| Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第16章+覇王の胎動 第193話 今は、まだ笑顔で 崩壊を続けていたメドフォード女王の間の揺れも大分収まり、辺りは砂煙がもうもうと立ち込めている。 とてつもなく長い時間、ここにいたような気がした。声を張り上げていたような気がした。 唇を噛み締めたままずっと立ち尽くしていたティエルは、前に現れた人影を見るとようやく掠れた声を発する。 ……声を出したつもりなのに、声が出なかった。先程から振り絞るように声を発していた為であろう。 唾を飲み込み、ティエルはもう一度声を出す。 「クウォーツ……リアンは……?」 ティエルの元まで真っ直ぐに歩み寄ってきたクウォーツは立ち止まると、その彼女の問いにゆっくりと首を振る。 彼の頬や腕からは赤い血が流れており、先程彼を襲った崩壊がいかに凄まじかったかを物語っていた。 中でも手のひらの傷は相当深いのか、止血のために巻かれたハンカチは既に真っ赤に染まっている。 吸いきれなかった血が時折ハンカチから滴り落ちており、もう元の色が何色だったのかも判別がつかない。 「……あいつは」 普段の彼と何一つ変わりのない、淡々とした声だった。 アイスブルー。そんな色の呼び名がしっくりとくるような冷たい瞳のまま、クウォーツは低い声で言った。 「あいつは……リダ=クイーンとしての自分を選び、去っていった。それが、最後にあの女の選んだ生き方だ」 まるで他人事のような言い方であった。 一体いつから彼はこんな風になってしまったのだろう。もう、彼は何も感じなくなってしまったのだろうか。 ……いつしかティエルには、クウォーツの心が全く分からなくなっていたのだ。 それとも、今までは彼のことを単に分かっていた気になっていただけだったのだろうか。 彼は確かに目の前にいるはずなのに、心は遠く離れているような気がした。……それが、どこか寂しかった。 「階下にあいつを探しに行くのはやめろ。どうせ……もう生きているかどうかも分からないんだ。 あの女のことは、悪い夢だったと思って早く忘れるんだな。その方が貴様らにとって一番いいのではないか」 「クウォ……っ!!」 ティエルの背後で拳を握り締めたまま俯いていたジハードが、その言葉に思わず顔を歪めて彼の名を叫ぶ。 しかし最後までは続けずに、ふっと力が抜けたように項垂れるとジハードは地面を蹴って駆け出した。 恐らく階下に落ちたリアンを探しに行ったのだろう。 そんなジハードを無言で眺めているサキョウを一瞥し、ティエルはクウォーツに何かを言いかけようと口を開く。 ……その時、急に辺りが騒がしくなる。窓や階下から、大勢の歓喜するような声が聞こえたのだ。 ゾンビ達の重く呻くような声ではない。ゲードル率いるゾンビ軍に勝利した、メドフォード兵の喜びの声なのだ。 暫しその声に気を取られていたティエルが我に返り、もう一度何かを伝えようとクウォーツに顔を向けるが。 既に彼はティエルに背を向けて歩き始めてしまっていた。 「クウォーツ……」 伝えたいことを言いそびれてしまったティエルは唇を噛み締め、だが、それでも無理矢理笑顔を浮かべる。 「戦争。勝ったんだね、わたし達。……本当に勝ったんだよね、わたし達」 本来ならばこの台詞は、心から喜びに満ち溢れて口にするはずの台詞だった。 だがティエル達の顔は勝利とは裏腹に暗かった。……誰よりも喜んでくれるであろう人物がいないのだから。 ジハードの後を追ってすぐにでもリアンを探しに行きたかった。けれど、今は。 それからティエルは拳を強く握り締めると、柱の陰で腹を押さえて蹲っているヴェリオルへと歩き出す。 「……なんだ、ようやく止めを刺す気にでもなったのかね」 ティエルの姿に気付いたヴェリオルは力なく顔を上げ、どこか自嘲気味に笑みを浮かべた。 いくら彼が悪魔族の回復能力を一時的に手に入れたとしても、この深い傷では思うようには動けないだろう。 「立って」 ヴェリオルの言葉にティエルは一瞬だけ迷ったような表情を浮かべ、それからゆっくりと手を差し出した。 「今あなたを殺すわけにはいかない。聞きたいこと、沢山あるんだから。確かめたいこと、沢山あるんだから」 「オレに情けをかけるつもりか? お前に話すことは何もない。これ以上オレは生き恥をかくわけにはいかん」 差し出されたティエルの手を見つめ、ヴェリオルは静かに目を閉じる。 「お前に殺す気がないのなら、諦めよく今ここで自害させてくれ」 「情けをかけるわけじゃない。それともわたしに真実を話さないまま逃げるのか、……ヴェリオル将軍」 そう言ったティエルは地面に膝をついてヴェリオルの顔を真っ直ぐに見つめた。 逸らすことのできない、深い茶の瞳。十年前の記憶と全く変わってはいない真っ直ぐな瞳であった。 「……絶対に後悔をするぞ、何故あの時オレを殺しておかなかったのかと。やはりお前は詰めが甘い奴だな」 「ティエル姫様っ、ご無事ですか!? 牢に捕らえられていた者達全てを助け出すことができました!!」 「城内や城下町のゾンビ達も粗方片付いた模様ですぞ!」 そこへ騎士達を引き連れたサイヤーと、喜びを隠し切れない顔つきのマルズが姿を現す。 彼らは半崩壊してしまった女王の間の惨状に一瞬目を丸くしていたが、ティエルの元へと駆け寄ってくる。 「ゲードルはどうなったのですか?」 「左大臣ゲードルはわたしが屠った。……わたし達は故郷を取り戻すことができたんだ。戦争に勝ったんだよ」 マルズとサイヤーに顔を向け、ティエルはにっこりと笑みを浮かべる。 その笑顔はいつものティエルと全く変わらぬもので、マルズ達も安堵したのか満面の笑顔で彼女に応えた。 ようやく国を取り戻すことができたのだ。王女である彼女が哀しい顔をしていては、兵士達も不安がる。 ティエルはリアンのことヴェリオルのこと、今は全て胸にしまっておくことにしたのだ。 「……おや? ティエル姫、その方は……」 ティエルに笑顔を浮かべていたマルズであったが、ふとその顔を床に座り込んでいるヴェリオルへと向ける。 マルズは暫く何かを考え込むように沈黙を続けていたが、恐る恐る口を開いた。 「ワシの記憶が確かならば、まさかこの人物は……いや、そんな信じられん……」 「あ、えっと、ちょっと待ってマルズ! わたし彼に聞きたいことがあるから──」 悪名高いヴェリオルである。血気盛んなマルズに斬られてしまうと危惧したティエルは、慌てて前に出る。 しかしマルズは剣も抜かずにヴェリオルを見つめたまま小刻みに震え始めたのだ。心なしか目が潤んでいる。 「あなたはまさか……ヴェリオル殿下……!」 「えっ?」 思いもよらぬマルズの発言に、ティエルは目を瞬いてヴェリオルと彼を交互に見比べた。 先程の発言からは憎しみや怒りなどは全く感じられなかった。ただ、懐かしさと戸惑いだけが感じられた。 「とうの昔に死んだといわれていた人間を、よくもまぁ覚えていてくれたものだ」 ゆっくりと顔を上げるヴェリオル。 「……久しいな、マルズ」 「このマルズ、一度たりともあなた様のことを忘れたことなどございません! あの時もっと力があったなら、 殿下やエドワード様をお守りすることができたのにと……懺悔の日々を送り続けておりました……!」 ヴェリオルの前に跪いたマルズは、深々と頭を下げる。 考えてみればメドフォード城を占拠したのはゲードルとゾンビ兵士達だとしか皆は知らない。 ヴェリオル自ら相手をしたガリオン率いる騎士団は、唯一人ガリオンを除いて全滅してしまったのだから。 その証拠にサイヤー率いる騎士達は、ヴェリオルの顔を見ても特に変わった様子は見せなかった。 幸か不幸か、今現在ヴェリオルがゲードルに手を貸したゾルディスの手先だと知る者はティエル達しかいない。 「とにかく。ヴェリオルにもマルズにも色々と聞きたいことは沢山あるけど……今はヴェリオルの手当てが先だ」 そう口にしたティエルは、顔をヴェリオルの方へと向ける。 「でも、決して許したわけでも兄と認めたわけでもないからね」 城を奪還したとはいえ、これで終わりではない。ゾンビの残党達はまだ残っており、死亡者や怪我人も多い。 戦いの痕跡を痛々しく残す城や城下町。これらを全て元通りに直すには、相当時間がかかるだろう。 まさにやらなくてはならないことが山積みである。落ち込んでいる時間など、ティエルに与えてくれそうもない。 しかし確実に一歩ずつ前に進んでいく。 焦らずゆっくりと。不可能だと言われていた国を奪還できたことのように、一歩ずつ前へと歩んでいくのだ。 ……きっと。 ・ ・ ・ 城の廊下には怪我人達が寝かされ、医者や僧侶達がその間を忙しなく駆け回っている。 無傷や比較的軽傷だった者達は、崩れ落ちた瓦礫や硝子などを手分けをしながら運び出しているようだ。 ひっきりなしに指示を出すことに疲れを覚えたティエルは、ふと女王の間の側面にあるテラスへ足を向ける。 ヴェリオルやゲードルとの戦いによって負った傷は、ジハードの治癒魔法によって応急処置だけされていた。 自分よりも、もっと大きな怪我をしている者達がいる。命に関わる怪我をしている者達だっている。 その者達を優先にしてくれと、ティエルは渋るジハードや僧侶達に言ったのだ。 『……ティエル。確かに命の重さは平等だし、あなたよりも重い怪我の者達が沢山いることも分かっている。 だからあなたを優先して治療をすることは、もしかしたらとても残酷なことなのかもしれない』 偽善者だね、と少し自嘲気味な笑みを浮かべてジハードは言った。 彼から少し遅れてティエルもリアンが落ちたと思われる場所へ駆けつけたのだが。 そこに彼女の姿はなく、瓦礫の山の前でただジハードが魂の抜けた顔つきで佇んでいるだけであった。 『けれど……いくら人でなしだと罵られようと、名前の知らない誰かよりも……今あなたのために力を使いたい』 ふらふらとした足取りでティエルがテラスまで歩いていくと、外はいつの間にかオレンジ色が支配をしていた。 美しい夕暮れである。夕日のあまりの眩しさに、思わず彼女は目を細めた。 テラスに面した中庭で作業を続けていた兵士達が、ティアイエル様だと声を上げて一斉にテラスを見上げる。 一瞬だけ静まり返り、そして大きな歓声が一斉に上がった。 皆傷だらけではあったけれど、どこかいきいきと輝いている。故国を追われる日々はもう終わったのだ。 (これで……終わったんだ。けれど、まだ全てが終わったわけじゃない) 沈みゆく夕日を眺めながら、ティエルは決して安堵の表情とは言いがたい厳しい表情を浮かべる。 今はまだ弱い顔をするわけにはいかない。兵士達が彼女を見ているのだ。 色々と考えなければならないことは山ほどあるけれど、今はまず目の前のことだけを考えよう。 そう決意したティエルは笑顔を浮かべ、こちらに向かって声援を上げる兵士達に大きく手を振ってみせる。 「はい、あなたの治療はこれで終わり。順番に行くからちょっと待ってて。……え? うん、分かったよ」 背後で白銀の髪を夕日色に染め上げながら、ジハードが傷ついた兵士達の看護に当たっていた。 「ああ、そんなかすり傷くらい気合いで治して」 「待って下さいよ、これのどこがかすり傷なんですかっ!?」 先程までのジハードとはまるで別人である。 彼は自分の感情を押し込めて、平気で満面の笑顔を浮かべることのできる人物なのだ。 目まぐるしい環境の中にわざわざ身を置いて、リアンのことを今は考えないようにしているのだろうか。 「この木材はあちらに置いた方がいいのですか?」 一方サキョウは、リアンの魔法によって半崩壊した女王の間の瓦礫や木材などを運び出しているようだ。 彼一人で兵士五人分くらいの力である。 並の男では持ち上げることすらままならない大理石の柱を軽々と肩に担いでいた。 変わった様子は見られない。……彼もまた、リアンやヴェリオルのことは考えないようにしているのだろうか。 クウォーツの姿はやはりどこにもなかった。 彼は目立つ青い髪の持ち主である。見渡せる場所にいたならば、すぐに見つけることができるはずだ。 これだけ探しても見当たらないということは、この場にはいないということである。 彼が最後リアンと何を話していたのかは分からない。……そして、そのことを彼に訊ねようとは思わなかった。 あの時クウォーツを助けようとした彼女の行動も、やはり演技だったのだろうか。それとも……。 テラスの手すりを握る手に力が入る。駄目だ、今は彼女のことを思い出してはいけない。今は考えるな。 考えてはいけないのだ。 滲んだ涙を袖で軽く拭うと、ティエルはギュッと唇を噛み締めて沈みゆく夕日をいつまでも眺め続けていた。 +DeadorAlive+ |