Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart


第65話 Melodies of Heart -4-





「それにしても、ヘイムダルがあんなに勇気のある奴とは思わなかった。……ありがとう」



長いとも言える教会での裁判は、捕らえられたクウォーツの呪いの声で幕を閉じた。
町人達の表情も幾分かは明るくなり、教会に集っていた者達は漸く皆安心した様子で帰路につき始める。



随分と疲れた表情をしながら床に座り込んでいたヘイムダルに手を差し伸べてくれたのは、スミスであった。
彼は恐怖で暫く気を失っていたのだが、町人達の介抱で先程目を覚ましたのだ。

クウォーツとの会話を聞いている者がいない今、ヘイムダルはヴァンパイアから町を救った英雄になっていた。




皆が口々に礼を述べるが、彼はどこか上の空で聞いていた。町の者達が初めてかけてくれた優しい声。
だがヘイムダルの心はその嬉しさよりも、クウォーツに裏切られた衝撃の方が勝っていたのだ。

確かにスミスは助けたかったけれど、クウォーツが本気で憎かったわけではないと否定をする気も失っていた。
とにかく、早く一人になりたかった。……心安らぐ自分の家に戻りたかった。



土砂崩れの時に負った傷が、今頃になって痛み始める。先程までは痛みを感じる余裕などなかったのだ。


左右を町の男達に支えられながら、ヘイムダルは己の家に向かっていた。
雨の為か、彼の家を囲んでいる林は随分と湿った印象である。ぬかるんだ地面に足を取られぬように歩く。

土には大勢の足跡が残っていた。自分が眠っていた間に、町人達が家に押しかけたのだろう。



……それと、何か大きなものを引き摺る様な跡。
重さに耐え切れなくて、何度も地面に手を付いたのだろうか。時折指の跡も残っている。


クウォーツの痕跡をこれ以上見たくなかった。ヘイムダルは唇を噛み締め、それから無理矢理に視線を外した。



「ありがとうございました、ここでもう充分です」
家の前まで辿り着いたヘイムダルは、ここまで肩を貸してくれた町人に頭を下げる。

「スミスさんは……大丈夫でしょうか」


「お前らしいな、自分よりも他人の心配か。ヘイムダル、とりあえず今は怪我を治すことだけを考えるんだ」
やれやれと笑みを浮かべる男。漸くヴァンパイアの不安から解放されたのか、表情が明るい。


「スミスさんはワトソンさんが家まで付き添ってる。怪我も大したことなかったし、大丈夫だよ」
「そうですか……。よかった」

「あのヴァンパイアは明日の夜には処刑されるそうだ。いい気味だよな、これで町も平和になるってもんだ。
じゃあ……差し入れでも持って明日また様子を見にくるから、今日はゆっくり休めよ」



今まで見せたこともないような親しげな表情をしながら、男達はヘイムダルに背を向けると歩き始めた。


暫くその背中を虚ろな目で見つめていたが、やがて肩を落として俯くとドアのノブに手をかけた。
扉を開くと内側の取っ手に引っかけていた鳴り物の音が、静まり返った無人の家にからからと響き渡る。

……誰もいない。



誰もいなかった。待っている者のいない家に帰ることなんて、もうすっかり慣れていたはずだったのに。
明かりの灯っていない家に帰ることが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。


のろのろとした手付きで部屋の明かりを灯す。
ふと視線をテーブルの上に向けると、すっかり冷め切ってしまった飲みかけのコーヒーが二つ置いてあった。

まだ雨が振る前にヘイムダルが入れたものである。そんなつい先程の記憶が、随分と昔に思えた。



明日の夜には全てが終わる。自分を騙していた悪魔のような男は処刑され、再び元の日常に戻るのだ。
……いや、元の日常ではない。

もうあの頃と全く同じような日常に戻れるとは思えなかった。他人との触れ合いが全くない、灰色の毎日には。
向かいの席の前にぽつんと置いてあるコーヒーカップを見つめながら、ヘイムダルはぐっと唇を噛み締めた。











「……さて、どうしたものか」


冷たい石壁の地下牢に相応しい薄汚れたベッドの上に腰掛けたクウォーツは、誰にともなく呟いた。
ここは教会の地下である。小さな町のために独房が4つほどで、どうやら先客の存在は見受けられないようだ。

彼のいる独房の前には、古びた机に退屈そうに頬杖を付いた男が剣を携えながら座っている。



あちこちに松明が掲げられており、地下牢らしくもなく随分と明るかった。
クウォーツが少しでも怪しい素振りをしたら、直ぐにでも取り押さえられるようにするためか。

処刑は明日の夜。甘んじて死を受け入れる気は全くないが、逃げ切れなければそれも運命なのだろうと思う。



『……君は少々死に急ぎすぎるな。これは「僧侶」として見過ごすわけにはいかんよ』



昔、誰かが彼にそう言った。
確かにそうなのかもしれない。自分にはどこか、生きることを諦めてしまっている所があるのかもしれない。


けれど、生きるとは一体どんなことなのだろう。こんな抜け殻のような状態でも、生きていると言えるのだろうか。



(……会いたい……)
無意識の内にそう考えてから、そこで初めてクウォーツは自分がその台詞を声に出していたことに気が付いた。



「何か言ったか? 言っておくが、変な真似はするなよ。どちらにしたってお前はもう逃げられないんだからな」
彼の呟きを聞きつけた見張りの男が顔をこちらに向ける。

「本当についてねぇな。何でオレが化け物の見張りなんてやらなくちゃ……お、ガッシュさんじゃないですか」



石階段を下りてくる音が響き、松明の炎に照らし出されたのはガッシュであった。
ガッシュの姿を目にするなり見張りの男は背筋を伸ばして椅子から立ち上がると、愛想笑いを浮かべる。



「夜の見回りですか、ガッシュさん」

「よぉ、見張りは頑張っているかい?」
「とんだ貧乏くじですよ、寝ずの番なんて。絶対に逃げられっこないんだから、無駄なことだと思いま……っ!?」


薄ら笑いを浮かべながら近付いてくるガッシュに、少しの警戒心も持たずに声をかける見張りの男だったが。
突然笑みの消えたガッシュの拳を鳩尾に叩き込まれ、声を上げる間もなく男は地に崩れる。



「悪魔族に比べたら、本当に弱っちいのなぁ。人間ってのは。……だから人間は、悪魔を恐れるんだよ」
倒れた男の懐を弄り、鍵の束を取り出したガッシュ。口元に再び笑みを浮かべるとクウォーツを振り返る。


「金も頂いたし、もうこんな町に用はねぇ。だが、いい金づるのお前を処刑させるのは惜しくなってな」



「呆れた男だ。大金を手にしても、まだ不服か? ……で、一体どうするつもりだ」
ベッドに腰掛けたまま、クウォーツは身動ぎすらしない。


「決まっているじゃねぇか、お前を連れてこの町を出る。悪魔の貴族と謳われる流石のヴァンパイア様でも、
両手と左足は使えねぇときた。そんな状態でオレに敵うはずがねぇだろ?」

牢の鍵を開け、ガッシュはクウォーツとの距離を縮めていく。じりじりと、慎重に。



「敵わないとは分かっていても、この私が素直に言いなりになるとでも思っているのか」
視線をガッシュから逸らさぬまま、クウォーツは僅かに右足を踏み出す。左足は痺れた痛みを発していた。



「感情の欠落している私にも、たった一つだけはっきりしている事がある。……貴様が酷く嫌いだ、下衆め!!」



その言葉と同時に足元に転がっていた石を、ガッシュに向かって蹴り飛ばす。
石はガッシュの顔面に当たり、その痛みで思わず怯んだ彼の横を駆け抜ける。幸い牢の鍵は開いたままだ。

しかし。あと数歩という所で、ガッシュの腕がクウォーツの足首を掴み、引き摺り倒される。
両手を拘束されたままだったクウォーツは、地面にそのまま叩き付けられた。衝撃で一瞬呼吸が止まる。



「本当に油断も隙もねぇヤツだ。調子に乗るなよ、あのヘイムダルとかいう男を殺しちまってもいいんだぜ?
金も手に入ったし、これ以上お前との約束を守る必要もなくなったわけだしな。……え? 何とか言ってみろよ」


クウォーツに馬乗りになったガッシュは彼の青い髪を鷲掴みにするが、ふと口元を不快そうに歪ませた。

やはり初めて会った時と同じように、クウォーツの瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
硝子のような瞳なのに。蝋人形のような瞳なのに。見つめるほど深みに嵌ってしまいそうな、底のない瞳である。



「なんだ、その目は。気に入らねぇな。……このまま犯してやろうか。泣き喚いても、誰も助けには来ねぇぞ?」
「やれるものならやってみろ。……けれど私は、心までは屈服しない!」



その言葉に、ガッシュは更に口元を歪ませる。舌打ちをすると、クウォーツの衣服に乱暴に手をかけた。

怒りの為に完全に目の据わっているガッシュから視線を逸らし、ふと赤々と燃える松明の炎を瞳に映す。
周囲はとても静かで、全てがオレンジ色に包まれていた。



(結局私は……)



ただひたすらに、剣の腕を磨いた。強くなっていたはずだった。他の誰でもない、自分だけを守るために。
けれど……独りとはなんて無力なことなのだろう。

それとも、独りでいることの無力さを知ってしまったから弱くなったのか。そんな事があるのだろうか。


……そこまで考えて、彼は思考を止めた。
感情がぽっかりと抜け落ちている心で答えが見つかるはずもなかった。



そんな、どこか焦点の合っていないクウォーツの瞳に映った松明の炎に、不意に黒い人影が重なった。






+DeadorAlive+