Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第163話 愛しきあなたに花束を -2-



立ち止まったジハードを振り返ることもなく、クウォーツは十八階のホテルの自室へと戻ってきた。
朝から窓を閉めたままだったために空気の入れ替えができておらず、扉を開けると生暖かい空気が纏わりつく。
のろのろとした動作で窓を開け放つと、空には大きな満月が浮かんでいた。ひんやりとした夜の風が心地よい。

何をするのも億劫になってしまうほど、彼は疲労していた。テーブル上の蝋燭に火を灯すことすら億劫だった。
時刻は既に深夜だというのに、町は一向に眠る気配を見せないようだ。騒がしい町はあまり好きではなかった。


『あなたは……一体誰の幻影に囚われ続けているんだよ』


別れる間際にジハードが問いかけてきた言葉が、いつまでも耳から離れなかった。
一体何を言っているんだと思った。幻影に囚われるとはどういう意味なんだと、逆に聞きたいのはこちらの方だ。
普段は穏やかな表情を殆ど崩すことのないジハードらしくもなく、厳しい顔で彼からそう問いかけられた。

間違ったことを言ったつもりはなかった。奪われたくなければ、奪う側に回ればいいと心からそう思っている。
弱者を踏み台にして生きていくことに何の問題があるのか。踏み台にされたくなければ、強くなればいいだけだ。
強くなれなかった者は淘汰されるだけ。支え合って生きて行こうなどと甘いことを言っていては生き残れない。

ああ、もう全てが面倒だ。どうでもいい。
そもそもハイブルグで暮らしていた頃は、ギョロイア以外の全てがどうでもよかったはずだ。それなのに、何故。
ティエル達と出会ってから、どうでもよくないことが増えてしまったのか。それはそれでとても面倒な話だった。


「人間ごっこは……もう疲れた」

小さな溜息をついたクウォーツは、静かに目を閉じるとベッドにどさりと倒れ込む。身体が鉛のように重かった。
人形のような自分が人並みに疲れを感じているのだ。ギョロイアと共に過ごしていた頃からは考えられなかった。
ベッドに倒れ込んだままであるクウォーツを心配しているかのように、小さな吸血蝙蝠が周囲を飛び回っている。

確かこの小さな蝙蝠は、墓参りに行くと言っていたティエルにボディガードとして貸したことがあった。
本来の姿はいとも簡単に人間を食い殺すジャイアントバットである。何故か昔からクウォーツに懐いているのだ。
心配しなくとも大丈夫だよと呟くが、どうやら吸血蝙蝠は納得が行っていないようで抗議の鳴き声を上げている。


「行き先はどこだっていい。……誰も知らないところで、静かに暮らしたいな」


人里離れた森の奥深くで、命尽きる日まで一人だけで穏やかに暮らすことができればそれだけで十分だ。
ティエル達とは離れることを決意した。これ以上側にいれば、いつかは必ず彼らをこの手で殺めてしまうだろう。
この旅の中で一人で生きていく術を学んだ。人の中では、悪魔族は生きられない。それを痛いほど思い知った。

その時。耳を澄ませていなければ聞き取ることができないほど微かな物音が響いた。かたん、という小さな音。
五感が研ぎ澄まされているクウォーツでなければ恐らく気付かなかっただろう。
気だるげに身を起こして扉の方へと顔を向けるが、頑丈な木の扉には特に変わった様子は見受けられなかった。


「ジハード……か?」

扉に向かって小さく声をかけるが、返事はない。確かに物音が響いたはずだった。聞き間違いではないだろう。 別れる時の様子ではティエル達が帰ってくるのは当分先になるだろう。彼女達でなければ、ジハードしかいない。
だがこんなに早くジハードが帰ってくるだろうか。暫く頭を冷やしてから帰ってくるのかと思っていた。


「残念ながらジハードさんではありませんがね。背後にも気を付けていなければ、首を取られてしまいますよ」
「!」
「あの物音に気付くとはさすがと言いたいところですが、まだまだ詰めが甘い。若さゆえの未熟さですかね?」


突如背後から響いた男の声に振り返ったクウォーツの瞳に映ったものは、開け放たれた窓枠に腰掛けている人影。
満月を背にして顔は影になっていたが、その声には確かに聞き覚えがあった。
悪魔を崇拝するというサバトの福音。その客員相談役である悪魔族だった。名は……バアトリ=ブランベルジュ。

弾かれたように相手から距離を取り、クウォーツは臨戦態勢に入る。この者は今までにないほど苦戦した相手だ。
恐らくサキョウの母親を惨殺した相手であり、彼の人生を大きく狂わせた悪魔族であった。
立派な鼻の下には、綺麗に整えられた豊かな口髭。艶やかで黒い爪化粧。毒々しい雰囲気を纏う中年の男だった。


「確か貴様は」
「おやまあ、光栄ですね。わたくしを覚えていて下さっているなんて。確かあなたはクウォーツさんでしたかね」
「……」
「先日はミカエラが大変お世話になったようで。そんなに警戒しないで下さいよ、わたくし達は仲間でしょう?」

くるんとカールしたヒゲを撫で付けながら、バアトリは窓枠から身を離すと静かに歩み寄ってくる。
何をふざけたことを言っているんだ、とクウォーツは声にこそ出さなかったが、左手を妖刀幻夢の柄に伸ばした。
バアトリは最初から全力で仕掛けなければ勝てる相手ではない。僅かに隙を見せれば殺されるのはこちらの方だ。


「剣なんて物騒なものは置いて、ゆっくりとお茶でもしましょうよ。わたくしはあなたを迎えに来たのですから」
「?」
「ミカエラから話を聞いていませんでしたか? 人間どもに反旗を翻すために、あなたの力が必要なのですよ」
「世迷い事を」

「人間どもを相手に戦うなら、味方は一人でも多い方がいいのです。……その上あなたは強く、なにより美しい」


どうやらバアトリの目的はサキョウ達に対する復讐ではなく、クウォーツただ一人を迎えに来ただけのようだ。
ただし……今のところは、であるが。執念深いバアトリがサキョウ達への報復を諦めたとは到底思えない。
ミカエラがやられてしまった現在は、個人的な報復よりも悪魔族の仲間を増やすことを優先しているのだろう。

だとしても。もしもジハード達がバアトリと鉢合わせすれば、バアトリは容赦なく彼らを殺そうとするはずだ。
彼らがここへ戻ってくる前にケリを付けなければならない。やれるだろうか。いや、やらなくてはならない。


「わたくしは戦いに来たのではなく、あなたを救いに来たのですよ。愚かな人間に騙され続けているあなたをね」
「……勝手に決め付けるな。そもそも私は貴様達の仲間になる気など更々ない」
「え?」
「このまま立ち去るのならば深追いはしない。だが立ち去らないというのであれば、私は全力で立ち向かうだけ」
「本気で仰っているのですか?」

クウォーツの言葉は想定外だったのか、バアトリは驚いたように目をぱちぱちとさせてわざとらしく首を傾げる。
十分な距離を取ってから立ち止まり、綺麗に揃えられたヒゲを撫で付けていた。


「我々の仲間にならないのなら、あなたの存在は邪魔でしかない。悪魔族の恥さらしとして始末する対象ですよ」
「だろうな」
「分かっていただけなくて実に残念です。……あなたとならば、いい関係を築き上げられると思っておりました」

じわじわと辺りに満ちていく互いの殺気。バアトリは完全にクウォーツを敵だと見做したようだ。
毒々しい色合いをしたサタネスビュートが、まるで生き物のように脈打ちながらバアトリの手の中で蠢いている。
攻撃した相手の返り血を吸うほど力を増すという魔の武具だという。ヴァンパイアのバアトリに相応しい武器だ。

鞭に血を吸われた亡者の中には、サキョウの母親も含まれているのだろうか。


「あなたが一人になる機会を狙ってよかったですよ。さすがにあなた方全員を相手にするには無理がありますし」
「……私一人相手ならば勝てるとでも?」
「ええ。あなた一人程度、造作もありません」
「舐めるな!」

口の中で素早く詠唱を済ましたクウォーツは、右手をバアトリに向かって突き出した。
その瞬間。部屋中を漆黒で埋め尽くすほどの吸血蝙蝠の群れが現れ、弾丸のようにバアトリへと突っ込んで行く。
掠っただけでも皮膚を裂く黒き弾丸の雨をまともに食らえば、さしものバアトリでも余裕の表情を崩すだろう。


「私を相手にしたことを、必ず後悔させてやる」
「そうですねぇ……あなたにお相手をして頂けるのならば、できればベッドのお相手の方が嬉しいのですがねぇ」
「……」
「あなたのようなプライドの高い方が快楽に溺れ、乱れる姿は実にそそるでしょうね。ああ、屈服させたい!」


向かってくる吸血蝙蝠達を次々と鞭で叩き落していくバアトリ。己の発言に興奮して、頬が上気しているようだ。
中身を撒き散らしながら床へ積み重なっていく蝙蝠達の死骸。更に一振り。風を切る音と共に鞭の先端が飛んだ。
狙いはクウォーツだったようで、主をかばうように次々と吸血蝙蝠達が彼の前で黒い壁を作り上げる。

作り上げられた蝙蝠達の肉の壁は、クウォーツが鞭から逃れる時間を作るには十分であった。
サタネスビュートに切り裂かれて床の上で痙攣を続けている蝙蝠を踏み潰したバアトリは、口の端を持ち上げる。
ぷちゅりと柔らかな果実が潰れるような音と共に、踏み潰された死骸から鮮やかな色をした臓物が飛び出した。

恍惚とした表情で臓物に顔を向けたバアトリに、僅かな隙が生まれた。
目にも留まらぬ速さで妖刀幻夢を引き抜いたクウォーツは、地面を蹴ると剣を振り上げて彼へと突っ込んで行く。


「あなたは突っ込むしか能がないのですかね? 焦らずとも、後ほどあなたには何度も突っ込んであげますのに」
「死んでもお断りだ!」
「うぐっ!?」

己が勝利した後の情事を思い浮かべ、ねっとりとした笑みを浮かべて鞭を握り直したバアトリであったが。
巨大化してジャイアントバットと化した一匹の蝙蝠が、背後から肩に食らい付いたのだ。完全に油断をしていた。
太い血管を食い千切られたのか、真紅の血飛沫が舞う。

血の雨の中を駆け抜けたクウォーツは、そのまま妖刀幻夢をバアトリの胸に突き刺した。確実に急所を突いた。
ぐえ、と低い呻き声を発したバアトリは床に倒れ、ぴくぴくと痙攣を続けていたが、暫くすると動かなくなった。
……再び部屋に静寂が戻る。


「意外に早く片付いたな」

息一つ乱していない涼しい顔で呟いたクウォーツは、用心深くバアトリへと歩み寄っていく。
急所を突いたとはいえ、完全に死んでいるとは限らない。息を潜めてこちらの様子を伺っているのかもしれない。
確か以前も同じようなことがあった。バアトリを確実に殺すためには、首を切り落とさなくてはならない。

肩と胸から大量の血を流して、大の字になって倒れているバアトリ。どう見ても死んでいるように見えるのだが。
また一歩。クウォーツは用心深く踏み出した。
その時。背後から風を切る音が聞こえ、振り返ったクウォーツの瞳に映ったものは意志を持って向かってくる鞭。

それはまさに獲物に食らい付かんとする毒蛇のようにも見えた。不自然な体勢で振り返ったために避けきれない。
反射的に身を翻したクウォーツだが、脇腹を裂かれた。あの瞬間に身体が反応できたのはさすがというべきか。


「ふふふ……以前、申し上げたはずでしょう? サタネスビュートはただの鞭ではなく、自在に操れるのだと」

さも愉快だと言わんばかりの笑い声。
ゆっくりと立ち上がったバアトリは、血の止まらぬ脇腹を押さえているクウォーツに顔を向けて微笑んで見せた。
彼の血を吸って赤く照り輝いているサタネスビュートは、差し出されたバアトリの手の中に収まっていく。
気のせいか鞭が肥大化しているように見えた。どくどくと脈打ったそれは……確かに意思を持って生きている。


「やはり、簡単には死んでくれそうもないな……」

裂かれた脇腹が焼けるように痛みを発している。流れ込んできたバアトリの魔力が、傷口を焼き続けているのだ。
相手は悪魔族。しかも力を持った悪魔族だ。打たれ強さや回復力の速さは一番よく分かっているつもりだ。
それでもここで負けるわけにはいかない。強くなって、奪う側に回ったのだ。だから、負けるわけにはいかない。


「いいですねぇ、その目。わたくしを虫けらのように見つめる瞳は、まるで青いトパーズのようですよ」
「……」
「そんなあなたに敬意を表し、わたくしも本気で行かせていただきます。最高の夜になりそうですねぇ……!」





+Dead+Alive+