Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第3章+黒髪のロイア


第24話 大吸血公アスモデウス





この者には何があっても決して敵わないと、瞬時の内にティエルとジハードは悟る。
固い決意でアスモデウスの封印を解いたはずのアリエスでさえも、ありありと後悔の色が表情に浮かんでいた。


……だが、もう遅いのだ。時を戻すことなどできない。




アスモデウスの足元には完全に絶命してしまったゾルディスの魔術師達の死体が、幾重にも積み重なっている。
彼らはまさに己の命を引き換えにして呪文を完成させたのだ。


「外の世界に両足で立つことができたのは……実に久方ぶりだな。思念だけを飛ばすのにも飽きていた頃だ。
実に優秀な魔術師達よ。命を懸けた余の為の働き、心から礼を言うぞ」

形の良い口髭の下から低い声が発せられた。口調は優しいものだったが、それが余計に恐怖を増大させる。



艶やかな銀髪を優雅な動作で払い除け、アスモデウスは魔術師の死体からティエル達へと顔を向けた。
ずん、と全身にかかる重圧。背中に流れ落ちる汗。


「……ア、アスモデウス様、我らゾルディス国はあなた様のしもべ……復活をお待ち申し上げておりました」
漸く我に返ったアリエスは愛用の帽子を手に取り、恭しく畏まる。

平静を装ってはいるが、これは普段のアリエスの声ではない。緊張で声が上擦ってしまっているようだった。
ふむ、とアスモデウスは首を傾げて彼を眺める。



「ゾルディスか、久々に聞いた名だ。……そういえばリダ=クイーンには幾つかの品を命じていたな」



確かにリダは四つの品を探していた。その為にティエル達を欺きながら旅を続けていたと言っていたのだ。
その事を思い出したティエルとジハードは反射的にそれぞれの武器を構える。

迂闊であった。こんな大切なことを忘れていたなんて。決して忘れてはいけないことを忘れていたなんて。



『よかろう。単刀直入に言えば、我が野望を達成させるためにはお前達の命が必要なのだ。
聖剣の封印を解く鍵、野望を達成させるために必要な命、そして偉大なるあのお方が欲している屍体』

──ティエル達の死体。リダ=クイーンがティエル達に近づいた理由がそれだった。



「え……ええ、既にその品は全ては見つかったようなのですが……女王の手では無理だった様子でした」
ちらりとティエル達に視線を移動させたアリエス。

「しかしその問題もすぐに解決するかと。このわたくしめにお任せ下さい」


「ククク、それは頼もしい限りだな」
目を細めてアリエスを見やったアスモデウスだが、少し思案した後に先程よりも低音で口を開いた。




「ところで……余の可愛い息子はどうした? ……そろそろ手を煩わせるのもいい加減にしてもらいたいな」




明らかに周囲の空気が変わった。
ぴしぴしと聞こえるはずのない空間の軋みまで聞こえてくるようだった。そんなことは、ありえないはずだ。


「昔から人一倍薄幸な方でしたから、残念ながら既にお亡くなりになっているのかもしれませんわね」

顔色すらも変えずにロイア言った。
普段のような柔らかな笑みを浮かべながら、誰もが恐怖するはずのアスモデウスを前にしている。



無礼な彼女は殺されるのではないかと目を閉じたティエルだったが、断末魔の悲鳴は聞こえてこない。
ロイアの言葉にアスモデウスはそうか、と言っただけで特に何も感じてはいないようだ。



「余は現在機嫌が良い。人間と不死鳥……お前達は死の恐怖に支配されているようだが、殺しはせぬよ。
まだまだ脆弱だが、良い血を持っておる。しかし青い果実は熟した時が食べ頃だろう?」

蛇に睨まれたカエルのように、アスモデウスを前にしたティエル達は身動き一つ取れなかった。



アスモデウスは暫く口元を歪ませて品定めをしていたが、やがてふいと視線を外してアリエスに顔を向ける。

「ゾルディスまで余を案内しろ」
「か、畏まりました。簡易ワープゲートをご用意致します故、どうぞこちらへ……」


アリエスの後に続いて歩き始めたアスモデウスだったが、一瞬だけティエル達へ向けて笑みを浮かべた。


笑顔というものはひとを温かな気持ちにさせるものだ。
だが、このアスモデウスの笑みは心底恐ろしく、心を凍り付かせるものだった。




部屋を後にしたアスモデウスとアリエスの足音が聞こえなくなっても、気配が完全に消え失せても、
ティエルとジハードは力が抜けたようにその場に座り込んだままでいた。

あんな相手と顔を合わせておきながら、命がまだあることが不思議でならなかった。
アスモデウスにとっては、ティエル達など殺すにも値しないちっぽけな存在だったということなのだろうか。



「石化の解呪方法……聞くどころの話じゃなかった……」
漸く落ち着いたのか、ジハードが独り言の様にぽつりと呟いた。

「ここまで心底恐ろしいと思った相手は初めてだ……桁違いなんてもんじゃない。格も次元も違いすぎる」



「……ごめんなさいね、大切なお客様にお茶も出せなくて」
突如響いた声に驚いてティエルが顔を上げると、目の前には微笑みながら手を差し出すロイアが立っていた。

アスモデウスに仕えている彼女だが、やはりロイアからは邪気が全く感じられない。



「本当はとてもお優しい方なのですよ。誰もがアスモデウス様を愛し、そして永遠の忠誠を誓っている。
唯一人……絶対に屈服しないあの方を除いては。だからアスモデウス様は決して彼を許さない……」

ぼそぼそと低い声で呟くロイアに、ティエルは首を傾げながらも彼女の手を借りて立ち上がる。
だがジハードは立ち上がろうともせずに膝を抱えて座り込んでいた。



「ジハード……?」

「……結局……サキョウを石化から戻す方法は分からないままだ。状況はむしろ悪くなっただけだ。
アスモデウスを締め上げてでも聞き出そうと思っていたのに……彼を前にしたら声すら出せなかった」


そう言って完全に項垂れてしまったジハードを前にして、ティエルも思わず俯いた。
あの状況でアスモデウスに声をかけるなど、きっと誰にも出来なかった。出来るとしたらロイアくらいだろう。



言葉もなくただ項垂れているティエルとジハードの二人を暫く眺めていたロイアだったが。

「石化から戻す方法……知りたいのですか?」
と、口を開いた。


「わたくしはアリエス博士側の人間です。けれど石にされたひとは、あなた方の大切なひとなのでしょう?
たとえ何があっても、どんなことがあっても……助けたいと思えるような人なのですか?」



確かにアリエスからすれば、ロイアのこの行動は裏切りにも近い。

しかし彼女の表情からはそんな問題など些細なことで、
それよりも石にされた人物をいかにティエル達が大切に思っているかどうかが重要な事のようにも見える。



「……うん」
ティエルはロイアの瞳を見つめてからしっかりと頷いた。

「大切な人なの。彼はわたしの家族みたいな……父親みたいな存在なの。だから……」


「……分かりました。大切な存在を目の前で何もできぬまま失ってしまうことは、とても悲しいことですわ。
わたくしにできることは解呪の方法を教えることしかできませんが……必ず、石化を解いてあげて下さいね」

あどけない表情で、だが、どこか瞳に寂しげな色を浮かべながら微笑みを浮かべるロイア。
かつて彼女に何かあったのだろうか。大切な人物を、何もできぬまま目の前で失ってしまった様なことが。



「ユークリンド大森林をご存知でしょうか。このゴールドマインより、ずっと東に位置する森ですわ。
そこに様々な秘薬を作ることを生業としている一族が住んでいると聞きます。きっと解呪する秘薬も……」


「聞いたことがある。ユークリンド大森林か、あまり離れてはいない距離だね。ここから一週間くらいか」



「そこの一族さんにお願いしたら、石化を解呪する秘薬を貰えるの!?」

「……ですが、完全に外界との交流を絶っている閉鎖的な一族だと聞きます。
運良く一族の集落に辿り着くことができても、彼らが快く秘薬を譲ってくれるかどうかは……分かりません」



「それでもいいよ、何も手掛かりがないよりはマシだから!」

暗い面持ちで俯いているロイアを前に、ティエルは先程までとは比べ物にならないほど明るい声で言った。
もしかしたらサキョウを元に戻すことができるかもしれないのだ。


全く戻す方法がないよりは大きな進展である。ロイアに感謝をしなければならない。



「ありがとう、ロイア。……あなたがいてくれて本当に良かった。感謝してもしきれないよ」

「いえ、わたくしは何も……」
にっこりと笑ったティエルの満面の笑みを暫く眺めていたロイアだったが、やがて表情を綻ばせる。


「あなた方ならば、あの方の凍て付いた心を……いつか溶かすことが出来るのかもしれませんわね」



「……え……?」
何気なく呟いたロイアの一言に首を傾げたジハード。

しかしそれに応えることもなくロイアは静かに一礼をすると、背を向けて歩き始めた。
遠ざかっていく彼女の姿をかき消すかのように、鉱山前で別れた先程と同じように霧が立ち込めていく。


彼女を追ってはいけないと。……やはり、そんな気がした。






+DeadorAlive+