Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第1章 王女ティエル
第8話 わたしは生きる
目の前には炎に包まれた瓦礫の山。
ゴドーの姿もヴェリオルの姿も、瓦礫の向こうへと消えてしまった。凄まじい恐怖がティエルを包み込んでいく。
震える足で一歩後ずさる。あとは二度と振り返らずに無我夢中で炎の中を走り続けた。
大食堂、勉強部屋、中庭。転がる死体の中には、ティエルの見慣れた顔がいくつもあった。
亡者に身体中を食い千切られて絶命する、仲の良かった侍女サリエの顔を見たティエルは涙を流して目を閉じた。
……どのくらい歩き続けたのだろうか。
先程ゴドーが殺された場所に辿り着くが、そこは既に彼の亡骸も見えぬほど炎に包まれていた。
ヴェリオルの姿も見当たらない。全てがどうでもよかった。橙色に燃えさかる炎を見たティエルは前に進み出る。
このまま自分だけが生き残っても仕方がない。祖母もゴドーもガリオンもサイヤーも、みんな殺されてしまった。
ここで死んだら、楽になれるのだろうか。祖母やゴドー、そして亡くなった両親とも会えるのだろうか。
ガリオンやサリエ、ジョンやリック、サイヤー達。みんなとまた会えるのだろうか。それならば早く行きたい。
ふらふらと炎に向かって進み始めたティエルは、足下に転がる兵士の死体に躓いて倒れ込む。
もう起き上がる力もない。意識を保ち続ける気力もない。……目の前に燃え続ける炎が、段々と霞んでいく。
(ああ……わたしは、このまま死ぬんだ)
いつもならここで、ゴドーの大きな手が差しのべられるはずだった。
優しい笑顔を浮かべて、『姫様、お怪我はございませんか?』と聞いてくれるのだ。でも、ゴドーはもういない。
朦朧としていく意識の中で、彼女は周りをじわじわと炎が囲んでいくのを感じた。早く全てを燃やしてほしい。
そうすれば、漸くこの地獄の苦しみから解放されるのだ。ティエルは煤だらけの顔に安らかな笑みを浮かべる。
全てを諦めきったティエルの瞳に、優しく笑うゴドーの幻がぼんやりと映った。
「姫様、お怪我はございませんか……?」
普段と変わらぬ笑みを浮かべて、ゴドーがティエルに手を差しのべている。天国から迎えに来てくれたのだ。
「もう安心ですよ。姫様にはこのゴドーがいつまでも一緒です」
そんなゴドーの笑顔に、ティエルも満面の笑顔で応えて見せる。
触れた彼の手は、大きく、幻とは思えぬほど確かに温かかった。……そして彼女は安心したように目を閉じた。
(やっと会えたね、ゴドー……もうずっと一緒だよね……?)
・
・
・
……薄っすらと目を開けると、木の天井。
意識が朦朧としているので、ティエルは自分が一体どうなったのか、そしてどこにいるのかも分からなかった。
視線だけを横に移動させてみると、泥の付いたスコップが壁に立てかけられている。
どうやら掃除の行き届いていない小屋のベッドの上にいるようだ。天国にしては、あまりにも現実的すぎる風景。
「なんだ、気が付いたのか。……てっきりこのまま死んじまうと思って、墓穴を掘ろうとしてた所だぜ。へへへ」
振り返ると、見窄らしい格好をした醜い男が煙草をくわえながら椅子に腰掛けていた。
「とんだ厄介もんを拾っちまったぜ、ここは死体廃棄所じゃねえっての」
「ここはどこ……? わたし、どうしてここへ?」
「ああん? ここはメドフォード墓地を管理する、墓守イエシュのマイホームだよ。オレのことなんだけどな」
「メドフォード墓地……」
「なんでも城の方で大火事があったってんで、慌てて外に飛び出したら家の前にお嬢ちゃんが倒れていたんだよ」
墓守イエシュと名乗った男は面倒くさそうに口を開いた。
「……ったくよぉ、オレの専門は死体処理だってのに。お前みたいな生きてる人間には用はねえんだよ。
まぁ、あんまりにも可哀相だったからつい助けちまったけどな。うん、やっぱオレって滅茶苦茶優しすぎるぜ」
「家の前で倒れていた?」
メドフォード墓地は、城からかなり離れた場所に位置しているはずなのだ。
まさか、自力でここまで辿り着いたのか? いや、そんなことはあり得ない。ならどうしてここにいるのだろう。
意識を失う寸前に見たゴドーは、やはり幻だったのだろうか。それとも、本当にゴドーが生き返って……。
「その火傷から察するにお前、城にいたんだろう? まさか自力で城からここまで這いずってきたのかよ?」
「……」
「見た目によらず、とんでもねぇお嬢ちゃんだぜ。っておおい、どこ行くんだ!?」
突然身を起こしたティエルの様子に驚いているイエシュの横を駆け抜け、彼女は扉を開けて外に飛び出した。
城の方角の空が橙色に染まっており、やはり城は遠く離れている。無意識のうちにここまで来れるはずがない。
行き場を完全になくしてしまったティエルは十字架が立ち並ぶ墓地を力なく進み、そして歩みを止めた。
「……どうして助かっちゃったんだろう」
腐りかけた木の十字架を見つめながら、ティエルは絞り出すようにして口を開く。
「わたしだけ生き延びても、意味なんかないのに。一人で生きていくなんて、ただ辛いだけなのに……!」
「なぁ、お嬢ちゃん」
低い声に振り返ると、泥の付いたスコップを担ぐ墓守イエシュの姿。
「滅多にそんなことを言うもんじゃねえよ。お嬢ちゃんは生きている、これが真実なんだ」
「……」
「ここで眠る奴らの中には、生き続けたくても生きられなかった奴もいる。きっと、こいつらより幸せだよ」
「幸せ? わたしが? 何もかも全てを失ったのに、それでもわたしが幸せだと言うの!?」
「……ああ言うさ」
死体の入った大きな麻袋を担ぐと、墓守イエシュはティエルに背を向けて振り返らずに墓の奥へと歩き始めた。
「あとは自分で考えるんだな」
誰もいなくなった墓地の中心で、ティエルは煤にまみれた自分の右手をぎゅっと握り締める。
白い服の袖には、ゴドーが殺されたときに付着した血飛沫が染み付いていた。最期のゴドーの顔が思い浮かぶ。
自分が強かったなら。もしも、自分がもっと強かったなら。祖母やゴドー達は死ななかったのだろうか。
それならばあのヴェリオルにも真っ直ぐに立ち向かえたのだろうか。みんなを守り抜くことができたのだろうか。
力が欲しい。守ることのできる力が欲しい。立ち向かっていける強さが欲しい。
ティエルの透き通った濃い茶の瞳に、その時はっきりとした揺るぎない決意の色が浮かび上がっていた。
何があっても強く生き続ける。それがティエルが今、自分を守って命を落とした者達への恩に報いることである。
この先たとえ何があっても、どんなに辛いことがあろうとも。
……わたしは、生きる。
+ Back or Next +