Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」
第8章+考古学者アリエス

第92話 血の暗黒卿バアトリ-3-





「……おや、そうでしたか。あなた細工の才能があるのではないでしょうか?」

サキョウの言葉にバアトリは一瞬だけ意外そうに目を瞬いていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。
その笑みが、仕草が、表情が、何もかも癇に障るものをわざとやっている様にも見える。


「このわたくしのお眼鏡に適う指輪など、滅多にないものなんですよ。
そうだ、あなたわたくしの元で指輪職人の道でも歩みますかァ? 坊主よりも、ずっとお似合いですよ」




「黙れェ!!」


普段のサキョウからは想像もつかないほど怒りに顔を歪め、憎悪の表情でバアトリに向かって行った。
その顔を一瞬だけ横で見たティエルは、背筋に言いようのない悪寒が走る。




「おい! 無闇に突っ込んでいけば、奴の餌食になるぞ!」

隣でクウォーツが、突っ込んで行ったサキョウを追うように妖刀幻夢を掴んで駆け出した。
ハッと我に返ったティエルも慌てて走り始める。



「おやおや……こんなくだらない事で頭に血が上るのは、人間の悪い癖ですよォ。
まぁ仕方ありませんね、愚かな者には死が相応しい」

バアトリは向かってくるサキョウを一瞥し、手に持った鞭を一振りする。
すると、鞭はボコボコと禍々しい変化を遂げていく。血管の様に脈打っているのは気のせいだろうか。


ティエルには、亡者の恨めしそうな顔がいくつも鞭に浮かび上がっているようにも見えた。




「あなた達、先程封魔石イデアがどうとか仰っておりましたよね?
奪おうと考えているのなら、それは無駄なことですよ。あれはわたくしの物なんですから」

ティエルとリアンの会話をバアトリは聞いていたのだろうか。ティエルの身体がびくっと硬直する。



「そうそう、わたくしが血のスペルを込めたイデアで何の呪いを解いたか知りたいですか?
……これですよ。この美しい鞭サタネスビュートの呪いを解き放ち、わたくしの物にしたのです!!」



バッと地面を蹴り上げたバアトリは、サキョウに向かって鞭を思い切り振り下ろした。
生き物のように無数に蠢くサタネスビュートは、怒りに任せて突っ込んできた彼の身体に絡みつく。

その途端、焼け付くような痛み。
カミソリ並みに鋭く、そして抉るような鞭の攻撃に、サキョウの身体は耐え切れずに悲鳴を上げる。




「う……ああああっ!!」


宙に飛び散る真っ赤な鮮血。それを、バアトリはうっとりと眺めていた。
その表情は快感以外の何物でもない。




「おい、しっかりしろ!」

ようやくサキョウに追いついたクウォーツは、バアトリの攻撃を受けて倒れる彼を後ろから支える。
支えた途端、手にぬるぬるとした真新しい血がまとわりついた。


ほんの一瞬だけ、ゾクッと総毛立つ甘美な思いがクウォーツの胸をかすめる。
しかしすぐに頭を振ってその黒い考えを振り払うと、彼は静かにサキョウを地面に横たえた。



「クウォーツ、サキョウをお願い!」


その横を竜鱗の剣を握り締めて駆け抜けたティエルは、バアトリに向かって振り下ろす。
ティエルの一撃を身軽にかわしたバアトリは竜鱗の剣に鞭を絡めると、彼女ごと振り回した。




「あ……うっ……!」

鞭に引きずり回され向かい側の壁まで激突した衝撃で、先程の背中の傷に激痛が走る。
一瞬だけ呼吸の止まったティエルは、ドサリと地に崩れるとそのまま突っ伏して動かなくなった。




「くそ、畜生!!」
ぎりっと歯軋りをし、妖刀幻夢を強く握って立ち上がったクウォーツに向かってジハードが走ってくる。

クウォーツの元まで辿り着いたジハードは、ティエルとサキョウの様子を見て思わず眉をひそめる。
彼が眉をひそめるという事は、それなりに酷い傷なのであろう。




「……二人を頼んだぞ。二人の傷を治す時間くらい、私が稼いでやるよ」


「分かった。けれど三人がかりでもどうにもできなかったバアトリを、あなた一人でくい止める気かい?」
サキョウの傷の様子を調べ、決して浅くないことを悟ったジハードは唇を噛み締める。

「あなたの力を侮っているわけじゃないけれど、傷つくと知っていて行かせるわけにはいかない。
もう、こんな時にアリエスは一体どこに消えたのだか」




「フッ、それなら奴を誰が止めるんだ? 動けないティエルか? サキョウか? それとも貴様か?
……今動けるのは、私しかいないだろうが。それに、できれば奴の止めはサキョウに譲りたい」

口元に冷笑を浮かべ、クウォーツはちら、と横目で倒れるサキョウに視線を走らせた。



「何を仲良くお喋りしているんですかァ!? フフフ、わたくしも仲間に入れて下さいよォ!!」
上空から、まるでコウモリのように黒いマントを広げてバアトリが突っ込んでくる。

チッと軽く舌打ちをしたクウォーツは、自分も地面を蹴ってバアトリに掴みかかった。
空中で取っ組み合った二人は、そのままジハードらから離れて地に激突する。




「……もう、みんな無茶ばかりするんだからっ!」

ほぼやけくその様に言葉を発したジハードは、片手を胸に、もう一方の手をひとまずサキョウの胸に当て、
大きく息を吸い込んでから静かに呪文詠唱を開始した。





「ククク……こんな美しくない野蛮な戦い方は、あなたには似合いませんよォ! うげっ!?」


一方。
取っ組み合って転がったクウォーツは、力任せにバアトリを拳で殴りつける。

相手の武器は鞭なので、接近戦に持ち込めばこちらが有利だと思ったのだ。




「うるさい、近づいてしまえばこちらのものだ!」
「……と、思ってしまうのが愚か者なんですよ。わたくしのサタネスビュートは、ただの鞭じゃありません」


にやりと不気味に顔を歪めたバアトリに、クウォーツは思わず眉をしかめて動きを止める。



「それは一体どういう……っ!?」
そう彼が口にした瞬間、背後からバアトリの鞭がまるで生き物のように絡みついたのだ。

笑みを浮かべたままバアトリは立ち上がると、身動きの取れないクウォーツを目を細めて見下ろす。




「随分と扇情的な格好ですねェ。さあて……どうしてくれましょうか。散々殴って下さいましたよね?
わたくし、あなたみたいなプライドの高い方を辱めながらゆっくりと嬲り殺しにするのが好きなんですよ」


「……悪趣味め」

思ったよりも時間を稼げなかった自分を、どこか歯がゆく思ったクウォーツは口元を歪めた。
……ティエルとサキョウは無事なのだろうか、ジハードの治癒魔法は間に合ったのだろうか。


「ご安心なさいな、その美しい顔には傷一つ付けずに殺してさし上げますよ!」




「爆破陣!!」
「クウォーツを離せ! でやあぁぁっ!!」

バアトリが鞭を引き寄せようとした刹那、周囲が大爆発を起こす。
爆風で一瞬だけ視界を奪われたバアトリが次に見たものは、剣を持って突っ込んでくるティエルであった。



その様子だと、ジハードの治癒魔法で背中の傷は完治したようである。
彼女達の奇襲にバアトリが怯んだ隙に、クウォーツは鞭から逃れて飛び退いた。




「もう大丈夫なのか?」

「……お陰様で、完治いたしました!」
ニッコリとクウォーツに笑みを返したティエルは、バアトリにそのまま剣を振り下ろす。


それを間一髪で避けるが、着地場所は既にジハードの魔法陣の中であった。



「……かかったね、極陣・不動陣!!」





「あ……あわわ、何てことだ……あのバアトリ様が押されている!?」
その一方で従者を多数引き連れた大司教ゲマは、ガクガクと青ざめた顔で戦いの様子を見ていた。

負けるはずはないと思っていた。今まで、何人もの侵入者達を瞬殺してきたのだ。



護衛の黒フードたちも皆やられ、頼みの綱のバアトリも押されている。
奴隷信者達は既に大混乱で、出口の方で将棋倒しになっている者達もいた。


……奴隷信者など、今はどうでもいい。

アリエスから奪った灰色の封魔石・イデアさえあれば、いくらでも馬鹿信者共を引き寄せられる。
ニヤリとほくそ笑んだゲマは封魔石を手に持ち、バアトリを置き去りにしたまま歩き始めた。




灰色に鈍く輝くこぶし大の至高の宝石の周囲には、五つの宝石が縁取っている。
これさえあれば、またいくらでもやり直せる。


そう考えたゲマの表情が急に凍りつく。背後に、言い表せぬ冷たい気配を感じたからだ。
研ぎ澄まされた氷のような。言い代えれば、絶対零度の気配が背後に立っている。



だらだらと流れる脂汗。

周囲の従者達も皆、凍りついたようにして動かない。自分達の役目であるゲマを守ることも忘れて。
長い間油が注されなかったブリキの人形のように、ゲマはゆっくりと背後を振り返った。




そこには、波打つ青緑の髪をした恐ろしく整った顔立ちの女が立っていた。
一見すると普通の娘であるのだが、彼女から感じ取れる威圧感は年若い女が出せる代物ではない。

一歩、彼女が冷たい笑みを浮かべたまま歩み寄った。


思わずひっと呻いてしまったゲマは、その場に硬直したように動かなくなる。
あの赤い瞳から、目を逸らすことができない。まるで吸い込まれるような深紅の血色。




「……封魔石、いただけるかしら?」

雰囲気とは裏腹に、女──リアン──は、茶目っ気たっぷりに小首を傾げながら言った。
また、彼女が一歩近づく。辺りの気温が下がっているような感覚さえ覚えた。


腰を抜かしたゲマは、ただ首を前後に振ることしかできずにリアンに封魔石を差し出す。
それを屈み込んで受け取ったリアンは、にっこりと可愛らしく微笑んだ。




「ありがとう、感謝いたしますわ。……大司教さん」


ゲマにとってはその笑顔でさえも、とてつもなく恐ろしいものに見えたのだった。
しかしリアンはそんなゲマに気を留める様子はなく、下のティエル達の様子を見る。

丁度リアンが立っている場所は、ティエル達が戦っている所よりも随分高い位置にあるようだ。
ギュッと灰色の封魔石イデアを握り締めたリアンは、そこから迷いもせず飛び下りた。





「う……ぅぅ、身体が動かないですねェ……本当に小賢しい真似をして下さる!」
ジハードの不動陣にはまり、完全に身動きの取れなくなったバアトリ。


にこにこと悪意など全く感じられない微笑を浮かべるジハードを恨めしそうに眺めた彼は、
次の瞬間凍りつくことになる。

突然笑顔を真顔に戻したジハードが、ぶつぶつと低音で詠唱を始めたからだ。




「ヴァンパイア・バアトリ。あなたは少し反省した方がいいね、極陣・炸裂陣!!」
ズバアアァァン、と弾け飛ぶようにして魔法陣が囲んだ周辺が爆発を起こす。



「グ、グアアァァッ!! ……ま……まだまだですよォ、わたくしに勝とうなど愚かなことですよ……!」


絶叫を上げて吹っ飛んだバアトリはフラフラと立ち上がり、鞭を握り締めて顔を上げた。
そんな彼の前には、ティエルに支えられたサキョウの姿。

サキョウの傷はティエルよりも大分酷かったので、ジハードの治療でも完治していないのだ。




「……その指輪は、貴様がはめる物ではない。世界でただ一人、母上の為だけに作ったのだ!」

バアトリのごつごつと骨ばった指にはまる指輪を、サキョウは寂しそうな瞳で見つめた。
その目は、今は亡き両親やゴドーのことを思い出しているような瞳であった。


「貴様をこの手で殺すためにワシは全てを捨てモンク僧の道を歩み、今まで生きてきた!
母上の、父上の無念を受け取れぇぇっ!!」




吼えるように声を発したサキョウは、尚も笑みを浮かべるバアトリに突っ込んで行った。

いくら重傷であろうと、バアトリは悪魔である。逆にサキョウが返り討ちにあってしまうかもしれない。
思わず飛び出そうとしたジハードの肩を、黙ったままクウォーツが掴んで静かに彼を見据える。


行くな、という意を察したジハードは、何とも言えないような表情をして手を握り締めた。




「愚かですねェ、このわたくしに向かって来るとは。その度胸だけは褒めてあげますよ……!!」
「うおおおおお!!」

しかしサキョウの動きは予想よりも速く、渾身の力を込めた拳がバアトリを殴り飛ばす。
壁に激突して地に落ちたバアトリは暫くピクピクと蠢いていたが、やがて動かなくなる。



ようやくリアンもティエル達の元へ辿り着いたのだが、事情を知らない彼女は瞳を数回瞬いた。
しかし雰囲気でなんとなく事情を察したリアンは、特に何も言うことはしなかった。

ティエルもサキョウに言葉をかけようと思ったのだが、何も思い浮かばなかったのだ。
気の利いた言葉一つ思い浮かばない自分が情けなくなる。




白目をむいたまま、もはやピクリとも動かないバアトリ。

それをどこか物悲しそうに見つめたサキョウは、殴り飛ばした自分の拳に視線を落とした。
あまりにも強い力で殴ったので、強靭なサキョウの拳でさえも赤く腫れていた。



(父上……母上……ワシはあなた達の仇を取りました。見ていて下さっているでしょうか……兄上……)







+DeadorAlive+