Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第5章+君が、微笑んだ夜

第41話 Moonlight Sonata -1-





……声が聞こえたんだ。

どこまで走っても出口の見えない真っ暗闇の中を、ただ闇雲に走り続けていたときに。
きっと出口まで、導いてくれるような気がしたんだ──……。
















「……ここは……」


目を覚ますと、辺りは闇の中であった。
微かに痺れた感覚が残る右手を持ち上げると、すぐにガツンと固い何かにぶつかる。

暗闇の中でそれを確かめる様に両手でゆっくりと動かすと、うっすらと光が射し込んできた。



気怠げに『棺』から身を起こした彼の顔を、高く位置した小窓から細々と差し込む月明かりが照らし出す。
死人と見間違えてしまうほど血色の悪い青白い顔色に、艶のある濃く青い髪。

たとえどんな者であろうとも、耳元で愛を囁くだけで魅了してしまえるような美貌の青年であったが、
その美しさは天使のようなそれではなく、人を堕落させる堕天使の持つそれのようであった。




「何故私はこんな場所に……」

ヴァンパイアと呼ばれる悪魔であるクウォルツェルトは、まだ回転の鈍い頭を抱えて辺りを見回す。
頑丈な石造りの地下牢。目の前には太い鉄格子が何本も突き刺さっていた。


地下牢の明り取りの小窓はかなり高い位置にあり、線のように細い月の光が差し込んでいる。

見覚えのある地下牢にクウォーツは小さく舌打ちをし、棺から這い出るとその上に腰を下ろした。
辺りは物音一つすらしない。



(……段々と思いだしてきた。私は人間と出会ったのだ。いつものように、獲物として殺すはずだった)


不老不死の儀式を完成させようとするギョロイアの罠にかかった三人の旅人達。
いつものようにクウォーツは彼らを殺そうと思ったのだ。断末魔の叫びを上げ、震え怯える人間達を。

そう、……いつものように。
だが違った。いつもとは何かが一つだけ、決定的に違ったのだ。




『クウォルツェルトさん、またね』



彼らはいつもの旅人達とは大きく違い、クウォーツを全く恐れなかったのだ。

人間達は皆ヴァンパイアであるクウォーツを見て恐怖する。
どうか助けてくれと、命ばかりは助けてくれと地に頭をこすり付けるようにして彼に平伏すのだ。


そうでなければ彼の美貌に目がくらんだ人間達は、明らかな欲望の眼差しで近寄って来た。
その二種類の者達しかクウォーツの周囲にはいなかったのだ。



『わたし達、友達になれないかな?』

しかし彼らは違った。
恐怖も、欲も、そんなものは何もなかった。ただ……一人の『人間』としてクウォーツを見ていたのだ。



だから、逃がした。

もう二度と会うこともないだろうが、それでもよかった。どうにか生き延びて欲しかった。
その代償として彼が捕まったのだ。


──誰に?




「ギョロイア」
ギュッと強く拳を握りしめたクウォーツは、背後に気配を感じて思わず振り返る。

鉄格子の向こうには小柄な老婆が立っていた。
思わず誰もが顔を背けてしまう老婆である。小さな瘤がいくつも浮き出た醜い顔に、長い茶色の髪。



「お呼びでございますか、我が主クウォルツェルト様。
キヒヒヒ、おやおや……そのお顔から察しまするに、随分と今夜はご機嫌斜めかと思われますが」

ギョロイアはズルズルと赤紫のローブを引きずりながら、恭しくクウォーツにお辞儀をする。



「機嫌だと? こんな所に閉じこめられて、機嫌が良いわけなかろう」

棺から立ち上がったクウォーツは、ギョロイアの顔の前にある鉄格子を掴んで睨み付けた。
鉄格子はあちこちが錆びており、彼の手に軽く傷を付ける。


「私をどうするつもりだ」



「……本当はこんな事などしたくはないのです。しかしまたあなた様が人間共にそそのかされて、
このギョロイアの元から逃げ出そうという考えをお持ちになられるかもしれないので」


「そういうことか」
鼻先で軽く笑うと、彼はその透き通った夜の瞳を細めてギョロイアを見据えた。

「だがこんな所に閉じこめただけで、私を好きにできると思うなよ」




「それは勿論察しておりまする。あなた様の恐ろしさは、このばばが一番存じておりますとも」
嫌な笑い声を上げたギョロイアは、ボロ布にくるまれた赤い刀を抱いていた。

「妖刀幻夢。これさえあなた様から取り上げれば、怖いものなどありませぬ。
この布は魔力が込められておりましてな。召喚できぬようになっておりますぞよ。イーッヒッヒ!」



「……ぬかりないな」
そう言うとクウォーツは諦めたように鉄格子から手を離し、再び棺の上に腰を下ろす。

「それで、この私をどうしようというのだ?」



「勿論クウォルツェルト様には不老不死の儀式を完成させていただきます。全てはそれからですぞよ」
そう言ったギョロイアは、耳障りな笑い声を上げるとパチンと指を鳴らした。

「キッヒッヒ……これはばばからのプレゼントでございますぞ。是非ともあなた様に受け取っていただきたい」




言葉の意味が分からず眉をしかめるクウォーツの前に、一人の娘を連れた従者が現れる。
ガタガタと青い顔で震えるその女は、可哀相に一糸纏わぬ姿であった。

おそらくギョロイアが誘拐してきたのか、この館に立ち寄ってしまった旅人のどちらかであろう。



「馬鹿なことを」

忌々しそうに呟いたクウォーツの言葉が聞こえているのかいないのか、
ギョロイアはニヤリと歪んだ笑みを浮かべると、その女を勢いよく牢屋の中へと突き飛ばした。


突き飛ばされた彼女は勢い余ってバランスを保てなくなり、クウォーツの前に転がってしまう。



「……それではお楽しみ下さいませ、クウォルツェルト様。いつまでその強固な理性がもちますかのう?
いくら禁欲的なあなた様でも、このような獲物を前にしても平然としていられますかな……キヒヒヒ!」

声高らかに笑い声を上げたギョロイアは、足音を響かせながら地下牢から姿を消した。




後に残ったのは、クウォーツと震える女だけ。

よく見ると、その娘は彼とさほど年齢が違わない。捕まったのは不運としか言いようがないだろう。
牢の隅の方で震えながら縮こまり、必死に裸体を隠そうとしている。


その若々しく張りのある白い素肌を目にしたクウォーツは、必死で歪んだ考えを振り払う。


そろそろ抑制がきかなくなってしまっているのだ。
心では頑なに拒んでいても、身体は間違いなく血を欲している。

一度理性を失えば、あとは堕落の道を転がるだけである。──しかし、それだけは嫌だった。
欲望のままに獲物を殺し、快感を得ている他のヴァンパイア達と同じ道など歩みたくなかったのだ。




一方彼女は、目の前で黙ったまま棺に腰掛ける青い髪の男に恐怖していた。

これから一体自分はどうなるのか。この男に犯されてしまうのか。
それとも、もっと酷いことをされてしまうのか。何故、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


色々な恐ろしい考えが頭に浮かんでは消えていく。




「……たすけて……くださ……い……」
蚊の鳴くような声で、女が口を開いた。

「お願い……します、……お願いだから、どうか殺さないで……」



(やめてくれ……そんな顔をして私を見ないでくれ。恐怖に怯える表情を見せないでくれ……!)

涙ながらに訴えるその声に、軽い頭痛と鳥肌を感じたクウォーツは思わず彼女から目を背ける。
恐怖の表情を浮かべる人間の血は、これ以上にないほど美味である。


どんなに血を拒んでいても、クウォーツにとってそれはこの世の何よりも美味なものであるのだ。
正直に言ってしまえば──血が欲しい。その白い首筋から滴り落ちる赤い血が。

このまま女を見ていたら欲望に負けてしまうと自覚したクウォーツは、彼女から目を背けたのだ。



「何で……? 何で、何も答えてくれないの……!?」
何も答えないクウォーツを彼女は余計不気味に感じたのか、フラフラと近寄ると彼の足下にひれ伏した。


「お願い……私を助けて! 何でもします……何でもするから……!」







+DeadorAlive+