Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第1話 王女ティエル
爽やかな風が吹き抜ける、広大なエンシルガルド大陸。
そのやや東寄りに位置する、四方を美しい湖と森に囲まれた水と緑の王国メドフォード。
ここ数年近辺で大きな戦もなく、作物は豊作続き。正に平和という呼び名がしっくりとくるような国であった。
国中に漂う穏やかで優しげな雰囲気は、この国を治めている女王ミランダの人柄によるものでもある。
しかし『こんな平和な世だからこそ、いざという時のために備えて兵力を強化すべきだ!』
……という百戦錬磨の兵士隊長モルダーの発言から、現在メドフォード城では兵士採用テストの真っ最中である。
国中から慕われている心優しきミランダのために、是非とも国を守りたいという若者の数は予想以上に多かった。
メドフォード城の北のはずれに位置する兵士訓練所の前は、志願に集う若者達でざわざわとごった返している。
採用テストといっても、いわゆる筆記問題というテストではない。
兵士志願達をトーナメント形式にして戦わせ、勝ち残った順に兵士見習いとして採用していく仕組みである。
戦士に学力はいらぬ、腕力だけで十分だ。という兵士隊長モルダーの理屈から決まったそうだ。
採用テストで使用する武器はヒノキで作られた木刀で、万一当たり所が悪くても命に係わる大怪我には至らない。
兵士訓練所の外までカンカンと小気味よい棒の打ち合う音が響き合っていた。
「うおお、すげえ!」
「一体何者なんだよ、あの兵士志願者は!?」
自分の番を待ちながら、今まで隣の者と雑談を交わしていた志願者達も目を見開いて中央の闘技場に顔を向ける。
そして兵士達の戦いに眉一つ動かさなかった兵士隊長モルダーも、ぴくりと片眉を上げて顔を上げた。
「あんなにちっこいガキなのに、あの荒くれボルテといい勝負だぜ!」
彼らの視線は、只今試合を繰り広げている一人の少年兵士志願者に向けられている。
闘技場では二人の人物が激しい棒の打ち合いを続けていた。長らく互角の戦いを繰り広げているようであった。
一人は厳つい大男。無精ひげを生やした粗暴な雰囲気の男である。
そして、もう一人は長い茶の髪を背後で結わえた小柄な少年。
まるで子供のように小柄な体型だ。健康的でふっくらとした卵形の輪郭に、どこか幼い印象を受ける大きな瞳。
勝負を心から楽しんでいるようで、少年の表情は実に明るい。
だが対する大男は少年とは裏腹に余裕のない表情を浮かべていた。気を抜けば負ける、そんな顔付きだった。
「このクソガキ……メドフォード城下町西のラッセン街のボスである、この荒くれボルテをなめるんじゃねぇ!」
「なめてなんかないよ。おにいさん、本当に強いなぁ」
「それがなめた態度だってんだよ!」
ちょこまかと素早く逃げ回る小柄な志願者に、ボルテはこめかみに血管を浮き上がらせながら棒を振り下ろした。
その一瞬を待っていたように少年は勢いよく飛び上がると、ボルテの引き締まった脇腹に一撃を食らわせる。
「ぐはっ!」
少年の一撃は、外見からはとても想像がつかないような重さであった。
脇腹を棒で殴打されて思わず地に膝を突いてしまったボルテだが、慌てて体勢を立て直そうと顔を上げる。
……その眼前にはヒノキの棒。
ボルテの顔に向けて、既に少年が棒を構えていた。これが実戦ならば間違いなくボルテは殺されているだろう。
「どうするおにいさん? まだ続ける?」
男にしては高い、少年の声。声変わりを迎えていないのだろうか。彼はボルテを試すような笑みを浮かべている。
「ま、まいったよ……! これ以上続けたら身がもたねえ。オレの負けだ、負け。完全に負けちまった」
完全に負けを悟ったボルテは、手に持っていたヒノキの棒を放り投げた。
身体に似合わず情けない声をボルテが発すると同時に、手に汗握っていた観衆から、わあっと歓声が上がった。
同じく少年も棒を地面に置くと、彼はその様子を満足そうに眺める。どこか誇らしげな表情であった。
「お前強いな……初めて負けを味わったぜ。まさかオレがガキに負けるなんてな。せめて名前を教えてくれよ」
「名前?」
げほげほと激しく咳き込みながら発したそんなボルテの言葉に、少年は暫く思案するような表情を浮かべた。
やがて彼は無造作に髪を括っていた紐をするりと解いて、ボルテに向かって手を差し出す。
髪を解いた途端、絹のように滑らかな栗色の長い髪がこぼれ落ちた。よくよく眺めてみると、少女だったのだ。
にっこりと愛らしくも幼い顔立ちに浮かべた笑顔はまるで太陽のように眩しく、そしていきいきとしていた。
「わたし、ティエル。よろしくね!」
「おいおいマジかよ、女だったのか。……ん? そういや、お前の顔……どっかで見たことがあるような……」
「そうかな?」
「ああ、お前みたいなちんちくりんのメスガキなんざ、接する機会なんてあまりねぇけど。どこだったかな」
どこかで見たことがあるような少女の顔。
地平線のように平らな胸に、若干肉付きがよい太腿。目を引く美少女ではないが、惹き付けるような魅力がある。
首を傾げつつも差し出された少女の手を握ったボルテの元に、血相を変えた兵士隊長モルダーが駆け寄ってきた。
「これ、荒くれ! 馴れ馴れしく手を握ってはならぬ、このお方は我が王国の姫君、ティアイエル様であるぞ!」
・
・
・
「ティエル姫様! 危険ですから訓練所には決して近付いてはならないと、何度申し上げたら分かるのですか!?
姫様に万一のことがあれば、このゴドー……腹をかっさばいてミランダ様にお詫びをしなくてはなりません!」
兵士隊長モルダーに訓練所から有無を言わさず引きずり出された兵士志願者ティエル……いや、
メドフォードの姫君ティアイエルは、教育係のゴドーにお説教をくらっていた。優に一時間は経過している。
ゴドー=タチバナ。彼はティエルがまだ幼かった頃から仕えている彼女の教育係である。
大きな鼻、小さな目。ふくよかな体格に短く切り揃えられた黒髪が特徴の真面目な男だ。ちなみに花の五十歳だ。
最近腹回りの肉が増加の傾向にあり、所謂酒樽のような体型を気にしているナイーブな面もあった。
「ごめんなさい、でもそんなに怒鳴らないでよ。……いずれこの国を守ることになる兵士候補の試合なんだよ?」
「それがなにか?」
「国民達と同じ目線を持ち、広いものの見方をしなさいってミランダおばあさまが仰っていたんだもーん」
拗ねたように頬を膨らませ、ティエルは自室の椅子に腰掛けながら口を開く。
所在無げに足をぷらぷらと振っていた。その様子を眺めていると、到底お姫様とは信じがたいお転婆少女である。
「今年の兵士志願者は、あまり歯ごたえがなかったような気がするな。……わたしが戦った方が役に立つかも!」
「姫様、戦いに関しては兵士や騎士達にお任せ下さい。姫様には姫様としてのやるべき事が他にあるでしょう」
「わたしだって自分の身は自分で守りたいよ」
「そのようなことばかり言っておられるから、近隣諸国からお転婆姫やら山猿姫だと言われてしまうのですぞ!」
メドフォードの姫君、ティアイエル。花も恥じらう十五歳の乙女である。
皆から愛称ティエルと呼ばれて愛されているこの少女は、水と緑の王国メドフォードのれっきとした姫君なのだ。
つやつやとした健康的としか言いようのない肌に、美しい光沢のある長い茶色の髪。
若干丸顔で、膨らみなど皆無に等しい胸。そして大きく丸い瞳の特徴が、彼女を実年齢よりも幼く見せている。
明るく人懐っこい笑顔をする、どこにでもいるような平々凡々な少女だが……何の因果か剣技に興味を持ち始め、
近隣諸国に『メドフォードの山猿……お転婆姫』という姫にとって不名誉な名前を轟かせてしまっているのだ。
しかし当のティエルは、そんなことなどまるで気にしてはいない。
教育係のゴドーとしては、しっとりと礼儀作法を勉強して淑やかな女性になってほしいと日々願っているのだが、
どうやらそれは夢のまた夢の話のようである。
「さあゴドー、お小言はもう終わりにしましょう? せっかくの清々しい朝なんだから。
そろそろ朝食の時間だね。わたしの大好きなハムエッグはあるかな? 朝から動いたからお腹空いちゃった!」
まだまだ言い足りない様子のゴドーを前にしても、ティエルはすたすたと大食堂に向かって歩き始める。
コック長であるピエールの作るハムエッグは、彼女の一番好きな朝食メニューであった。
「これ姫様! まだお説教は終わっておりませぬぞ!?」
「ゴドーも早くおいでよー」
「そもそもお食事の前には、大聖堂にてリュミラージュ様へのお祈りの時間があることをお忘れなく……!」
朝食の時間を告げる爽快な鐘の音を背に、ゴドーは慌てて先を行くティエルの後を追って行った。
+ Back or Next +