Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart


第55話 Heimdall and Quartz -1-





……痛い……。



身体の痛みなのか、それとも心の痛みなのか。どこが痛いのかなんて、そんなこと分かるはずもなかった。
心の痛みなんて、とうの昔に失ってしまったはずの感情だった。


気付いた時には何も感じなくなっていた。少しずつ、ほんの少しずつ無くしてきて。気付けば殆ど失っていた。
──けれど、そうしなければ心ごと全てが崩れ去ってしまいそうだった。



……痛い……?


『痛かったか? すまなかった、クウォルツェルト。……けれど余は、お前のことを誰よりも愛しているのだよ』
愛している……?


『愛しているからこそ、こんなことをしてしまったんだ。勿論だとも、父親が息子に嘘をつくはずがないだろう?』



こんなものが愛? こんな痛みだけしか感じないものが愛?
愛しているなんて上辺だけ。囁かれても心が痛いだけ。甘い言葉なんて、何もかもが嘘に彩られているだけ。

これが愛というのなら、そんなもの……いらない……!!















ぼんやりとするクウォーツの視界にまず目に入ったのは、見慣れぬ天井であった。
身体を動かそうとすると、まるで暫く動かしていなかったかの様に痺れた感覚。だが、動かないわけではない。


……廃墟となった城にてヴァンパイアハンターを相手にしたところまでは覚えている。
確か白銀の矢に足首を射られたのだ。身を隠しやすい場所を求めて、早急にその場を離れたはずだった。

足、という単語を漸く思い出したクウォーツは、己に掛けられている毛布を捲り上げる。



矢の刺さった左足には、きっちりと丁寧に包帯が巻かれていた。見たところ血は止まっているようだった。
だが、左膝から下が殆ど青紫色に変色している。



呪われたものを打ち砕く白銀。この傷だけは、悪魔族の回復力だけではどうすることもできない。
ただ一つだけ治す事のできる術が存在するが、この片足では難しいだろう。

厄介なことになったとクウォーツは深く溜息をつき、そこで初めて彼は己の着ている格好を改めて目にした。



「……何だこれは」



随分とよれよれになった夜着である。衣服には微塵の気も抜かない彼ならば、選びもしない様なデザインだ。
一体どんな大柄な者が着ていたものなのか、サイズが明らかに合っていない。


誰がこんな事を、と用心深く辺りの様子を探ってみる。もしかしたら何かの罠である可能性も捨てきれない。



……どうやら部屋の一室のようだ。割と広く、向かいの暖炉では小さな火が燃えている。
ベッド脇のテーブルには、硝子で作られた写真立て。綺麗に編まれた敷物の上には燭台が乗っていた。


素朴で華やかな印象はない。だが、どこか温かさを感じられるような部屋である。
勿論そんな感想を述べるような感情を持っているクウォーツではなく、彼にとってはどうでもいいことであった。



どんな経緯で現在の状況になってしまったのかは分からないが、この場から早く立ち去るのが賢明だろう。



肝心の妖刀幻夢は、ベッドから少し離れた場所に立て掛けられている。

身体を起こし、まずは右足を床に触れてみる。大丈夫だ、痛みは感じない。続いて左足を地に着けた瞬間。
耐え難い激痛を感じ、バランスを崩した彼は床に転倒してしまった。仕方なく這った形で進んでいく。



我ながら惨めな姿だな、と彼は口元を歪ませた。……銀の矢僅か二本だけで、こんな状態になるとは。
それでも生きなければならない。死ぬわけにはいかない。失ってしまった記憶を取り戻すまでは。



妖刀幻夢まであと少し。あと少し進めば、手を伸ばしたら届くはず。


……その時。
前触れもなく突然部屋の扉が開き、全身ツギハギだらけの大男が姿を現した。手には包帯や瓶を抱えている。



「ち、ちょっとあんた! そんな身体で何やっているんですか!?」
這い蹲った格好で剣に手を伸ばすクウォーツの姿を見た男は、慌てた様子で駆け寄ろうと一歩足を踏み出す。



「動くな!」
だがクウォーツはそれよりも早く妖刀幻夢を握り締めると、目にも留まらぬ速さで切っ先を男に突きつけた。

「私を助けた理由は何だ。それとも貴様もハンターの仲間か。……正直に言え、言わねばその首を落とすぞ」



「え? えぇっ? 助けた理由って聞かれても」
急に剣を向けられた大男は目を白黒とさせ、その図体には似つかわしくはない、小さく気弱な声を発する。


「怪我をして倒れている人がいたら、手当てをするのは当然のことじゃないですか……?」



「さぁ、どうだか」
僅かな隙すら見せぬまま、クウォーツは大男との距離を取り始める。飛び掛られては確実にこちらが不利だ。

「私には高額な賞金が掛かっているらしいな。ハンターに売りつける気か。だが、まだ捕まる訳にはいかない」



「違う!!」
妖刀幻夢を支えにして立ち上がろうとしたクウォーツの両肩を、大男は半ば泣きそうな表情で掴んだ。


「いっ……!」
男にとってはほんの些細な力で掴んだつもりなのだろうが、力の加減ができていない。みしみしと軋む関節。


「確かにそう考えたこともあった……けれど、そんな事をしたってオレの立場が変わるわけじゃないんだ!!」



肩を掴んだまま、顔を伏せぶるぶると小刻みに震え始める大男。既に声が涙声になっている。
そんな様子を興味がまるでない顔つきで眺めていたクウォーツだったが、やがて淡々とした低い声を発した。


「手を離せ。気安く触れるな」

「す……すみません……」
凍り付いたような声に男は肩を震わせる。クウォーツから目を背けたまま、肩を落として項垂れてしまう。



誰が見ても恐ろしく、厳つい大男が背を丸めながら鼻をすすっている。それはとても奇妙な光景であった。



(こいつ……?)

そういえば、この大男は先程から相手の目を全く見ようとしなかった。目が合ったことが一度もなかったのだ。
大男は未だに顔を上げずに俯いていた。


そんな彼に向き合う形で座り込んでいたクウォーツは、探るような目付きで男の様子を眺めてみる。
こちらに敵意を持っているとは思えなかった。少なくともハンターに売り渡してやろうとは考えてはいないようだ。



「……会話をする時は、相手の目を見て話せよ」



クウォーツはそう口にすると、両手を伸ばして大男の頭を掴む。俯いていた頭を無理矢理自分へと向けた。
薄青の瞳と、黒い瞳が初めて見つめ合う。尚も顔を背けようとする大男だが、クウォーツはそれを許さない。


暫く睨み合うように間近で顔を合わせる二人。そんな状態ですら、男は耐え切れず何度も目を逸らしていた。



「何故私の目を見ようとしない? ……それとも、悪魔族の存在は目を逸らしたくなるほど不快なのか」
「そういう訳じゃ……ないですよ」

ぎこちなく視線をクウォーツに戻し、漸く男は口を開いた。



「むしろ逆です。……目を合わせた瞬間、相手に顔を歪めながら目を逸らされた時の気持ちが分かりますか?
それならば、オレが目を合わせなければ話は済むじゃないですか。オレの顔を見ずに済むじゃないですか」



俯き、暗い面持ちで呟いた男だったが。そこではっと口を噤んだ。そして、恐る恐る顔を上げてみる。


クウォーツは相変わらず無表情ではあったが、……真っ直ぐに彼の瞳を見つめていた。決して逸らさずに。
硝子のように薄く冷たい瞳。それでも相手の心を少しでも読み取ろうと、大男の黒い瞳を見つめていたのだ。



「……あんたは……真っ直ぐにオレの目を見てくれるんですね」
初めて笑みを浮かべた大男の表情は、その厳つい体躯からは想像もつかぬような純粋なものだった。



「両親以外で、オレのことを真っ直ぐに見てくれたのは……あんたが初めてですよ」



先程とは打って変わって明るい声を発すると、冷たい床に座り込んだままのクウォーツを突然抱え上げる。

「なっ……」
「とにかく、あんたはベッドに戻って下さい。こんな場所にいたら冷えちゃいます。治る怪我も治りませんよ!」



クウォーツの抵抗も物ともせず、どさりとベッドの上に下ろした。



「……大丈夫、この家には誰も訪ねてきませんよ。だからハンターなんかには絶対見つかりません」
相変わらず力の加減ができていない。

全身に痛みが発しているのは、ガッシュを相手にした時に負った怪我ではなく、確実にこの大男の所為である。



「それはともかく、私は貴様のように頑丈に出来ていないのだ。……もっと優しく扱え、馬鹿」
「あ! すみません。力ばかり有り余っちゃって。でも、そんな憎まれ口が利けるようなら回復はすぐですよ」


もう瞳を逸らすようなことはせず、大男はにっこりと笑う。



「そういえば自己紹介がまだでした。……オレはヘイムダルっていうんです。よろしくお願いしますね」

一刻も早く立ち去らなくてはならないのに、更に厄介なことになってしまったとクウォーツは思わず眉を顰めた。
ヘイムダルと名乗った大男に返事すらせず、彼は黙ったまま一つ溜息をついただけであった。






+DeadorAlive+