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Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart
第57話 Heimdall and Quartz -3- 額を伝って流れ落ちる汗を軽く拭うと、目の前に濡れたタオルが差し出された。 暫くそれを無言で睨み付けていたクウォーツだったが、ゆっくりと顔を上に向けて差し出した相手を眺める。 「……本当に大丈夫ですか? あんた、ずっと魘されていたんですよ。オレの声も全然届かないみたいでした」 タオルをなかなかクウォーツが受け取らないので、ヘイムダルはそれを無理矢理彼の手に握らせる。 ひやりと程よく冷やされたタオルは、熱を持った身体には心地よく感じられた。 「脚の怪我、ハンターにやられたんでしょう? 放っておいたら、あんたこのままじゃ歩けなくなりますよ。 医者か僧侶に診せた方が……あっそうだ、隣町の僧侶なら助けてくれるかもしれない。一緒に行きましょう!」 「冷静に考えてみろ」 冷たいタオルを火照った頬に押し当てる。気休めだろうが、段々と熱が引いていくようにも感じられた。 「僧侶がヴァンパイアを助けるとでも思っているのか? 通報されて、ハンターに捕まるのが目に見えている」 「でも」 「その時、私と共にいた貴様はどうなると思う? 悪魔族を匿った人間として、最悪の場合打ち首になるだろう。 とんだお笑い話じゃないか、私を助けたばかりに死ぬなんて。貴様はことの重大性が分かっていないようだな」 困った表情を浮かべながらこちらを見つめてくるヘイムダル。 クウォーツが感情を全く込めずに冷たく言い放っても、彼は目を逸らそうともせずに、じっとただ見つめてくる。 とても純粋な瞳であった。他人の言ったことをそのまま全て受け止めてしまいそうな、穢れのない黒い瞳。 そんな瞳に見つめられていると、自分がとても穢れている存在だと思い知らされるような気がした。 「……何故だ? 何故、見ず知らずの者に優しくなれる」 ヘイムダルが黙ったままなので、沈黙に根負けしたクウォーツが口を開く。 「私を助けても、貴様が得るものなんて何一つない。むしろハンターに売り渡した方が得る物は大きいだろう。 貴様は私に何を求めているんだ。どんな見返りを求められても、分かるだろ……私は感情が欠落している」 だから、何も感じないし思わない。皆の言うとおり、中身のない抜け殻のような存在なのだから。 「私は、貴様に何もしてやることが出来ない」 「別に……オレはあんたに見返りを求めているわけじゃない。無償で何かしたいって思うことだってありますよ」 ベッドサイドに置かれていた小さな椅子を引き寄せ、ヘイムダルは静かに腰掛けた。 その恐ろしい容姿からは想像もつかぬほど人の良さそうな、純朴そうな笑みを浮かべ、クウォーツを見つめる。 彼の言葉に偽りはないか探るように、同じくクウォーツはヘイムダルの黒い瞳を見つめ返した。 「ただオレは嬉しかったんですよ。あんたは目を逸らさずにオレを見てくれた、初めての人だったから。 オレが目を逸らした時、相手の目を見て話せってあんた言ってくれたじゃないですか。……それが嬉しかった」 「それだけで? 何も知らないくせに……たったそれだけのことで、私を助けるのか……?」 何て愚かな、信じられない。思わず目を見開くが、目の前のヘイムダルは本心から口にしているようだ。 クウォーツにとっては、ほんの何気ない言葉であった。 そんな些細な言葉の為に、命の危険を冒してヴァンパイアを匿うとは。愚の骨頂としか言いようがなかった。 「私は至極当然の事を言ったまでだ。勝手に変な解釈をされても困……」 「当然じゃないんだよ!!」 クウォーツがまだ言葉を言い終わらぬ内に、突然部屋に響き渡るヘイムダルの怒鳴り声。 あんなにも穏やかな彼が怒鳴るとは予想外の行動だったのか、反射的にクウォーツの肩がびくりと震える。 「綺麗なあんたには絶対分からないだろうよ! 自分の姿を見た途端、あからさまに嫌な顔をされる辛さを!? 何もしていないのに、何もまだ伝えていないのに。皆がオレを避けていく。そんな辛さ……分からないだろ!!」 拳を握り締め、ヘイムダルはその巨体に似合わずぼろぼろと涙を溢れさせた。 大の男が子供のように泣きじゃくっている。呆然としているクウォーツの前で、形振り構わず泣き続けていた。 ……まさか泣くなんて思ってもいなかった。 こんなにも大きな男が、自分のたった一言で泣くなんて思わなかったのだ。 ──青い髪を目にした途端にあからさまに嫌な顔をされ、避けられても何も感じなくなっていた。 悪魔族と知れた時、汚らわしいものを見るような目付きで罵られても……既に何も感じなくなっていた。 だがヘイムダルはクウォーツとは違い、感じることのできる心があるのだ。 正常な心の持ち主ならば、そんな仕打ちに耐えられるはずがなかった。むしろ、耐えられなくて当然なのだ。 「私の心は、何も感じない欠陥品だからな。感じる心があるのも考えもの……か」 下を向いてぐすぐすと鼻を鳴らしているヘイムダルから視線を逸らし、クウォーツは言い難そうに口を開いた。 「……私が悪かった。何も知らなかったのは、私の方であったな」 それでもヘイムダルは泣き止まず、嗚咽を漏らしている。 「悪かったと言っているだろう、いつまでもメソメソと泣くな。大男に目の前で泣かれると鬱陶しいではないか!」 痺れを切らしたように傍のテーブルを叩く。その衝撃で、先程から置かれているスープが大きく波打っていた。 大分時間が経っているのか、スープは完全に冷えてしまっているようである。 「鬱陶しいだなんて……そこまでオレを嫌わなくてもいいじゃないですか……」 漸く顔を上げたヘイムダルは、冷めたまま手のつけられていないスープの皿に視線を落とした。 「そりゃあ確かにオレは全身ツギハギだらけだし、顔だって不細工だし、誰も近寄ろうとしない化け物ですよ。 料理だって上手い方じゃないし、こんな醜い化け物が作ったスープなんて食べたくないんでしょうけど……」 「全身ツギハギだらけがどうした。私など蝋人形や抜け殻、あまつさえ死体のようだとまで言われているんだぞ」 大げさに溜息をついたクウォーツは、テーブルに置かれたスープの皿を取った。 一向に泣き止まないヘイムダルを睨みつつ暫く皿の中をかき回していたが、ゆっくりとスプーンを口に運ぶ。 「蝋人形や死体だなんて、もはや生き物ですらないじゃないか。……ん、味付けが少し濃いな」 何やら文句の様なものを言いながらも、完全に冷めてしまっているスープを口にするクウォーツの姿を見て、 ヘイムダルはごしごしと袖で涙を拭ってから笑みを浮かべた。 「……あんた、本当は優しい人なんですね」 何を、とクウォーツは反論しかけた口を閉ざす。下手なことを言って、また泣かれては鬱陶しい事この上ない。 「あんたは自分のことを蝋人形だとか、死体のようだとか言ってるけど……違いますよ」 ヘイムダルの言葉に、スプーンを持つ手を下ろし。クウォーツは顔を上げる。 その表情はやはり精巧な蝋人形のようで。何の感情も浮かんでいないアイスブルーの瞳のまま、首を傾ける。 「……だって、あんたはちゃんと生きているじゃないですか。人形でもない、死体でもない。生きてるんですよ」 (生きてる) 目を瞬き、己の手の平を見つめる。 (……私は、生きてる……) 言葉を噛み締めるように、クウォーツは手を握り締めて心の中で何度も繰り返した。 幾度も自分で言い聞かせていた言葉だった。だが、誰かが口にしてくれると、こうも心強い言葉だったのか。 「明日はもっと美味しく作りますから、楽しみにしていて下さいね」 空になったスープの皿を幸せそうに眺めたヘイムダルは、弾みをつけて椅子から立ち上がった。 「お休みなさい……ええと……あぁそういえばオレ、あんたの名前をまだ教えて貰っていなかったんですね」 己の手に落としていた視線を上げ、クウォーツは暫く黙ったままだったが。やがて口を開いた。 「……クウォルツェルト。クウォーツでいい」 「クウォーツさん」 立ち去ろうとして、ふと足を止める。振り返り、心底嬉しそうな顔をしてヘイムダルは笑った。 「ありがとう」 静かな音を立てて扉が閉じられる。 放っておいても勝手にぺらぺらと話し続けるヘイムダルがいなくなると、随分と静かな部屋になった。 一刻も早く立ち去るつもりだったはずが、気が付くといつの間にか名前まで口に出してしまっていた。 完全にヘイムダルのペースに乗せられているようだ。……あの穏やかで温かな雰囲気に乗せられている。 不意にずきりと左足が痛んだ。 急に命の危険が現実味を帯びてくる。ハンターに追われる身であったことを思い出したのだ。 (……でも) 今だけは。 今だけは、この緩やかな時間に身を委ねていたかった。たとえそれが、許されないことであっても。 +DeadorAlive+ |