったのだ。

それなのにこのザマは一体何だ。バアトリと戦うことなど、彼にとっては何の意味もないはず。
自分を守るためならば、戦わずして済む上手い方法がいくらでもあるだろう。


では、今、一体何のために剣を握っているのだろうか。何故、こんな意味のない戦いを続けているのだろうか。


ティエル達とは離れることを決心した。
ならばイデアなど関係ない。あとは彼女達だけで勝手に戦っていればいいだけだ。




「あなたは人間と共に行動をしていましたね。人間など、わたくし達を裏切る生き物ですよ。
あなたも裏切られ、いつかは殺される運命にあるでしょう。殺されるだけならば、まだ幸運かもしれません」

クウォーツの顔つきに余裕がなくなってきたのを悟ったのか、バアトリは更に言葉を続ける。



「……あなたも見続けてきたでしょう。人間に捕まった我らの末路を。彼らはわたくし達を物としか見ていない。
その上あなたは非常に美しいですからね。知っていますか? あなたのような方が、どんな目に遭うのかを」

「言うな!!」


「果てることのない陵辱に、プライドも精神も何もかも壊され。死体はまるでゴミの様に捨てられるのですよ。
こうして死んでいった同胞達が一体何人いたことか。……あなたも近いうちにその一人となるでしょう」




冷静なクウォーツらしくもなく、がたがたと小刻みに震え始める。彼の手から妖刀幻夢が滑り落ちていった。

……分からない。分からない。何故剣を握っているのか分からない。
誰の為に。いつかは必ず裏切る人間の為に? 裏切ると分かっていながら、それでも彼らを守るのか?




蒼白のまま震えているクウォーツに、バアトリは容赦なく鞭を振り下ろした。
無意識に避けようと踏み出した脚に何かが絡まる。それが何かを確認する間もなく、彼はそのまま転倒する。


「所詮人間と我らは相容れないもの。永遠に混ざり合わないもの。決して混ざり合ってはならないもの。
あなたもそれは分かっているはずでしょう。──だからこそ、あなたは今……迷っている」

倒れているクウォーツに向かって、バアトリが一歩ずつゆっくりと歩み寄ってくる。


「どうしました? 最初の気迫が完全に消えているじゃないですか。今のあなたは本当に死体のようですねェ」




確かにバアトリの言うとおりであった。床に転がったままのクウォーツは、完全に戦意を失っていたのだ。
戦う意味を見失ってしまった今、もはや彼は立ち上がる気力すら残っていなかった。


にやりと笑みを浮かべたバアトリは、床に膝をつくとクウォーツの頬にゆっくりと手を触れる。



「あなたは弱い方だ。そしてとても危うい。心の奥底に、どす黒い狂気を持っておられる方。
用済みになったら殺してしまおうかと考えておりましたが。殺してしまうにはあまりにも惜しい……」


愛を語る様に甘く囁きながら顔を近づけると、クウォーツの唇を染めている鮮血を舌で舐め取っていく。

それでもクウォーツは表情一つ動かさない。
先程バアトリが死体と形容したように、瞬きすらせずに彼はバアトリを見つめているだけであった。




「人間などと馴れ合っていないで、わたくしの元へおいでなさい。わたくしならば、あなたを理解することができる」




「……冗談じゃない……」
どこか掠れた声を発すると、クウォーツは血の混じった唾をバアトリに向かって吐き捨てる。

「貴様に私を理解することなどできない! そして私も、貴様を永遠に理解する気はない!!」


「それがあなたの返事ですか。ならば仕方がありませんね、……最期まで本当に愚かな方だ!!」
唾を拭い、目を細めたバアトリは鋭い牙を剥き出すと、そのままクウォーツの首筋に喰らい付いた。



「あぐぅ……っ!!」

反射的に喉が仰け反る。
絞り出す様な叫びと共に目を見開いたクウォーツの爪が、思わず掴んだバアトリの腕に食い込んでいった。

引き離そうにも身体に力が入らない。
身を引き裂かれるような激痛と、だが、確実に全身を蝕み始めているおぞましい快楽が。



やめろと叫んだつもりでも、口をついて出るのはどこか喘ぎにも似た言葉にならないものばかり。
それは、クウォーツのプライドをズタズタに引き裂くために充分すぎるものであった。




「……わたくしのような者に好きにされるのが悔しいですか?」

血に染まった口を歪め、バアトリが笑った。
クウォーツを押さえ付けていたバアトリの手が離れ、絡まった青い髪を乱暴に掴む。


「だが、あなたは敗者だ。それもひどく惨めな敗者です。呪いたくばわたくしに負けた己を呪いなさい」

……惨めな敗者。
バアトリが言い放ったその言葉は、クウォーツの中で何度も重く響き渡った。



『私は自分を守るために剣を握る。
本当に困ったとき、誰も助けてくれないように。所詮頼れるものは、信じられるものは自分だけだ』


ただ、強くなりたかった。
強くなって、……もう二度と、何も奪われることがないように。





──その時だった。
かたく閉ざされた扉が、控えめに叩かれたのは。

「クウォーツ……、中にいるんだろ。話がしたい」
部屋の外から、どこか沈んだようなジハードの声が聞こえたのだ。


「あれからずっと考えていたんだ。確かにあなたの言っていることは間違っていないよ。
強くなくちゃ、生きていけないかもしれない。強くなくちゃ、誰かに何かを奪われるかもしれない」

ジハードの声は続く。


「けれど……誰かを守ることは、本当に弱者に強さを見せ付けたいだけの自己満足なの?
大切だから、守りたい。その気持ち……あなたにとっては、自己満足以外の何物でもないの……?」




「……どうやらお友達が戻ってきてしまったようですね。声を張り上げて彼に助けを求めてみますか?」
口の周りを赤く染めたバアトリが歪んだ笑みを浮かべ、クウォーツの耳元で囁いた。

「ヴァンパイアにとって最高に屈辱的な姿を、お友達に見せることができますかねぇ?
それができるのならば、どうぞ力一杯助けを求めて下さい。わたくしは一向に構いませんよ」




扉にゆっくりと顔を向けたクウォーツは、戸の内側に鞭のようなものが絡み付いていることを確認する。

彼が逃げ出すことを危惧したのか、バアトリは戦いを始めた時から鞭で扉を封鎖していたようだ。
これならば、ジハードが入ってくることはまず不可能である。




「……ジハード。貴様には貴様の、私には私の考えがある。これ以上話をすることなどない」


落ち着いた普段の声をできるだけ意識しながら、彼は扉に向かって言い放つ。
バアトリには気付かれぬよう、クウォーツは妖刀幻夢を探り当てようと左手を地に這わせた。



「貴様にはこんな場所ではなく、今一番行かなくてはならない場所があるはずだ。
早くティエル達の元へ行ってやれ! ……この手で癒やし、守ってやるとそう決心したんだろうが!!」

左手に硬い感触。──妖刀幻夢である!



妖刀幻夢を力一杯握り締めたクウォーツは、思わず怯んだ表情を見せたバアトリに向かって突き出した。
それはバアトリの肩を深く貫き、また彼も負けてはおらず、意思を持った鞭はクウォーツの両腿に突き刺さる。



「うぐぅっ……!」

ジハードの気配は部屋の前から大分遠ざかっていたが、思わず上げそうになった悲鳴をぐっと飲み込んだ。
腿にめり込んだ鞭は、いくら引いても抜ける兆しはない。

痺れに近い痛みに脂汗を浮かせたクウォーツは、それでも尚強くバアトリを睨み付けた。




「一度わたくしに吸血を受けておきながら、まだ攻撃をする気力が残っているとは……本当に恐ろしい方だ。
……あなたの亡骸は、腐り落ち骨になったとしても永遠にわたくしの側に置いてあげますよ」

肩から血を流しても余裕の表情のバアトリは、クウォーツの顎に手をかけるとニッコリと笑みを浮かべる。
それから未だ鮮血が溢れ落ちる彼の首筋に、再び死の接吻を施そうと顔を近づける。


「さようなら。誰よりも愚かで、……誰よりも美しき方」




「……爆破陣!!」

バアトリが牙を剥き出した瞬間、凄まじい轟音と共に木の扉が吹っ飛ばされた。
灰色の煙が晴れ、部屋の入口でリグ・ヴェーダを片手に立っていたのは──ジハードであった。







+DeadorAlive+