Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第16章+覇王の胎動

第200話 薔薇の舞う渡り廊下





亡き女王ミランダが使用していた政務室にて、大量の書類を前にしていたティエルは大きく伸びをする。


「ようやく今日の分の仕事が終わったぁ……。まだ少し残っているけど、今日はおしまい!」
古めかしい木でしっかりと作られた大きなこの椅子は、微かに祖母の匂いが残っているような気がした。




祖母の生前、ティエルはあまりこの部屋には近づかなかった。
仕事中の祖母は普段の柔らかい雰囲気とは違い、常に厳しい表情をしながらここに座っていたからだ。

その理由も今ティエル自身がここに座るようになってからは、なんとなく分かってきたような気がした。


あまりの仕事量に自分も随分と苦い表情をしていたことに気付いたからだ。最近はゆっくりと休む暇もない。
……とはいっても、祖母の理由はまたティエルの理由とは違うかもしれないが。




椅子と同じく古い机をティエルは無意識のうちに手でなぞっていた。所々インクをこぼした様な跡がある。

この大きな机に向かいながら、祖母ミランダは何を思っていたのだろう。どんな思いを抱えていたのだろう。
そんなことも、今となってはもう分からないことであった。




(……おばあさまのこと、もっと沢山聞けばよかったな。わたしのこと、もっと聞いてもらいたかったな)
祖母とはいつまでも一緒だと、確かな思いがあった。別れがこんなにも唐突に訪れるなんて思わなかった。


(おばあさま、わたし……あなたの国を取り戻しました。もっと落ち着いたら、ちゃんとお葬式するからね)





「おや、今日はもう終わりなのかい? 随分と早いんだね」
突然響き渡ったのんびりとした声にティエルはぎょっとして入口へと顔を向ける。

ドアの側にはジハードが立っていたのだ。どうやら考え事に没頭していたために気付かなかったようだ。


「いきなり声をかけないでよジハード、驚いちゃったじゃない!」
「一応ノックはしたんだけど、ティエルったら全く気付かないんだもの。あなたはよく周りが見えなくなるね」


やれやれと溜息をついたジハードは、ちりんと涼しい鈴の音を響かせながら歩いてきた。



「朝から城の中が慌しいね。今日は奪還パーティーがあるんだって? ようやく落ち着いたって感じなのかな」
「……そうそう、わたしドレスなんか着なくちゃいけないんだよ。このままでもいいんだけどなぁ」

机の上の書類を端に除け、ティエルは一枚の紙に向かって思案しながら口を開く。スピーチの文章である。
窓の外はそろそろ夕暮れ時で、城を囲むように位置する森の木々が夕日に照らされて橙色に輝いていた。




「ジハードもパーティーに出るんでしょ? サキョウはベムジンに帰るのはそれが終わってからにするって」


「まぁ、参加できないという理由はないけれど……あなたその格好でパーティーに出るのはまずいよ。
悲しいけど、見かけを重視する者は大勢いるんだ。どんな服を着てもその人の内面は変わらないのにね」

ティエルの現在の服装は、簡素な水色のワンピースである。金の刺繍が辛うじてその服を飾り立てている。
素朴な雰囲気のティエルには、豪華なドレスよりもこちらの方がずっと魅力的に彼女を見せてくれるのだが。




「そうだなぁ……ぼくも旅を始めるのはパーティーとやらが終わって暫くしてからにしようかな」
その彼の言葉にティエルは一瞬寂しげな表情をし、それから柔らかく微笑んだ。



「……そっか、ジハードも行かなくちゃいけないんだよね。目的があるんだもん。前からそう言ってたもんね」



それは分かってはいるけれど。寂しくないと言えば、それは大きな嘘になる。
城を追われ辛い事も多かったけれど、それでも彼らと共に過ごした時間はあまりにも幸せな日々であった。

いずれは別れることになるとは感じていたが、ティエルはあえてそれを考えないようにしていたのだ。




「そんな顔をされると、行きにくくなってしまうじゃないか」
小脇に抱えたリグ・ヴェーダを机に置くと、ジハードは沈み込んでしまったティエルに顔を向ける。


「……今はできればあの国のことは話したくないけれど、ぼくの行き先はゾルディスなんだ。
あんなにも強い意志で向かおうと思っていた国だったのに、何でだろ。もう……国の名前を出すのも」

──つらいんだ。



言葉は途中で途切れてしまったけれど、ジハードの瞳はそう言っていた。
彼の晴れ渡ったスカイブルーをしたはずの瞳は、今にも雨が降りそうなほど暗い空の色をしていたのだ。


「甘いことを言っているのかもしれないけど、ぼくは今でも信じることができないんだ。
彼女が……リアンが、ずっとずっとぼくらを騙していただなんて、そんなこと……簡単に信じられるかよ……」




『……けれど、あなたに私を斬ることができまして? ティエル……』




「彼女は誰かに脅されてあんなことを言ったんじゃないかって……気が付くと、そんなことばかり考えてる」
しかし確かにあれはリアンの真実の言葉なのだ。どんなに否定したくとも、それは変わらない。

「そう言って誰かに肯定してもらいたくても、サキョウには絶対に話せない。
クウォーツだって、彼女がいなくなっても顔色一つ変えない。彼にとって、リアンは一体何だったんだろう……」


まぁ彼はいつも顔色変えることはないけれど、と、ジハードは最後に付け足した。




「……ごめん、長話をしちゃったね。そういえば、そろそろドレスを合わせたいってエレナさんが言っていたよ。
ぼくもサキョウもティエルのドレス姿、楽しみにしているから。くれぐれも裾を踏まないように気を付けてね」

「あっ、エレナが? 分かった、すぐに行くよ」



ドレスといっても、肩が大きく開いたものは着れない。
ティエルの肩にはゲードルと戦った時の傷が残っている。傷口は一応塞がっているが、炎症が取れないのだ。

ジハードの治癒魔法でさえも、傷を完全に治すことができない時もある。
兵士達の看護を日夜続けていたジハードの魔力は大分弱まっており、回復まで大分時間がかかるという。


気を取り直して勢いよく立ち上がったティエルは、ジハードに軽く笑顔を向けると歩き始めた。




扉を開け、一人渡り廊下に足を向ける。
大分ジハードと話し込んでしまったのか、空はそろそろ淡い紫色に包まれ始めていた。

あちこちに灯るオレンジ色の明かりと、辺りを包む薄い紫色の色合いがとても美しかった。
廊下の向こうでは今夜のパーティーの準備のため、両手に色々な物を抱えた女官達が慌しく歩いている。




二階に位置する渡り廊下は左右の高い手すり以外に風を遮るようなものはなく、風が優しく吹き抜けていた。
時折、中庭の庭園に咲く赤い薔薇の花びらも夜の匂いを含んだ風で舞い上がる。



その薔薇の花びらの向こうには、手すりに腰掛けるクウォーツの姿。

ティエルの気配を察してこちらを振り返った彼は、やはり初めて出会った時と変わらず無表情であった。
そういえば、ハイブルグ城での彼との出会いもこんなシチュエーションであったことを思い出す。


……あれからもう随分と月日が経っていたのだ。




「一人のところ、邪魔しちゃってごめんなさい。わたし、ティエルっていうんです」
そんな彼ににっこりと笑みを浮かべ、どこかイタズラっぽく舌を出してからティエルは言った。

「わたしも名乗ったんだから、あなたのお名前もできれば聞きたいなって思っているんだけど。なんちゃってね」


二人の間を舞い上がっていく薔薇の花びら。
暫くティエルの顔を黙ったまま見つめていたクウォーツだったが、やがて肩をすくめながら口を開いた。



「私の名はクウォルツェルト。……だが、お前はクウォーツと呼んでいるよな」




まさかクウォーツが冗談に付き合ってくれるとは思わなかったので、ティエルは一瞬驚いたように目を丸くする。
それから彼女は堪えきれなくなったのか笑いを吹き出した。

「やだ、クウォーツまでそんなこと言っちゃって! ……でも……でもね。付き合ってくれて、ありがと」



「まぁ、たまにはな。……そういえば、メドフォードにも薔薇の庭園があるとお前は昔言っていたな」
風に乗り切れずにひらひらと落ちてきた赤い花びらを片手で受け止めると、クウォーツはそう言った。

「薔薇が好きだなんて、気取りすぎな男だと思うだろう? だが、私は昔から薔薇を眺めるのが好きなんだ」



「気取ってるなんて思わないよ。だってクウォーツは本当に薔薇が好きなんだって、わたし知ってるから」
口調とは裏腹にクウォーツは依然無表情のままであったが、もうティエルは気にならなかった。


今は確かに感情を失ってしまっているのかもしれないけれど、時が経てば、きっといつか。
……彼は笑えるようになるだろうか。




「ねぇ、覚えてる? 一緒に薔薇の庭園散歩しようって約束したの。結局それからできないままだったけど。
……でもクウォーツはここにずっといるし、これからはいくらでも散歩する機会があるよね」

「そうだな」


「じゃあ、わたし今夜のパーティーでドレス着なくちゃいけないから行ってくるよ。……また、あとで会おうね!」
ジハードからの伝言を思い出したティエルはハッとした表情になると、足早に歩き始めた。




後ろを振り返りながら大きく手を振るティエルの姿は、傍から見ると実に危なっかしいものである。


「約束……か」
手を振り続けるそんな彼女の姿を目を細めて眺めていたクウォーツは、ただそれだけ呟くようにして言った。







+DeadorAlive+