Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第6話 ヴェリオル
深い眠りについていたティエルは突然目が覚めた。一体何だろう、この胸騒ぎは。嫌な予感がする。
普段ならば決して夜中に目覚めたりなどはしない眠りの深い彼女だが、目を擦りながらゆっくりと身を起こす。
皆寝静まったはずの廊下を歩く足音が一つ、彼女の耳にはっきりと聞こえてきた。
……誰かが、こちらへ向かってくる。
その足音に底知れぬ恐怖を感じ取ったティエルは身震いし、傍らのぬいぐるみを抱きしめながら息を潜めていた。
どうか、このまま通り過ぎてほしい。そんなことを願いながら扉を凝視し続ける。
だが。足音はティエルの期待に背くかのように彼女の部屋の前で止まってしまったのだ。
激しく打つ心臓の音を聞かれていないだろうか。この震えの音が外にまで聞こえていたりはしないだろうか。
ただじっと扉を見つめながら、ティエルは固まったように動かなかった。
やがて、しっかりと鍵のかけられたはずの扉が静かに開かれる。
息を飲んだティエルの前に姿を現した人物は、左大臣ゲードルと共に好からぬ話を交わしていた黒髪の男だった。
男はティエルの姿を見つけると、実に満足そうに満面の笑みを浮かべた。
「ああ、とても会いたかったよティエル。……オレの想像通り可愛らしく成長してくれていて、安心したぞ」
まるで上から下まで品定めをするかのように、ヴェリオルはティエルを目を細めてねっとりと眺める。
ああ、なんておぞましい。寒気がする。見つめられただけで、全身が穢されてしまったような眼差しであった。
「オレの名はヴェリオル。そんなに怖がらなくていい、オレはお前を迎えに来た白馬の王子様だよ。なぁんてな」
がたがたと震えながらぬいぐるみを抱きしめるティエルに、不気味な笑いを浮かべながらヴェリオルは歩み寄る。
そして、小刻みに震え続ける彼女の頬にぺろりと舌を這わせる。彼女を味わうかのように、執拗に。
「オレとお前は赤い糸で結ばれた運命の恋人同士なんだよ、ティエル。いい子だから一緒にオレの国へ来るんだ」
「や……やめ……」
「もう誰にもオレ達の仲を引き裂くことなどさせない。七年も待ち続けたんだ、十分だろう? おいでティエル」
「……嫌だ!」
拒絶しなくてはならない、この男は危険だ。ティエルはヴェリオルの頬に平手を打ち付けると彼から身を離した。
拒まれるとは夢にも思っていなかったのだろう。ヴェリオルは心底驚いたように目を丸くしながら首を傾げる。
「どうしたんだい、ティエル。もしかして照れ隠しかな? お前がオレを拒絶するはずがないもんな」
「狂ってる……!」
「そうとも、愛に狂っているお前だけの王子様だ。邪魔をする老魔女は、オレが退治したから安心するんだよ」
「……おばあさま? お前……おばあさまに何をしたの!?」
ティエルはじりじりと後退りながら、ガリオンから譲って貰った騎士の剣を掴んで構えの姿勢を取る。
それに対しヴェリオルは、気になるなら自分の目で確かめるがいい、という馬鹿にした身振り手振りで答えた。
弾かれたように廊下に飛び出したティエルが目にしたものは、無惨な肉塊と成り果てた祖母の亡骸であった。
「あ……ああ……これが、おばあさま……?」
返事はない。振り返ると、気味が悪いほど優しげな笑顔を浮かべながらヴェリオルがこちらに向かってくる。
「ねえ、誰か! 誰かいないの!? お願い助けてよ……!」
「何事ですかな?」
ティエルの叫び声を聞きつけたのか、それとも様子を窺っていたのか。ゲードルと共に兵士達が駆けつけてくる。
「これはこれはティエル姫様。おや! その肉の塊はミランダ様ではないですか? ……なんとおいたわしい」
よくよく見れば、にじり寄ってくる兵士達の顔は眼球が飛び出し、半分溶けているようだった。
死して尚現世を彷徨い続ける哀れな屍アンデッドである。アンデッド兵などメドフォードには存在しないはずだ。
恐らくヴェリオルが呼び寄せたのだろう。厭らしい笑みを浮かべながら、左大臣ゲードルが歩み寄ってくる。
「さあ、こちらへおいでなさい姫様。我が部下、アンデッド兵士達がたっぷりと可愛がってくれますよぉ……」
「……ゲードル、これはどういうこと? お前、まさかこのヴェリオルという男と手を組んでいたの!?」
「その通りでございます、姫様。わたくしは真の王ヴェリオル殿下のご帰還をずっと待ち望んでいたのですよ」
一体何を言っているのだろう。真の王? 色々なことが一度に起こりすぎて、感情が完全に置いていかれている。
歩み寄ってくる左大臣ゲードル。艶やかな前髪をかき上げ、ヴェリオルが満足そうな笑みを浮かべている。
誰を信用すればいいのか。頼りになる祖母は惨殺されてしまった。どうすればいいのだろう。誰か助けてほしい!
その時。
向かいの廊下から数名の足音が鳴り響き、仲間を引き連れたガリオンがこちらに向かってくるのが瞳に映った。
「姫様、ご無事ですか!?」
「ガリオン!」
「……おのれ痴れ者、このメドフォード副騎士団長ガリオンが相手になってやる!」
すらりと自慢の長剣を引き抜き、ティエルを守るように前に立ちはだかったガリオンはヴェリオルを睨み付ける。
暫く眉を顰めながらその様子を眺めていたヴェリオルだったが、やがて口元を歪めて見せた。
「ほう、言ってくれるわ青二才が。このオレに剣を向けるのか。いいだろう……殺してやるよ、お坊ちゃま」
「ティエル姫様、ここはオレ達騎士団に任せてあなたはゴドー殿の元へ向かうのです」
「ガリオン」
「既に城内にはゲードルが放ったアンデッド達が蔓延っています。あいつらは痛みなんか感じない化け物だ」
「……あなたは逃げないの? わたしと一緒に、逃げないの……?」
アンデッドと戦う騎士達の剣戟が、辺りに響き渡っている。
それを一瞥したガリオンは、ふっと優しげな笑みを浮かべた。少し困ったように笑う、どこか苦しい笑みである。
「オレはこの国を、そしてあなたを守るために剣を握った。逃げる事なんて……できませんよ」
「ガリオン……」
「一刻も早くゴドー殿と共に、サイヤーが率いる騎士団と合流して下さい。近衛兵団も既に動き始めております」
「姫様急いで、こちらです!」
数名の兵士を連れたゴドーがこちらに駆け寄ってくる。
しかしそれでもティエルは立ち止まったままであった。ガリオン達を置いていけない。逃げるのならば一緒だと。
彼女の心境を察したガリオンは、ティエルの両肩に優しく手を触れる。大きな茶の瞳が彼を捕らえて離さない。
妹に向けるような愛情だとずっと己に言い聞かせてきた。彼女の笑顔を側で見続けていたいと思っていたけれど。
……ああ、もうこれ以上考えるのはやめておこう。
唇を噛み締めたガリオンはティエルの両肩を掴んでいた手を名残惜しそうに離すと、彼女にくるりと背を向ける。
「ゴドー殿、早く姫様を。そしてサイヤーに……今週末の飲みの約束、行けなくなりそうだと伝えてください」
「分かった」
ガリオンの覚悟を感じ取ったゴドーは、未だ渋る様子のティエルの腕を掴み、引き摺るようにして駆け出した。
「……さようなら、ティエル姫様。あなたと過ごした日々は、オレにとって宝物のような日々でした」
ガリオンは寂しげに呟くと、剣を振り上げながらヴェリオルへ突っ込んでいく。
「オレはただでは死なない。我がメドフォード王国に害を為す者を、一人でも多く叩き切ってやる……!」
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「姫様、一体このメドフォード城で何が起こっているのですか。あの黒髪の男は一体何者なんですか」
「あいつはヴェリオルって名乗った。おばあさまはあいつに殺されたんだ。わたしは絶対にあいつを許さない!」
「ミランダ様が……」
漸くゴドーの部屋まで辿り着いたティエルは、ガリオンから譲り受けた剣を握り締めながら怒りに震えていた。
先程までの震えは底知れぬ恐怖のためだったが、段々と怒りの方が勝ってきたようだ。
「お気持ちは分かりますが、姫様どうか敵討ちなどお考えにならぬように。今は逃げることだけを考えるのです」
「どうして」
「ガリオン達がどんな思いで姫様を逃がしたのか、それをよくお考え下さい。軽率な行動は絶対に避けるように」
「でも!」
「なりませぬ、彼らの思いを無駄にするおつもりですか!?」
その言葉に、ティエルはびくっと身を強ばらせてゴドーを見つめた。
怒りと、迷いと、悲しみが混ざったような瞳。
「何があってもあなただけは生き残らなければなりません。姫様はこのゴドーが守ります。必ずや守り抜きます」
「……うわあぁ、ゴドーさん! こちらにもアンデッドが向かってきました、早く姫様を連れて逃げて下さい!」
「今はサイヤーさん達騎士団が食い止めていますけど……いつまで止められるかどうか」
ばたんと扉が開き、必死の形相を浮かべたジョンとリックが飛び込んできた。二人とも至る所に傷を負っている。
廊下に出ると、ぞろぞろとアンデッド集団がこちらに向かって来ていた。侍女達が逃げ惑っているのが見える。
ああ、どうしてこんなことに。まるで悪夢のような光景であった。
「おい、もっと本腰入れて戦えよな、お前ら! メドフォード騎士団の力は、こんなもんじゃねぇだろぉ!?」
「当たり前だろサイヤー。お前も手が震えてるじゃないか、しっかりしろよ!」
「うるせえな、気合い入れていくぜ。国のため、我らが姫様のため、オレ達はここで絶対に負けられねぇんだ!」
アンデッド達を食い止めているのは、短い茶の癖毛をした青年が率いる騎士団であった。
……軽口を叩きながらも仲間を思いやり、慎重にアンデッド達を仕留めていく、その青年の名はサイヤーという。
ガリオンの親友であり、悪友であり、そして彼と並んでメドフォード騎士団の双翼と呼ばれる一人である。
しかし彼らも傷を負っており、一目で分が悪いと分かった。相手は無限の人数ともいえるアンデッド兵なのだ。
「サイヤー!」
「ティエル姫様! ガリオンのやつ、ちゃんと姫様をお守りできたというわけですね。友として誇らしいですよ」
「でも……ガリオンが」
「心配はいりません、あいつは必ず生きて戻ってきます。……今週末、飲みに行くって約束してますからね!」
ティエルに軽く会釈したサイヤーは、再びアンデッドへ剣を向ける。
約束は行けなくなりそうだというガリオンの伝言を、彼の生存を信じているサイヤーに伝えられるはずがない。
信じられぬ光景だった。ティエルの大切な者達が、次々と傷付き倒れていく。これが夢なら早く覚めてほしい。
「なんなの……これ……なんで、こんなことが起きなくちゃいけないの……?」
「大丈夫ですよ、ティエル姫様」
「オレ達だってこの国を守ることができるんだって、今から証明しますよ!」
「ゴドーさん。姫様を、オレ達の太陽である姫様を……どうかよろしくお願いします」
「……分かった、ティエル姫様はこのわたくしが必ず守り抜く!」
暫く兵士達と見つめ合ったゴドーは、そう言うとしっかりと頷いた。
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