Lord of lords RAYJEND 第2幕「エデンの花園」 第6章+Melodies of Heart


第66話 Melodies of Heart -5-





炎の前に重なった影。


逆光のために顔は見えなかったが、その若干猫背気味の大きな輪郭からクウォーツには一目で分かった。
……ヘイムダルだ。牢の前で立ち止まったまま、じっとこちらを見つめているようであった。




「ん? ……てめぇはヘイムダルとかいうデカブツじゃねぇか。こんな所までのこのこ来て、今更何の用だ?」
クウォーツの瞳が一点を見つめたまま動かないことを不審に思い、顔を上げたガッシュが口を開く。

彼の声にびくっと身体を震わせたヘイムダルは暫く迷っていたが、一歩ずつゆっくりと牢へと歩み寄って行った。
周囲に掲げられる松明のために、牢の中の様子はよく見て取れる。



「あんた……一体何を」
震える足を一歩踏み出した。握り締めた拳に、知らずに力が入る。怒りのために若干声が震えてしまっていた。


「何って、他人を見下した気位ばかりが高い化け物に、世間の厳しさってやつを思い知らせてやろうと思ってよ」
明らかに不機嫌な表情を隠そうともせずに、ちっと軽く舌打ちをしてからガッシュはヘイムダルへ返答する。

「まさかこいつを助けに来たとか言うんじゃねぇだろうな。お前、こいつに裏切られたんだぞ?」



「裏切られた……」
ガッシュの言葉にヘイムダルは唇を噛み締め、無気力な様子で寝転んでいるクウォーツへと顔を向けた。

こんな状況でさえも感情のない硝子の瞳に、オレンジ色の松明の炎が映っている。



『……会話をする時は、相手の目を見て話せよ』
『不幸事ばかりを呼び込んでしまう私などではなく。もっと理解してくれる他の誰かと一緒にいた方が、ずっと』



「……クウォーツさん、どうして何も言ってくれないんですか。どうして何も言わないんですか。どうして……」



「へへへ、悪魔族に人間らしい感情を求めても無駄ってもんだ。分かったらとっとと消えな」
それでも黙ったままのクウォーツの様子を笑みを浮かべながらガッシュは眺め、片手をひらひらと振って見せた。

下卑た笑いを残したまま、ヘイムダルに背を向ける。……その瞬間。



「もう沢山だ! これ以上彼に触れるな!!」
絶叫に近い叫び声を上げたヘイムダルは、その巨体からは想像もつかぬほどの速さで駆け出した。

状況を把握できていないガッシュは呆気に取られた表情で、ズボンを下ろしたままの格好で殴り飛ばされる。
ヘイムダルはその隙にクウォーツを抱え起こし、乱れた服装を直してやった。



「大丈夫ですか。すみません、助けに来るのが遅れて。あいつに……酷いことをされませんでしたか」


「……大丈夫だよ、危ない所ではあったがな」
背後に回ってクウォーツの手首の縄をナイフで切り付けているヘイムダルに、彼は眉を顰めながら口を開く。


「何故ここへ来た? 先程あの男が言っていたように、私は貴様を……詰り、あっさりと裏切ったのだぞ」



「どうして、でしょうかね」
縄はクウォーツの手首に深く食い込んでおり、なかなか解くことが出来ないようだ。


「ただ……あんたがいくら何と言おうとも、あの二週間を偽りの日々にしたくはなかったんです」
「悪いが、貴様の言っている意味が」



「……ねぇクウォーツさん。それが、ひとを信じるってことなんじゃないかって……オレはそう思うんですよ」



満面の笑顔で。出会った頃には考えられなかったような、そんな笑顔を浮かべるヘイムダル。
その背後でふらふらと立ち上がり、こちらを恨みの篭った瞳で睨んだガッシュの姿をクウォーツは目にする。


「おいおい……笑っちまうぜ、本気で悪魔族と仲良しごっこかよ……この人間の恥さらしが! 死ね!!」
手には何人ものヴァンパイア達の血を吸った、鈍く光を放つ大剣。それがヘイムダルに振り下ろされた。



「死ぬのは貴様だ!!」

手の拘束はヘイムダルによって大分千切れかけていた。
持てる力を振り絞り縄を引き千切ったクウォーツは、そのままガッシュに飛び掛る。


「離せ、化け物! その足でオレに勝てるとでも……!!」
急に飛び掛られたガッシュは思わず狼狽し、剣を振り回しながらクウォーツを振り払おうと藻掻いていた。

だがクウォーツの両手の爪はしっかりとガッシュの背に食い込んでおり、振り解くことは出来ない。



「……私を怒らせたことを、地獄で後悔するんだな」
背筋が凍るほど冷たい薄ら笑いを浮かべたクウォーツは鋭い牙を剥き出し、ガッシュの首筋に喰らい付いた。


上がる血飛沫と、断末魔の悲鳴。


カッと目を見開いたガッシュは狂ったように藻掻くが、抵抗虚しくその動きが段々と弱まっていく。
やがてゆっくりと血塗れた唇を離したクウォーツは、ぴくりとも動かないガッシュの身体を無造作に転がした。



不味い血だ、と口の中に残った血を地面に吐き捨て、口元を軽く拭う。
試しに左足を動かしてみるが痛みは全く感じない。裾を捲って見ると、跡形もなく完治しているようだった。

両腕や足に刻み込まれた火傷の痕も、若干ではあるが薄くなっている。きっといつか、消える日も来るだろう。



……そこまで考えて、漸くクウォーツはヘイムダルの視線に気付く。

「これで分かっただろ。私は人間の血を糧に生きるヴァンパイア。貴様達とは相容れることのできない存在だ」
ぽんぽんと服に付いた砂を払い、クウォーツは軽く片手を振って歩き始めた。



「怪我さえ治ればもう貴様に用はない。二度と会うこともないだろうが……気が向いたら時折思い出してやるよ。
そういえば、馬鹿みたいに心の優しい大男がいたなと。裏切られても信じ続ける馬鹿な大男がいたなと」



「……血を吸ったらすぐに完治するのに、絶対にオレの血を吸おうとはしなかったですよね。クウォーツさん」
後ろ姿に向けて、ヘイムダルが口を開く。



「騙した風に見えたのも、全部オレのために演技していたんじゃないかって……そう思っていてもいいですか」



「ご自由に」
歩みを止めずに階段を上がる。何人かの見張りが皆意識を失って倒れているようだ。ガッシュの仕業だろう。

これだけの騒ぎを起こしても、誰一人駆けつけて来なかったのはその為だったのか。
自分の行動がこうも裏目に出てしまうなんて、欲に目が眩んだガッシュには想像もつかなかったのだろう。



階段を上りきると教会の裏手に出た。深夜の町はしんと静まり返っており、ひんやりとした風が心地よい。


「貴様は早く家に戻れ。私と一緒にいるところを見られでもしたら、折角手に入れた安息を手放すことになる」
ヘイムダルがここへ来たことは、ガッシュだけが知っている。そのガッシュも今は物言わぬ屍と成り果てている。

明日になればヘイムダルには今まで通り、いや、むしろ今までよりも明るい毎日が待っているはずだ。



「じゃあな」

「……本当に行ってしまうんですか? オレにはまだ……あんたが必要なんです」
立ち止まったまま、ヘイムダルが口を開いた。


「できることなら、あんたの旅について行きたい」



「私に付き合っていたら、命がいくつあっても足りんぞ。貴様の居場所は私の側じゃない。この町だ」
一体何を言い出すのやら、と振り返ったクウォーツは長い前髪をかき上げながら深く溜息をつく。

「貴様を守りきる自信がない。……私の強さは誰かを守る強さではなく、自分を守るためだけの強さなのだから」



「ははは、すみません。変なことを言って困らせちゃいましたね。……今の言葉は忘れてください」
手を頭にやり、力なく笑う。それからヘイムダルは顔を前に向けると、クウォーツに歩み寄っていく。



「……少しだけ、少しの間だけ。触れていてもいいですか」



クウォーツの返事も待たず。ふわりと、ヘイムダルの力強く温かい腕がクウォーツを包み込んだ。
きっと何か感情を持つ者ならば、心が安らぐとか、温かいだとか、そんな優しい思いを抱いたであろう。

だがクウォーツは無感情の顔つきのまま、ヘイムダルの行動を拒みも受け入れもせず立っているだけであった。



「さよなら。初めてオレを見てくれた人。初めてオレが……側にいて欲しいと思った人」



『クウォーツ様。所詮お前の居場所はここしかないのだよ……どこへ行っても、忌み嫌われるだけのお前は』

自分に向けられる好意なんて、全ては偽りに決まっている。
好意を持った振りをして、心の中では嘲笑っているだけ。だから愛なんて信じない。今でもそう思っている。



けれど。
けれど、もしかしたら。


『決してこの手を離しはしないから。だから……信じて』



あの、日々を共に過ごした彼らの……彼女達のように。
決して偽りなんかではない愛情も存在するのかもしれない──……。



「ありがとう」

口調は淡々としたものではあったが、それはとても小さな声で。クウォーツは静かにヘイムダルから身を離した。
最後に一度だけヘイムダルの黒い瞳を見つめてから、背を向けて歩き始める。


夜空に輝く満月はクウォーツのゆく道をぼんやりと照らし続けており、淡い光に彼の青い髪が艶やかに煌く。




「……さよなら……初めてオレが、好きになったのかもしれない……ひと」

ヘイムダルはクウォーツの後ろ姿が闇に溶け込んで見えなくなっても、その場から立ち去ろうとはせず。
顔を上げてしっかり前を向くと、いつまでも見つめ続けていた。






+DeadorAlive+