Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第2話 水と緑の王国
「あらまあ、ティエルが兵士志願者の試合で……?」
清々しい朝の空気漂う大食堂に品の良い声が響き渡る。メドフォード女王ミランダであった。
皆から賢王と称えられている彼女は、長い白髪をきちんと結い、優しいながら秘めたる厳しさを持った老婦人だ。
ほっそりとした身体つきだが、しゃんと背筋を伸ばして腰掛けている様子は老人とは思えないほど威厳がある。
「それは凄いわ。ティエルはわたくしの自慢の孫ですものね」
「ミランダ様……そのような事を仰られては、ますます姫様が調子に乗りますぞ」
「うふふふ。ティエルはいつも頑張っていますもの。少しくらい調子に乗らせてもいいじゃないの、ゴドー?」
「姫様は調子に乗らせてしまうと後々大変なのです」
我関せずと豪快な食べっぷりを見せるティエルの様子に顔を青くさせながら、ゴドーが勢いよく振り返った。
「これ姫様、ナイフとフォークはこう持って……そのように一気に齧り付いてはなりませぬ!
うあぁーっ、なんてお下品な! 一口サイズに小さく切り分けて……あああ、指を舐めてはなりませんぞぉ!」
「やっぱりおばあさまなら喜んで下さると思っていたの!」
大好きな祖母に誉められて、ティエルは感激したように胸の前で手を組み合わせる。
その拍子に、肘にぶつかってしまったナイフとフォークがばらばらと勢いよく床へと落下していった。
「あらら」
「あららじゃございません、なんと嘆かわしい……ミランダ様、どうか姫様に一言お願いいたします」
「元気なのは喜ばしいことよティエル、けれど後片付けする者が大変だわ。あまり汚さないようにしなさいね」
「ミランダ様、頂きたいのはそういう一言ではなくて……」
「はーい、おばあさま!」
こんなやりとりを眺めていると、ゴドーは自分一人だけが空回りしているように感じてしまう。
ミランダ女王は誰よりも尊敬している存在であるし、ティエルのことは目に入れても痛くないほど可愛いと思う。
しかし、それとこれとは話が別なのだ。
「ゴドー、そんなにカリカリしてるとハゲるよ?」
「ハゲ……」
口調を注意する気力も失ってしまい、んもう姫様ったらハゲなんてレディの使うお言葉じゃありませんよなどと、
既に別方向に思考が吹っ飛んでいるゴドーであった。
「……いっけない、遅刻だ! これから礼儀作法の授業があったこと忘れてた!」
大時計を一瞥すると思い出したようにティエルは立ち上がり、ばんっと両の手のひらをテーブルに叩き付ける。
そして慌ててナフキンで口を拭うと、挨拶もそこそこに食堂から飛び出して行った。
「あらあら、忙しいことね」
嵐が去った様に、ティエルがいなくなった食堂は静けさに包まれる。
食後の紅茶を口に運びながら、ミランダはゴドーに座りなさいと目で合図した。我を忘れて立ちっぱなしだった。
「失礼いたしました、ミランダ様。……そういえばお転婆姫の姫様も、もう十五歳ですか。早いものですな」
「ええ……両親のいないあの子があんなに元気に育ってくれているだけで、わたくしは本当に幸せですわ」
「姫様は本当に明るいお方だ。国民や兵達は皆姫様のことを、まるでメドフォードの太陽だと申しております」
まるで自分の娘を褒められているかの様に、ゴドーは幸せそうな表情を浮かべる。
いつもお小言ばかりを口にしているが、それは彼女を大切に思うゆえだ。甘い顔をするだけが愛情ではない。
「そうね……ティエルがいると、ぱっと花が咲く様に空気が明るくなるわ」
「はい」
「歴代の王女達の中にも、たまにはあんな元気すぎるくらいの子がいてもいいんじゃないかしら?」
「ははは、そうかもしれませんね……将来は一体どんなレディになることやら」
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「……では、ティアイエル様。今日の授業はここまでです。この一時間、よく耐え続け……頑張りましたな」
ぱたんと音を立てて礼儀作法の教科書を閉じると、カールしたヒゲが特徴的な教師は笑みを浮かべる。
「時間になっても姫様がなかなか来られないので、またおサボリになられたのかと心配しておりました」
「だって、サボると後でゴドーが恐いんだもの。今朝叱られたばかりだし」
唇を尖らせ、その上に羽ペンを挟みながらティエルが口を開いた。
この様子ではせっかくの礼儀作法の授業も、半分も聞いていなかったのだろう。実に残念なことである。
「天下無敵のお転婆姫であるティアイエル様も、ゴドー殿には敵いませんかな?」
「ううっ……」
「それではティアイエル様、また明日お会いいたしましょう。明日はダンスパーティーでの礼儀作法の授業です」
「ごきげんよう、エディソン先生」
ワンピースの裾を少しだけ掴んで持ち上げると、ティエルはぎこちない笑みを浮かべた。
これから正午の昼食までの二時間は自由に使える時間だ。
「あーあ、ずっとイスに座っていたから身体固まっちゃってる。勉強のない世界に行きたいなー」
息苦しい勉強部屋をさっさと後にすると、ティエルは意気揚々と中庭を横切って兵士休憩場に向かうことにした。
優しい太陽の光と風を身に感じながら、彼女は軽く伸びをする。
柔らかい草をさくさくと踏みながら歩いていくと、やがて慣れ親しんだ兵士休憩所が見えてきた。
「……でもさー、今朝の姫様すごかったよな」
「そうそう、なんてったってあの荒くれボルテを一撃だぜ?」
「ボルテが木刀を振り下ろしたその瞬間、あいつの脇腹に姫様の鋭い攻撃が! いやぁもう一回見たかったなぁ」
休憩所で雑談をしているのは、万年兵士見習いのジョンとリックである。
彼らはティエルと年齢が近いせいかよく話すようになり、今では悪友……もとい友達と言える存在になった。
先程ティエルが兵士採用テストに参加できたのも、この二人の計らいがあったからこそである。
「ジョン、リック!」
「あっ、姫様!」
「またこんな所まで遊びに来て……さっきゴドー殿にこってりと怒られたばかりじゃないんですか?」
「それは言わないでよ、あなた達もわたしのせいで怒られたんでしょ? 一言謝ろうと思って」
見習い兵士に対して頭を下げる姫君の姿は異様なものであったが、彼女はそんなことなど全く気にしていない。
そこがティエルの良いところであり、人を惹き付ける魅力でもある。
「やだなあ、謝らないで下さいよティエル姫様。姫様がこうやってここまで遊びに来てくれると、
兵士達の志気だって高まるし。それに姫様の剣術の相手をしてると、オレ達だって特訓になるんですから!」
刈り上げられた短い赤茶の髪に、ぽっちゃりとした体型。食べることが大好きなジョンは笑顔を浮かべた。
彼は昔いじめられっ子であったため、強くなりたい一心で兵士志願したのだそうだ。
「それにしても姫様、オレ達二人がかりでも敵わないほど強くなりましたよね。ふふふ、凄い上達ぶりです」
そう言ったのはリック。長い鼻と垂れ目。金髪をぴったりと七三に分けた、神経質そうな色白の青年である。
リックは大商人の三男だ。家は兄達が継ぐため、彼は親友のジョンと共に兵士への道を選んだのだ。
実は密かにティエルに想いを寄せているが、それは決して叶わぬ恋。彼女の側にいるだけで幸せだと思っている。
「だったら、わたしを兵士に雇ってくれないかなぁ? なかなか役に立つと思うんだけど」
「確かに姫様は強いけど……もしも兵士になってしまったら、オレ達、守る姫君がいなくなってしまいますね」
「そうそう、オレ達の仕事を奪わないで下さいよー!」
面白くなさそうに唇を尖らせたティエルに、ジョンとリックは思わず笑いを吹き出したのだった。
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