Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第5話 七年前の、あの日
「あー、今日も一日疲れました!」
どさっとベッドの上に横たわると、ティエルは側に立っていた侍女のサリエに顔を向ける。
跳ねた金髪と大きな鼻が特徴的なサリエは、ティエルのお世話役だ。実家は城下町で果物店を営んでいるそうだ。
サリエは少々そそっかしい所もあるが真面目で、ティエルの良き相談相手にもなっていた。
「あらまぁティエル姫様ったら、お姫様がそんな格好で寝転がってはいけませんわ。
恋の一つや二つなさって殿方を心からお好きになれば、姫様もほんの少しは女性らしくなられるのかしら……」
「まぁそんな堅い事言わないでよ、サリエ。今のわたしは、この剣が恋人だから」
そう言いながらティエルが指し示したのは、十五歳の誕生日にガリオンから譲ってもらった騎士用の剣である。
どうしても欲しいとティエルが一週間訴え続け、やっと貰った彼女の宝物なのだ。
「これは副騎士団長ガリオン様からいただいた物ですわね。ティエル姫様が本当に羨ましいですわ」
「なんで?」
「あんなに素敵なガリオン様から剣をプレゼントされるなんて。ファンクラブ会員五番として祝福いたします!」
「……ああそっか、サリエはガリオンの事が好きだったんだよね」
瞳を急に輝かせ始めたサリエに、ティエルは半ば呆れながらベッドから身を起こす。
それを見たサリエはぶんぶんと首を左右に振って否定する。
「とんでもございませんわ、ガリオン様の好みのタイプは気高く強い女性……わたくしなど絶対に無理なのです」
「そんなことまで知っているんだ」
「勿論! 身長は理想の百八十センチ、趣味は天体観測、親友であり幼馴染はサイヤー様。ご実家はパン屋さん」
「サイヤーもかっこいいよね」
「ご家族はお父様とお母様、そして弟さん。貰ったラブレター、告白された回数は百を超えるというお方ですわ」
「そんなにガリオンってモテるんだ。騎士団の他の皆とガリオン、そこまで違うようには見えないような……」
そんなティエルの発言に、サリエは落胆したように肩を落としてしまった。これでは初恋もいつになることやら。
到底姫君らしいとは言えないティエルなのだが、飾らない素朴な所が皆に好かれるのだろう。
いつもどこかで問題を起こしてばかりいる彼女に対して、苦笑することはあっても疎ましく思うことはない。
どんな者にも同じ目線でぶつかってきてくれる真っ直ぐなティエルの心が、皆は好きなのだ。
「うふふ、姫様はいつも元気いっぱいでメドフォードの太陽のような方ですわね。それではお休みなさいませ」
サリエが去ってもティエルは蝋燭の火を吹き消そうともせず、暫くぼんやりとベッドの上に寝転がっていた。
小さな蝋燭の光が部屋を優しくオレンジ色に染め上げている。
壁にゆらゆらと揺れる自分の大きな影を見つめながら、ティエルは静かに溜息をついた。
(わたしが大人になったら……一体どんな女性になるのかな。誰かと結婚して、この国を治めているんだろうな)
時折ガリオンやサイヤーを連れて城下町まで遊びに行くと、同じ年頃の少年少女達をよく見かける。
肩を叩き合ったりして、他愛のない雑談に花を咲かせていたり。
ティエルは『メドフォードの姫君』という立場上、同じ目線で話しかけてくれる友人は誰一人としていなかった。
面倒くさい敬称はいらないと、いくらティエルが言っても皆苦笑しながらやんわりと断るのだ。当然である。
その時ティエルは、いくら大勢の人々に囲まれていても、どうしようもなく疎外感と寂しさを感じてしまうのだ。
(ほんとはね、ちょっとだけ。ちょっとだけ寂しいんだよ……ねえ、サリエ。こんなこと話したら驚くかな)
・
・
・
仕事を終え、ミランダ女王は自分の部屋に向かって歩いていた。
孫のティエルの様子が少々気にかかり部屋を訪れようとしたのだが、既に部屋の明かりが消えていたため、
寝かせておいてやろうと立ち去ったのだ。
そういえば……あの夜もこんな風の強い夜だったとミランダは思う。月日が経つのは実に早いものだと感じた。
手のひらを握りしめると、記憶の底に封印したはずの事件を思い出す。決して表に出してはならない事件だった。
メドフォード王家存続を揺るがす忌まわしいあの事件。丁度七年前の今日であった。
……その時。赤い絨毯が続く長い廊下で、ふと何者かの気配を感じてミランダ女王は足を止める。
まるで聖者をも闇に引きずり込んでしまいそうな、全身に鳥肌が立つ気配であった。
暗闇から、得体の知れない何者かが歩いてくる。
「誰なのですか」
コツ、コツと規則正しく聞こえる足音は少しの躊躇も見せず、真っ直ぐと彼女に向かってくる。
返事はなかった。もう一度、女王は勇気を振り絞って口を開いた。
「誰なのですか、姿を見せなさい」
ぴたり。足音が突然途絶える。それと同時に、黒髪の男が姿を現した。ミランダの亡き息子に瓜二つの男だった。
口元に気品すら感じさせられる静かな笑みを浮かべながら、ミランダを蔑んだ瞳で見下ろしている。
その男の姿を一目見た彼女は、目を見開いたまま驚愕の表情を隠しきれなかった。
「あ……あなたは、エドガー……いえ、ヴェリオル!」
「おや、光栄ですな。この顔を覚えていて下さったのですか……女王ミランダよ」
くつくつと低音で押し殺したような笑い声を上げたヴェリオルは、さも愉快そうに肩を竦めて見せる。
「今更何の用かしら、もうここには用などないはずでしょう。それとも今度こそわたくしを殺しにきたの?」
いつでも魔法を発動できるようにと、彼女は口の中で素早く呪文の詠唱を完了させた。
しかし依然目の前の男は不気味な笑みを浮かべたままだ。
「用はないはず? 用ならあるさ。偉大なるメドフォード女王ミランダよ、まずは貴様の命をいただこうか」
「くっ、やはり……!」
「それと……七年前の予告通り、可愛いティエルを妻に迎えに来たのだ。まぁこちらの方が本来の用件だがね」
「わたくしからあの子まで奪うつもり? ティエルは渡すものですか、我が一族の恥……今すぐ去りなさい!」
その言葉と同時にヴェリオルに向かって女王の魔法が発動した。一瞬の迷いもなく、確実に彼を仕留める気だ。
しかし彼は動じることもなく、右手を何もない空間に向かって突き出す。
「オレがあの頃のままだと思うなよ。復讐のため魔剣と契約を交わし、悪魔族と同等の力を手に入れたのだ!」
赤黒い稲妻が周囲に弾け飛び、次の瞬間彼の右手には毒々しい色合いの巨大な剣が握られていた。
一目見ただけでも、大剣に絡み付く多くの怨念が手に取るように分かる。人間が持つには大きすぎる力である。
「あなた……悪魔に魂を売ったのね!? 忌まわしき淫魔達の力を得るなど、人間として恥を知りなさい!」
「黙れ、阿婆擦れが!」
ミランダの魔法をいとも簡単に魔剣デスブリンガーで打ち消し、ヴェリオルはそのまま彼女を何度も切り裂いた。
彼女の身体はただの肉片と化し、巨大な魔剣に弾き飛ばされるようにして壁に飛び散り、ぼとぼとと床に落ちる。
「地獄でとくと味わうのだ、己の不甲斐なさをな。愛しい孫が連れ去られる様をあの世から眺めていろ」
真紅の血池に浮かぶ元はミランダ女王であった数々の肉片を一瞥し、ヴェリオルは満足そうに笑みを浮かべる。
それから彼は真っ直ぐにティエルの部屋へと向かって行った。
+ Back or Next +