| Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第9章+聖剣イデア 第98話 Quartz the knight そこかしこから臭ってくる、耐え難い腐臭。 汗と、汚物と、そして間違いなく何かが腐敗したような強烈な悪臭がそこには漂っていた。 同じく汚物の撒き散らされた狭い通路を挟んで、左右に同じような独房が延々と並んでいる。 呻き声、呪いの声。殺してくれ、殺してくれと呪文のようにそれは辺りに木霊する。 喩えるのなら、まさにこの世の地獄である。 ジッとしていると気が狂ってしまうような、この世のものとは思えぬ光景の中。一つの人影が歩いていた。 一歩ずつ、ゆっくりと。だが確実に焦りを帯びたような足取りで石の廊下を歩いている。 独房の中から呻き声が聞こえると振り返って中を凝視するが、 それが探している人物ではないと分かると、落胆したように肩を落とす。そして再び歩き始めるのだ。 ここはティエル達のいる牢とは大分離れた、ゾルディスの中で最も避けられている場所である。 奇病に冒された罪人などが、生きながら腐っていく苦痛を味わいながら鎖に繋がれているのだ。 別名、汚物収容所と呼ばれている。 普通の神経の持ち主ならば、こんな空間に一日もいれば気が触れてしまうだろう。 ──長い通路を中ほどまで歩いた頃だろうか。人影は一つの独房の前で立ち止まった。 手に持った鍵の束を錠前に差し込むが、手が焦りで震えてしまってなかなか開かない。 ……ピン。 鍵が開いたと同時に、彼女は今まで堪えていたものが溢れ出したかの様に勢いよく扉を開け、 中で死んだように横たわっている人物の元に息せき切って駆け寄った。 駆け寄っても全く反応のないその人物に、赤い瞳を持つ娘──リアンは思わず唇を噛みしめる。 「……クウォーツ。アリエスから毒を打ち消せる薬を貰ってきたんですの。あなたは、助かるんですのよ」 リアンが声をかけても、彼は何も答えない。 血色の悪い顔色に、今ではすっかり見慣れた艶やかな青い髪。だが、冷たい輝きを秘める目は閉じられている。 「あなたが刺されたとき、どうすることもできなかった。……私は、ただ見ていることしかできなかった」 荒い呼吸を繰り返す彼の額に触れると、体温の低い普段の彼からは想像もつかないほど高熱であった。 とにかく薬の飲みやすい体勢にしようと、リアンは彼の背に手を回して起こそうとする。 だがいくらクウォーツが華奢な体つきといえども、非力なリアンが男の身体を支えるのは少々苦しい。 震える手で懐から紙に包まれた粉薬を取り出すと、それを水と共にクウォーツの口に流し込む。 彼の口の脇から溢れ出した水が、冷たい石の床に小さな水溜りを作っていった。 「……お願いだから、目を開けて……!!」 クウォーツの上半身に縋りつくようにして彼を抱きしめたリアンは、殆ど叫びに近いような声を発する。 声は辺りの壁に反響し、呻き声の響く地下牢の中でいくつもの木霊を作っていった。 ……どのくらいの時間こうしていたのだろう。 リアンが痛いほど強く握り締めていた為に汗ばんできたクウォーツの手が、今、微かに動いたのだ。 項垂れていた彼女は、思わずハッと顔を上げて彼の顔を覗き込む。 すると、ゆっくりではあったがクウォーツの目が開いていくではないか。 しかしそのアイスブルーの瞳は虚ろで、自分が一体どうなったのかも理解していないようであった。 「……クウォーツ?」 小さな声でそっと彼の愛称を呼んでみる。 そこで初めてクウォーツはリアンの方へと視線を向けた。 ぼんやりと虚ろであった彼の瞳が、次第に普段の研ぎ澄まされた刃のような鋭さと冷たさを含んでくる。 「……私は……どうなったのだ……? それに、ここは? 一体何があった……?」 「ここはゾルディス王国の地下牢ですわ。ヴェリオルに負けてしまって、みんな連れてこられたんですの。 あなたは……毒で瀕死だったんですのよ。ほんと、かっこ悪いったらありゃしないでーすわ」 「……お前は無事だったのだな」 自分の顔を心配そうに覗き込むリアンに、クウォーツはどこか安心した顔つきで彼女の頬に手を触れた。 「よかった……」 ズキン、と。 そんな彼の顔を見ていると、心のどこかが痛んだ。決心が思わず揺らいでしまいそうになる。 しかしリアンはそんな内心など欠片も見せず、いつものようにニッコリと健康的に微笑んだ。 「ええ、このとおり元気すぎるくらい無事ですわっ。今なら一人でバアトリだってぶっ飛ばせるくらいにね!」 それから、まだ熱を帯びているクウォーツの手をしっかりと握り締める。 「……だから、あなたの憎まれ口が聞けないと寂しいんですのよ。 普段は滅茶苦茶に腹が立ちますけど、やっぱり聞けなくなると……ほんの、少しだけ、寂しいんですの」 「憎まれ口とは心外だな。私はいつも、……真実しか……口には出さん……」 毅然とした普段の彼からは到底想像もつかないほど、弱々しい小さな声。 いくら毒を消す薬を飲んだとはいえ、そう簡単に抜け切るわけではない。未だ呼吸は荒いものである。 それを察していたリアンは、あえて何も言わずに彼の額の汗を拭いてやる。 「あなた……あの時本当は、体力なんか殆ど残ってなかったんでしょう。 なのに一人で敵を引き受けちゃって。大して強くもないくせに、無理するからこうなるんですのよ」 半分呆れたような、そんな表情を浮かべつつリアンは一つ大きな溜息をついた。 「……あの時……あなたの目には、ティエルただ一人しか映ってはいませんでしたわ」 「フッ、姫にはナイトが必要だろう……? 私はこう見えても一応騎士道精神の持ち主なのでね。 けれど……あいつには私などいなくても、守ってくれる騎士は大勢いるだろうがな……」 皮肉の込められたキザな冷笑を口元に浮かべると、クウォーツは目を伏せてどことなく自嘲的に呟いた。 そんな彼を暫く見つめてから、リアンは小さな声で口を開く。 「──私に騎士は、一人もいないですわ」 「……」 ボソリと発せられたリアンの呟きに、彼は力なく壁に寄りかかる。 しかしまだ身体に力が入っておらず、半分ほどずり落ちていくクウォーツの身体をリアンが静かに支えた。 「……それは貴様が自分から跳ね除けているからだ。自分の心の領域に入ってこようとする者を、全てな。 それがたとえティエルであろうとも、サキョウやジハードであろうとも。貴様は全ての前に壁を作っている」 「……え?」 クウォーツの意外な言葉に、リアンは思わず赤い瞳を大きく見開く。しかし、それに構わず彼は続けた。 「笑顔で巧く騙し通せていると思うなよ。生憎、私も同じなんでね。……分かるんだよ」 奇妙なほど静まり返った辺りには、クウォーツの低いがどこか聞いていて心地の良い声が響く。 そこまで話し終えた彼は一回激しい咳をすると、苦しそうに顔を歪めた。 「もう少し可愛い女になれば、誰かが騎士になってくれるさ。……まぁ、確実に私ではないだろうがな」 「まったくあなたねぇ……普通はそこで、私が騎士になってやるとか格好良い事言うものなんですのよ。 お生憎様、私は今でも充ー分に可愛いですわよ」 そう言って口を尖らせてから、彼女は汗で頬にはり付いたクウォーツの髪を軽く払ってやった。 「それに私、騎士なんかいなくても……あなたなんかいなくても、自分の身は自分で守れますわ。 今までも、そしてこれからも。私は誰の手にも頼らず一人で進んで行くと決めたんですもの」 ……返事はなかった。 既にクウォーツは、再び意識を失っていたのだ。 「本当は話すのも辛かったくせに。……あなたってほんと、どうしようもないくらい見栄っ張りなんだから……」 長いまつげが縁取った赤い瞳を瞬いて、リアンは小さく一つ溜息をつく。 大分呼吸は落ち着いたものへと変わってきているようだ。しかしまだまだ安心は出来ない。 こうして改めてクウォーツを眺めてみると、生きているとは思えないほど彫刻めいた人物である。 それはあまりにも死体的な美しさで、初めて出会った頃は正直気味が悪いとも思ったことがあった。 しかし、間違いなく彼は『生きて』いるのだ。 「あなたは決して死なせない。何があっても私が死なせない。──だから、生きて……クウォーツ」 そして、優しく、だがどこか寂しげな笑みを浮かべ、リアンはクウォーツの汗ばんだ額にそっとキスをした。 暫くして立ち上がった彼女は、自分の長い髪を払いのけると凛とした瞳で前を向く。 一片の揺るぎのない、決意の色。 それから何かを吹っ切ったかのように、リアンは暗い地下牢を振り返りもせずに駆けて行った。 +DeadorAlive+ |