Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第5章+君が、微笑んだ夜

第43話 Moonlight Sonata -3-





「ご機嫌麗しゅうございます、クウォルツェルト様」


既に息絶えている女を抱きしめたまま動かなかったクウォーツは、聞き慣れた老婆の声で静かに振り返る。

少女の血を全て吐き出した彼の顔は凄惨なほど隈がくっきり浮き出ており、
憔悴しきっているのが一目で見て取れる。




「おやおや勿体ない……折角吸った血を全て吐き出してしまわれるとは。
何故そこまで意地になるのです? このままでは、あなた様は間違いなく衰弱死してしまいますぞ」

彼は何も答えない。
ギョロイアの方を向くこともなく、ただぼんやりとどこかを見つめ続けていた。


ギョロイアを見ているのか。それとも、ここではないどこかを見ているのか。
クウォーツのアイスブルーをした瞳はどこまでも虚ろで、完全に焦点が合っていなかった。




「クウォーツ様……ばばは何も好きこのんであなた様を苦しめているわけではないのですよ」

哀しそうな瞳をするとギョロイアは鉄格子に腕を差し入れ、クウォーツの冷たい手を握った。
そのギョロイアの行動に彼は俯いていた頭をゆっくりと上げ、ジッと青い瞳で彼女を見つめる。

魔に属する者にしては、あまりにも澄んだ瞳。
幾人殺しても、決して血に染まることのない青く透き通った瞳。


それは彼の心がいかに繊細で、危ういほどの純粋さを持っていることを示していた。




「このばばが何よりも愛しいあなた様を苦しめるはずはないでしょう? 人間などに毒されてはなりません。
長年憧れ続けていた人間達に、あなた様は……何をされたのかお忘れではないでしょうな」


……ビクッと。ギョロイアに握りしめられたクウォーツの手が強ばる。

それと同時に、思い出すのも忌々しい過去の出来事が彼の脳裏をかすめていった。
優越感に満ち溢れた下卑た笑い声、嘲笑、自分たちよりも脆弱と思っている存在を痛めつける快感の表情。

出会った人間達は皆そうだった。
彼が叫び、苦しむ顔を見せれば奴らは余計喜んだ。だから、どんな屈辱にも必死で耐えたのだ。




「どうか、ばばを信じて下されクウォーツ様。ばばと共にいれば、怖いものなどありませぬ」
「ギョロイア……」

ニッコリと笑みを浮かべたギョロイアは、安心させるように彼の頬に手を触れる。



「そうそう、一人では何かとお寂しいでしょうから……話し相手を連れてきましたぞよ」
そして首を傾け、地下牢の入口に向かって声をかけた。



「近うよれ、クウォルツェルト様に失礼のないようにな」

地下牢の入口からおそるおそる姿を現したのは、クウォーツと同じ年頃の若者。
茶色の髪に、鼻の頭にはそばかす。

少々気が弱い印象を受けるが、この城には似つかわしくない純朴そうな青年であった。



「この城の中で、一番クウォルツェルト様の外見と年齢が近い者でございます。ホレ、挨拶せんか」

「はっ、はい!」
ギョロイアに急かされ、慌てて背筋を伸ばした青年はクウォーツに向かってペコリと頭を下げる。


「初めまして! オレはここで庭師見習いをさせていただいております、トキオと申します。
き、今日はクウォルツェルト様の話し相手になれればと思って……」



「クウォルツェルト様は傷心だ、せめてお前が慰めて差し上げろ。それができればなぁ……ヒッヒッヒ」


不気味な笑みを浮かべながらギョロイアはトキオを一瞥すると、足音を立てずに去って行った。
あとには一言も言葉を発さないクウォーツと、落ち着かないトキオと、静寂だけが残る。



いくら外見が同じ年頃に見えても、クウォーツの持つ雰囲気は若者の持つそれとは遙かに違う。
黙っているだけでもピリピリと感じる威圧感。彼に近づいてはならぬと何かがトキオの中で警報を鳴らす。

しかしそれとは裏腹に触れたら簡単に壊れてしまいそうな、どこか儚げな存在であった。




「まさか単なる庭師見習いのオレが、こうしてクウォルツェルト様とお話できるなんて夢みたいです。
実はオレ……ずっとあなたに憧れていたんですよ。驚きました?」

棺に腰掛け、ここではないどこかを見つめているクウォーツに向かってトキオは笑顔を浮かべる。



「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、オレ……一度だけあなたと話したことがあるんです」

昔から庭師になるのが夢であった彼は親の反対を押し切り、不気味と名高いこの城に奉公に出た。
しかし現実はそう甘くはなく、いつまでたっても見習い以下のままであった。


そんなトキオが一生懸命手入れをして、唯一満足のいく仕上がりになった薔薇園も、
この城の従者達は『汚らしい薔薇だ』と散々貶されてしまった。



全てを否定され、夢を諦めそうになったあの夜。──彼はクウォーツと出会ったのだ。



彼はトキオの整えた薔薇の前に立っていた。

会った事がない為に主の顔を知らなかったトキオは、人形のように無表情であったクウォーツに恐怖を覚え、
泣き顔を見られたこともあって早々にその場から立ち去ろうとしたのだが。

クウォーツはゆっくりと彼の方を振り返り、ただ一言だけこう言った。



……この薔薇は綺麗だな、と。




彼が誰だったのかなんて、もはやどうでもよかった。こんな風に人から誉められたのは初めてだったのだ。
その夜トキオは、まとめていた荷物を解いてベッドで思いきり泣いたのであった。



この日からトキオはその言葉を励みにして頑張り続けた。

そしていつの日かクウォーツにあの時の礼を言いたいと願っていたが、
クウォーツが単なる庭師である自分が簡単に近づけるような相手ではないということも同時に知ったのだ。


しかし、幸運は突然訪れた。



『……お前、クウォルツェルト様の話し相手にならんかね?』
滅多に人前に姿を見せず、気味が悪いと噂されているギョロイアが、トキオのいる庭園まで足を運んできたのだ。

何故伯爵という地位のクウォーツが地下牢にいるのかトキオには理解できないことであったけれど、
それでも再び彼と向かい合うことができるだけで嬉しかった。




「だから、オレ……またクウォルツェルト様に会いたかったんです。
たとえあの時の言葉が、あなたにとって本当に何気ない一言だったとしても。オレはあなたに救われました」

思っていたことを全て話し終え、それから大きく頭を下げる。



「今のオレが夢を諦めないでいられるのも、あなたの言葉のお陰です。あなたがいなかったら……オレ……」
知らない間に胸が一杯になり、トキオは自分でも気付かぬうちにぼろぼろと涙をこぼしていた。



今まで全く無関心で牢の隅を向いていたクウォーツは、その涙に思わず振り返る。

……何故トキオが泣いているのか分からない。
涙は悲しいときに流すものではないのだろうか。この者は一体何が哀しいのか。それともどこかが痛いのか。

数回青い瞳を瞬いて、クウォーツは首を傾げる。
その彼の様子に気付いたトキオは、涙を拭って純朴そうな笑顔を浮かべた。



「……どうしようもなく嬉しい時だって、涙は出るんですよ」
「嬉しい時?」


「あっ、やっと話して下さいましたね! もしもこのままずっとあなたが喋って下さらなかったら、
オレどうしようかと思っちゃいました。嫌われてなくてよかった……」



「……あまり話すことは好きじゃない。ただそれだけだ」

屈託のないトキオの明るさに呆れながらも、ようやくクウォーツは彼の目を見て話すようになった。
荒んでいた心が、どこか溶けていくような感覚であった。

たとえいつもの通りこの優しさがほんの一瞬だけのものだったとしても、それでも今の彼にとっては充分であった。



「えー、そうなんですか? 口説き文句はスラスラ言えそうな雰囲気ですけど。なんちゃって」
満面の笑顔を浮かべていたトキオが、急にスッと表情を戻して彼を見つめる。

「そうだ。オレ今一生懸命手入れしている薔薇があるんです。
それを……一番最初にクウォルツェルト様に見ていただきたいんです。あの日からずっとオレの夢なんですよ」



その返答に暫く迷ったクウォーツだったが、やがて肩をすくめながら口を開いた。


「約束はできない。気が……向いたらな」

「それでもいいですよ! それにしても何だか夢みたいだ……あなたと話していることが。
信じてくれないでしょうけど、オレ本当にあなたに憧れていたんですよ。同じ年頃とは思えないくらい凛々しくて」



(私にとっては、お前が羨ましいよ。そんな考え方ができる、そんな笑顔を浮かべることのできる、
そして……太陽の光が照らす大地を歩ける、お前が──……)







+DeadorAlive+