Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart


第58話 Heimdall and Quartz -4-





どたどたどた、と。朝っぱらから忙しない足音が家中に鳴り響く。



基本的にあまり睡眠を取らないクウォーツは既に上半身を起こし、鳴り響く大きな音に思わず眉を顰めた。
この家は物音が響きやすい作りになっているのか、まるで雷鳴が響いているのかと錯覚させられる。

真っ直ぐにこちらへ向かってくるその足音は、勿論ヘイムダルのものであろう。



ぴたりと足音が止み、恐る恐るゆっくりと扉が開く。隙間から顔を覗かせたのは、やはりヘイムダルである。
全身に刻み込まれたツギハギの痕が痛々しい大男だが、彼の瞳は草食動物を連想させる穏やかなもの。


「あ……クウォーツさん、いた……」

誰もがその迫力に圧倒されるであろう容姿の大男は、外見からは想像もつかないような気弱な声を発する。
ヘイムダルが姿を現しても顔すら向けなかったクウォーツだったが、その言葉に漸く振り返って首を傾げた。



「いたとは何だ、私がいては悪いのか。貴様がここに寝ていろと言ったのだろう」

そこまで言いかけて、ふとクウォーツは言葉を止める。
以前誰かに同じことを言われたような気がしたからだ。そして彼も今と同じような言葉を返したことがあった。



「そういえば、前にも誰かに同じ台詞を言われたな。……私はそんなにも消え失せてしまいそうに見えるのか」



「いえ、そういうわけじゃなくて」
照れ隠しにはははと笑ったヘイムダルは、開けたままになっている扉を後ろ手で閉めて歩み寄る。

「クウォーツさんって、何だか目を離すといなくなっちゃいそうな気がするんですよね。
存在が薄いとかじゃなくて、むしろあんたは濃い方ですけど。きっと前の誰かもそう思ったんじゃないですか」



「……濃い?」

無表情のままで、いや、クウォーツの場合眉が常に顰められているので、怒っているようにも見えなくもないが、
悪気のない笑みを浮かべているヘイムダルの胸元を片手で軽く掴むと引き寄せる。


「私の顔が、濃いだと?」



「え? 重要なのはそこなんですか!? いやいや、顔が濃いんじゃなくて存在が濃いって言ったんですよ!」
クウォーツに睨まれて、ヘイムダルの顔に浮かんでいた笑みが段々と苦笑いへと変化していく。

それでもヘイムダルはもう目を逸らそうとはしなかった。背中を丸め、相手の反応を恐れてはいなかった。



「……人と気軽に話すことって、こんなにも幸せなことだったんですね」
明るい声。胸倉を掴んだままのクウォーツの手に己の手を重ね、ヘイムダルは目を細める。


「オレはずっとずっと怖かったんです、人と話すことが。人の目を見ることが。人にどう思われているのか。
けれどオレは今とても幸せです。あんたの瞳はオレに対する蔑みも何もなくて、本当に真っ直ぐ見つめてくれる」



別の言い方をすれば、クウォーツの瞳には何の感情も浮かんでいないだけで。

きっと他の者が見ればまるで硝子で作られた、冷たく無感情な瞳に見えるだろう。だがヘイムダルは違う。
たとえ何も感情が浮かんでいなくとも、それだけで幸せだったのだ。蔑まれていないだけで充分であった。


全く裏表のない笑顔を向けられ、どこか居心地の悪くなったクウォーツは重ねられた彼の手を思わず振り払う。
ヘイムダルの心をそのまま表すような、温かな手であった。そんな手で優しく握られると居心地が悪かった。



「そうだ、傷見せて下さい。薬と包帯持ってきたんですよ!」


床に置いたままであった薬と包帯の入った籠の存在を思い出し、ヘイムダルは唐突に毛布を捲り上げる。
嫌がるクウォーツの態度を気に留めることもなく、彼の足首の包帯を巻き取っていった。

血管が透けている色素の薄い肌に刻み込まれた、矢の傷痕。二つの抉れたような傷が目に付いた。
呪われたものを打ち砕くと言われている白銀の威力か、傷口を中心として広範囲に青く変色してしまっている。



「僧侶の治療が嫌なら、せめてしっかりと消毒しないと。今までずっとこういう怪我を放置していたんですか?」
ペースト状になった緑の薬を優しく塗り込んでいたヘイムダルだったが、言い難そうに間を空けて口を開いた。



「ごめんなさい……別に見るつもりはなかったんですが、着がえさせる時に見てしまったんです。
黙っておこうと思ったんですけど、クウォーツさん……手足とお腹のところに、酷い火傷の痕がありますよね」


クウォーツの表情が強張った。それはほんの些細な変化で、よく見ていなければ気付かないほどであったが。
凍り付いた顔つきのまま、彼は錆び付いた人形の様に不自然な動作で顔を上げる。


「どうしてあんな怪我を負ったのかは聞かないですよ。でも、あれは単なる火傷じゃなくて……まるで誰かに」



「……単なる火傷、ただそれだけだ。どちらにしても、貴様が気にすることではないだろ」
何事も無かったかのように平然と言ってのけるクウォーツ。

これ以上追求しても、彼はきっと何も話さない。そう悟ったヘイムダルは俯くと、途中だった包帯を巻いてやる。



「オレ、今日は一日休みなんですよ。今から買い物に行こうと思って……何か食べたいもの、ありますか?」
「別に」


「駄目ですよ、しっかり食べなくちゃ」

丁寧に巻き終えた包帯の端を軽く結ぶ。確かにクウォーツの脚は、どちらかと言うと華奢な印象が強い。
自分の足を見慣れているヘイムダルにとっては、さぞかし不健康に見えてしまうのだろう。



「さあ、何でもいいですから言って下さい。どんなものでも、絶対に美味しく作ってみますから!」



もうこれ以上言い逃れが出来ぬように、ヘイムダルはクウォーツに向き合うとしっかりと瞳を見つめてくる。
クウォーツはそんな彼を暫く眺めていたが、やがて青い前髪をかき上げると小さな声で呟いた。


「……ロ……」
「ろ?」



「……ロールキャベツ……」



はっきりと物事を言うクウォーツらしくもなく、実に消え入りそうな声であった。
その言葉を聞いたヘイムダルはにっこりと笑みを浮かべ、薬の入った籠を抱えると勢いよく立ち上がる。

「ふふふ、ロールキャベツですね。分かりました、びっくりするほど美味しく作りますから!」


慌しく部屋を去っていくヘイムダル。
閉じられた扉を頬杖をつきながら一瞥したクウォーツは、どこか疲れ果てたように肩を落とした。











「……なんだ、ヘイムダル。休みの日にお前が家から出るなんて珍しいな」

道具を肩に担ぎ、菜園に辿り着いたスミスは思わず目を丸くする。
普段は背を丸めながら下を向いて歩いているはずのヘイムダルが、しっかりと顔を上げて歩いていたからだ。



「おはようございます、スミスさん。本当に気持ちのいい朝ですね」
菜園で綺麗に色付いている真っ赤なトマトを満足そうに眺めたヘイムダルは、笑顔を浮かべながら振り返る。


「このトマトも明日には収穫できますよ! ……トマト好きのイナッフさん家も、きっと喜ぶと思います」



「お、おう。オレとしては朝っぱらから見たくもないお前を見て、気持ちいいも何もあったもんじゃないけどな」
聞いたことも無いような明るいヘイムダルの声に、気後れしてしまったスミスは思わず呆気に取られていた。

ヘイムダルはもっといじけた様な声をしている奴ではなかったか、と昨日の記憶を思い起こそうとする。
しかし、目の前で笑顔を浮かべているヘイムダルの印象があまりにも強すぎて、思い出すことが出来なかった。


「これからどこかに行くのか?」


「ええ、ちょっと買い物に。こんな天気の良い日は、心まで晴れ晴れとしてくるものなんですね。では失礼します」
「あ……ああ、また石投げられて泣いて帰って来るんじゃないぞ」


「はい!」











……目の前には、出来立てのロールキャベツが乗った皿が湯気を立てている。

クウォーツがちらりと視線を横にやると、早く食えと言わんばかりの表情を浮かべているヘイムダルの姿。
先程からずっと横で彼が覗き込んでいるので、はっきり言って落ち着いて食べられるような状況ではない。



「食べないんですか? 折角出来立てなんだから、温かい内に食べて欲しいなって思っているんですけど……」


「……隣でまじまじと見つめられていると、食べにくいことにいい加減気付け」
仕方なく適当に小さく切り分けたものを口に運んでみる。

表情のないクウォーツが更に無言で食べている姿は、感想を聞く側としてはなかなか恐ろしい光景であろう。



「ど、どうですか? 味付け、少し薄くしてみたんですよ」
堪りかねてヘイムダルが問い掛けるが、クウォーツはやはり何の表情も浮かんでいない顔つきで振り返った。


「不味くは、ない……かもしれない」

「それってつまり、美味しいってことなんですか?」
暫くの沈黙の後。クウォーツが述べた、随分と捻くれている感想に思わず聞き返してしまう。



「さぁな」


彼から返ってきた言葉はそれだけであった。
しかし、その普段と全く変わりのないような彼の表情が、ヘイムダルにはどこか穏やかに感じられたのだ。

ただの気のせいかもしれない。そう思い込みたいだけなのかもしれない。
それでも。その時のクウォーツの顔には、確かに険が無かったとヘイムダルは思ったのだった。






+DeadorAlive+