Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第14章 BLACK・KNIGHTS
第161話 BLACK・KNIGHTS -3-
耳障りな金属音と共に飛び散る火花。
クウォーツの妖刀幻夢と黒騎士の銀色に輝く大剣が激しく打ち合い、交差し、薄暗い廊下に何度も火花を散らす。
一見するとレイピアのように細身の妖刀幻夢は刃毀れ一つしていないが、黒騎士の剣は段々と痛み始めていた。
「これだけ打ち合っていても刃毀れをしないとは。その剣、相当な代物だろう。そして使い手もそれに相応しい」
「……」
「動きは流れるように軽やかで、だがこれほどの速さを保ちながらも全ての一撃が正確だ。まるで剣の舞だな」
目にも留まらぬ速さで次々と繰り出されるクウォーツの剣戟に、黒騎士は思わず感嘆の声を洩らした。
たかが五名の囚人達ごときに、精鋭揃いの黒騎士団が五人も駆り出された理由を漸く理解することができたのだ。
視界の悪い鉄兜を身に着けたままで勝てるような容易な相手ではないと悟った黒騎士は、己の兜を投げ捨てた。
兜の下から現れた黒騎士の素顔もまた、クウォーツとそう歳の変わらない若い青年であった。
だが普通の青年とは思えぬ、鷹のような瞳をしていた。数々の修羅場を経験した者のみが持つことのできる瞳だ。
「たとえ王の命令がなくとも、お前を是が非でもゾルディスへ連れて行きたくなったよ」
「何故」
「黒騎士団に入らないか? お前ほどの美貌と剣の腕ならば、我が王も側に置きたいと一目で気に入るだろうな」
「それで私を口説いているつもりか」
「一応そうなるかもな」
「私を口説き落としたいのならば、もう少し気の利いた言葉を勉強してこい」
感情のない声で呟いたクウォーツは、黒騎士の振り下ろした剣を紙一重でかわした。切られた青い髪が数本舞う。
傍目からは互角に思えたこの勝負だった。しかし、実際には大きく実力差のある勝負であったのだ。
「貴様もなかなかの腕だった。人間でありながら、私の動きについてこれるとはな」
「なんだと?」
「安心しろ。苦しまずに殺してやる」
なかなかの腕『だった』。……クウォーツの言葉が、既に過去形であることに気付いた黒騎士が眉を顰めた瞬間。
妖刀幻夢は鎧ごと黒騎士の心臓を貫いていた。
目を見開いたまま声もなく床に倒れた黒騎士の青年を一瞥すると、クウォーツは数回剣を振って血糊を落とした。
「風伯の陣 !」
こちらに剣を振り上げてくる二人の黒騎士に向かって、素早く詠唱を終えたジハードが右手を突き出した。
彼の合図と共に虹色の魔法陣が浮かび上がり、魔力で生み出された鋭い真空の刃が次々と黒騎士達に襲い掛かる。
暫くは魔法防護力の高い白のマントで防いでいたが、高い魔力を持つジハードの極陣の前では既に限界であった。
まるで布を切り裂くが如く鉄の鎧を切り裂いた真空の刃は、黒騎士達の肉をもじわじわと削り取っていく。
周囲に飛び散った血や肉片。その鮮やかな色を険しい表情で眺めていたジハードは、思わず目を逸らしてしまう。
傷付ける力を持つというのはこういうことだ。そして、その力を手にすることに責任を持たなければならない。
自らの手を汚さずに相手を傷付ける『魔法』という力を、ジハードの上の兄は酷く嫌っていたことを思い出した。
「……ジハード。戦闘中に考え事をしていると、命取りになりますわよ」
「リアン」
「色々とあって悩んでしまうこともあると思いますけど、今はここを切り抜けることだけを考えて下さいな」
隣に並んだリアンが、そっと小さな声で呟く。
彼女のカーネリアンの瞳を暫く眺めていたジハードだったが、そうだね、といつもの柔らかい笑みを浮かべた。
「姫様、お覚悟!」
メドフォード王国で平和に暮らしていた頃は、ガリオンが剣術の師匠であった。
数え切れないほど彼に剣の稽古を付き合ってもらっていたが、その時は大分手加減をしてくれていたのだろう。
今の彼の動きは、稽古の時とは比べ物にならないほど鋭い。本気でティエルを斬ろうとする覚悟が現れていた。
真剣な表情で剣を振り上げてくるガリオンを目にすると、ほんの一瞬だけあの頃に戻ったような錯覚を起こす。
穏やかな昼下がりの中庭で。大抵は親友のサイヤーが野次を飛ばしてガリオンをからかって。
真面目で堅物な印象が強いガリオンだが、幼なじみでもあるサイヤーの前では年相応の青年の姿を見せていた。
しかし今は稽古ではない。生きるか死ぬか、生死をかけた戦いであった。
「残念ですが姫様、あなたの動きは手に取るように分かる。長年剣を教えてきたオレに、あなたは勝てない!」
「……くっ!」
「あなたに剣術の基本を教えたのは誰ですか? このオレでしょう!」
重い一撃が両手に走る。
ティエルが右から仕掛けようとすると、ガリオンは既にお見通しだと言わんばかりに軽く受け止めて見せるのだ。
一歩引いて態勢を整えようとすれば剣で弾き飛ばされる。床に着地するタイミングを狙って足元を抄われる。
背中を壁に打ち付けたティエルは激しく咳き込むが、それでも決してイデアを手放すようなことはしなかった。
下を向いて呼吸を整える彼女の瞳に、床に落ちたガリオンの影がぴたりと歩みを止めるのが映った。
「やはりメドフォードにいた頃とは違いますね。あなたは強くなった。だが、オレにはあなたの動きが見える」
剣の全てをガリオンから学んだ。実力も歴史も違う。
若くしてメドフォード騎士団の副騎士団長にまで上り詰めた彼には、ティエルなどまだまだ未熟に見えるだろう。
改めて実力の違いというものを思い知らされた。全く歯が立たないのだ。何をしても動きを読まれてしまう。
「その程度では国を取り戻すことなど不可能です。返り討ちに遭って捕らえられ、処刑されるのが関の山」
「……」
「知っていますか姫様。メドフォード城は現在、左大臣ゲードルが率いるアンデッド達が占拠しているんです」
「左大臣ゲードル……」
「王と名乗り、民に重い税を課し贅沢三昧の日々。周辺諸国との国交は断絶。思想犯は問答無用で打ち首ですよ。
あの頃の平和だった王国の面影など既にありません。……国民は皆、あなたの生存を信じて待ち続けています」
ガリオンの言葉に思わず顔を上げるティエル。
公式には死んだと発表されている王女を待っている? メドフォードの人々は信じて待ってくれているのか。
こんなにも無力で、不甲斐無い自分を待ってくれている。それなのに、こんな場所で立ち止まっているなんて。
早く立ち上がらなくては。……嬉しさとやるせなさ、そして己の無力さに。ティエルの瞳から涙が零れ落ちる。
次々と溢れ出していく涙は、彼女の頬を伝って冷たい床に小さな水溜りを作っていった。
「さあ、そろそろ終わりにしましょうか。黒騎士も一人殺られてしまったようですし。さすが悪魔族の伯爵閣下」
「ガリオン」
「オレはあなたの思いを、この剣で受け止めましょう!」
終わらせなければならない。手を付いて静かに立ち上がり、強くイデアを握り直す。涙はもう出てこなかった。
ティエルが地面を蹴ったと同時に、彼女から距離を取っていたガリオンも剣を構えながら駆け出した。
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「えっ!? 姫様、今なんとおっしゃいました?」
とある昼下がりの騎士休憩所にて。
午前の厳しい稽古も終わり、木陰で休んでいた金髪の少年は突然の来訪者である幼い少女の物言いに飛び起きた。
金髪の少年の名はガリオンといった。まだまだあどけなさの残る、整った顔立ちの騎士見習いの少年であった。
来訪者の少女はティエル。艶のある栗色の髪を肩まで伸ばした愛らしい少女で、このメドフォードの幼き姫君だ。
本来であれば、単なる騎士見習いのガリオンが口を利けるような相手ではない。
そんな雲の上のような存在である姫君が、くりくりとした大きな瞳を輝かせながら頼みごとをしてきたのだった。
「わたし、けんをならいたいの!」
「剣って……剣術ですか」
「そうだよ」
「いやいや、ちょっと待って下さいよ。姫様が剣を握る必要はありません。そのためにオレ達がいるんですから」
「だってガリオンたよりないし」
「ぶはっ」
背後から笑いを吹き出す声。思わずガリオンが振り返ると、にやにやと笑みを浮かべたサイヤーが立っていた。
近所の幼なじみでもあり悪友でもある。軽薄そうな見た目とは裏腹に努力家で、同期の中でもトップの実力だ。
昔から妙に馬が合ったため、気付けば十数年一緒に過ごしているような気がする。
「剣くらい教えてもいいじゃないか、ガリオン。こうして我らの姫様が可愛らしく頼んで下さっているんだ」
「お前な、他人事だと思って! 姫様にお怪我でもさせたら大変だろ?」
「まぁ未熟者のガリオンじゃ、姫様のお願い一つ叶えることなんてできないよなー。ああ、お可哀想な姫様!」
「ガリオン、おしえてくれないの?」
「いやしかし……サイヤーの言うとおり、確かにオレは未熟者です。それに、姫様は剣を握るには幼すぎます」
きらきらとしていたティエルの瞳が次第に曇っていき、大粒の涙を溜め始める。
まずい、このままでは姫君を泣かせてしまう。慌ててガリオンは彼女の前に跪き、恭しくその小さな手を取った。
「で、ではこうしましょう! オレが正騎士になった時。必ず剣を教えます。だからそれまでお待ちください」
「ほんとに?」
「はい、お約束します」
「うれしいな。やくそくだからね? ガリオン!」
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激しい音が鳴り響き、ティエルとガリオン両者の剣が互いに弾き飛ばされて勢いよく遠くへと転がっていった。
その音に黒騎士やジハード達も戦いの手を止めて二人を振り返る。
暫くの沈黙の後、じんじんと痺れる己の右手を信じられぬように見つめてから口を開いたのはガリオンだった。
「お見事です、姫様。まさかこのオレから剣を奪うとは……今回は引き分けということにしておきましょうか」
「……」
「五対四で相手をしていてもこの失態。オレが想定していた以上にあなた方は強かった。一旦引き上げましょう」
「ガリオン!」
「姫様」
思わず一歩前に踏み出したティエルに、ガリオンは昔のままの柔らかい笑みを浮かべながら歩み寄っていく。
少し迷ったような様子を見せてから、彼はティエルの両肩に優しく触れた。
……このおてんば姫にいつも自分は振り回されてばかりだったけど。それでも、そんな毎日がとても幸せだった。
彼女の成長を誰よりも近くで見つめていたかった。もう叶わぬ夢だけど、願うだけならば罪ではないはずだ。
何かを吹っ切ったようにティエルから静かに身を離したガリオンは、懐から取り出した包みを彼女へと渡した。
「これは……?」
「オレからの餞別です、きっと姫様の旅に必要なものでしょう。どうか、ご無事で」
深々と頭を下げ、仲間の遺体を肩に担いだガリオンは背を向けて歩き始めた。他の黒騎士達も彼に続いていく。
遠ざかっていく後ろ姿を立ち尽くしたまま見つめていたティエルだったが、堪え切れずに思わず彼の名を呼んだ。
一瞬だけ振り返るような素振りを見せたガリオンは、振り返ることはせずにそのまま歩き去ってしまう。
「……ティエル……」
彼らの姿が完全に見えなくなった頃、肩の力が漸く抜けたジハードやリアンがティエルへと顔を向ける。
大丈夫だよ、と彼らに向かって力ない笑顔を見せたティエルは、先程ガリオンから渡された包みを開いて見せる。
中には角度によって様々な色に輝く宝石。封魔石イデアの欠けた一部分のジェムであった。
それを目にしたティエルは、唇を噛み締めながら包みを抱きしめたのだった。
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