Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第3話 我が親愛なる姫君へ
「もう日が暮れちゃってる、最近昼が短くなってきたなぁ」
そろそろ夜の訪れを告げる涼しい風が吹く廊下を、ティエルはゆっくりと歩いていた。
メドフォードは比較的過ごしやすい温度の土地である。
世界には一年中雪に包まれている地や、皆日焼けして真っ黒になっている暑い大地もあるのだそうだ。
しかしティエルはこのメドフォード国から一歩も出た経験はなく、知っている世界はこの国だけであった。
あの空の向こうには何があるのだろう。あの森を越えた先には、どんな世界が広がっているのだろうか。
書物などで読んだことはあるが、実際に目で見たことはなかった。
(きっと、素晴らしい世界が広がっているんだろうな。この目で見てみたいけど……やっぱり無理だよね)
先程まで一般知識の授業──ティエルの一番嫌いな授業である──を長々と受けていたので、
漸く終わった開放感から彼女の表情は実に清々しい。ちなみに授業の内容は天候の予測の仕方についてである。
「大体天気を予測するって、普通の雲と雨雲の区別なんか付かないしさ。そんなに必要な知識なのかなぁ……」
ぶつぶつと独り言のように文句を呟いていると、向かい側から見慣れた人物が歩いてきた。
柔らかそうな癖のないプラチナブロンドをきっちりと切り揃え、澄んだ青い瞳は常に優しさを帯びている。
黒い騎士衣装をモデルのように着こなした大変華やかな青年であった。何しろとびきりのハンサムである。
名はガリオン。メドフォード副騎士団長であり、次期騎士団長候補に挙がっている、騎士団期待の若者なのだ。
皆には勿論内緒だが、ティエルは時折このガリオンに剣の稽古をしてもらう。
剣を教えてほしいという彼女の頼みにガリオンは嫌な顔一つせず、快く承諾してくれたのであった。
ちなみに、この『まるで王子様のような』端麗な容姿と無敵の剣技で、侍女達の憧れの的になっているという。
非公式ファンクラブまで存在し、常に城内抱かれたい男ランキングの一位なのだと侍女が噂をしていた気がする。
「あらガリオン、こんばんわ」
「姫様、ご機嫌麗しゅう。……そのお顔から察すると、お嫌いな一般知識の授業を受けてこられたのですか?」
ティエルに気が付くと、ガリオンはにっこりと笑みを浮かべながら優雅な仕草で騎士の一礼をする。
この者だけは、不本意にも山猿姫などと呼ばれているティエルに対して一人前の女性として接してくれるのだ。
彼女にはそれが少々気恥ずかしくもあり、嬉しくもありと、実に微妙な感情が入り混じってしまうのだが。
「あはは、やっぱりバレちゃった? わたしはもっと身体を動かす授業の方が好きだな。
どうして剣術の授業はないんだろうね。こう……木刀を持って打ち合ったりするの。気持ちいいだろうなー」
そう言いながらティエルは、ガリオンに木刀を振り回す真似を披露する。
暫くその様子を微笑ましく見守っていたガリオンだったが、やがて寂しげに口を開いた。
「……姫様。あなたはこの騎士ガリオンが守ります。命をかけて、生涯お守りいたします」
「ガリオン」
「本当はオレ、姫様に剣術を習ってほしくはないんです。両手に青あざを作ってまで、剣を握ってほしくはない」
そんなガリオンの様子に、ティエルは言葉に詰まって俯いてしまった。
確かに彼女の両手は姫君らしからぬ青あざが目立っている。擦り傷、切り傷も至る所に見受けられた。
なまじティエルの剣術は並の兵士達よりも優れている。
このまま剣の腕を磨き続けていれば、いずれは立派な剣士へ成長する可能性だって十分考えられるのだ。
それを思うとガリオンは、誇らしい反面どうしようもなく寂しい感情に駆られる。……自分は必要ないのか、と。
「ねえガリオン」
「はい」
「わたしはね、魔力を持たずに生まれてきてしまったんだ」
「……存じ上げております」
「魔法使いであるおばあさまの孫なのに、魔力がないわたしにもできること。それが、剣を習うことかなって」
ティエルは高名な魔法使いであるミランダの孫でありながら、全く魔力を持たずに生まれてきた。
魔力は遺伝するものではないため、それはおかしな話ではないのだが……やはりコンプレックスになっていた。
祖母は口にこそ出さないが、ティエルに魔法を勉強してほしいと思っている。だが魔力がないため不可能なのだ。
そんなティエルを昔から見てきたガリオンに、剣を習いたいという彼女の願いを断ることなどできるはずがない。
「姫様、魔力を持って生まれてくる人間の方がむしろ数少ないのです。決してご自分を卑下などなさらぬように」
「うん……」
「しかし姫様の決意はこのガリオンにしっかりと伝わっております。……だからもう、オレは何も言いません」
柔らかい笑みを浮かべて、ガリオンは再び静かに一礼をする。それにつられて、ティエルも笑みを浮かべる。
「ありがとう、ガリオン」
「そうだ姫様。もうすぐメドフォード剣術大会があるのをご存じですか?」
「勿論! わたしもおばあさまも楽しみにしてる。ガリオン今回も出場するんでしょ? 優勝間違いなしだよ!」
メドフォード剣術大会とは三年に一度腕に自信がある者が集い、真剣を使って剣技を競い合う大会である。
優勝者には賞金百万リンと、名誉と栄光を称え、右大臣トーマからメダルが贈られるのだ。
「ガリオン、前大会で準優勝だったもんね。あれはわたしも悔しかったなー」
「うーん……あの時はサイヤーが途中風邪のために棄権していましたし、オレの準優勝はまぐれだったんですよ」
「サイヤーってガリオンよりも強かったの? いつも軽口ばっかり叩いているのにな」
「強いのなんの。本気で戦えば、オレなんか敵いませんよ」
サイヤーとは、同じくメドフォード騎士団に所属している彼の幼馴染である。明るい茶の癖毛をした青年だ。
そしてガリオンと二人合わせて騎士団の双翼と呼ばれ、城内抱かれたい男ランキングの二位をキープしている。
勿論ティエルとも大の仲良しである。品行方正のガリオンとは違い、若干軽い性格もサイヤーの魅力の一つだ。
「姫様。……もしも、オレがその今度の大会で優勝したら」
そう言いかけて普段は口篭ることのないガリオンが、どこか言いにくそうに下を向いた。実に珍しいことである。
そんな様子にティエルは首を傾げて彼の顔を覗き込む。一体どうしたというのだろう、ガリオンは。
やがて迷いを打ち消したかのように彼はゆっくりと顔を上げ、首を傾げたままのティエルを真っ直ぐに見つめた。
「オレが優勝したら、メダルはトーマ大臣殿ではなく……ティエル姫様。あなたから受け取りたいのです」
「わたしから?」
「はい」
「なんで?」
「それは……」
「まぁいっか。いいよ、大臣に頼んでみる。そう言うからには必ず優勝してよね!」
「……はい!」
恐れ多くも妹のように可愛がっているこの姫様は、いずれはガリオンの知らない男と結婚してしまうのだろう。
勿論このメドフォードの発展のために王は必要であるし、子孫を残さなければならない。
だがその日が来たら、やはり寂しいだろうなとガリオンは思う。妹を奪われた兄の心境が心底理解できてしまう。
その時。遠くの方からゴドーの声が響いた。
「姫様、どこにおられるのですかティエル姫様! 夕食の前のお祈りの時間ですぞ、礼拝堂にお急ぎ下され!」
「うわっ、ゴドーのあの声絶対怒ってる。ごめん、ガリオン。またね!」
大きく手を振ると、ティエルは慌ただしく背を向けて廊下を駆けて行く。
「……オレ、姫様のために剣を握ります。必ず優勝いたします。だから、見ていて下さい」
聞き取ることのできないような小さな声で、ガリオンは遠ざかって行くティエルの後ろ姿に向かって呟いた。
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