Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第7話 炎の中の逃亡
アンデッドの群れを蹴散らしながら、ゴドーはティエルの手を引きながら逃げ道を求めて走り続けていた。
正門付近は既にゲードル達の手が回っているだろう。
裏口から城外へ脱出しようと一度試みたのだが、大勢のアンデッド達が行く手を遮り突破することは難しかった。
どうやら倒れた燭台から火が燃え移ったのか、あちこちから悲鳴と共に火の手が上がり始めていた。
ティエルは先程から言葉を発していない。まるで口を開くという行為を忘れ去ってしまったようにも見えた。
恐怖、衝撃、怒り、悲しみが一度に襲ってきたのだ。無理もない。その上彼女はひどく感受性が強い少女である。
もしかしたら、永遠に笑顔が失われてしまうかもしれない。
ゴドーは彼女といつまでも共にいることを誓った。自分が最後までティエルの側についてやらねばならないのだ。
彼女には、まだまだ自分が必要なのだ。
廊下の角を曲がった途端に、数体のアンデッド達が呻き声を発しながら襲いかかってくる。
「ォ、ォァァ……!」
「お前らなんぞに我が姫様のお命は渡せん!」
そう叫ぶと、ゴドーは手に握り締めていた棘付きの棍棒を思い切り振り上げ、アンデッドに何度も叩き付けた。
彼とて戦い慣れた戦士ではない。恐怖で崩れ落ちそうだ。ばきりと鈍い音がして、屍兵達は力無く地に崩れる。
そして思わず安堵したゴドーの背後目掛け、もう一人のアンデッド兵が剣を振り下ろす。
「ゴドー、危ない!」
今まで黙りこくっていたティエルが剣を握り締め、半ば自暴自棄のようになりながらアンデッドを斬り付けた。
騎士団の稽古用の剣とはいえ切れ味は鋭利なもので、斬り付けられたアンデッドの腐った頭は軽く切断される。
べっとりと剣に付着した腐臭の漂う肉片を、荒い息をしながらティエルは睨み付ける。
初めて人を斬ってしまったのだ。首を斬り落としてしまった。ゴドーを助け出すことしか考えていなかった。
右手にはまだ斬ったときの感触が残っている。
肉を裂き、骨に当たった微かな衝撃。それを確かめる暇もなくアンデッド兵の首を切り飛ばしてしまったのだ。
「あ……ああぁ……」
剣を握り締めたまま震え始めるティエルの肩を、ゴドーが優しく抱き寄せる。
「姫様、危ないところを助けて下さってありがとうございます。お陰でこのゴドー、命拾いをいたしました」
「わ……わ、わたし、ひとを斬っ……ひとを、斬……」
「しっかりして下さい姫様。奴らは人ではない、既に亡者です。さあ先に進みますよ!」
「あぁ……あああ……嫌、いや……わたし、ひとを斬ったんだ……!」
「ティエル姫様!」
ばしっと自分の頬が打たれたことに漸く気付いたティエルは、我に返って目の前のゴドーを見つめた。
それからゴドーは、未だ小さく震えているティエルの身体を強く抱きしめる。
「お願いです姫様、どうか気をしっかり持って下さい!」
「……」
「ミランダ様亡き今、姫様が倒れてしまえば……このメドフォードは一体どうなるのですか」
「……ゴドー」
「姫様、よく聞いて下さい。メドフォードの森を東に抜けて暫く進むと、ベムジンという寺院が存在します」
「ベムジン?」
「ええ、そこにわたくしの家族が一人おります。そこへ辿り着けば、弟が姫様に必ず力を貸してくれるでしょう」
「ゴドーの弟さんが?」
「そうです、そこまで逃げ切りましょう。しかし……わたくしとしたことが、ゲードルの企みに気付かなかった。
ミランダ様をお守りすることができなかった。もっと早くゲードルの動向に気付いていれば……!」
ティエルを連れて次の角を曲がると、そこにはアンデッド兵達を従えたヴェリオルが笑みを浮かべて立っていた。
艶のある黒髪を炎のオレンジ色に染め上げて、心底愉快そうに笑みを浮かべている。まさに悪魔の笑みであった。
それを目にしたティエルとゴドーはぎくりとしたように思わず足を止める。
「このアンデッド兵の群の中、よくぞここまで逃げ切りましたなお二方。くくく、それは褒めてあげましょう」
蔑みを込めた物言いで、軽やかな拍手をしながらヴェリオルは前に進み出た。
「しかし残念、ここでゲームオーバーだ。オレの可愛い花嫁を連れ回した罪は重いぞ、教育係のゴドー殿?」
「……ガリオンはどうなったの!? まさか、お前はガリオンまで……」
「ガリオン? ……ああ、無謀にもオレに立ち向かってきた金髪の若造のことかね? 勇気と無謀は紙一重だ」
艶やかな黒髪を軽くかき上げると、ヴェリオルは血に濡れた剣をティエルに向かって放り投げる。
どうか見間違いであってくれ。乾いた音を立てて彼女の前に転がった剣は、まぎれもなくガリオンの剣であった。
決して手入れを怠ることはせず、ガリオンが毎日丁寧に磨き上げてきた彼の誇りの象徴だった。
「言うことは大きいお坊ちゃんだったが、案外大したことなかったな。デスブリンガーにつまらん錆がついた」
「ガリオン……」
「あんな青二才が副騎士団長とは、由緒あるメドフォード騎士団も随分と落ちぶれたものだな」
「こ……殺してやる!!」
「姫様、いけません!」
思わずティエルは剣を振り上げるが、彼女の一撃をヴェリオルは簡単に避け、手首を捻り上げて地に組み伏せる。
「……我が愛しいお姫様は少々元気が良すぎるようだ。両手の骨でも折れば、少しは大人しくしてくれるかな?」
「やめろ、姫様に触れるな!」
「うるさいおっさんだな、オレは不細工なやつは大嫌いなんだ……さっさと死ね」
棍棒を手に向かって来たゴドーの攻撃を軽くかわし、ヴェリオルは髪を整えつつ煩わしそうに剣を振り下ろす。
攻撃を避けられ大きくバランスを崩したゴドーは、右肩から左の鳩尾付近まで深く切り裂かれていた。
飛び散る血飛沫。斬られた断面から覗く腸。彼はもう助からないのだとティエルですら理解することができた。
「ゴドー! やだやだ、死んじゃやだゴドー!」
地に崩れ落ちた彼に駆け寄ったティエルだったが、一体どうすれば彼を助けることができるのか分からなかった。
血を止めるのが先か。零れ落ちた臓物をかき集めるのが先か。早くしなければ、けれど一体どうすればいい。
大きく目を見開いたまま涙を溢れさせ、どこの部位かも分からぬゴドーの一部をティエルは必死にかき集める。
そんな真っ赤に染まった彼女の手を、ゴドーは震える腕を伸ばしてそっと制した。
「ゴドー」
「姫様……お怪我は?」
「ないよ、だってゴドーが守ってくれたんだもん。怪我なんて、しているわけないじゃない!」
「……ああ……姫様にはまだまだわたくしが必要なのに。こんな所で倒れるわけにはいかないのに……」
小さく呟いたゴドーは、静かに涙を流した。この幼く無邪気な姫君を一人残して死にゆく自分の不甲斐なさに。
一人では何もできない彼女が、この先ヴェリオルから逃げ続けて生きていくことは非常に難しいだろう。
城の外はティエルが思っている以上に厳しい世界である。そんな彼女が一人で放り出されてしまうことに涙した。
「……お強くなりなさい姫様。わたくしがおらずとも、辛いことにも決して負けない強さを持って生きるのです」
「いや……いや、いやだっ……もう嫌だ! おばあさまも、ガリオン達も、ゴドーもいない世界なんて!!」
「そんなことを……言ってはいけません」
「誰もいないこんな世界なんて、生きてる意味なんかないよ! だから、わたしも一緒に連れて行って……!」
ゴドーの大きな手を握りしめながら、ティエルはぼろぼろと大粒の涙を流しながら叫んだ。
愛するものを全て奪われた絶望。そんな世界で生きることの恐怖。ゴドーは哀れな彼女を寂しそうに見つめる。
「姫様には、これからきっと……素晴らしい人達との出会いが待っているはずです」
「……そんなの、あるわけないじゃない」
「だから、生きるのです。生き続けるのです。このゴドー、いつまでも、姫様の……そば、……に……」
優しい笑みを口元に浮かべたゴドーはそう呟くと、静かに目を閉じた。そして、二度と目を開くことはなかった。
信じたくない。信じられない。今朝は兵士の採用テストに参加して、いつものようにゴドーを困らせて。
それが何故、こんなことに。全てを無残に奪われてしまうほど、自分は何か悪いことをしてしまったのだろうか。
「さあティエル、オレ達の仲を裂こうとした不細工なデブは退治してやったよ。これで邪魔者はいなくなったな」
にっこりと、満足そうな笑みを浮かべたヴェリオル。
漸く邪魔をする者が全ていなくなった。後はティエルを国に連れ帰り、ゆっくりと婚礼の準備を進めるだけだ。
一歩、ティエルへと歩み寄る。砂利を踏みしめる音に、ゴドーの亡骸に縋り付いていた彼女が顔を上げた。
憎しみに支配された血走った瞳で、ティエルはヴェリオルを睨み付けた。この目の前の男を殺さねばならない。
この男を生かしておくわけにはいかない。きっと、祖母やゴドー達もそれを望んでいる。
殺意に満ちた目でティエルが立ち上がった瞬間、脆くなっていた柱が火を纏いながら彼女の頭上へと倒れてきた。
「ティエル!」
思わずヴェリオルはティエルの元へ駆け寄り、彼女の身体を力一杯突き飛ばした。
それが合図だったかのように次から次へと瓦礫が降り注ぎ、ヴェリオルの姿は瓦礫の向こうへと消えてしまった。
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