Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第16章+覇王の胎動

第178話 夜の帳





薄暗い寝所に、どこか押し殺したような荒い息遣いが響く。



ベッドサイドに位置するテーブルの上には小さな蝋燭が置かれていた。随分と短くなった蝋燭である。
それに弱々しい火が灯っており、辺りをぼんやりと照らしていた。

調度品は高価なものだと一目で分かるものばかりであったが、飾り気のない印象を受ける部屋であった。
それは、こんなものなどに全く興味を示していないこの部屋の持ち主の性格をよく表しているのかもしれない。




「……はぁ……あぁっ」


苦しげな女の声。蝋燭の微かな光に、汗に濡れた裸身が異様なほど白く浮かび上がっていた。
部屋の中心に位置する寝台の上には一糸纏わぬ姿で向かい合う男女の姿。

女の方は熱に浮かされた虚ろな表情を浮かべながら、途切れ途切れに悲鳴のようなものを上げているが、
彼女を腰に乗せたまま動かない男は全くの無表情である。



無駄な肉が一切見当たらぬ鍛え抜かれた裸身をさらけ出し、己の腰の上で喘ぐ女を冷めた瞳で眺めていた。
艶のある黒髪に、同じく黒い瞳。顔立ちは整ってはいたが、ひどく他人を見下したような顔つきの男である。




「……あっ……ヴェリオル様っ……!」

惚けるような瞳をしながら、薄い茶の髪をした女は己の下に寝そべる男の名を呼んだ。
しかし男──ヴェリオル──は、その声にも何の反応も示さずにただ女を眺めているだけである。




女のさらさらとした薄茶の長い髪。それが彼女の白い首筋を伝ってヴェリオルの胸に零れ落ちた。
どこかティエルを思わせるような女であった。ヴェリオルは女を見ながら、別の誰かを見ていたのだ。


やがて暫くすると女はぐったりと力が抜けたように彼の胸に倒れこむ。




「ヴェリオル様……やはりあなたは私を見て下さらない。私を見ながら、違う誰かを見つめている」
ヴェリオルの裸の胸に縋りつくように俯いた女は、それから哀しげな光を瞳に宿しながら顔を上げた。

「長い茶の髪をした誰かを、あなたは私を抱きながらいつも見つめている」




そんな彼女の言葉に、ヴェリオルは眉間に皺を寄せる。

「……何が言いたい、タマサ。まさかお前はオレに愛されたいというのか?」
「そんなことを私が望む資格はありません。あなたに愛されることなど決してないと……分かっています」

しかし依然彼の瞳は冷たく凍ったままであった。一体誰が、彼の心を溶かすことができるのだろうか。
そして、それが自分ではないことも彼女は知っていた。自分は誰かの身代わりなのだと、そう感づいていた。




「けれど私は誰かの身代わりでもよかった。あなたが他の誰かを見ていても、私を見ていなくても。
……あなたが私に触れてくれる。それだけでよかった。それ以上望むことはないと……思っていました」




それでもヴェリオルは嘲るような笑みを浮かべながら彼女を眺めていた。
彼の心が少しも動かぬことを知りながら、タマサは微笑みを浮かべて触れるだけの口付けをする。

冷たい唇。殆どものを語ることのないこの男の鋭い瞳に、暗い憎しみの宿る瞳に彼女は惹かれたのだ。
──その瞳に決して自分が映ることはないとしても。















「ひえぇ、氷の王国と呼ばれているだけあって冷えるなぁ。一度シミズさんの待つテントの方に戻ろうかな」


大げさに身震いをしながらゾルディス城の暗い廊下を歩く、特徴的な緑の帽子をかぶった青年。
深い帽子の下から覗く顔は、少年と青年の狭間を揺れ動いているような顔立ちであった。

特に整っているわけではない平凡な顔立ちだが、人懐っこさを感じさせられる青年である。




(ヴェリオルの旦那は人使いが荒いんだよな。オレがこのアイテムを手に入れるのにどんなに苦労したか)


彼の名はアリエス。封魔石学の第一人者であり、ゾルディスお抱えの魔法使いでもある人物だ。
現在アリエスはヴェリオルから頼まれていた品物を彼の部屋まで届けに行く途中なのだ。



(今はそんなに大きな仕事を請け負っていないから、比較的自由行動できる時なんだよなー。
ゾルディスで魔法使いの卵たちに魔法を教えることよりも、動物の骨を発掘していた方が楽しいしなぁ)




吐き出した息の白さに余計寒気が襲ってきたアリエスは、ヴェリオルの部屋に向かって足早に歩き始める。


この通路は高位の者達の部屋が並ぶ廊下だ。その上現在深夜である。慌しそうに歩く女官達の姿はない。
廊下の左右の壁に飾られた動物の剥製達が、物言わずこちらを見つめているようだ。




(リナに見つかる前にテントに戻る準備をしないとな。見つかったら絶対に小言を言われちまう)

低い鼻を擦りながら、アリエスは気の強そうな姪の顔を思い浮かべる。
目の中に入れても痛くはないほど可愛い姪だが、少々小言が多いのが玉に瑕だ。



それは頼りのないアリエスを思いやっての台詞だと分かっているからこそ、聞いていると耳が痛いのだ。




「……あれ?」

一つ大きな溜息をついた彼は、前方から誰かが小走りに向かってくることに気が付いた。
流れるような薄い茶の髪をした女性。どうやら薄物の上に外套を羽織っただけのようである。


「タマサさんじゃん。今までヴェリオルの旦那の部屋にいたの?」



にかっと明るい笑顔を浮かべながら、アリエスは気さくに前方の女性に声をかけた。
彼女の名はタマサ。ヴェリオルの世話係を命ぜられている女性である。

しかし彼女はアリエスに軽く頭を下げただけで、何も言わずに走り去っていってしまう。




「……泣いて……た?」

彼女は泣いていた。あの涙は決して見間違いなどではない。
走り去って行く彼女の後ろ姿を暗い面持ちで眺めていたアリエスだったが、溜息をついて再び歩き始める。



やがてヴェリオルの部屋の前まで辿り着くと、数回軽くノックをした。

「ヴェリオルの旦那、アリエスです。例の物を持ってきましたよ」
「……入れ。開いている」


中からヴェリオルのくぐもった声が聞こえ、アリエスはぐっと表情を引き締めると扉を開けた。




随分と飾り気のない部屋の中央には、大きなベッド。ヴェリオルはその上で気だるそうに寝転がっていた。
彼の裸の上半身はアリエスが見ても感心するほど引き締まっており、まるで彫刻のように整っていた。

大剣デスブリンガーを使用するヴェリオルであるので、その美しい筋肉は当然とも言えるものなのだが。




「頼まれていた悪魔の血です。どこの魔法ショップにも売っていない品なんで、手に入れるの苦労しましたよ。
……しかしこれを飲めば、悪魔のために作られた魔剣デスブリンガーの最大限の力を引き出すことができる」


ヴェリオルの前まで進んだアリエスは、赤黒い液体の入った小瓶をベッドサイドのテーブルに置いた。
蝋燭の光に照らされて、それは実際の色よりも黒々としていたが。



「アリエス博士、ご苦労だったな。……もう行け」




「……ヴェリオルの旦那。あんたが一体これをどんな用途で使用するのかは、この際聞きませんよ」
大きな帽子のために影が色濃く落ちるアリエスの表情はよく分からない。

「さっきタマサさんに会いました。彼女泣いていた。……もうオレ、あんなタマサさんを見ていられなくて。
あんたの女性関係にオレがどうこう言う筋合いは全くないけど、いい加減彼女自身を見てやって下さいよ」


「言葉に気を付けろ、博士よ。そもそもお前には何の関係のない話だ。早く部屋から出て行け」




「……タマサさんって、どことなくティエルちゃんに似ていますよね」




アリエスの言葉に、ヴェリオルの表情が凍り付いた。
それから見る者を震え上がらせてしまいそうな憎悪を込めた瞳で、自分の前に立つアリエスを睨み付ける。


「それがどうした?」

「タマサさんを抱いても、ティエルちゃんを抱いていることにはならない。彼女が手に入るわけではないんだ。
あんたも分かっているんだろう? なのに、いつまでタマサさんを彼女の身代わりにするつもりなんだ!?」




「……言いたいことはそれだけか」
今にも掴みかからんばかりの勢いのアリエスを前にしても、ヴェリオルは実に素っ気無い言葉を返した。


「オレは疲れているんだ。これ以上余計なことを言うつもりならば、いくらアリエス博士とて容赦はせんぞ」




「分かりましたよ、出て行きます。オレなんかが余計な口出しをしてしまって申し訳ありませんでした」
何を言っても無駄と悟ったアリエスは、落胆したように溜息をついて歩き始める。

しかし扉の前まで来ると、彼はゆっくりと立ち止まって振り返った。



「……あんたの愛し方じゃ、ティエルちゃんは絶対に手に入らない。
ティエルちゃんにとって、あんたは憎い仇以外の何者でもない。それだけが言いたかったんです」




返事はない。
アリエスは一度帽子を深く下げると、軽く礼をしてヴェリオルの部屋を後にした。







+DeadorAlive+