Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第162話 愛しきあなたに花束を -1-



ガリオン達の姿が見えなくなっても、ティエルは彼から託された包みを両手で抱きしめたまま俯き続けていた。
ジェムを彼女に渡したガリオンの意図は分からない。だが、彼の青い瞳はあの頃と同じように優しかったのだ。
確かに考え方は変わってしまったのかもしれない。それでも、彼の本質は変わっていないようにも感じられた。

その時。ティエルの手からジェムが落ち、ぱりんと飛び散った細かな欠片はイデアへと吸い込まれていく。
イデアに嵌め込まれていた淡い薄緑の宝玉の中に、小さな光の点が三つ輝いている。残るジェムはあと二つだ。
ジェムを五つ全て揃えた時、封魔石イデアは真の力を発揮するという。

しかし、ジェムを手に入れる度にこんなにも苦しい思いばかりをしなければならないのか。
セレステールで、エルキドで、ここ大都市マクディアスで。ジェムを手に入れる度に、誰かが苦しい思いをする。
それでも進んでいかなければ。彼女を心配する仲間達の視線に気付き、涙を拭ったティエルは彼らを振り返った。


「大丈夫。何があっても、立ち止まらないから。負けたりなんかしない。残り二つのジェムを必ず手に入れる」
「ティエル」
「死んだと思っていたガリオンの顔を見たら少し感傷的になっちゃったけど、もう迷ったりしないから」
「ええ、そうね。……行きましょう。いつまでもこんな場所に長居をしているわけにもいきませんわ」


反論なんてあるわけがない。リアンの言葉に深く頷いた面々は、暗く長い廊下を出口に向かって歩き始める。
そんな彼らの姿を隠れて眺めていたサバスは、手を出すわけにもいかずに口惜しそうに顔を歪めるだけであった。
『これ以上関わるな』と黒騎士から釘を刺されている手前、手を出してゾルディスを敵に回すわけにはいかない。

恐れるものなど何も存在しない強欲なサバスといえども、悪名高い強国を敵に回すほど命知らずではないのだ。
サバスに忠告をしたあの金髪の男の瞳は、背筋が凍るほど恐ろしく冷たかった。







外に出ると、涼しい風がティエルの頬に当たる。
一体どれくらいの時間、あの場所にいたのだろうか。時間の経過すらも分からないほど衝撃的だったのだろうか。
通行人の会話から察すると、どうやらサバス・コレクションは催眠ガス騒ぎの後も予定通りに行われたようだ。

「なんでも先程の催眠ガスは、会場内に潜んでいた指名手配犯を捕らえるためだったそうだぞ」
「物騒な話だよな。サバス殿によれば、そいつらは無事に捕らえることができたらしいし……ほっとしたぜ」
「町の治安維持に全力で貢献するサバス殿は、さすが素晴らしい方だよ」


通行人達の会話を耳にしたジハードが、指名手配犯呼ばわりかよ、と声には出さずに呟いた。
様々な店が立ち並ぶ大通りまでやって来ると次第に緊張が解れていく。やはりこの町は夜更けでも賑やかである。
笑い声が響いてくる酒場、陽気な音楽が流れてくるのはショーレストラン。普段ならば心躍るような光景だった。

不意にティエルの足が止まった。小さな肩が小刻みに震えており、その場から一歩も動き出そうとはしない。
名を呼びかけようと口を開いたジハードを制したのはリアンであった。
白くなるまで強く握りしめていたティエルの手を両手で包み込み、大きなカーネリアンの瞳で彼女を見つめる。

リアンの瞳を見つめていたティエルは次第に緊張が解きほぐされてきたのか、突然声を上げて泣き始めたのだ。
通りを歩く人々は驚いたような表情を浮かべながら、またはじろじろと無遠慮に眺めながら通り過ぎていく。
大声で泣き続けるティエルの頭を優しく撫でていたリアンは、こちらを見つめているジハード達を振り返った。


「……ごめんなさい、二人とも先に戻っていて下さいな。ティエルが落ち着いたら帰りますから」
「分かった。けれど、あまり遅くならないようにね」
「ええ」

どこか悲しい笑顔を浮かべたジハードは軽く頷き、クウォーツは普段と変わらぬ無表情で彼女達に背を向ける。
リアンは段々と遠ざかっていく二人の背を眺めてから、少し歩きましょう、とティエルに穏やかな口調で言った。
目を真っ赤にさせた彼女はのろのろと顔を上げると静かに頷いて見せる。


リアンに手を引かれながら賑やかな大通りを歩いていると、橙色にライトアップされた噴水広場が見えてくる。
ちらほらと待ち合わせをしている人々が見受けられ、ライトアップされている橙色も落ち着いた色合いである。
噴水から一番近いベンチに腰掛けると、火照った身体を夜の涼しい風が冷ましてくれるようだった。

「……きれいだね」

ライトアップされた光が噴水に反射してきらきらと輝いている。まるで宝石の粒が降ってくるようにも見える。
橙色、黄色、白とグラデーションを見せる光の粒。大都市マクディアスの中でも名所と呼ばれる一つであった。
そういえばメドフォードにも大きな噴水広場がいくつか存在した。こんなにも光に彩られた噴水ではなかったが。


「ガリオンはね、わたしが小さい頃からずっと一緒にいて。わたしに剣を教えてくれたのもガリオンだったんだ」
「幼なじみみたいな存在だったのかしらね。サキョウにとってのサクラさんや、トガクレさんのように」
「そう、なるのかな。……側にいるのが当たり前の存在で、それがいつまでも続くんだと信じて疑わなかった」

「側にいるのが当たり前になってしまうと、その人がいなくなった時。初めてその大切さを思い知るんですのよ」
「本当に……そうだね」


噴水を眺めていたリアンの表情が曇る。
彼女にもそういう経験があったのだろうか。それともその大切な存在を、この手から失いかけているのだろうか。
本当はガリオンが生きていたことを心から喜びたかった。生きていてくれただけでも良かったと思いたかった。

たとえ考え方が変わってしまったとしても、故国を捨て去ってしまったとしても。ただ生きていてくれるだけで。
この同じ夜空の下で、ガリオンが今生きている。それだけで、もう十分じゃないか。これ以上望んではいけない。
凄惨な経験を経て考え方が変わってしまうことは何も不思議な話ではない。勿論ティエルも同じであった。


「ねえ、ティエル。ガリオンさんが生きていて、決して嬉しくなかったわけではないんでしょう?」
「……嬉しいに決まってるよ! 彼がメドフォードを捨ててしまったのは悲しいけど、嬉しくないわけがない!」
「それでいいんですのよ」
「え?」
「難しいことは考えないで、今は彼の無事を喜びましょう。あなたの大切な幼なじみの無事を喜びましょう?」

にこりとリアンが笑った。……彼女はなんて華のような笑顔をするんだろうと、ティエルは思った。
ティエルが道を誤りそうになった時、リアンはいつも手を引いてくれる。彼女の手にいつも導かれてきたのだ。
辛い思いをしているのはティエル一人だけではない。それなのに、顔には出さずに常に元気を与えてくれる存在。


「ごめんね、リアン。いつもわたしばかり頼ってる。みんな辛い思いをしているのは一緒なのに」
「うふふ、こう見えても頼れる大人の女性ですからね。器も胸も大きいですし、滅多なことでは動じなくてよ?」

「もー、自分で言っちゃうんだ」
「そうですわよ。だからティエルの一人や二人や三人くらい、いつでもどーんと受け止めてあげますからね」
「あははは、わたしは三人もいないってば」

ごしごしと手の甲で涙を拭ったティエルは思わず笑顔を浮かべる。
そんな様子を見てリアンは、やっと笑ってくれましたわね、と口に出してからティエルを肘で突き出したのだ。


「それにしても、ティエルも隅には置けませんわねぇ」
「なにが?」
「あんなにハンサムな幼なじみがいたなんて。しかも真面目で礼儀正しくて、元副騎士団長なんでしょう?」

「うん、確かファンクラブもあったよ。でもお酒を飲むと、羽目を外し過ぎて困った隠し芸ばかりしてたんだ」
「困った隠し芸って?」
「真冬に中庭の噴水に飛び込んで水泳始めるし、渋い歌ばかり歌うし、その後は酔いつぶれて大変なんだよ」
「あ、あら……そう……人は見かけによりませんわね……」


兄のような存在だと思っていた。勿論今でも彼のことは大好きだ。
侍女達からは何度もお似合いだと言われたが、ガリオンに恋をしていたのかと聞かれるとそれは分からなかった。
けれど今は。先程リアンの言ったとおり難しいことは考えず、ただ彼が生きていてくれたことだけを喜ぼう。

そこまで考えて、ティエルは先程別れたクウォーツとジハードのことを思い出す。恐らく心配をしているだろう。

「……どうしよう。わたし、クウォーツ達に悪いことをしちゃった」
「そうねぇ。あなたがまずやるべきことは」
「うん」

「帰って二人に笑顔を見せてあげることよ」







ティエルとリアンを残したまま歩き始めた二人は、ホテルまでの長い道のりを特に会話もなく歩き続けていた。
途中で酒場の客引きに何度も声をかけられたが、返事をする気力も残っていない。心も身体もとても疲れていた。
夜も眠らぬ町の喧騒が、何故だかとても遠い存在に感じる。

「クウォーツ。どこか寄ってかない?」
「は?」
「なんだか浴びるほど酒を飲みたい心境なんだよ。たまには色々なことを忘れたいのかもね」
「酒に逃げるなよ」

ふらふらと酒場の明かりに吸い寄せられるように歩いていくジハードの腰帯を、表情もなくクウォーツは引いた。
別に酒に逃げることが悪いことだとは言わない。色々なことから逃げ出して全てを忘れたい時だってあるだろう。
だが、今は現実から逃げてはいけないような気がした。事実から目を逸らしてはいけない時のような気がした。

それを心の片隅では理解しているからこそ、やんわりとクウォーツに止められたジハードは再び歩き始めたのだ。


「……ぼくはさ、結局何も知らなかったんだよ」
「?」
「メドフォードを追われてしまったティエルがどんな人物を失ってきたのか、どんな決意をして旅立ったのか」
「無理に聞き出すような話じゃない」
「うん。でも、あのガリオンという人物が、ティエルにとって一体どんな存在だったのかはなんとなく察せたよ」


恐らく、ティエルはガリオンに無自覚な恋をしていたのではないか。他人の感情に聡いジハードにはそう思えた。
だからこそ祖国を裏切ったともいえるガリオンの言動は、彼女にとって相当の衝撃だったのではないだろうか。
ジハードは言葉にこそ出さなかったが、クウォーツも彼の言いたいことはなんとなく察したようだ。


「家族を失ったティエルの前で、それを少々の犠牲と言い放った彼を……正直胸倉掴んで殴りたいと思った」
「……」
「弱い者は強い者に搾取される運命? 仕方のないこと? 冗談じゃない、そんな運命なんて決して認めない!」

「私は、少し分かる気がする」
「え?」
「弱者は強者に何もかも奪われるだけ。確かにそのとおりだ。あの黒騎士が言っていたことは間違っていない」
「じゃあ、奪われるだけの運命を認めろと?」

「奪われるだけの運命から逃れたければ強くなればいい。奪う側に回ればいい。力がなければ淘汰されるだけだ」
「本気で言っているのかい」


思わずジハードが足を止める。その言葉にクウォーツもまた足を止め、凍り付いた硝子の瞳で彼を振り返った。


「貴様のその甘さが、いつか必ず命取りとなる。……昔、貴様と同じような甘いことを言っていた男がいたんだ」
「……」
「そいつは死んだよ。戦う力を持たない、戦おうともしないどうしようもなく弱い奴を守って呆気なく殺された」
「クウォーツ」
「その時に思い知ったんだ。奪われたくなければ、奪う側に回ればいいと。弱者を踏み台にして生きていこうと」

抑揚のない声で呟いたクウォーツを、ジハードは無表情ともいえるような顔付きでじっと見つめていた。
この悪魔族の青年は、もしかしたら過去に囚われ後悔をしているのかもしれないと。そんなことを考えていた。
力を持たない弱い者だったから、全てを奪われた。その運命を打ち砕くために、強さに拘り続けたのではないか。


「クウォーツ、あなたは……一体誰の幻影に囚われ続けているんだよ」
「幻影だと?」
「たとえ弱くても、人は支え合って生きていける。弱者だからって全てを奪われてもいいわけがないじゃないか」

「誰もが支え合って生きていけると思うな。貴様の考えは甘すぎて反吐が出そうだ」
「では、全ての者があなたのように強くなれるとでも? 強くなれなかった者は、諦めて運命を受け入れろと?」
「そうだ。貴様もいい加減、その甘い考えを捨てろ。でなければ」
「……でなければ?」

「あいつのように、死ぬだけだ」


背を向けて再び歩き始めたクウォーツの後ろ姿を見つめ、ジハードはぎり、と唇を噛み締める。
彼の後を追う気にはなれなかった。暫くはどこかで頭を冷やさなければ、再び言い争いが始まってしまうだろう。
しかし行く当てはなかった。なかったが、歩き続けていればいつかは頭も冷えるはずだ。

クウォーツが去った方向とは逆の方向へと身体を向けたジハードは、ゆっくりと夜の町を歩き始めたのだった。





+Dead+Alive+