Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第2章+アンジェリカの館


第15話 どうかお友達になって





アンジェリカの部屋から脱出したティエルは幾分か落ち着きを取り戻し、自分の部屋まで一直線に向かう。
状況を把握できていない様子のジハードだったが、一体何が起こっているのか彼女にも分からなかったのだ。



確か自分達はほんの雨宿りをするつもりでこの館に立ち寄ったはずだった。

それが無人だと思われた館に突然夫婦が出現し、身体の弱い娘アンジェリカの友人になってくれと言われた。
居間で雑談をしていた時は、ごく普通の夫婦だったはずだ。いや、むしろ人の良さそうな雰囲気の夫婦だった。


しかし先程ティエルを襲ったのは間違いなくあの夫人であった。
狂った笑みを顔に貼り付けながら、アンジェリカの前で硬直しているティエルに鉈を振り下ろしてきたのだ。



漸く部屋に辿り着き、テーブルの上に置きっ放しにされているイデアとリグ・ヴェーダを両手で抱える。
ジハードもただ様子を見るために部屋を出たのだろう。まさか、夫人が鉈を振り下ろしているとは想像もせず。



ぐっと唇を噛み締めて廊下に飛び出すと、ジハードと夫人が取っ組み合っていた。

普段の彼ならば夫人を取り押さえることくらい容易のはずだが、夫人の方も必死なので手こずっている様だ。
彼女の手には未だ鉈がしっかりと握られている。まずはあの鉈を彼女から離さねばならない。



ティエルは鞘に収められたままのイデアを握り直し、力任せに鉈を持つ右手に叩きつける。ぎゃっと悲鳴。
痛みで思わず手を離した隙を見逃さず、ティエルは鉈を遠くへ蹴り飛ばした。廊下の暗闇へと消えていく鉈。



「ああぁ、私の鉈がぁ! あれがないとアンジェリカにお友達を作ってやることができないのよ……!」

手から鉈が離れた瞬間急に暴れるのを止めた夫人は、よろよろと遠くへ転がっていった鉈を求めて立ち上がる。
まるで夢遊病のように覚束ない足取りで一階への大階段の近くまで辿り着いた時、ぐらりとバランスを崩した。



「あ、危ない!」

「ぎゃああぁぁぁ……!!」
ジハードが駆け寄る間もなく、耳に残る断末魔の叫びを発しながら夫人は長い階段を転がり落ちていった。



暫く呆然と階段を見つめていたティエルとジハードであったが、我に返ると階段下を恐る恐る覗いて見る。

玄関ホールに夫人が横たわっていた。
首や身体のあちこちが有り得ない方向へと曲がっている。曲がった首の角度から、もう生きてはいないだろう。



「死んじゃった……の?」

「……そうだろうね、多分」
階下を覗き込むティエルの隣で、感情の篭っていない声色で呟いたジハード。


「この館にこれ以上関わるのは危険だ。今すぐここから出ないと……何かとても嫌な予感がする」



そのジハードの意見にティエルが反対するはずもなく、深く頷き合った二人はゆっくりと階段を下りて行った。
階段下に横たわる夫人の死体に一瞬だけ視線を投げかけたティエルだったが、ジハードの歩みは止まらない。


「案の定だ、鍵は開いているのに扉はびくともしない」
溜息と共にジハードが呟いた。ティエルも扉のノブを力一杯引こうとするが、微動だにしなかった。

「こうなったら窓ガラスを割って外に出るしかないね。ティエル、どこかに持ち上げられる程度の重い物はない?」


「う、うん。ちょっと待って。居間に椅子があったような気がしたから……」
ジハードはいつでも冷静である。気が動転している自分を諌めつつ、ティエルは居間へと身体の向きを変える。


その彼女の背に、突然ジハードがもたれ掛る様にして倒れてきた。



「どうしたの? ……ジハード……」
思わず彼を支えた手に、ぬるっとした感触。彼の背後で稲光に照らされた姿を見て、ティエルは絶句した。

にやにやと笑みを浮かべながら花瓶を手に持った男の姿。アンジェリカの父親である。



「こんな夜更けにどこへ行くんだい? 君達は娘の大切なお友達だ……館から逃がすわけにはいかないよ」
「あなた達は……一体」


先程の濡れた感触は、ジハードの額から流れる血であった。花瓶で殴られた時に切れてしまったのだろうか。

彼の血に染まった傷口を目にした途端、ティエルの頭の中が一瞬真っ白になった。
ぎり、と歯を食いしばり、目の前で花瓶を握る男を睨み付ける。恐怖よりも怒りが勝った瞬間である。



「お友達……? アンジェリカのため? ふざけるな、あなた達のやっていることは単なる人殺しじゃない!」
額を押さえているジハードを横に座らせると、ティエルは怒りに満ちた瞳で立ち上がった。


「あなたがこれ以上わたしの友達を傷付けるというのなら、あなたを斬る!!」



しかしそんなティエルの言葉に動じることもなく、男は花瓶を振り上げながら彼女へ歩み寄っていく。
ジハードにできるだけ被害が及ばぬように、彼から男を引き離そうと挑発する様にティエルは階段へ向かった。

彼女の願いが通じたのか、男はジハードの横を通り過ぎてふらふらとティエルに近づいて行った。



途中夫人の死体があったが、男は彼女の身体を踏み付けながら階段を上る。もはや正気ではないようだ。

男が笑い声を上げながらゆっくりと階段を上る様子を確認すると、上がり終えたティエルは左右を見回した。
試しに一番近くの扉を引いてみるが、やはり鍵がかかっているようで開かない。



この分では他の扉も同じようなものだろう。ただ一つ開いている、アンジェリカの部屋の扉を除けば。

先程はあんなにも恐怖した部屋だったが、今はそんなことを言っていられない。
迷わず部屋に飛び込んだティエルは、何か脱出の足しになりそうな物はないかと部屋中に目を走らせる。


ベッドの上にはアンジェリカの亡骸。まるでこの騒ぎなど、無関係だと言わんばかりに変わらぬ様子だった。



「……ねえ、アンジェリカ。あなたは何も思わないの? 感じないの?」
思わず声をかける。真っ直ぐにこちらへ向かってくる廊下を歩く男の足音。漸く階段を上り終えたようだ。


「あなたは……お父さんやお母さんが自分の為に何人も人を殺していても、何も感じないの……!?」



何も答えない少女の細い両肩を手で掴んだティエルは、強く揺さぶりながら叫んだ。
その瞬間。骨だけの少女に儚げな少女の姿が重なった。色白の、ふわふわとした金髪の華奢な少女。

彼女は両の茶の瞳に一杯の涙を湛え、ティエルの方をじっと見つめていた。
口を開いて何か伝えようとしているのだが、ティエルには何も聞こえない。それをとても悔やんでいる様だった。



「あなた、アンジェリカ……? 何かわたしに伝えたいことがあるの……?」



こくりと頷くアンジェリカ。だが少女の発する言葉は声にならず、彼女はただ俯いて涙を流すばかりであった。
同じくティエルもアンジェリカの伝えたいことを理解してあげることのできない自分が悔しく、唇を噛み締める。

そんなティエルの強く握り締めた手に、ふっとおぼろげな手が重ね合わされる。微かに感じる人の体温。


顔を上げると、アンジェリカがどこか寂しげに笑いながらティエルを見つめていた。
ゆっくり。一語ずつ丁寧に区切るかのように、アンジェリカは口を開く。最初は『ど』、その次は『う』、『か』。


決して聞こえないはずだったが、その時ティエルの耳には確かにアンジェリカの声がはっきりと聞こえたのだ。



『どうか……お願い、あの子を……』
「ここにいたんだね……さぁ、アンジェリカのお友達になってもらうよ……!!」

部屋の戸口にいつの間にか男が立っていた。手には夫人が落とした鉈を持って。


彼には白骨に重なるアンジェリカの姿が見えていないようであった。迷いもなくティエルに向かってくる。
男が鉈を振り下ろす姿が妙にゆっくりに見えた。


身を翻してその一撃を避けると、鉈はアンジェリカの頭蓋骨を真っ二つにしてしまう。

その瞬間消えてしまう少女の幻。
しかしそれでも男は顔色すら変えなかった。笑みを浮かべながら、ティエルを追い詰める。



『どうか、お願い……あの子を……私の唯一人の友達だったミカエラを止めて──!!』



アンジェリカの最後の呟きをはっきりと耳にしたティエルは、追い詰められながらもハッとして振り返った。
「唯一人の友達だった……ミカエラ……?」



「やーん★ どうしてミカエラだって分かっちゃうの? 今まで一回も気付かれなかったんだけどなぁ」

ティエルがその名前を口にした途端。鉈を振り下ろす男の姿が掻き消え、一人の少女が姿を現したのだ。
鮮やかな桃色の髪。病的なほど白く透き通った肌の色。そして悪魔族の証である血のように濃い赤の瞳。


まるで天使が舞い降りたかのように愛くるしい顔立ちだが、その顔に浮かぶ表情は純粋な残虐性を湛えていた。
彼女の名は──。



「死神ミカエラ……!!」






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