Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第16章 全ての生ある者たちへ

第198話 全ての生ある者たちへ




祝賀パーティーの夜から三日が過ぎ、メドフォードはかつてミランダが健在だった頃の活気を取り戻しつつある。
ゲードルの悪政に抑圧されていた国民には生き生きとした笑顔が戻り、皆一丸となって復興に力を注いでいる。
地下牢にて捕らえていたアンデッド兵は、魔力の効果が完全に切れており物言わぬただの骨の残骸と化していた。

その光景はアンデッドとなって目の前で崩れ落ちたゴドーの姿を彷彿とさせた。
死んだ者は皆平等に弔うのがモンク僧の掟なのだと、サキョウとティエルの二人は屍達に黙祷を捧げたのだった。







「見送りはここでいい。まぁ、のんびりとベムジンに帰ることにするさ。散歩には実に心地の良い天気だしな」

大きな荷物をサキョウはよいしょと背負い直し、見送りに来たティエルとジハードに向かって明るく笑いかける。
空は雲一つない晴天。ここはメドフォード城下町から二十分ほど歩いた場所にある二つの森への分かれ道だった。
道の前には大きな看板が立っており、左に進めばマンティコラの森。右に進めばフラワーガーデンの森である。
サキョウの目指すベムジン寺院は左のマンティコラの森に沿って進む。彼の足なら一日で森を抜けられるだろう。


「サキョウ、間違って森の奥深くに進んで行ったら駄目だよ? こわーいマンティコラが襲ってくるんだから!」
「わはは。方向音痴のお前じゃあるまいし、この旅慣れたワシが道を間違えるわけがないだろう」
「ひどーい」

「……頼りないティエルは勿論のことだけど、案外サキョウもそそっかしいからな。ぼくは割と心配なんだけど」
「う、うむ。大丈夫だ! 黄色の花に誘われぬように進んで行けば、マンティコラには遭遇せんだろう」
「ひどいよ二人とも。方向音痴だとか頼りないだとか、わたしだってこの旅の中で少しは成長したんですぅー」

サキョウの軽口と、ジハードの容赦ない追撃に思わず頬を膨らませるティエル。どう見ても単なる子供である。
こんな様子を見ていると、自ら剣を手にして国を取り戻した勇ましい姫君には到底見えない。
だがティエルはそれでいいのだとサキョウは思う。常に気を張っていては、いつかは疲れ果ててしまうのだから。


「気を付けてね、サキョウ。あとシグン大僧正さんにもよろしくって。落ち着いたらきちんとお礼に行くからね」
「それは大僧正様もお喜びになる。あのお方はお前を孫のように思っておられるからな!」
「……うん。わたしにはおじいさまの記憶はないけど、あんなおじいさまがいたらものすごく素敵だなって思う」

そう言ってから、ティエルはにっこりと笑みを浮かべて見せる。一見すると普段と変わりのない笑顔に見えるが、
長い時間共に過ごしてきたサキョウやジハード達を誤魔化せるほど、完璧な笑顔ではなかった。

「ティエル、お前は大丈夫なのか」
「えっ、何が? ……ああ、復興のこと? そりゃあもう色々と大変ですが、みんなと一緒に頑張ります!」
「……そうだな」
「サキョウこそ、ベムジンで修行の再開なんだから頑張ってね。ゴドーのお墓を作りに行くときは連絡してよ?」

「うむ、必ず連絡をする。毎月必ず手紙も書こう。ジハード、お前も元気でな。ティエルをよろしく頼んだぞ!」
「あはは。暫くティエルのおもりでも続けてみるよ。役目を終えたら、一人で世界を巡るのも悪くはないかな」
「世界を旅するの? いいなあ、その時はわたしも連れて行ってよ!」

「何言ってんのさ、駄目だってば」


ジハードのけち、と唇を尖らせるティエル。当たり前じゃないかと溜息をつくジハード。
そんな光景を微笑ましく眺めていたサキョウは、大きな手を伸ばすと二人の頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
完全に子供扱いである。そんな唐突なサキョウの行動に、ティエルとジハードは驚いたように目を瞬いて見せる。

「二人とも、辛いことを無理に乗り越えようとするんじゃないぞ。泣きたい時はいつでもワシの胸を貸してやる」
「サキョウ」
「まったく……クウォーツも黙って行ってしまうし、あいつはすぐ一人で結論を出したがる仕方のないやつだな」


そう言ってから、サキョウは大きく手を振りながら歩き始めた。
段々と遠ざかっていく大きな彼の背にティエルと共に手を振っていたジハードだったが、ふと小さな声で呟いた。

「馬鹿だな、いつも人の心配ばかりして。頼れる大人であろうとしてさ。……本当は自分だって泣きたいくせに」







「あー……剣の稽古がしたいよぉ。大きなチョコレートケーキをお腹いっぱいに食べたいよぉ」

亡きミランダが愛用していた机に突っ伏しながら、大量の書類を前にしてティエルは実に情けない声を上げる。
剣の稽古をする時間など、仕事に追われ続ける最近は全くというほどなかった。
日々授業を受け、就寝近くまで書類の山に目を通し、解放されればベッドに突っ伏すようにして眠っていたのだ。

執務室にはティエルのサポート役としてトーマ大臣が隣室に控えている。
サポート役とは銘打っているが仕事の大半を請け負っており、尚且つ彼女が抜け出さぬように目を光らせていた。
書類に目を通せと言われても、政策や経済のことはさっぱり分からない。皆で復興を頑張ろう、では駄目なのか。


「トーマ大臣。おばあさまは毎日こんな量の仕事をしてたの? 国を立て直す今が一番大変なだけだよね?」
「弱気になってはいけませぬぞ。姫様が成人されるまでは、わたくしどもがしっかりとサポート致しますとも!」

「ん? 謁見の間の修繕費って……なにこれ、こんなにお金がかかるの? 後回しでいいんじゃない?」
「いえいえ、謁見の間はメドフォードの象徴とも呼ばれる場所。崩壊したまま放っていいわけがありませぬぞ」
「そういうものなのかなぁー」
「そういうものなのです。ミランダ様も、きっと同じような決断をされるはずです」

深く頷いているトーマ大臣をぼんやりと眺めてから、ティエルは大きく開け放たれている窓へと顔を向ける。
風が気持ちがいい。可愛らしい鳥のさえずりも時折聞こえてくる。
ああ。本当に国を取り戻したのだなと。穏やかな日々が戻ってきたのだなと、ティエルは漸く実感したのだった。







「姫様、ティエル姫様ー!」

広い中庭に面した渡り廊下を歩いていたティエルは、自分の名を呼ぶ声に振り返る。
そこには、笑顔で手を振る茶の髪と黄色の髪をした青年二人の姿があった。万年見習い兵士のジョンとリックだ。
彼らもアンデッド兵達との戦いによって怪我を負っていたが、今ではすっかりと元気を取り戻したようである。

兵士隊長のモルダーや副隊長のアルビンを中心に、兵団はかつての活気を取り戻しつつあると報告を受けていた。


「あっ、ジョンとリック。段々と兵士詰所も活気が戻ってるみたいだね。また兵士採用テストに参加したいなー」
「聞いて下さいよ姫様。モルダー隊長ってば、地下牢に捕らえられていた割には滅茶苦茶元気なんですよ!?」
「ふっ。アルビン副隊長も日々隊長のフォローばかりで、いつか頭髪が全て抜け落ちてしまうでしょうねぇ」

「え……そうなの。アルビン可哀想に……」

ジョンは何よりも食べることが大好きなぽっちゃりとした体格の青年だ。色気よりも食い気が大半を占めている。
逆にリックはスリムな体型で、食い気よりも色気である。若干キザな性格で、侍女を目で追ってばかりなのだ。
そんな理由から、彼ら二人は万年兵士見習いであった。しかし一応やる時はやる……らしい。


「オレ達は丁度休憩中なんですよー」
「姫様はこれからどちらに? ……あれ、ティエル姫様……あまり元気がありませんね」
「そ、そうかな!? わたしはいつも元気すぎるくらい元気ですよーだ。これから昼食を取りに行くところだよ」

リックに指摘され、ティエルは思わず笑顔を浮かべて元気よく飛び跳ねて見せる。
そんな彼女を首を傾げて眺めていたリック達の背後から突然サイヤーが現れ、彼らの首根っこをむんずと掴んだ。


「こーら、お前ら。休憩からいつまで経っても戻ってこねぇって、モルダー隊長殿がカンカンに怒っていたぜ」
「げっ……サイヤーさん!? どうして騎士団のあんたが、ウチの兵士隊長のところへ……!」
「来週に控えた騎士団と兵士団の合同訓練の伝達で兵士詰所に寄っただけだってーの。サボってんじゃねぇよ」
「いやぁ、今から詰所に戻ろうとしていたところだったんですよぉ」

「調子のいい奴らだぜ。……姫様、すいませんねぇ。このバカども、オレが責任もって引きずっていきますから」


優雅に一礼をして去って行くサイヤーと、彼に首根っこを掴まれたまま引きずられていくジョンとリックの姿。
そんな彼らを笑顔で見送っていたティエルだったが、段々とその表情から笑顔が消えていく。
強く風が吹き、中庭に咲く赤い薔薇の花びらが舞い上がっていた。だが、求めている青年の姿はどこにもいない。

ぐっと唇を噛み締めたティエルは、それから真紅の吹雪が舞う空へと顔を向けた。







穏やかな、風が吹いた。
誰かに名を呼ばれたような気がして振り返った青年の夜色の髪を、風が弄んでいく。しかし辺りには誰もいない。

見渡す限りの草原の中に、ぽつんと建つ朽ちかけた教会。かつては賑わっていただろう跡が辛うじて残っている。
それはまるで、完全に信仰の途絶えてしまった神の墓標のようにも見えた。
佇んでいた青年クウォーツは、あまりにもこの神聖なる場に似つかわしくはない悪魔族と呼ばれる存在であった。

天井が所々抜けており、そこから光が差し込んでいる。薄暗い教会内に細々と差し込む光の糸。
本来であれば決して光に照らされることのない彼の青い髪は、差し込む光の筋によってそれは美しく煌いていた。
こつこつと、規則正しく静かな靴音を立てながら彼は祭壇へと進んで行く。


「……ギョロイア、お前の言ったとおりだったな」

折れて地面に倒れている巨大な十字架の前で立ち止まる。ぼろぼろで、所々黒ずんだ金の塗料が付いていた。
記憶を探すと言ってティエル達から離れはしたが、勿論手掛りなど全くない。別れる口実のようなものであった。
これ以上人間の側で、人間の振りをしているわけにはいかない。だからといって、悪魔族として生きる気もない。

クウォーツが選んだ生き方は、悪魔族でもなく人間でもない生き方だった。
双方から受け入れられなくてもいい。どちらにも関わることをせず、太陽の下でも月明かりの下でも生きていく。


「かつてお前が言ったように、誰一人愛せない私はあの城を出るべきではなかったんだ。お前は正しかったよ」

クウォーツの独り言は続く。リアンが最後に発した言葉も、結局理解することができなかった。
もっと早くに彼女の感情を理解できていれば、結末は違ったのかもしれない。今となっては分からないけれど。
自分が感情を理解できなかった所為で、多くの者を苦しめてきたのだろう。それでも未だに理解できないままだ。

それならば、もうこれ以上誰とも関わらずに生きていけばいい。……そう生きていかなければならない。
それでも。それでも、ハイブルグ城を出たことを決して後悔はしていない。これでよかったのだと思っている。


抜け落ちた天井から広がる青空に、彼とは対照的な見慣れぬ白い鳥達が群れを成して飛んでいくのが見えた。
白い鳥を眩しそうに目を細めながら暫く眺めていたクウォーツは、それから前を向いてゆっくりと歩き始める。

見上げた空は青く澄み渡り、やはり、いつ見ても光は眩しかった。







メドフォード城の裏手に位置する、よく陽の当たる墓所。ここには、メドフォード王家代々の者達が眠っている。
中でも一際真新しい大きな石の十字架。周囲には石楠花の花が咲いている。祖母ミランダが一番愛した花だった。
白の石楠花は決して目を引くような派手な花ではないが、それでも雑草に囲まれながらも堂々と力強く咲く花だ。

ミランダの亡骸は、あの夜惨殺されたままの場所で一年もの間放置されていたのだ。完全なる晒しものであった。
これで漸く祖母は安らかに眠ることができるのだろうか。さぞかし無念だっただろう。悔しかっただろう。
祖母の仇であるヴェリオルの首を、結局取ることができなかった。ティエルの敵討ちはまだ終わってはいない。


「ねえ、おばあさま」

一人墓所へとやってきたティエルは、目の前の大きな十字架へと語りかける。
勿論返事をする者はいない。

「……おばあさまが生きていたら、話したいことがたくさんあったんだ。信じられないような話ばかりだけど。
 家族みたいな大切な友達だってできたし、甘ったれて何もできなかったわたしが、魔物と戦ったりしたんだよ」

恐ろしいマンティコラと戦い、おとぎ話のような海底神殿を訪れて、怪しげな宗教団体の施設に忍び込んだり。
盗賊団を相手にしたこともあったし、エルキドという異国の文化に触れたこともあった。
色々な体験を話しているうちに、気のせいかティエルは優しい祖母の気配をふわりと感じたような気がしたのだ。
生前と同じように、彼女の話を優しく微笑みながら聞いてくれているのだろうか。


「あっ、そういえばわたし……一番大切なことをおばあさまに伝えていなかったね」

愛する祖母に語りかけるように暫く旅の話を続けていたティエルであったが、やがてはっと気付いて話を止める。
それから、笑顔を浮かべて口を開いた。

「ただいま、おばあさま!」






Lord of lords RAYJEND 第一幕  旅の幕開け -THE END-





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