Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第164話 愛しきあなたに花束を -3-



まるで毒蛇のように意志を持って蠢くサタネスビュートは、哀れな獲物を求めて部屋の中を縦横無尽に暴れ回る。

鞭を避けるために姿勢を低くしたクウォーツの頭上で、弾け飛んだシャンデリアの破片が大量に彼へ降り注いだ。
光を反射してきらきらと煌く硝子の破片は、鋭利な刃物となって彼の肌や衣服を深く切り裂いていく。
痛みに怯んだクウォーツの隙をバアトリが見逃すはずはなく、膝を突く彼に向かって勢いよく鞭を振り下ろした。

「くっ!」

クウォーツの右腕を捕らえたサタネスビュートは容赦なく彼の肉を裂き、鮮血が薔薇の花びらのように舞う。
飛び散った血はシャンデリアの破片を赤く染めており、まるでルビーのように生々しくも妖しい光を放っていた。
それらを完全に発情した眼差しで眺めていたバアトリは、引き寄せた鞭に付着した血液をぺろりと舐め取った。


「さぁて、クウォーツさん。お遊びはそろそろ終わりにいたしましょう。あなたもどうやらお疲れのようですし」
「……」
「どうしても我々の仲間にならないと仰るのなら、残念ながら裏切り者としてあなたを殺さねばなりませんねぇ」


脈打ち肥大した鞭を構え、バアトリの黒い瞳に明らかな殺気が宿る。
仲間としてならば喜んで迎え入れよう。だが手に入らぬのなら、見せしめのために殺してしまえという考え方だ。
人間などに加担する悪魔族の裏切り者として殺さねば、無念のまま殺された他の悪魔族達に顔向けができないと。

だが、クウォーツを簡単に殺してしまうのも面白くはないとバアトリは思っていた。
彼を拐かしたあの人間達に後悔をさせるために、戦う意思を持つことをしない他の悪魔族を奮起させるために。
そしてクウォーツに己の罪深さを思い知らせるために、残酷に凄惨に見せしめになるように殺してやらなければ。


「まずは……そのしなやかで長い手足を、一本ずつ鞭で引き千切ってあげましょう。じわじわと、ゆっくりとね」
「悪趣味め」
「ふふふ。あなたが泣き叫ぶ声を聞きながら、あなたの大切にしている仲間の前で何度も犯して差し上げますよ」


完全に欲情しているバアトリとは裏腹に、対するクウォーツは息も荒く妖刀幻夢で身体を支えている状態だった。
肩を大きく上下させ、硝子の瞳を見開いている。鞭で裂かれた腹や手足からは止めどもなく血が溢れ続けていた。
バアトリとの力の差は、誰の目から見ても歴然であった。だがクウォーツはその事実を認めたくはなかったのだ。

馬鹿な。勝てない。バアトリはこれほどまでに差がある相手なのか。太刀打ちできないほどの相手なのか、と。
いや、何かの間違いだ。勝てなくとも、せめて相打ち程度には。……できるのか? こんなぼろぼろの状態で?
バアトリは余裕の笑みすら浮かべている。そんな相手を相打ちにできるのか? できるわけがないじゃないか。

ぎり、と唇を噛み締める。
裂けた唇から血が溢れ、口の中に鉄の味が広がった。これは悔しいという感情なのだろうか。それも分からない。
血が混じり合った生暖かい汗が首筋を伝っていく感覚が酷く気持ちが悪かった。気持ちが悪い? これも感情か。


「クウォーツさん」
「!」
「痛いでしょう、苦しいでしょう。そんなに傷付いてまで、あなたは一体何を守ろうとしているんでしょうかね」
「まも、る?」
「おやおや、自分でも分かっていないのですか。ではあなたは何故、我々の誘いを断り続けているのでしょう?」
「それは……」


バアトリの問い掛けに答えようとして、クウォーツは途中で言葉を止めてしまう。
そもそも今、自分は一体何のために戦っているのだろうか。バアトリの誘いを何度も断り続けているのだろうか。
同じ悪魔族からの誘いを断り、何を守ろうとしているのだろう。誰のために、何のために、戦っているのだろう。

確かに人間は欲深く残酷な者達だ。
力も持たず脆弱なくせに傲慢である。その上集団になると、力を持ったと錯覚して他者を支配しようとするのだ。

バアトリの誘いに乗らなかったのは、ただ考え方が気に食わなかったためだ。人間達に復讐なんて無駄なだけだ。
そもそも相手の数が多すぎる。力を持つ少数の悪魔族が束になったとて、返り討ちに遭うのは目に見えていた。
だから復讐など端から諦めていたのだ。復讐は、いつまでも終わることのない負の連鎖だと……そう思っていた。


「ああ、可哀想に。甘い言葉に騙されて、あなたは人間達に都合のいいように利用されているだけなのですよ」
「貴様に何が分かる」
「分かりますよ、わたくしも昔はそうでしたからね。わたくしにもかつて心から信頼した人間達がおりました。
 彼らは奴隷商人に捕らわれていたわたくしに手を差し伸べ、救ってくれたのです。仲間と呼べる存在でしたよ」

苦楽を共に過ごし、彼らはバアトリにとって掛け替えのない存在になっていたのだという。
悪魔族と人間は混ざり合わない存在だと思い込んでいただけで、決してそんなことはなかったのだと思ったのだ。


「彼らをすっかり信用していたわたくしは、彼らをわたくしの故郷に連れて行きました。山奥の小さな村です」
「何故……そんな真似を」
「わたくしの故郷を見たいと彼らが言ったからですよ。何の疑いもなく、愚かなわたくしは連れて行きました」

彼らは悪魔狩りを生業としたハンターだったのだ。奴隷商人から悪魔族を助け出し、彼らの故郷に案内させる。
そして村人を根絶やしにして多額の報酬を受け取る者達だった。出会いから全て計算されていたのだ。
段々とクウォーツの顔付きに余裕がなくなってきたのを悟ったバアトリは、追い打ちをかけるように更に続けた。


「わたくしの家族はそこで皆殺しにされました。その時に思ったのです、人間とは甘い言葉で裏切るものだと」
「もう、いい」
「あなたも裏切られ、いつかは殺される運命にあるでしょう。殺されるだけならばまだ幸運かもしれませんね」
「……そろそろ黙れ」
「人間達に捕まった我らの末路を知っていますか? あなたのように美しい悪魔族が、どんな目に遭うのかを」

「黙れと言っている!!」


如何なる時でも冷静なクウォーツらしくもなく、がたがたと小刻みに震え始める。
彼の手から妖刀幻夢が滑り落ちて地面に転がっても、気付く様子はない。耳を塞ぐようにして震え続けていた。
分からない。何故戦い続けているのか分からなくなった。……本当に、人間達への復讐を諦めてもいいのか?
いつかは裏切る人間達の側にいてもいいのだろうか。裏切ると分かっていながら、それでも彼らと生きるのか?

思い出せ。あの心優しい『*****』が、一体誰に殺されたのかを。あれほど無残に殺したのは誰だったのか。
命に代えても君を守ると言ってくれた『*****』を、彼の笑顔を、夢を、命を奪ったのは一体誰だったのか。
いや、迷うな。それこそバアトリの思う壺ではないか。……迷っている? バアトリの誘いに、迷っているのか?

顔を蒼白にさせながら立ち尽くしているクウォーツに、バアトリは容赦なく鞭を振り下ろした。
無意識のうちに避けようとした足に何かが絡まる。それを確認する間もなくクウォーツは床に転倒してしまった。
すぐに立ち上がらなくては。だが立ち上がってどうするというのだ。立ち上がって意味のない戦いを続けるのか。


「所詮我ら悪魔族と、人間は相容れないもの。永遠に混ざり合わないもの。決して混ざり合ってはならないもの。
 あなたも本当は分かっているはずでしょう。だからこそ、あなたは今……わたくしの誘いに心が揺れている」


床に転がったままのクウォーツに向かって、バアトリは一歩ずつ歩み寄っていく。
初めの頃の気迫は完全に消え失せている。今のクウォーツならば鞭の一振りだけで簡単に殺すことができそうだ。
戦い続ける意味を見失ってしまった今、彼は立ち上がる気力すら残ってはいなかったのだ。

元々クウォーツが不安定な要素を多く抱え込んでいたことに、初めて彼を見た時からバアトリは気付いていた。
揺さぶりをかけ続けていれば、必ず落ちる。そう思わせる何かがあった。もう一押しで、彼はこちら側に来る。
にやりと笑みを浮かべたバアトリは床に膝を突くと、呆然としているクウォーツの上半身を優しく抱え起こした。


「あなたは強いけれど、とても儚い方だ。その危ういアンバランスさが、わたくしの心を掴んで離さないのです」
「……」
「我々の仲間にならなければ殺してしまおうかと考えておりましたが、殺してしまうにはあまりにも惜しい……」

バアトリは愛を語るように囁きながら、クウォーツの唇を染めている鮮血を舐め取るようにねっとりと口付けた。
だがクウォーツは表情一つ動かさない。気に食わない相手から口付けられているというのに抵抗すらしなかった。
その様子はまさに『人形』といった形容が相応しく、ぼんやりと瞬きもせずに彼はされるがままになっていた。


「人間などと馴れ合っていないで、わたくしの元へ来なさい。わたくしならば、あなたを理解することができる。
 あんな人間達にあなたの何が分かるというのです。あのクズどもは嘲笑いながらあなたを眺めているのですよ」
「……に」
「はい?」
「何も、知らないくせに……!」

戦意を完全に喪失していたはずのクウォーツが、血の混じった唾をバアトリに向かって忌々しそうに吐き捨てた。
バアトリの計算では、こんな反応をされるはずではなかった。もう一押しでこちら側に落ちるところだったのに。
それとも言葉の選択を誤ったのだろうか。何が一体彼を怒らせてしまったのかと、バアトリは理解できなかった。
大切な存在を貶されること。……それが、感情がほぼ欠落しているクウォーツを唯一逆上させる行動だったのだ。


「あいつらのことを何も知らないくせに、勝手なことを言いやがって! 貴様に私を理解されてたまるかよ!!」


どうやら、クウォーツを仲間に引き入れるための交渉は完全に決裂してしまったらしい。バアトリはそう悟った。
それがあなたの最期の選択ですかと、やれやれと残念そうに肩を竦めて見せる。
吐き捨てられた唾を静かに拭い、バアトリは鋭い牙を剥き出すとそのままクウォーツの首筋に食らい付いたのだ。


「あぐぅ……っ!」

深々と埋め込まれる牙。絞り出すような悲鳴と共に、目を見開いたクウォーツの喉が反射的に仰け反った。
思わず掴んでしまったバアトリの腕に爪が食い込んでいく。いくら引き離そうとしても身体に力が入らないのだ。
身を引き裂かれるような激痛。だが確実にクウォーツの全身を蝕み始めているのは、おぞましい程の快楽だった。

部屋中に響く女のような喜悦の声が、己の声なのだとクウォーツが気付くまでにそう時間はかからなかった。
強制的に与えられている快楽とはいえ、なんて品のない声を発しているのだろう。ああ、惨めにもほどがある。
そして、そんな抵抗し続ける心とは裏腹に、快楽に反応してしまっている己の身体にクウォーツは深く絶望した。


「ふふふ、やはりいい声で喘いでくれますねぇ。わたくしのような者に好きにされているのが悔しいでしょう?」


血で染まった口を歪め、バアトリが笑う。
クウォーツの身体を押さえ付けていた手が離れ、絡まった彼の青い髪をぐしゃりと掴んだ。

「しかし、あなたは惨めな敗者だ。残念ながら、あなたのような敗者は強い者に全てを奪われる運命なのですよ」


惨めな敗者。敗者は強い者に全てを奪われてしまう運命。
どこかで聞いたような台詞だった。……そう、先程ジハードと口論になった時にクウォーツが言った台詞だった。
奪われるだけの運命から逃れたければ強くなればいい。奪う側に回ればいい。力がなければ淘汰されるだけだと。
そのクウォーツの台詞は、微笑みを絶やさない穏やかなジハードを本気で怒らせてしまった。

奪われたくなければ、奪う側に回ればいいのだと。弱者を踏み台にして生きていこうと、そう思っていた。
そんな運命から逃れたければ強くなればいい。奪う側に回ればいいだけだと。己は強くなっていたつもりだった。
誰にも負けぬほど強くなりたかった。強くなって、……もう二度と、大切なものを奪われることがないように。


その時だった。
閉じられた扉の向こうの廊下から、もう耳にすることはできないと思っていた聞き慣れた声が聞こえてきたのは。

「……クウォーツ、中にいるんだろ。話がしたい」

ジハードの声であった。どこか沈んだ響きが含まれている声なのは、先程の口論を引きずっているためか。
扉の周囲にはいつの間にかサタネスビュートの破片がいくつも絡まっており、恐らく開くことはできないだろう。
内側から鍵を掛けられているのだとジハードは思い込んでいるようだ。


「あれからずっと頭を冷やしながら考えていたんだ。確かに、クウォーツの言っていることは間違っていないよ。
 強くならなければ、あなたは生きていけなかったのかもしれない。奪われ続ける人生だったのかもしれない」

ジハードの独白は続く。

「あなたは言ったね、弱者を踏み台にして生きていくのだと。強くなれなかった者は諦めて運命を受け入れろと。
 けれど、それはクウォーツが本心から思っていることなのかな。……どうしても、ぼくにはそう見えなかった。
 あなたは大切な誰かを守ることができなかったために、いつまでも強さに執着し続けているんじゃないかって」


部屋の中ではクウォーツが死に直面しつつあることなど夢にも思わず、ジハードは扉の前で彼に語りかけていた。
開けようと思えば扉は簡単に蹴破れる。それでも中に入ってこようとしないのは、彼なりに気を遣っているのだ。
返事をすることもなく扉から顔を逸らし続けているクウォーツの耳元へ、バアトリが笑みを浮かべながら囁いた。

「どうやらあなたの守りたかった大切なお友達が戻ってきてしまいましたね。声を上げて助けてもらいますか?」
「だれ、が……!」
「できないでしょうねぇ。プライドの高いあなたが、こんな屈辱的な姿を見せるわけにも……ああ、違いますね。
 彼をわたくしと鉢合わせさせたくなかったんですよね? それが、勝ち目のない戦いを続ける理由でしたねぇ」


いくらジハードが気を遣っているとはいえ、このままクウォーツが姿を見せぬままでは扉を蹴破ってくるだろう。
ジハードは勘が鋭い。バアトリが中にいると悟られてしまう前に、できるだけ早く彼をここから立ち去らせねば。
感情の起伏の少ない、淡々とした普段の声を意識しながら、顔を上げたクウォーツは扉に向かって口を開いた。

「……ジハード。貴様の下らない憶測など、これ以上聞きたくはない」
「クウォーツ」
「貴様が今一番行かなければならない場所は、私ではなく泣いているティエルの所だろう。一体何やってるんだ。
 早く彼女の元へ行ってやれ。彼女の家族を侮辱した黒騎士を、胸倉掴んで殴りたいとまで思ったんだろうが!」


バアトリに気付かれぬように、クウォーツは先程手放してしまった妖刀幻夢を探り当てようと手を地に這わせた。
指先に触れる硬い感触。──妖刀幻夢である!
目にも留まらぬ速さで剣を掴んだクウォーツは、予想外の反撃に驚いた表情を見せたバアトリの肩を貫いたのだ。
だがバアトリはその程度で怯む相手ではなく、彼の操る鞭は絡み合う杭となってクウォーツの両腿に突き刺さる。

「……っ!!」

ここで声を上げてはジハードに気付かれる。思わず上げそうになった悲鳴をクウォーツはぐっと飲み込んだ。
深々と突き刺さった鞭は両腿を貫通しており、完全に彼を床に縫い止めていた。恐らく骨も砕かれているだろう。
耐え難いはずの激痛がクウォーツの全身を襲ったが、玉汗をいくつも額に浮かせながらも彼は耐え続けていた。


「素晴らしい。一度わたくしから吸血を受けておきながら、反撃する力がまだ残っているとは……恐ろしい方だ。
 あなたほど美しく気高い方は、この先決して現れることはないでしょうね。だからこそ、実に残念に思います」

「……私の……負けだ。……好きに、しろ……」
「では遠慮なく。さようなら、クウォーツさん。……あなたの亡骸は、永遠にわたくしの側に置いてあげますよ」


にっこりと笑みを浮かべながら、バアトリは未だ鮮血が溢れ続けていたクウォーツの首筋に舌を這わせ始める。
そして、その鋭い牙を再び突き立てた瞬間。しっかりと閉ざされていたはずの扉が、勢いよく蹴破られたのだ。
細かい木屑がばらばらと降り注ぎ、立ち込める砂埃の向こうに姿を現した人物は……ジハードであった。





+Dead+Alive+