Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart


第61話 Take my hands





雨は一向に降りやまず、激しさを増すばかりであった。
ダイニングテーブルの上には一本の蝋燭がゆらゆらと炎を灯しており、暗い部屋の中を照らし続けている。



時折響く雷鳴。

カーテンの隙間から眩い光が差し込み、テーブルに頬杖をついたままのクウォーツの顔に濃い陰影をつける。
その微動だにしない様は、まるで精巧に作り上げられた美しい蝋人形に見えた。



『笑ってお別れが出来るように、外で頭冷やしてきますね……』


そう言い残して家を出て行ったヘイムダル。それからもう数時間も経っていた。……いくらなんでも遅すぎる。
もしかしたら、自分と二度と顔を合わせたくないのかもしれない。



(嫌われたものだな。……まぁ当然か)

そういうつもりならば早めにこの家を出て行った方が、ヘイムダルにとっても肩の荷が下りるだろう。
漸く結論を出したクウォーツは両手をテーブルにつけると立ち上がった。



乱暴な動きさえしなければ、左足に耐え難い痛みを感じることは無くなった。ゆっくり歩くことぐらいはできる。
愛用のコートは部屋に置いたままであった。そういえばこの家に来てからあまり着ていなかった事を思い出す。

鞘に入った妖刀幻夢を支えにしながら部屋に戻る。コートを羽織り、再びテーブルに向かって歩き始めた時。
ふとクウォーツは外へ続く扉へと目を向ける。



「傘……?」



一本しかないはずの傘が、ぽつんと取り残されていた。
傘がここにあるということは、ヘイムダルは傘も持たずにこの雨の中を飛び出したということだ。それも長い間。


随分慌てて出て行ったのだろうか。傘を忘れたと気付いても、引き返すことが出来なかったのだろうか。
何故引き返すことが出来なかったのか。……それはヘイムダルにとって顔を合わせたくない人物がいるからだ。



(私、か)
ぼんやりとした瞳で傘を眺め、それからクウォーツは手に握り締めた妖刀幻夢に目を留めた。



このまま黙って姿を消すのは簡単である。そしてクウォーツは、いつもそんな方法ばかりを選んできたのだ。

もう一度だけ傘を見つめる。
元は何色だったのか分からない、随分と色褪せた傘。雨の日は必ずヘイムダルが手にしていた傘だった。



『オレは今とても幸せです。あんたの瞳はオレに対する蔑みも何もなくて、本当に真っ直ぐ見つめてくれる』



(……違う)
妖刀幻夢に思わず爪を立てる。

(蔑まなかったのではなく、私の瞳には何も感情が浮かんでいないだけ。浮かばなかっただけ。
だから、お前に対して何も感じなかった。ただそれだけのことで……それだけのことだったのに……どうして)



──どうして、そこまで優しくなれるんだろう……。



ぐっと強く妖刀幻夢を握り締めると、クウォーツはそれを静かにテーブルの上に置いた。
その代わりに色褪せた傘を握り直す。近くに掛けてあった大きな外套を羽織ると、フードを深く下ろした。

そして勢いよく扉を開け、大雨の降り続ける外へと飛び出した。



家の周囲、花の咲く林。心落ち着くとヘイムダルが言っていたこの場所にも、大柄な彼の姿は見当たらない。
林を抜けると恐らく大通りに続く道があった。勿論こんな雨の中では、誰一人歩いてはいない。


左足が重い。ぬかるみに足を突っ込んで何度か転倒したが、クウォーツはヘイムダルの姿を探し続ける。
暫くふらふらと彷徨っていた彼の瞳に、やがていくつかの灯りが映った。

目を細めながら近付いてみると、それはどうやらランプを手に持った町人達の姿であった。



彼らが遠巻きに眺めているのは、この雨で土砂崩れを起こしたのか、半分ほど埋まり崩壊した家のようだ。

「嫌だわ、怖い……やっぱり崩れたのねぇ、ミュラーさん家の裏の崖」
「いつか崩れる崩れるって思っていたが、やはりここ数日の雨で崩れやすくなっていたんだな」



(まさか、な)

フードを更に深く下ろし、集まっている町人達の横をクウォーツは足早に通り過ぎようと歩き始める。
横目で崩れた家を眺めると、幾人かの男達が崩壊に巻き込まれた住人を助け出しているようであった。


住人は皆どうやら擦り剥いた程度の怪我のようで、命に別状は無いように見える。



「これも全てあいつのせいだ! 崖を補強しろって言ったばかりなのに、ほったらかしにしやがって!!」
この家の主人だろうか。中年の男がぎりぎりと歯軋りをしながら、顔を真っ赤にして怒りの声を上げていた。

「畜生! あのヘイムダルの化け物がしっかりと補強をしていたら、こんな事にはならなかったのに……!」



「今、なんと言った」
その言葉に思わず振り返ったクウォーツはつかつかと男に歩み寄り、胸倉を掴む。


「貴様は今、ヘイムダルと言っただろう?」


「な、何なんだあんたは!? 汚いな、離してくれよ!」
泥で汚れた手で掴まれたことに腹を立てた男は、クウォーツを力一杯突き飛ばした。

暫く無茶な走り方をしていた為に左足に激痛が走り、彼は思わずぬかるんだ地面に倒れ込んでしまう。



「あいつに裏の崖の補強を頼んでいたんだよ。……あんな危険な仕事はヘイムダルにしか頼めないからな!」


「それを頼んでいたのか。あいつに……」
泥まみれになった顔を拭いながらクウォーツが口を開いた。泥を飲み込んだのか、苦い味が口の中に広がる。


……突き飛ばされた衝撃でフードが落ちていた。
暗い中だったが、ランプの光に照らされた青い髪を町人達が見逃すはずは無い。



「そういえば、あんた誰だよ。この町じゃ見たことない顔だけど、ヘイムダルの知り合いか何かなのかい?」
「……おい、見ろよこの男。暗くて分からなかったけど、青い髪じゃないか……!?」

しまった、とクウォーツがフードを戻そうとするが、もう遅い。
大きな悲鳴を上げる者、ランプを放り出して逃げ出す者。彼を中心として、潮が引くように人々が遠ざかる。



「早く、早くヴァンパイアハンターのガッシュさんに連絡するんだ!」


「町のどこかにヴァンパイアが隠れ住んでいるって、あの人の言っていたことは本当だったんだ……」
「で……でもよ、こんな細っこい奴なら……もしかしたらオレ達でも殺せるんじゃないか?」



次々と投げ付けられる石や、鋭く尖った瓦礫の欠片。
幾つかは傘を支えに立ち上がろうとしたクウォーツの頭や顔に当たり、溢れ出した血が雨水と混ざり合う。


ふらふらとした足取りで土砂の山まで歩いていくと、そこには千切れた縄や折れ曲がった板が散乱していた。



(あいつは崖の補強をしていなかったわけじゃない。していたんだ……きっと、先程まで)
傘を横に置き、積み上がった大きな石を崩していくと、雨の音に紛れて低い呻き声が耳に入ってくる。



「ヘイムダルか?」

手を止めてクウォーツが問い掛けるが、声の主は呻き続けるだけであった。
しかし、この声は間違いなくヘイムダルである。


クウォーツが背後を振り返ると、町人達が身構える。皆手には石を握り締め、彼をじっと睨み付けていた。



「……この中にヘイムダルがいる」
誰も動く者はいない。それでもクウォーツは先を続けた。


「崩壊した家の住人は助けることができるんだろう。ならば、ヘイムダルも助けてやれるはず」



叩きつける雨音以外は、しんと静まり返っている。町人達は顔を見合わせながら眉を顰めるだけだった。
誰一人として動こうとする者はいなかった。



「何故誰も動かない? ……同じ人間だろ……」



「……お言葉だけどヴァンパイアの兄ちゃんよ、ヘイムダルを助けようとする奴なんざ誰もいないんだ」
ランプを掲げながら、茶色の髭を生やした男が進み出る。

「醜いそいつは町の疫病神だ。どうせなら、このまま死んでくれた方が……きっと町のためにもいい」



「ヘイムダルが貴様達に一体何をしたんだ。土砂に巻き込まれたのも、危険な仕事をこいつに任せたから」
「黙れ、悪魔族が人間に意見するんじゃねぇよ!!」

「化け物同士傷の舐め合いも結構だが、お前さんは自分の心配をした方がいいんじゃないか?」



……ゆらりと。
俯いたまま立ち上がったクウォーツの唇から、ぶつぶつと声にならない低音の声が洩れる。

同時に彼の周囲に蝙蝠によく似た、大きく異形のものが生み出されていく。十、二十、その数は増え続ける。
生み出されたものをランプで照らした男が、ひっと小さな声を上げた。


毛に覆われた身体に鋭い牙。今にも獲物に喰らい付かんばかりの魔物である。これは蝙蝠などではない。



「なっ……なんだ、こいつ……変なもの呼びやがったぞ。化け物か……?」
ガシャンとランプが地面に叩きつけられ、町人達は一歩、また一歩と後ずさりを始める。



「……化け物?」

呟きながら顔を上げたクウォーツの二つの瞳だけが、暗く影になった顔の中で赤く爛々と光っていた。
真紅の霧がゆらゆらと彼の周囲に纏わり付き、使い魔を従えるその姿は……正に悪魔の貴族ヴァンパイアの姿。


「よくその目に刻み込んでおけ……本当の化け物とは、私のような者のことだよ……!!」






+DeadorAlive+