Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart


第59話 ささやかなる幸せな日常





「おはようございます、スミスさん。今日も一日宜しくお願いします!」



様々な菜園に囲まれた一軒の民家。木の壁に沿うように並んでいるのは、野菜の入った大きな籠だった。
スミスの家は野菜を売って生計を立てており、その菜園で採れる野菜は町一番と評判も高い。

苦いと言われているような野菜も皆何故か甘みがあり、口にしやすいのだ。町中のコック御用達の野菜である。



実を言うと、スミス自体は野菜を育てることにあまり関わってはいない。
美味いと評判の野菜は皆ヘイムダルが世話したものであるが、伏せておいて欲しいと彼自身が頼んだのだ。

折角の野菜も、ヘイムダルが育てたものだと知れれば皆買わなくなってしまう。そうに決まっている。
スミスに迷惑が掛かってはいけないと、ヘイムダルなりに考え出した結論であった。



本当は皆に認めてもらいたかった。皆が美味しいと言ってくれる野菜は、自分が育てたのだと言いたかった。
しかしそう口にした瞬間、皆は悲鳴を上げながら野菜を放り出して去って行くだろう。


……いつもそうだった。

目を合わせると、向かい合った相手は顔を歪めながら目を背けてしまう。
談笑している者達を通り過ぎれば、気味が悪い奴だと、彼に聞こえるような大きな声で後ろ指を差されていた。



だが、もう気にならない。気にする必要はないのだ。何を言われても、しっかりと前を向いて歩いてもいいのだ。



「……最近随分と機嫌がいいじゃないか、ヘイムダル」
丁度外に出る所だったのか戸口に立っていたスミスは右手に鍬を持ち、ちらりと背後を振り返る。

「いつも背中を丸めながら、ぼそぼそと挨拶をしていたお前がよ。辛気臭くなくなって、少しはマシになったぞ」



「本当ですか? ……へへへ、ありがとうございます。スミスさんにそう言われるとは思いませんでした」
壁に立て掛けられている道具を掴んだヘイムダルは、歩いていくスミスの後を追いながら笑みを浮かべた。


「ある人に、目を逸らさず前を向けって言われて……いつまでもいじけて生きてちゃ駄目だなって思ったんです」


「随分と幸せそうに話すな。町の嫌われ者のお前に、そんな台詞を言ってくれる奴なんていたのか?」
「……いたんですよ。オレ、今とても幸せなんです」

「ヘイムダルの癖にノロケんじゃないぞ。オレが一人身なのを知っていながら、そんな話をするわけね……」



「あっ、い、いえ、そういうつもりじゃないんですよスミスさん!」

「まぁいいけどな。最近は町を騒がせていた青い髪のヴァンパイアも現れなくなったし、この町も平和になった。
……お前も少しは幸せになってもいいんじゃないのかって、オレは思うけどな。一応亡き親友の息子だしよ」


ふと立ち止まり、スミスはヘイムダルを振り返る。その目は真っ直ぐに彼を見つめていた。
両親亡き後、途方に暮れるヘイムダルに唯一手を差し伸べてくれたのがスミスである。感謝してもしきれない。



「スミスさん」
同じく立ち止まったヘイムダルは、思わず滲んでしまった涙を袖で拭った。

「ありがとうございます……」











午前中の作業を全て終え、午後からは配達の仕事だ。
この町での数少ない娯楽の一つが酒場である。毎回大量に注文をしてくれ、スミスにとってはお得意様だった。

籠一杯に野菜を詰め込み、ヘイムダルは酒場に向かって大通りを歩いていた。


今日はこの配達が終われば家に帰れる。そう思うと、自然と足取りも軽くなる。
常人ではとても持ち上げることなど出来ない量だが、怪力のヘイムダルにかかれば大した重さではない。



酒場に辿り着き、中に入ってくるなと散々釘を刺されていた事を思い出した彼は入口で立ち止まる。
ベルを鳴らせば中の誰かが荷物を引き取ってくれるだろう。ふうと息を吐き出し、ベルを鳴らそうと手を伸ばす。



……すると、反対側の道から一人の男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

長い茶の髪を一つに括り、大きな荷物を背負っている。薄汚れた印象だが、眼光がぎらぎらと鋭い男である。
その男が酒場の戸を開けようとした瞬間、身を引いたヘイムダルの肩にぶつかってしまう。



「痛ぇじゃねぇか、この不細工な化け物が!」


「す、すみません……」
即座に頭を下げたヘイムダルであったが、相手の男は構わず唾を彼の服に吐きつける。


「目障りだ、消えろ。……オレは今獲物に逃げられて苛々しているんだ。畜生、あの淫売め、よくも……!!」



「おいおい、揉め事かい? 店の前で騒がれちゃ困るよ……って、ヘイムダルか。それにあんたは確か……」
男の声が店の中にまで響いてきたのか、困り顔のマスターが入口から顔を覗かせた。

それから茶の髪をした男の方へと顔を向けると、見知った顔なのかマスターは、あっと声を上げる。



「ヴァンパイアハンターさんじゃないか! 2週間も戻らなかったから、殺されたんじゃないかと心配してたよ」
「ヤツにやられた傷が治るのに2週間かかっちまったんだよ。とんだ屈辱だぜ……まさかこのオレが」

憎しみに燃える瞳で、男は拳を握り締めた。



「お前らはヴァンパイアが現れなくなって平和ボケをしているんだろうが、ヤツは絶対にこの町に潜んでいるぜ。
廃墟の城から血の跡が点々と町に続いているんだ。一度屋根裏部屋でも確認した方がいいんじゃねぇかい?」


「ええ!? そりゃあ大変なことじゃないか! ……あぁヘイムダル、まだそんな所に突っ立っているのかい。
荷物は受け取ったから早くどこかに行ってくれ。お前の顔を見ているだけでも不愉快なんだよ」

ぎくりと、ヘイムダルの表情が強張る。この男は間違いなくクウォーツを追ってきたヴァンパイアハンターだ。
不自然さを悟られぬように、とにかくこの場を後にしたかった。



「それから、ミュラーさん家の裏の崖が雨が降ったら崩れそうなんだ。今夜辺りにでも補強しておいてくれとさ」


「あ……はい、分かりました。それでは失礼します」
一歩下がって礼をしたヘイムダルはハンターから顔を背け、逃げるように去っていった。



家に向かって歩く途中で、言いようのない不安に押し潰されそうになってしまう。

あのハンターの鋭い眼光が。恨みの篭る声が。幸せを何もかも崩されてしまいそうで、不安でたまらなかった。
折角手にすることのできた、会話の出来る生活が。このままではハンターに壊されてしまうかもしれない。


人と安心して過ごすことの出来る喜びを知った今。再び孤独の毎日に戻るなんて、もう耐えられるはずがない。



林に隠されるかのように建っている我が家の前に漸く辿り着く。しんと静まり返り、まるで閉ざされた世界だ。
荒い呼吸をどうにか鎮め、ヘイムダルは扉をゆっくりと開けた。



内側のノブに引っかけていた鳴り物がからからと音を発する。背を向けていた人物がその音で振り返った。

青い髪に硝子の瞳。透き通るような白い肌。そして、どこか人形めいた美しい顔。
彼は正しくヴァンパイアと呼ばれる夜の住人である。人間とは決して相容れないはずの存在だった。



「……クウォーツさん」

ヘイムダルがそう呼んだ彼は、無感情な顔をこちらに向けただけで再び視線を手元に向ける。
キッチン横の椅子に腰掛けて何やら作業をしている様子であった。


「何やっているんですか? 折角脚も治りかけているのに、歩いたらまた酷くなっちゃうかもしれないんですよ」



「横になっているだけでは退屈でね。……そろそろ、身体を動かさねば鈍ってしまう」
もうすっかり耳に慣れた抑揚のない声。


クウォーツの手元に顔を向けると、後で作業をしようと置いてあった野菜の皮を剥いているようである。
ごつごつとした銀の指輪を多くはめた指の割には、綺麗な螺旋を描いて皮が剥かれていた。


しかし、よく見れば手つきが危なっかしい。



「あんたって、変に器用なんですね。でもナイフをそんな持ち方していたら、そのうち手を切っちゃいますよ」

先程までの不安はもう感じなくなっていた。
きっと大丈夫。ここならヴァンパイアハンターに見つかることはないと、ヘイムダルは己に言い聞かす。


「後はオレがやりますから。クウォーツさんは暖炉の前で座っていて下さい、今日は少し冷えますからね」



2週間ほど前、まだクウォーツと出会ったばかりの頃。彼は左足に歩けないほどの酷い怪我を負っていた。

このままでは歩けなくなる可能性も考えられたのだが、彼の持っている自然治癒力は凄まじいものであった。
青紫色に変色していた部分も大分狭くなってきており、ゆっくり歩けるくらいにまでは回復している。


……だがそれは、確実にヘイムダルとクウォーツの別れが近いことを意味していた。






+DeadorAlive+