Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第16章+覇王の胎動

第199話 家族





……気が付くと既に陽は傾き、大きく開け放たれた窓からはオレンジを帯びた光が差し込んでいた。




この部屋に来たのは確か昼頃だった。
ティエルが遠回りをする為に中庭を横切った時に目に入った大時計が、丁度12時を指していたのを思い出す。

時間の経過を忘れてしまうほど、自分達はヴェリオルの話に聞き入っていたのだろうか。
ベッドの上で上半身を起こしたヴェリオルの前に腰を下ろしながら、ティエルはただぼんやりと考えていた。




彼の話した内容はティエルにとって決して幸せな話ではなかったはずだ。それなのに、涙すらも出てこなかった。
この数日色々なことがありすぎて、感覚が麻痺してしまっているのだろうか。言うべき言葉も思い浮かばない。




「……ティエル。これがオレの知っている全てだ。これが……お前が聞きたいと言っていた話だよ」

黙ったままジッと自分を見つめているティエルの様子に、ヴェリオルはほんの少し暗い面持ちで声をかける。
全てを話し終えた彼の表情は、どことなく憑き物が落ちたかの様な印象を受けるのは気のせいだろうか。


「これ以上お前に話すことなど何もない。……ならばもう満足だろう、早くオレを殺してくれ。
お前を手に入れることもできず、メドフォード崩壊も失敗に終わった。オレの生きる目的は全て失ったのだから」




ジハードやサキョウ、マルズの視線がティエルに集まる。

だが、拳を握り締めてヴェリオルを見つめ続ける彼女から言葉は発せられなかった。
やがて彼女はゆっくりとした動作で椅子から立ち上がり、虚ろな瞳のままふらふらと戸口に向かって歩き始める。


ドアのノブに手をかけたとき。ようやく口を開いた。




「ヴェリオル。……あなたはおばあさまやサリエ達を殺したわたしの仇。それは絶対に変わることのない真実だ」
無念の内に死んだ祖母ミランダの顔が思い出される。そして、動く屍となって彼女を襲ってきた女官や兵士達。

「あんたなんか絶対に許してやらないよ。死ぬなんて全てから逃げること、絶対にさせてやらないから」
「ティエル」




「……けれどあなたは、わたしの兄なんでしょう。わたしの家族なんでしょう。
だから生きて、今までのことたくさんたくさん償ってもらうんだから。死ぬなんて許さない。……絶対に許さない」

そう言って振り返ったティエルは、どこか涙を堪えるような表情で微かに笑った。





ヴェリオル達の部屋を後にし、彼女はそのまま行く当てもなく夕日の差し込む廊下をとぼとぼと歩き始めた。
自分の部屋に戻れば、感傷に浸っている暇もないほどの量の仕事が溢れ返っている。

……確かに、仕事に追われている間は全てを忘れていることができる。


しかし一日の分の仕事を終え、一人ベッドに入るとき。どうしようもない心の苦しさに押しつぶされそうになる。
こんな時、いつもリアンが優しく手を握り締めてくれた。ティエルが落ち着くまでずっと側にいてくれたのだ。



けれど、彼女はもういない。
最初からリアンという娘など、どこにもいなかった。全てはリダ=クイーンの演じた幻でしかなかったのだ。




(……駄目だよ、今リアンのことを考えちゃ。今は国のことだけを考えるんだ。それだけを考えるんだ)
そう自分に言い聞かせ、ティエルはハッと立ち止まる。

気が付けば、町並みが一望できるテラスの入口に立っていた。ここは昔から彼女のお気に入りの場所だった。




そっと手を触れると、扉は音もなく開く。
無造作に置かれている白いテーブルやベンチ。それらが夕日色に染まり、床に濃い影を落としている。


ゲードルに城を占拠されていた間、誰もここには訪れなかったのだろうか。
久しく人の出入りした空気が感じられない。白く美しかった彫刻の手すりは、随分とくすんだ色になっていた。


そこで思わずティエルは足を止める。テラスの中央で、誰かがこちらに背を向けて佇んでいるのだ。




夕日に染まる青い髪。風に微かに弄ばれている長いコート。
気配すら感じ取ることができなかった。彼は完全に死体を演じることができるのだと、そうティエルは思った。




「ティエルか」
振り返らずに彼が口を開いた。

「……うん、でもクウォーツがいるなんて知らなかったから驚いちゃった! もしかして、夕日を見てたの?」
「そうかもな」


背を向けたまま実に素っ気無い返事。普段のティエルならば、前に回ってでも彼の瞳を見ようとしただろう。


……だが、今のティエルにはクウォーツの目を真っ直ぐに見ることすらできなかった。
嘘をつくことが許されぬ、あの鋭い瞳に負けてしまうかもしれない。緊張の糸が切れてしまうかもしれない。

クウォーツが背を向けたままでいることに、ティエルは心のどこかでホッとしていたのだ。




「わたしも。少し疲れちゃってさ、夕日見ようかなって。なーんか、城を奪還してから休む暇もないって感じ!
次から次へと仕事が舞い込んで来るんだよ。……でも仕方がないよね、今が復興に一番大切な時だもん」


返事はなかった。それでも構わずティエルは続けた。


「そうそう、もうすぐ奪還を祝ったパーティーがあるのよ。その時はわたしも正装しなくちゃいけないんだって。
こんなの久々で王女に見えるかどうか心配だなぁ。それにわたしダンス苦手だから、絶対にすっ転びそう!」

所詮は空元気だった。わざとらしいほど明るい声が、テラスに虚しく響き渡る。けれど止まらない。




「王女がダンスで転ぶの格好悪いから、クウォーツに教えてもらおうかなって。ねえ、クウォーツ得意でしょ?
そんでどうせだったら当日もリードしてもらおうとか、調子のいいこと考えちゃってるんだけどさ」

「ティエル」



「こんなことなら、真面目にダンスの授業を受けておくんだったなー。これからは真面目に勉強しなくちゃね。
さっき部屋に先生が来てこう言ったのよ、ティエル様はじゃじゃ馬に磨きがかかりましたなって。失礼しちゃう!」

「……やめろ」




「でもわたしだっていつも剣を振り回しているわけじゃないじゃない? クウォーツからも先生に言って……」
「もういい!!」



少々荒い口調と共にクウォーツが振り返る。氷のような鋭い薄青の瞳は、ティエルを責めている様だった。

そこで初めてティエルは、自分が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で話していたことに気付いたのだ。
涙が止まらなかった。あとからあとから、枯れることを知らぬかのように溢れてくる。




「……もういいから。もういいんだよ。これ以上……無理をしなくてもいいんだよ」




この言葉が今までティエルの張り詰めていたものをあっさりと壊してしまった。
一瞬だけ笑顔を浮かべるような顔つきをしたが、彼女は顔をくしゃくしゃにしながら大声を上げて泣き始めた。

戦闘中の凛々しい彼女の姿しか知らない兵士達がこれを見たら、きっと驚愕の表情を浮かべるだろう。
今まで堪えていたものが次々と溢れ出したのか、ティエルは恥も外聞もかなぐり捨てて大声で泣いていた。


クウォーツはそんな彼女に伸ばしかけた手を止め、ふと己の手のひらに巻かれた包帯に目を留める。
やがて、手は行く当てもなくゆっくりと下ろされる。



泣き続けるティエルに言葉をかけるわけでもなく、かといってテラスから立ち去るわけでもなく。
黙ったままゆっくりと彼女に背を向けると、クウォーツはいつものように無表情で夕日を眺め続けていた。















「夕日ってさ、綺麗だよね」
全てを話し終えたヴェリオルの部屋を後にし、夕日に染まる廊下を歩いているジハードとサキョウ。

暫く言葉を発することもなく歩き続けていた二人だったが、その沈黙を最初に破ったのはジハードであった。
吹き抜けの廊下は夕日と共に心地よい風が彼らの髪を揺らしながら通り過ぎてゆく。



「勿論澄み渡る青空も、沢山の星が輝く夜空も好きだけど。夕日ってさ、どこか物悲しいけど……綺麗だよね」




「……ワシと兄上はな、ソウジ師範の元で体術を習っていた。こんな夕暮れの中、よく手を繋いで帰ったものだ」
サキョウが口を開いた。


「ゴドー兄上の温かい手に引かれ、父上や母上の待つ家まで歩いていた。
本当に色々な話をしながら帰ったな。今日もソウジ師範は厳しかったとか、サクラには誰も勝てない、とか」


もう三人ともこの世にはいないがな、と、サキョウは寂しげな笑みを浮かべながらその後に付け足した。




それを見たジハードは胸が締め付けられるような感覚に陥ったが、顔には出さずに柔らかい笑顔を浮かべる。
サキョウにとってリアンとヴェリオルは、間接的に兄や幼馴染達を殺した仇であるのだ。

ヴェリオルの長い話を聞いたサキョウは今、何を思うのであろうか。ジハードはそんなことを考えていた。




「……ジハード」
名を呼ばれ、ジハードは突然立ち止まったサキョウを振り返る。

「なんだい?」


「お前は言ったな。新たな痛みを生み出してしまうことが分かっていても、復讐を止めることはできないと。
あれは……バアトリと戦った時だった。お前達の元へ向かっていたワシの耳に、そんな声が聞こえてきた」


「……うん、言ったかもね。あの時はぼくも余裕がなかったから、はっきりとは覚えていないんだけど」
あの時は本当に死ぬかと思ったよ、とジハードは軽く笑った。笑うこと以外の表情が思いつかなかったのだ。




「ワシは今でも時折考えてしまうのだ。もしもヴァンパイア狩りにバアトリが巻き込まれなかったら、とな。
それに……先程のブラムという人物が、ヴェリオルの……ティエルの本当の両親を殺害しなかったら」


──兄は今でも笑いながら隣に立っていたのだろうか。




「ねえサキョウ」
再びゆっくりと歩き始めたジハードは、彼特有の柔らかい笑みを浮かべた。その拍子にちりんと鳴る鈴。

今度は作り物ではない、本当の意味での微笑みを。


「あなたの兄さんは崩れ落ちる前に笑っていたよね。生ける屍の身になっても、彼は笑顔を浮かべてた。
きっと、サキョウに会えて心から嬉しかったんだと思う。……でなきゃ、あんな幸せそうな顔なんてできないよ」


「ジハード」



「だから、ね。落ち着いたらお墓、エルキドへ作りに行こう」
廊下を吹き抜けていく風はどこか暖かく、この自然豊なメドフォード地方特有の緑の匂いを含んだ風であった。

この国に住まう人々も風と同じく、優しい温かな心を持っているのだろう。




「その時は、ぼくも行って……いいかな」

「当たり前だ」
微かに潤んだ瞳を誤魔化しながら、サキョウは歩き始めた。うっかりと言葉の最後が震えてしまったようだ。


自分を通り過ぎて行く大きな背をのんびりとした動作で追いながら、ジハードはほんの少しだけ、目を閉じた。







+DeadorAlive+