|
Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart
第60話 それは、まるで涙のように そろそろ日も暮れ始め、外から雨の音が聞こえてくる。つんと湿った木の匂い。 夜になれば本格的な大雨になるだろう。菜園の野菜達は大丈夫かな、とヘイムダルはふと表情を曇らせる。 この地域は地盤が緩いこともあり、雨水を吸った土砂が崩れ落ちることも珍しくはないのだ。 以前、長期の雨が祟って町が小規模の洪水に見舞われたことがあった。 幸い怪我人も出ずに水はすぐに引いたが、それは町の疫病神であるヘイムダルの所為だと誰かが言った。 きっと誰かを槍玉に挙げなければ不安で仕方がなかったのだろう。けれど、それは間違っている。 自分はただひっそりと暮らしているだけなのに、何故そんなことを言われ続けなければならないのだろう。 そんな暗い考えで頭の中を埋め尽くされてしまったヘイムダルは、思わず否定をするように首を振った。 目の前のテーブルでは、クウォーツが赤い長剣を磨いている。 そんなもの、もう必要はないでしょうと言いたかった。ここで暮らしていれば、剣を握ることなどないのだからと。 クウォーツにはクウォーツなりの、ヘイムダルには知りえない人生を歩んできたのだと思う。 剣を握らざるを得なかった人生など想像もつかない。きっと、自分以上に穏やかではない毎日だったのだろう。 「……クウォーツさん」 野菜の皮を剥く手を止めたヘイムダルは顔を上げ、向かいに腰掛けているクウォーツに声をかける。 彼は剣を磨く手を止めぬまま、顔を上げずに素っ気無く、なんだ、と口にした。 「その銀の指輪、誰かから貰ったものなんですか」 漸く顔を上げたクウォーツは無言で首を傾げるだけだった。ヘイムダルの言葉の意味が分からなかったようだ。 「左手の薬指にずっと指輪つけてるじゃないですか。だから、……誰か好きな人でもいるのかなって」 「指輪は確かに貰ったものだが、この指にはめている意味はない」 クウォーツの左手の薬指には、彼にしては随分と厳ついデザインの銀の指輪がはめられている。 他の指輪は無造作にテーブルの上に置かれている時もあるが、それを外した所を見たことがなかったのだ。 彼がそれをとても大切にしていることが、口に出さずともヘイムダルには理解できた。 「……オレもいつか、あんたに指輪をプレゼントできればいいなって。そう思っているんです」 指輪から視線を逸らし、今度は彼の瞳をしっかりと見つめながら口を開く。決して逸らさずに、前を向いて。 「その時は受け取って貰えますか?」 だがそう言い切ったヘイムダルを、クウォーツは暫くの間眉すら動かさずに眺めていた。 一体沈黙がどのくらい続いたのか。磨いていた赤い剣をテーブルに置くと、彼は感情のない声色で言った。 「貰う理由がない。……それに、いつかとはいつのことだ。 何度も言っただろう、私はいつまでもここにいるわけではないと。感謝はしている、けれど……これ以上は」 「最近あんたは剣ばかり磨いている。もういいじゃないですか、そんな危険なものを握り続ける毎日なんて! オレは嬉しかったんですよ、誰かと普通に会話を出来ることが。真っ直ぐに顔を見て話してもらえることが」 ヘイムダルにしては強めの口調で身を乗り出した。 テーブルの上で投げ出されている状態のクウォーツの手の上に己の手を重ねるが、あまりの冷たさに驚く。 しかしそれでもヘイムダルは彼の手を握り締めた。そうでもしなければ、どこかに行ってしまいそうだったから。 「不安ならば、あんたを不安にさせる全てのものから……オレが守って見せます。 あんたがいなくなったら、オレはまた一人になってしまう。お願いだ、どうかずっと……そばにいて欲しいんだ」 触れていたクウォーツの手が、微かに動いた。 「辛いことだって、一緒に乗り越えていきましょう。苦しみも悲しみも……きっと二等分出来る」 「……それは……違う。ヘイムダル、貴様は勘違いをしている」 暫くの後、ぼそりとクウォーツが言葉を発する。彼のアイスブルーの色をした瞳は、随分と暗い色をしていた。 「別に誰でもいいのだ、貴様は。今目の前にいるのが私でなくとも、他の誰でも構わないのだ。 自分の抱える寂しさを埋めてくれるような相手であれば、誰でもいい。それに貴様は気付いていないだけだ」 彼の言葉に、思わずヘイムダルの身体が強張る。まるで心を見透かされたようであった。 心のどこかにそんな思いが全くなかったとは言えない。ただ、自分は面と向かって話せる相手が欲しいのだと。 態度に表したつもりはなかった。しかし、クウォーツは気付いていた。 別に誰でもよかったのだ。クウォーツでなくとも、会話が出来るのであれば目の前にいるのが誰でも構わない。 ヘイムダルがそう考えていることに彼は気付いていたのだ。 ……先程の自分の言葉を思い返すと、まるで愛の告白のようだった。 それを、相手が誰でもいいと知りつつも聞かされていたクウォーツには……一体どう感じたのだろうか。 「クウォーツさん、オレはそんな」 「……貴様は私を、寂しさを紛らわすための道具としか思っていない」 重ねられたヘイムダルの手を振り払ったクウォーツは、赤い剣を手に掴むと椅子から立ち上がる。 「今まで世話になった。今夜、ここを出る」 「……オレ、そんなつもりじゃ……なかったんです」 華奢な背に向けて、ヘイムダルは絞り出すような声を発した。それでも彼は振り返らない。 「すみません。笑ってお別れが出来るように、外で頭冷やしてきますね……」 クウォーツが振り返らなかったのは却って良かったのかもしれない。今は、彼から目を逸らさず話す自信がない。 ドアのノブを掴むと、渇いた鳴り物の音が響く。 外は随分と雨が降っていた。扉を後ろ手で閉めたヘイムダルは、傘も持たずにぬかるんだ道を歩き始めた。 (寂しさを紛らわせるための道具……か。そうだよな、そう思っていたんだもんな) 先程クウォーツに言われた台詞が胸に突き刺さる。そう言われても、ヘイムダルには何も否定が出来なかった。 間違っているわけではない。どんなに否定しても、それは中身のない空っぽの言い訳になってしまうから。 林を抜けると、雨に濡れたメインストリートが見える。スミスの家に向けていた足を止め、逆へと歩き始めた。 ……そういえば、昼に酒場のマスターからミュラー家裏の崖の補強を頼まれていたのだ。 この勢いの雨では崩れてしまう危険性もある。 昔あの家の奥さんに、持っていった野菜を褒められたことがあった。勿論、スミスが作ったことになっているが。 彼女にとっては何気ない一言だったのかもしれないが、ヘイムダルはとても幸せな気分になったのだ。 (立ち止まって悩んでいるよりも、何か作業をしている方が気が紛れるかもしれないな) そう思ったヘイムダルは、足早にミュラーの家へと駆け出した。通りには誰一人歩く者はいない。 必死の形相をしながら、泣きそうな顔をしながら走る己の姿は、他の者の瞳に一体どう映るのだろうか。 (……確かに最初は誰でも良かったのかもしれない。単に話し相手が欲しかっただけだった。でも今は) そんなことを考えながら歩いていると、漸くミュラーの家の前へと辿り着いた。 おずおずと呼び鈴を鳴らす。暫くしてから、不機嫌な表情を隠そうともせずに男が扉から顔を覗かせた。 「遅いぞ、ヘイムダル。もっと早く来てもらいたいな。本当に図体ばかりが無駄に大きな役立たずめ」 「……すみません。あの……ミュラーさんも手伝ってくれるんでしょうか」 「何言っているんだ、オレがそんな危険な事できるか。お前は体力仕事しか町に貢献できる事がないんだから」 冷たく言い放ったミュラー家の主人は、板の束とロープを放り投げると扉を閉める。 乾いていた木の板にどんどんと雨水が染み込んでいく。 暫く投げられたそれを眺めていたヘイムダルだったが、やがてよいしょ、と独り言のように呟きながら拾った。 裏の小さな崖は今にも崩れ落ちそうなほど水を含んでいるようだ。 「早く終わらせないと、クウォーツさん……行っちゃうかなぁ」 けれど、顔を合わせて今更何を言えばいいのだろう。どんな声をかければ、彼は振り向いてくれるのだろう。 自分の言葉では、もうこれ以上クウォーツを引き止めることなんてできない。 随分と雨が酷くなってきているようだ。身体に容赦なく叩き付けられる雨水を拭い、黙々と作業を続けた。 脆くなった土を板で補強し、太い釘を打ち付ける。雨水の為に手が滑り、何度も指を金槌で打ち付けてしまう。 痛い。確かに痛かったが、それなのにどこか他人事の様にそれを見つめている自分がいる。 知らずにぼろぼろと涙が溢れていたが、雨が全てを流してくれるような気がした。雨水と涙が混ざって頬を伝う。 (もう……帰ろう……) 作業は粗方片付いた。雨の中を一人でこれだけ遣って退けたのだから、ミュラーも文句はないはずだ。 ふう、と溜息をついたヘイムダルはその場に座り込む。 既に全身が濡れているのだ。ぬかるんだ地面に腰を下ろしても、どうせ同じようなものだろう。 (一緒にいてくれるなら、最初は誰でも良かったんだ。……それがクウォーツさんでなくとも、きっと他の誰でも。 けれど、もしも。……もしも、彼がもう一度こちらを向いてくれたなら。そうしたら、今度こそ本心からの言葉を) ……みしり、と。雨の音に混じって背後で嫌な音が鳴った。 気のせいかと思い、恐る恐る背後を振り返る。崖の高い方からぱらぱらと小さな小石が降ってきた。 最初は小さな石から、振ってくるのは段々と大きな石に。補強をしたはずの板が嫌な悲鳴を上げている。 (……ま、ずい) 漸く状況を悟ったヘイムダルが一歩後ろに下がったと同時に、激しい音を立てながら崖が土砂崩れを起こした。 「うわああぁぁっ!!」 地面がぬかるんで足を取られる。 悲鳴は雨の音にかき消され、思わず地に両手をついたヘイムダルの背に土砂は容赦なく降り注いだ……。 +DeadorAlive+ |