Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル

第4話 押し寄せる黒い影




「一体何をしていらしたのですか!? まったく……姫様が遅れると、怒られるのはこのゴドーですぞ!」
「はぁい……ごめんなさい、けど間に合ったから良いじゃない。終わり良ければ全て良しってね?」


窮屈でしかないお祈りの時間も終え、ティエルが一番楽しみにしている夕食の時間がいよいよ近付いてくる。
そのせいか、彼女は上機嫌でゴドーに向かって答えた。

「五分前行動は基本ですぞ、ティエル姫様は五分後行動が多くていかん……おっと、時計を忘れてきてしまった」
「時計? 食堂に時計くらいあるからいいじゃない」
「そういうわけにはいきませぬ。申し訳ないですが、先に食堂へ向かって下され。寄り道をしてはなりませぬぞ」
「……そんなに念を押さなくても分かってるよ、ゴドーは心配性だなぁ」


どっしどっしと巨体と腹を揺らせて自分の部屋に戻るゴドーを眺めると、ティエルは思わず大きな溜息をつく。
ゴドーは勿論大好きなのだが、少々口喧しい所が玉に瑕だった。
両親と早くに死に別れてしまったティエルにとって、ゴドーが父親代わりであったのだ。

残念なことにティエルは両親の記憶があまり残っていない。
父も母も仕事が忙しく、構ってもらえなかったのだけはよく覚えているのだが。
祖母は二人とも病死してしまったと言っているが、覚えているのは盛大な葬式だけである。

丁度その頃に、ゴドーやガリオンと出会った。寂しくないと言えば嘘になるけど、耐えられないわけじゃない。
自分は今、幸せだから。


「こ……これはこれはヴェリオル殿下、本当にお久しゅうございます! しかし、何故いきなりこちらへ?」


気を取り直して食堂まで歩き始めたティエルの耳に、彼女が一番好かない左大臣ゲードルの声が聞こえた。
お人好しの右大臣トーマとは違い、いつも人を小馬鹿にしたような口調と視線があまり好きになれなかったのだ。
その声は、三分の一ほど隙間が開いている扉から聞こえてくる。
聞き慣れない名前が耳に飛び込んできたので、彼女はなんとなく扉の隙間から部屋を覗いてみた。


「オレがこの国にいてはおかしいかね、ゲードル。このメドフォード王国の真の支配者が帰ってきたのだぞ?」

小柄で肥えた左大臣ゲードルの前に、見慣れぬ男が腰を下ろしていた。
がっしりとした黒衣の長身を、それとは対照的な真紅の外套で包み込む姿はどこか気品すら感じさせられる。
黒檀のような黒髪と太い眉。しっかりとした鼻梁は、彼の力強い雄を感じさせられる顔立ちによく映えていた。

しかしその髪と同じく黒い瞳は、他人を心底蔑んでいるかの様に冷たい光を放っている。


「いえいえヴェリオル殿下こそ、このメドフォードの真の王です。お帰りをお待ち申し上げておりましたよ」
「ふふ、心にもないことを言いおる。まぁいい……面白くなるのはこれからだ。そうだろう、ゲードルよ?」
「も……勿論ですとも」

ソファーに深く腰掛け長い足を組み、ヴェリオルと呼ばれた男は見下したような瞳でゲードルを一瞥する。
その途端ゲードルは、まるで蛇に睨まれた蛙のように縮こまってしまった。


(いつも偉そうにふんぞり返っているゲードルが、あんなに小さく縮こまってる。あいつ一体誰なの……?)

気が付くとティエルの全身は冷や汗でびっしょりと濡れていた。
それほどまでに、彼女もゲードルと同じくヴェリオルという男に本能から恐怖しているのだ。

「そしてゲードル、本題に入ろうか。例の計画の件だが」
「はっ、今夜実行に移そうかと思っております」
「くくく……まさにメドフォードの歴史に残る日になりそうだな」

気になる会話が続いていたのだが、ティエルは一歩ずつ後ずさりをして慌ててその場から立ち去った。
一刻も早く、あのヴェリオルという男から離れたい。彼に対する興味よりも恐怖の方が圧倒的に勝っていたのだ。

(……なんか、恐い……!)







「ティエル姫様、今日は姫様が一番お好きなポトフですのに……もしかして美味しくありませんでしたか?」

夕食時。普段であれば賑やか過ぎるほど絶賛するティエルだったのだが、今日は何故か黙々と食べ続けている。
その様子を見て不安を募らせた料理長スコットが、落ち込んだように口を開いた。

「もしも美味しくなかったら仰って下さいね、すぐに作り直しますから……」
「えっ!?」

彼の言葉で、漸くティエルは顔を上げて料理長を見つめる。

「そんなことないわ、いつも通りすっごく美味しいよ。やっぱりスコットの作るポトフは最高ね!」
「姫様が静かにお食事をなさっていると大変不気味ですぞ」
「なによゴドー、いつもは喋りながら食べてはいけませんとか言うくせに。もうお腹いっぱい、ごちそうさま」

簡単に口の周りを拭った彼女は、まだテーブルにデザートのアイスクリームの皿が残っていることに気が付く。
暫く迷っていたようだが、目にも留まらぬ速さで皿を掴むと背を向けて歩き始めた。

「これ姫様! お下品ですぞっ」
「いいのよゴドー、好きにさせてあげて。ティエル、気分が悪いのなら今日は早めに横になりなさい」
「うん。分かった、おばあさま」

「おやすみなさい、ティエル」
「おやすみなさい」

「……しかし、姫様は気分が悪い時でもアイスクリームを持っていかれるんですなぁ」

ぱたんと静かに閉じられた扉を見て、ゴドーは疲れたようにミランダ女王を振り返った。
だがミランダはゴドーに返事をすることもなく、開かれた窓の外に広がる暗闇を口を閉ざしたまま見つめていた。







一人廊下に出たティエルは、ざわざわと風に揺られる木の葉の音を聞いて思わず立ち止まる。

「誰か、いるの?」
思わず上擦った声が出てしまった。

大きく開かれている窓の外は暗闇に包まれており、様子を伺い知ることができない。勿論、返事はなかった。

普段の見慣れた城のはずなのに。何故か途方もなく不気味に思えてきたティエルは思わずぶるっと身を震わせた。
やはり食堂に戻ってゴドーと一緒に部屋まで戻ろうか。……いや、今更戻る気にもなれなかった。
風で舞い込んできた葉を踏みながら、ティエルは得体の知れないものから逃げるようにして廊下を駆け抜けた。


「……いくら逃げたとて、誰も運命から逃れられはしないのだよ」

ティエルが駆け抜けた後、廊下には艶やかな黒髪を持つ男が姿を現す。
メドフォード王国の危機を告げるようにざわざわと強く葉を揺らす風の音を、心地よくヴェリオルは聞いていた。

「この腐った国を血に塗り替え、そして終わらせてやろう。さあ復讐劇の幕開けだ……!」





+ Back or Next +