Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第4章+メビウスの指輪

第33話 メビウスの指輪-1-





……簡素な宿屋の一室。

特に洒落た内装も見受けられず、ただ寝泊まりするだけの目的で作られたような部屋である。
天井に貼ってある板が所々くすんでいるのが見えた。



そんな部屋の中で、ティエルは大きなテーブルの前に腰掛けていた。

テーブルの上には、出来上がってから随分と長い間そこに置かれ続けていた薄い色のスープ。
特にスプーンを持とうとすることもなく、彼女はグッと何かを堪えているように視線を地に落とす。




「……ティエル、気持ちは分かるが……これは仕方のなかったことなのだ。
あの状況であいつを助けることなど、きっと誰もできなかった。お前は間違ったことはしていない」

彼女の目の前に腰掛けるのはサキョウ。
普段と違う彼女の様子に、サキョウはヤレヤレと肩をすくめるようにして言った。


「あの男のことはもう忘れろ。それがお前にとっても、彼にとっても一番いいのだ。
彼にはあの老婆が必要なのだ。それに所詮人間とヴァンパイアは相容れることなどできんよ」




「……忘れる? クウォーツを……」

そのサキョウの言葉に、ティエルは静かに顔を上げると唇を噛みしめる。
カサカサに乾いた唇がピッと切れ、小さな血の粒を盛り上がらせていた。



「あの時……わたしがクウォーツに向かって手を伸ばしたとき、彼はわたしの手を掴もうとしてくれた」

確かにそうなのだ。
暫く何かを迷っているような表情を見せたが、クウォーツはティエルの方へと手を伸ばしたのだった。



「それを、わたしは掴んであげられなかった。
彼はわたしを信じてくれようとしたんだ。それなのに、それなのにわたしは……!」


「ティエル……」




あの夜、ギョロイアに狙われたティエルらを、ヴァンパイアであるクウォーツが身を挺して救ったのだ。
命からがら城から逃げ出した彼女らは、どうにか森を抜けてこの町に辿り着いた。

ほぼ転がり込むような形で宿屋に飛び込み、一日が経ったのである。



サキョウの言うとおり、忘れてしまうことが一番いいのかもしれない。第一彼は人間ではないのだ。
人間の血を糧にして生きる、ヴァンパイアと呼ばれる悪魔である──。




『なあギョロイア……お前は陽の光の下で精一杯生きている人間達を見たことがあるか?
短い命だからこそ、今を一生懸命生きようとしている人間達の姿を……見たことがあるか……?』



(もう駄目なの? もう、あなたと会うことはできないの? 会わない方が、お互いのためにいいの?
わたしが、人間だから? あなたが、ヴァンパイアだから……?)

「ねえサキョウ。どうやったら忘れることができるの? 忘れることなんか、できないよ……!」





「あーあ、スープ冷めちゃってるじゃないでーすの。これ冷めると飲めるもんじゃないですわよ。
まぁ、飛び込みで泊まれる宿屋といったらこんなものが相場ですけれど」


視界に、美しく鮮やかな青緑の髪が入った。

静かに顔を上げると、リアンが古めかしい本を持ちながら難しい顔つきでティエルを覗き込んでいる。
吸い込まれそうな赤い瞳に見つめられ、ティエルは思わず目をそらしてしまった。



そんな彼女の顔を両手で掴むと、リアンは無理矢理自分の方へとグイッと向かせる。

「……何で目をそらすんでーすの。私、そらされるような顔してないですわよ」
それでもティエルが何も言わないままでいると、掴んでいた手を離して大きく溜息をついた。



「まったく、こんなにまであなたに思わせるクウォーツさんも罪な男ですわね。
……でも気持ちはよく分かりましたわ。私だってこの一日無駄に過ごしていたわけじゃなくてよ?」


そう言うとリアンは、どこから手に入れたのかと疑いたくなるような分厚い書物をテーブルの上に置く。

置いた途端に細かい埃が舞ったが彼女は気にせず、とある1ページをティエルに指し示した。
文字が掠れて殆ど読めないが、ページの上部に奇妙なデザインの指輪が描かれているのが分かる。




「メ……ビウ……ス? メビウスの指輪、って書いてあるよ。この指輪がどうかしたの?」


「これは、かつて大陸を手に入れようとした魔王ベルゼブブが身につけたと言われている指輪。
この指輪を身につけると、夜の世界の生き物であったベルゼブブでも光の世界に進出可能となったの」


それからリアンは目を瞬いているティエルに向かって、意味ありげにパチンとウインクをする。
最初は意味の分からなかったティエルも、次第のその意味を理解していった。



「つまり。このメビウスの指輪さえ身につければ、どんな者でも太陽の下に出られるってわけでーすわ!」



「……そ、それじゃ」
「そうですわ、クウォーツさんだって太陽の下で生きることができるし……一緒に行けるってことですわ」

急にパッと表情の明るくなったティエルは、思わず椅子から立ち上がるとリアンに飛びつく。
不意をつかれたリアンはバランスが保てなくなり、そのままティエルと共にベッドに転がった。



「リアン大好きっ! ありがとう、ほんとにありがとう!」
「うぐぐ、首、首しまってまーすわ! そんな馬鹿力で飛びつかれたら、か弱い私は窒息死しますわ……」




「しかしメビウスの指輪とは一体どこにあるのだ? そんな大層なもの、簡単に手に入るとは思えんぞ?」
テーブルの上で広げたままになっている本を、サキョウは軽く覗き込みながらリアンを振り返る。


「水を差すようで悪いが、喜ぶのはまだ早いのではないか……?」



「そうそれ! まさに運命の女神は私達に微笑んだのですわ」
リアンは弾みをつけてベッドから起き上がると、ティエルとサキョウを交互に見つめた。

「私が指輪のことを思い出したのは、この町の近くにある遺跡の名前を見たからですわ。
レヌール遺跡……それがメビウスの指輪が眠っていると言われている遺跡の名前ですの」


「もしかして、この町の近くにある遺跡が……」

「ばっちりレヌール遺跡ってことでーすわっ」
パチンと指を鳴らすと、リアンはニッコリと笑ってティエルを振り返った。


「遺跡探索許可を町長さんから貰わないといけないから、勝手に入るわけにはいきませんけど。
それにもしかしたら、既に指輪は持ち去られているかもしれませんわよ……」




「とりあえず許可を貰いに行こう。けどこれなら、クウォーツに太陽を見せてあげられるんだ!」
先程までの落ち込みぶりは跡形もなく、ティエルは冷めたスープを平らげながら言う。

「わたし、この食器下に持って行くね」



スプーンとお皿を両手で持つと、ティエルは笑顔で部屋から出ていき階段を下りていった。
あとに残ったリアンとサキョウは顔を見合わせて少し笑みを浮かべる。




「……ワシは腐っても僧だ。だから、決してあの男を……クウォルツェルトを認めたわけではない」
開いていた本を閉じたリアンに向かって、サキョウはボソリと絞り出すように言葉を発した。

「昔から悪魔の類を倒すことだけを考えていた。今だってそうだ。正直言うと……賛成はできん。
……だが何もできずにティエルのあんな顔を見ているのは嫌なのだ。だから、ワシも協力する」



「ま、それでいいんじゃないでーすの?」
そう言って、リアンは笑った。







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