Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第15章 ダンス・マカブル - 愛しきあなたに花束を -
第165話 愛しきあなたに花束を -4-
大通りでクウォーツと口論をしてから、ジハードは頭を冷やすために夜の町をあてもなく歩き続けていた。
先程は思わず頭にきてクウォーツに言い返してしまったが、改めて考えてみると彼の考えも理解できなくはない。
戦う力を持たない悪魔族が生きていけるほどこの世界は甘くはない。恐らく彼は奪われ続ける人生だったのだ。
だからこそ強さに拘り続けた。奪われたくなければ、奪う側に回ればいい。弱者を踏み台にして生きていこうと。
しかし。弱者を踏み台にして生きていくと言った彼は、いつも誰かを、己よりも弱者を守って傷付いている。
彼は誰よりも速く動けるがゆえに、誰かに迫る危険をすぐに察知してしまう。そして、救えるのも彼だけだった。
本来であれば負うはずのなかった怪我ばかりを負っている。それは治療をするジハードが一番よく知っていた。
『貴様のその甘さが、いつか必ず命取りとなる。……昔、貴様と同じような甘いことを言っていた男がいたんだ。
そいつは死んだよ。戦う力を持たない、戦おうともしないどうしようもなく弱い奴を守って呆気なく殺された』
戦う力を持たない、戦おうともしない弱い奴とは恐らく過去のクウォーツ自身のことを指しているのだろう。
彼は後悔している。己の所為で『ジハードと同じようなことを言っていた甘い男』を、死なせてしまったことに。
後悔し続けているからこそ、同じことを口にしたジハードを完全に否定するようなことを言ったのかもしれない。
死なせてしまった『彼』と同じ目に、遭わせないように。
クウォーツの真意に気付いたジハードは、ぴたりと足を止め、それからホテルまでの道のりを全力で駆け続けた。
何故気付かなかったのだろう。気付くことができなかったのだろう。
いや、気付いていたはずだ。初めて出会った時からクウォーツは、ジハードと『彼』を重ねて見ていたことに。
昔から知っているような眼差しで彼はジハードを見つめていた。初めの頃は、却ってそれが嬉しく思えたのだ。
ティエル達の前では殆ど隙すら見せないクウォーツが、ジハードの前では年相応の青年の顔を見せていたためだ。
確かに初めの頃は嬉しく思っていた。しかし、時が経つにつれて……逆にそれが苦しいと感じるようになった。
ぼくを見ながらクウォーツは一体誰と話しているのだろう。瞳に映っているのは、本当は誰なんだろうと。
だからこそジハードは、彼に『残酷だ』と言った。ぼくを見ながら違う誰かと話しているあなたは残酷だ、と。
今すぐクウォーツに言ってやりたい。もう死者に囚われ続けるのはやめろと。いい加減自分を解放してやれと。
『彼』は確かに死んでしまったのかもしれない。
けれどあなたの目の前にいるぼくは、生きている。……生きて、ずっとあなたの側にいることができるのだと。
「クウォーツ……?」
扉を力任せに蹴破ったジハードは、思いもよらぬ部屋の中の惨状に暫し呆然とした表情で立ち尽くしていた。
引き裂かれたカーテン、床に飛び散る血飛沫。臓物を撒き散らした吸血蝙蝠達の死骸。一体中で何があったのだ。
中にいるのは二人の男。一人はジハードが今一番会いたかった青年で、もう一人は一度だけ戦ったことがある男。
扉越しに普段と何一つ変わらぬ返答をしていたはずのクウォーツは、虚ろな表情でぼんやりと宙を見つめていた。
服はずたずたに切り裂かれ、首から胸にかけて赤く染まっている。両腿に突き刺さった鞭は貫通しているようだ。
ぐったりとした様子の彼の首筋に牙を突き立てていたのは、かつてバアトリと名乗った中年の男であった。
次の瞬間、バアトリが飛び上がった。
はち切れんばかりの殺気。はっと我に返ったジハードはすぐさま戦闘態勢に切り替え、虹の魔法陣を出現させる。
空中のバアトリに魔法陣が絡み付き、彼を巻き込んで爆発を起こす。
狭い空間での爆風に術者であるジハードですらバランスを崩して地面に手を付くが、瞬時に体勢を立て直した。
「しっかりしろクウォーツ、ぼくが分かるか!?」
床に転がったままのクウォーツに駆け寄ったジハードは、力の抜けた彼の身体を抱き起こした。
顔色は蒼白で、唇も赤みを失っている。出血部位を調べている暇などはない。一刻も早く止血しなければ危険だ。
彼の両腿にはバアトリの鞭の残骸が深々と突き刺さったままである。この分では骨も粉々に砕かれているだろう。
「どうして助けを求めなかった? さっきまで扉越しにぼくと話していただろ? それなのに、どうして……!」
焦りを覚えながらもジハードは全力で治癒魔法を発動させる。
急速に傷口が塞がっていくが、間髪を容れずに再び皮膚が裂けていく。治癒魔法の回復速度が追い付かないのだ。
治癒魔法の回復速度よりも命の灯火が燃え尽きる方が早い。ああ、同じような光景を何度も目にしたことがある。
「ちっくしょう! どうして、あの時ぼくに助けを求めてくれなかったんだよ!!」
絞り出すようにして声を発したジハードは、クウォーツの両腿を床に縫い留めている鞭の残骸へと手を伸ばした。
恐らく治癒魔法の効果を奪い取っている原因はこのサタネスビュートだ。こいつが全て吸収してしまっている。
痛いだろうけど暫くの間だけだから我慢して、と口にすると、ジハードは鞭を掴んで両腿から一気に引き抜いた。
手に伝わる嫌な感触。赤い血に染まった鞭の残骸が姿を現す。まるで生きているように先端が蠢いていた。
激痛にびくんと跳ね上がったクウォーツの身体を抑え込むように、直接傷口に触れながら治癒魔法をかけ続ける。
生半可な治癒では傷口はすぐに裂けてしまい、クウォーツに苦しみを二重に味わわせてしまうことになるだろう。
魔力を枯渇させる勢いで集中しなくてはならない。眉間にしわを寄せたジハードは、全意識を集中させていたが。
「わたくしを前にして、そんな悠長に傷を治している時間はないはずですけどねぇ?」
爆風が晴れ、バアトリの姿が月明かりに照らされて浮かび上がる。
周囲のシーツやカーテンを焦がした爆発の魔法は、バアトリに軽い火傷を負わせる程度で済んでしまったようだ。
元々悪魔族は魔法防御力が高いと、どこかで聞いたことがあった。魔術師であるジハードには不利な相手である。
「見目麗しい青年達の儚い友情ごっこを眺めているのも悪くはないですが、わたくしが無視されているのもねぇ。
あなたはジハードさんでしたっけ。何も知らない振りをしてさっさと逃げていれば、死なずに済んだものの」
「……」
「さぁて、ジハードさん。今度はあなたがわたくしのお相手をして下さるんですかねぇ?
クウォーツさんは戦える状態ではないですし。まぁ……彼の乱れる姿を、散々拝めたので良しとしましょうか」
「黙れよ、うるさいな」
心底忌々しげな表情を浮かべたジハードは舌打ちをしてから治癒魔法を中断し、鋭い瞳でバアトリを睨み付ける。
彼の手にしたリグ・ヴェーダは暗い部屋の中でもぼんやりと淡い虹色の光を発しているように見えた。
「バアトリ、あなたは何度もクウォーツを仲間に引き込もうとしていたようだけど」
「ええ。残念ながら、交渉は完全に決裂してしまいましたがね」
「……だからここまでやったのか。意のままにならないクウォーツに腹を立て、ここまで執拗に痛めつけたのか」
「はい?」
「お前は思い通りにならない相手をひたすら辱めただけだ。ただ腹立たしさだけで、ひたすら彼を辱めたんだ。
お前がやったことは、こいつが人間達から受けてきた仕打ちと全く同じ行動なんだと何故分からないんだ!!」
素早く詠唱を済まし、バアトリに向かって右手を突き出した。
次々と生み出される虹の魔法陣がバアトリを包囲し、次の瞬間魔法陣は氷の刃となって標的に向かっていく。
それらを器用にもサタネスビュートで全て弾き飛ばしたバアトリは、赤黒く脈打った鞭を大きく振り下ろした。
風を切る音。殆ど反射神経でかわしたようなものだったが、風圧でジハードの左肩が大きく裂けてしまっていた。
バアトリの恐ろしさはよく覚えている。
こんな狭い部屋での戦闘で鞭を自在に操る彼は、今まで出会った敵の中でも最も手ごわい相手だと思っている。
だが負けるわけにはいかなかった。自分が死ねば、恐らくクウォーツも殺される。絶対に負けてはならないのだ。
既にクウォーツは戦えるような状態ではない。
声を発することすらできず、どこを見ているかも分からぬほど視線は虚ろだ。意識も朦朧としているようだった。
それなのに何事もなかったかのように、扉越しにジハードと会話を続けていた。部屋から遠ざけようとしていた。
「剣士のクウォーツさんでも勝てなかったのに、魔術師がわたくしを倒せるとでも思っているのですかねぇ?」
「それはどうかな。ぼくとしては、さっさとお前を倒して治療を続けたいだけなんだけどね」
「ふふふ。あなたも人間にしてはなかなか魅力的な美青年ですし、殺すのは惜しいですけど……仕方ありません」
「……ふざけるな!」
負傷した己の肩に構う暇などはなく、ジハードは次の極陣を放った。
魔法陣から生み出された稲妻を軽やかに飛び上がって避けたバアトリは、薄い笑みを浮かべながら向かってくる。
悦楽。バアトリの表情はこの上ない悦楽に満ち溢れていた。他人を痛めつけることによって欲情しているのだ。
決して敵に回してはならない相手。その表情に本能で寒気を覚えたジハードに、ほんの僅かな隙が生まれた。
悪魔族を相手にして、魔法の発動が一瞬でも遅れてしまうと大きな命取りとなる。それがバアトリならば、尚更。
血に飢えた毒蛇の如くサタネスビュートは哀れな獲物に襲い掛かる。
力なく床に転がったままのクウォーツは、ぼんやりとした虚ろな瞳でその光景を眺めていた。
声を発そうと口を開いても、掠れた空気のようなものが漏れるだけ。意識を保ち続けるのもそろそろ限界だった。
それほどまでバアトリの吸血は彼の体力と精神力を根こそぎ奪っていたのだ。
部屋から遠ざけたはずだった。それなのに何故ジハードはここにいるのだろう。全てが無駄になったじゃないか。
もう、無理だ。あいつも殺される。また守りきれなかった。あの夜から、何一つ変わることができなかったのだ。
あの夜の『*****』のように、どうしようもなく弱い奴を守って呆気なく殺されるんだ。
……だが、動けないはずの身体が何故か動いた。
骨の砕かれた両足で立ち上がり、無意識のうちに妖刀幻夢を握り締めてバアトリに向かって駆け出していたのだ。
驚きに歪んだバアトリの顔。目を見開き何かを叫んでいるジハード。視界にそんな光景が映ったような気がした。
もう二度とあの夜を繰り返すことはさせない。自分は奪われる側じゃない。そのために強さを求め続けたのだと。
「アレクシス!!」
ジハードの聞いたことのない名を叫びながら、彼の前に飛び出したクウォーツの剣と腕に次々と鞭が絡み付いた。
次の瞬間クウォーツの華奢な身体は軽々と宙に放り出され、勢いよく地面に叩き付けられていた。
バアトリがそれだけで済ますはずはなく、絡み付いたままの鞭は再び彼を宙に吊り上げると遠心力で放り投げる。
廊下の壁まで飛ばされて背中を強く打ち付けたクウォーツは、悲鳴すらもなくずるずると壁をずり落ちていった。
「クウォ……っ」
迷わずジハードは廊下まで放り出されたクウォーツを追おうと駆け出したが、唇を噛み締めて足を止める。
彼が作ってくれた隙を無駄にするわけにはいかない。バアトリを倒す。それが今一番優先せねばならないことだ。
必死の思いで足を止めたジハードは、振り向きざまに渾身の力を込めて風の刃をバアトリに打ち込んだのだ。
「うげっ!?」
思いもよらぬ攻撃に、さしものバアトリも避けきれずに不自然な体勢のまま風の刃で切り刻まれる。
ぐらりと前のめりになったバアトリに追い撃ちをかけるように、ジハードによる更なる風の刃が次々と彼を襲う。
七発目の極陣を放つと同時に部屋から飛び出したジハードは、廊下の壁に凭れたままのクウォーツに駆け寄った。
さすがにこれほど大きな騒ぎになった今、廊下の扉から次々と不安げに宿泊客達が姿を現しているようである。
一体何があったんだ、大丈夫か、血だらけじゃないか、医者を呼ぼうか、それとも保安官を呼んだ方がいいのか。
集まってきた宿泊客達が口々に叫んでいたが、返答する気すら起きずにジハードはクウォーツを抱き起こす。
今までぴんと張りつめ続けてきた精神力が切れてしまったのか、既にクウォーツは意識を手放してしまっていた。
医者や保安官を呼んでも意味がないのだ。むしろ詮索されてクウォーツが悪魔族だと知られるわけにはいかない。
必ず守ってみせる。この先、何があっても必ず守ってみせると。……そうジハードは心に誓った。
「……ふふふ、さすがのわたくしも今の攻撃は効きましたよぉ。どうやら大騒ぎになってしまったようですねぇ」
全力で治癒魔法をかけ続けているジハードの背に向かって、むくりと上半身を起こしたバアトリが声をかける。
恐ろしいほどの打たれ強さである。あれほどの攻撃を受けていながらまだ動ける余裕があるのだ。
生きていたのかよ、と忌々しさを隠さずに呟いたジハードは治療の手を止めぬままゆっくりと背後を振り返った。
「まだやる気かい」
「ええ。そうしたいのは山々ですけど、わたくしも若干疲れました。無粋な見物客も増えてきてしまいましたし」
「それで?」
「なのでわたくしの館で決着をつけることにいたしましょう。あなた方を特別にわたくしの館へ招待いたします」
「……あなたと決着をつけることに、ぼくらに得があるとでも? できれば金輪際関わりたくはないね」
「それでもあなたは行くしかないでしょう。イデアのジェムの一つは、このわたくしが所有しているのですから」
「!」
「イデアのジェムが欲しいのならば、必ずおいでなさい。ロクサーヌの森の奥で、わたくしは待っておりますよ」
バアトリの姿を目にした宿泊客の一人が、もしかしてあれは悪魔族なんじゃないのか、と叫んだ。
たちまち周囲から上がる悲鳴。恐怖に慄く表情を浮かべる宿泊客達に向かって妖艶な笑みを浮かべたバアトリは、
窓枠を蹴り上げて夜の闇へと姿を消した。またもや上がる悲鳴。この部屋は十八階なのだ。落ちれば即死である。
「お、おい。今落ちた男……どこにもいないぞ!」
「嘘だろ……だってこの高さから落ちて助かるはずがねぇ」
「いや、悪魔族だったらありえるかもしれねぇ。あいつら化け物だから、何でもありなんだよ」
バアトリが窓の向こうに姿を消すと、勇敢な宿泊客の何名かが窓の外を覗き込むが……そこには誰もいなかった。
忽然と夜の闇に姿を消してしまったのだ。
夜風に吹かれてゆらゆらと揺らめくカーテンを暫く眺めていたジハードは、やがて視線をクウォーツへと戻す。
いつまでも彼を宿泊客の目に晒し続けるわけにもいかない。こんな人の多い廊下では応急処置しかできなかった。
静かな場所で治療を続けたかったが、彼らの部屋は現在バアトリとの戦いのためにぼろぼろの状態であった。
そんなジハードの元へ、騒ぎを聞きつけたホテルの支配人と思われる男が青い顔をしながら近付いてきたのだ。
「……ちょっとお客様……困りますよ。一体何をどうしたら部屋がこんな惨状になるんですかね……?」
「すまない。揉め事に巻き込まれてしまってね」
「揉め事で済むような問題ですかぁ!? あなたも、その倒れている青い髪の男性も血だらけで……ひぃぃい」
「壊した備品は全て弁償させていただくよ、勿論掃除代も全てね。だから通報はしないで穏便に済ませてほしい」
「通報はしないでって……これ以上の揉め事は本当に勘弁してくださいよぉぉ」
「それともう一つ、図々しいついでにお願いがあるんだけど」
「えっ?」
「三倍の宿泊費を出すから、もう一つ部屋を貸してほしい」
相手に拒否権を与えない、ジハードの満面の笑みである。彼はこの笑顔一つで世の中を渡ってきたようなものだ。
最初は揉め事はごめんだと口にしていた支配人であったが、最後はジハードの申し入れを渋々承諾したのだった。
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破壊された部屋に集まる野次馬達が漸く引いた頃、新たに借りた同じ十八階の部屋でジハードは溜息をついた。
目の前には、未だ目を覚まさないクウォーツが横たわるベッドがある。
全力で治癒魔法をかけ続けたお陰か、出血は止めることができたようだ。後は彼の自然治癒力に頼るしかない。
両腿の骨は想像していたとおり砕かれており、治癒魔法を以ってしても歩けるようになるまで一週間以上かかる。
歩けるようになってからも暫くの間は激しい動きを避けなければならない。戦闘など以ての外だ。
しかしいくら治癒魔法といえども、吸血によって衰弱してしまった体力までもを回復させることは不可能である。
何故クウォーツは助けを求めなかったのだろうか。あの時ジハードが扉を開けていなければ、今頃殺されていた。
支え合って生きていくことを完全に否定していた彼は、助けを求める行動自体が許せなかったのだろうか。
それとも……いや、考え続けていても答えなんて分かるはずがない。あの時の彼しか分からないことなのだから。
「あのさ、クウォーツ」
向かいのベッドに腰掛けたジハードは、返事がないとは知りつつも彼から視線を外すと寂しげな笑顔を浮かべた。
勿論ジハードの問い掛けに答える声はない。それでも構わずに先を続ける。
「一体どうすれば、あなたは過去の幻影から解放されるんだろう。死者に囚われて生きていくのは辛いだけだよ」
相手に届いていないと分かっていても、口に出すとほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。
あの瞬間。クウォーツは意識が朦朧としていた。そんな時だからこそ、偽りのない真実の言葉が出ることがある。
今日は何もかもが疲れた。これ以上考えるのはやめよう、と。ジハードは力なくベッドに倒れ込むと目を閉じる。
「ぼくの名前は……アレクシスじゃない」
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