Lord of lords RAYJEND 第1幕「覇王の胎動」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -

第166話 愛しきあなたに花束を -5-



ティエルとリアンがホテルに戻ってくると、一階のロビーがざわざわと騒がしい。

どうやら何か事件があったようだ。宿泊客達の噂話を整理すると、十八階の客室に悪魔族が襲撃したのだという。
その襲撃によって宿泊客二名の負傷者が出ているという話だ。十八階といえば、ジハード達の部屋がある階だ。
まさかクウォーツが悪魔族だと知られてしまったのかと不安が過ぎるが、悪魔族の特徴を聞くと違うようである。

「……襲撃してきた悪魔族のことは気になるけど、まずはジハード達の無事を確認しよう」
「そ、そうですわね」


負傷者二名。まさか、クウォーツとジハードの二人のことではないだろうか。そんな不安が彼女達の胸を過ぎる。
いや、そんなことがあるはずはない。彼らは強い。悪魔族が相手だとしても、そう簡単にやられはしないはずだ。
悪い予感を振り払いつつ十八階まで辿り着くと、立ち入り禁止の黄色のテープで封鎖されている部屋が目に入る。

扉は破壊され、廊下には至る所に血の跡が残っている。部屋の中はまるで大きな爆発があったかのようだ。
悪い予感は的中した。この部屋は、間違いなくジハード達の部屋である。負傷者二名とは彼らのことだったのか。
背後でリアンの息を飲む音。斜め向かいの彼女達の部屋の前には、憔悴しきったジハードが座り込んでいたのだ。
あちこち傷を負い、着替える間もなかったのか服にはべったりと血の染みが見受けられた。一体何があったのだ。


「ジハード!」
「ああ、おかえり……」
「おかえりじゃないよ、何があったの? その怪我は大丈夫なの!?」
「怪我……そうか、治すの忘れてた」

ティエルがジハードの元へと駆け寄ると、彼はのろのろとした動作で静かに顔を上げた。顔中が煤で汚れている。
左肩付近の服が大きく裂けており、生地が赤黒く染まっている。決して浅くはない傷であった。
それにしても一緒にいたはずのクウォーツの姿が見えない。ジハードがこの有様では、恐らく彼も無傷ではない。

「ねえ、クウォーツは? 一緒じゃなかったの?」
「私達と別れた後に何があったのか説明して下さいな! でもその前に、まずは自分の怪我くらい治しなさいよ」
「……あいつを治療することで頭が一杯だったから、自分の治療を忘れてたんだ」


自分の左肩に手をかざして治癒魔法を開始したジハードは、ぽつりぽつりと事の顛末を話し始めた。
襲ってきたのは、バアトリ一人であること。彼はサバトの福音総本山である地下神殿で戦った、強敵の悪魔族だ。
だが襲撃の目的はティエル達に対する報復ではなく、同じ悪魔族であるクウォーツを仲間に引き込むことだった。

バアトリの強さは、あのクウォーツですら歯が立たなかった。
仲間になれと何度も彼に持ち掛けていたバアトリだが、交渉は決裂。腹いせともいえる形で彼を嬲り続けたのだ。


「嬲り続けたって……クウォーツは大丈夫なんですの? 彼は今どこにいるんですのよ!?」
「命は助かったよ。命はね。ただ、歩けるようになるまで少なくとも一週間以上はかかるだろう。それと……」
「それと?」
「申し訳ないけど暫くの間、あいつをそっとしといてやってくれ」

どうして、と納得が行かない表情で口を開きかけたティエルだったが、ジハードがそんなことを言うくらいだ。
相当の理由があるのだろう。重い空気を察したからこそ普段ならばもっと騒ぎそうなリアンも何も言わなかった。
分かりましたわ、と言って頷いていた。だがティエルは納得ができない。彼の姿を一目でも見て安心したかった。


「様子を見るくらいも駄目なの? ねえ、今すぐクウォーツに会いたいよ。顔見て、ちゃんと安心したいよ!」
「ごめん、ティエル」
「理由があるなら言ってよ。リアンもなんですぐに納得しちゃうの? クウォーツのことが心配じゃないの?」
「……リアンが心配じゃないわけないだろ。ティエル、いい子だから聞き分けてくれよ」

立ち上がったジハードは、詰め寄ってくるティエルの頭をぽんぽんと叩いた。確かに彼女の気持ちも理解できる。  それでも、クウォーツのためにも彼女達には理由を話すわけにはいかなかったのだ。
頭を叩かれて暫く何かを言いたそうな表情を浮かべていたティエルであったが、漸く納得したのか口を開いた。

「分かったよ。……いつまでも廊下で話しているわけにもいかないし、まずはわたし達の部屋に入ろう」







「ロクサーヌの森?」
「ああ」
「それがバアトリの住んでいる所なの?」

リアンが淹れてくれた温かいお茶に口を付けながら、ティエル達の部屋でジハードはこくりと頷いて見せた。
左肩の治療が中途半端であったため、数種類の薬草を染み込ませたガーゼを当ててティエルが包帯を巻いてやる。
自然治癒力が退化してしまうという理由から、緊急時以外ジハードは治癒魔法だけでは傷を完治させないのだ。

魔術師にしては程よく鍛えられた素肌の上半身を晒したまま、ベッドに深く腰掛けたジハードは口を開いた。

「バアトリはそこで決着をつけたいと言っていた。それだけなら、ぼくらに得はないし行かないだけなんだけど」
「うん。明らかに罠だろうし」
「でもあいつは、どうやらイデアのジェムを所持しているらしい。ならば、罠だとしても行かなければならない」


いかなる封印ですら無効にする力があると言われている封魔石イデア。
手にした者に望むとおりの力を与えてくれるこの恐ろしい宝石のために、多くの人間が争い命を落としたという。
封魔石がある限り争いは収まらないと判断した嘗ての賢者は、イデアの力を五つに分割してしまったというのだ。

真の威力を発揮するためには、五つに分割された『ジェム』という宝石を全て集めなければならない。
現在入手済みのジェムは三つだ。セレステールで入手したものと、エルキドにてミカエラが落としていったもの、
先程ガリオンから手渡されたもの。そして四つ目のジェムは、どうやらバアトリが所持しているようだった。

ティエル達の中でも抜きん出て戦闘能力の高いクウォーツですら歯が立たなかった。
明らかにバアトリはティエル達の勝てる相手ではない。今回はクウォーツの捨て身の攻撃で退けたようなものだ。
できれば今回の戦いに彼は連れて行きたくはないとジハードが言った。恐らく相手はバアトリ一人だけではない。
バアトリに従う悪魔族も相手にすることになるだろう。彼らをクウォーツに斬り殺させるわけにはいかなかった。


「ジハードがそのつもりでも、果たしてクウォーツは納得するかしらね」
「それでも納得してもらうしかないだろ。場合によっては、あいつに嘘をついてでもここで待っていてもらう」
「……ほんとに? ジハードは、ほんとにそれがクウォーツにとって一番いいと思ってるの?」

じっと見つめてくるティエルの大きな茶の瞳。
他人を疑うことを知らぬひどく純粋な瞳に見つめられ、ジハードはらしくもなく思わず言葉に詰まってしまった。


「どういう意味だい?」
「クウォーツにとって一番嫌なことは、同族に剣を向けることよりも……ジハードに嘘をつかれることだと思う」
「……」
「ジハードが自分で思っているよりもずっと、クウォーツはちゃんとあなたのことが好きだよ」
「でも、それは」

その好意は『ジハード』に対してではなく、『アレクシス』とやらに向けられているものだと彼女は知らない。
一体何が似ているのか。それはクウォーツしか分からないが、死者の姿と重ね続けられて気分が良いわけがない。
しかしそれを今ここで口に出すわけにはいかなかった。

「ジハードが何に引っかかっているのか、わたしは分からないけどさ。……クウォーツに嘘をつくのはいやだな」
「うん……」

「とりあえず今日はもう休みましょう。考えるのは明日。続け様に色々なことがあって心身ともに疲れましたわ」


リアンの鶴の一声によって会話はそこで終了となり、ふらふらとした足取りでジハードは自室への扉を開けた。
確かに今日は心身ともに疲れ果てた。サバス・コレクションが随分と前の出来事のようにも思える。
色々と考えなければならない問題が山積みだが、今日はもう休みたい。そう考えながら部屋に足を踏み入れる。

二つのベッドのうち片方では目を覚まさないクウォーツの姿があった。
彼に嘘をついてでも、これ以上バアトリと関わらせてはならないと思った。だが、それは間違いなのだろうか。
バアトリや同族に剣を向けることよりも、ジハードに嘘をつかれる方が彼にとって酷だとティエルは言っていた。

一体どの選択が一番正しいのだろう。
普段は要領よく物事を選択しているジハードだったが、彼らしくもなくいくら考えても答えが見つからなかった。







人里離れた深い森の中。ロクサーヌの森と呼ばれる森の奥に、その古びた屋敷はひっそりと佇んでいた。
一度足を踏み入れたら二度と出口へと辿り着かないと言われている迷いの森。妖魔の類が集う魔性の森であった。
そんな人気のない森の中を、屋敷に向かってゆっくりと進んでいく影が一つ。バアトリ=ブランベルジュである。

剣で貫かれた傷や、氷の刃で負った傷がじくりと痛む。
クウォーツを仲間に引き入れる交渉は残念ながら完全に決裂してしまったが、久々に血が滾った楽しい夜だった。
勝ち目のない戦いを、だが僅かな可能性を信じて立ち向かってきた彼らの姿は何よりも美しく扇情的だったのだ。

屋敷の扉を開け放つと、青白い顔色をした長い黒髪の男が彼を出迎えた。がっしりとした男らしい体躯の男だ。
名はレイヒマン。この者も人間達に復讐を誓った悪魔族の一人である。
バアトリが以前殺害した金持ちに奴隷の如く扱われていた実直な男で、今ではすっかりバアトリに心酔している。


「お帰りなさいませ、バアトリ様」
「レイヒマン。……何か変わったことはありましたか?」
「いえ、特には。しかしそのお怪我は一体どうされたのです。目をかけていた悪魔族を迎えに行ったはずでは?」
「交渉は決裂してしまいましてね。どうやら、わたくしが考えていた以上に彼は人間達に毒されていましたよ」

「境遇を救ってやろうと差し伸べたバアトリ様の手を振り払うどころか、あろうことか傷付けるなんて……!」


怒りのためにぶるぶると小刻みに震えるレイヒマン。
彼はバアトリに対して尊敬の念だけではなく、密かに愛情を抱き続けてきた。決して実るはずのない想いである。
何よりもバアトリを優先し、彼の一番近くで支え続ける。それだけで幸せだと思っている。そのはずだったのに。

「バアトリ様をそこまで傷付けたその悪魔族、今すぐにわたくしが始末して参ります。悪魔族の恥さらしめが!」
「ふふふ、まぁ落ち着きなさいレイヒマン。無理ですよ。クウォーツさんはあなたよりも強いのですから」
「!」
「容姿の美しさも然る事乍ら、彼の戦闘力をこちら側に引き込むことができなかったのは実に残念ですねぇ……」

「……バアトリ様がそこまで執着されるなんて珍しいですね」
「壊し甲斐のある楽しい玩具を手に入れた心境です。ふふふ、彼らは近いうちに必ずこの屋敷に訪れるでしょう」


ぺろりと赤い舌で唇を舐めると、バアトリは表情を歪めて見せる。この屋敷に訪れた時が彼らの最期だろう。
全く興味がないために名前も覚えておらぬ女二人と大男は、捕らえて地下の拷問部屋にでも閉じ込めておこうか。
ジハードは少しの間だけ生かしてやってもいいかもしれない。彼は人間にしてはなかなか魅力的な美青年だった。

そしてクウォーツには……最後のチャンスをやろうではないか。
彼さえ首を縦に振るだけで、最高の待遇を用意してやるというのに。何故分かってくれないのだろうか。
これ以上我々の誘いを拒むというのなら、拒んだことを心底後悔するような制裁をクウォーツに与えるしかない。


「バアトリ様?」
「何でもありませんよ。さあ、彼らを迎えるための準備をしなければなりませんねぇ。サーリッヒ達はどこへ?」
「ロクサーヌの森を見回っております。最近はこの森に足を踏み入れる愚かな人間どもが増えてきましたからね」
「足を踏み入れれば、血を奪われ、拷問死する末路だというのに……懲りない奴らですねぇ」


ロクサーヌの森に迷い込んだ人間達は捕らえ、血を奪うか観賞用の拷問に使うかのどちらかであった。
もしも捕らえられたのがバアトリが好んでいる若く美しい男ならば、もっと別の運命が待っていただろうが……。
残念ながら美しい男など滅多にいるはずがない。だからこそ出会えた時に血が滾るのだ。相手が強ければ、尚更。

怪訝な表情を浮かべているレイヒマンを残したまま、バアトリは満足そうに長い廊下を歩き始めたのだった。





+Dead+Alive+