Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け

第9話 カーネリアンの魔女 -1-




「ここがマンティコラの森? なんか……暗いなぁ」


メドフォード城が謎の男ヴェリオルに襲撃されてから、早くも三日が過ぎ去った。
世間ではミランダ女王、そしてティアイエル姫もその事件にて命を落としたことになっているようだ。
メドフォード王国を手に入れるのが目的である左大臣ゲードルにとって、彼女が生きていては不都合なのだろう。


運良く追っ手は、ティエルが助けられた墓守イエシュの家までは及ばなかった。
まさか墓守の家に姫君が潜伏しているとは夢にも思わなかったのだろう。
イエシュは恐ろしく醜い外見に似合わず心優しく、ティエルの傷が治るまで家に置いてくれたのだ。

どうやら彼は『姫君ティアイエル』の顔を知らなかったらしい。


そして彼女は最後の望みである、ゴドーの弟が住んでいるというベムジン寺院まで向かうことに決めたのだ。
ベムジンまでの最短距離は、このマンティコラの森を抜けなくてはならない。

しかし、この森には人肉を好むと言われる森の怪物『マンティコラ』が生息しているという。
人をおびき寄せるために森の中に美しい花畑を作り出し、そこへ迷い込んだ人間を食らい尽くすと言われている。
逆を言えばこれは好都合だった。花に注意して森を進むことができれば、マンティコラとの遭遇を回避できる。

ティエルは昔流行り病で若くして亡くなったイエシュの妹と同じ年頃だったらしく、妹の姿が重なると彼は言った。
『久々に妹のことを思い出した』と涙を浮かべながら呟いたイエシュの姿が印象的であった。
そして旅をするために最低限必要な一式と、更に女性用の衣服を何着か持たせてくれたのだ。まさに恩人である。


優しい祖母も、いつも助けてくれたゴドーもいない。自分の力でベムジンまで辿り着かなければならなかった。
心細くないと言えば明らかな嘘になる。何があっても挫けないと誓った以上、彼女は進まなければならないのだ。


マンティコラの森は太陽の光が殆ど届かず、じめじめと湿った感覚のする森であった。早速挫けそうになる。
……帰りたい。ふとそんな言葉が胸を過ぎってしまったティエルは、その考えを打ち消すかのように頭を振った。
祖母やゴドーの最期の顔を思い出し、こんな所で挫けては駄目だと自分に言い聞かす。


その時。思わず溜息をつきながら俯いたティエルの視界の端に、艶やかに波打つハニーシアンの長い髪が映った。
思わず目を見開いて後ろに下がる。驚くのは当然だ。こんな暗い森にティエル以外の存在が現れたのだから。
こちらに向かってきたのは森の妖精だった。……いや、森の妖精と見紛う程に神秘的で美しい女が歩いてきたのだ。

美しさと可憐さを併せ持ち、そして悩ましげな曲線を描く身体は女としての魅力を溢れんばかりに放っている。
手入れの行き届いた波打つハニーシアンの髪よりも、一際印象的なのは瞳の色だった。
長いまつげが縁取った大きな瞳は、まるで蜂蜜を数滴落としたようなカーネリアン。とても暖かな色合いである。


「森の妖精さん……?」

気付かぬうちに口に出してしまっていた。
今まで出会ってきた美しいと名高い各国の姫君など、目の前の彼女と比べたら皆色褪せてしまうだろうと思った。
そんなティエルの呟きに、カーネリアンの瞳を持った女は静かに首を傾げて、彼女に向かって柔らかく微笑んだ。

「森の妖精?」
「……あっ、なんでもないの。いきなりごめんなさい」
「変な子ねぇ。でも丁度よかったですわ。私、先程転んでしまって。申し訳ないけど肩を貸してほしいんですの」
「うん、勿論いいけど……そうだ、荷物の中にイエシュさんから貰ったハーブがあったんだ」

神秘的な美女から唐突に声をかけられ、思わず上擦った声が出てしまったティエルは、慌てて道具袋の中を漁る。
旅の必需品にと、肩こりから傷薬まで幅広く活躍する万能ハーブをイエシュから渡されたことを思い出したのだ。
慣れない手付きでティエルはハーブを染み込ませたガーゼを彼女の足首に巻いてやる。


「痛くない? 大丈夫?」
「ええ大丈夫よ、ありがとう。痛みは和らぎましたわ。まさか万能ハーブなんて高価なものを持っていたなんて」
「そっか、よかった」
「こんな森で万能ハーブを持った幼い女の子と出会うなんて思わなかったわ。私ってやっぱり運が良いんですのね」

万能ハーブの効能はさすがであった。殆ど痛みを感じなくなったのか、彼女は機嫌良くにっこりと笑みを浮かべた。
先程は妖精かと勘違いをしてしまったほど神秘的な美女だったが、現在はその面影は何処かへ行ってしまった。
表情が豊かで、くるくると変わるのだ。そしてよく喋る。どうやら想像していた人物像とは大幅に異なるようだ。


「わたしも森の妖精さんと出会うなんて思っていなかったよ」
「森の妖精? 先程から何なのよ、それ。……あっ、私としたことが。そういえば名乗ってもいませんでしたわね」

すっくと立ち上がった彼女は、ハニーシアンの色をした長い髪を軽く後ろに払いのけると健康的に笑った。

「私はリアン。リアン=ファンといいますの。うふふ、私にぴったりの華麗で優雅な名前でしょ?」
「うん、そうだね。……わたしはティアイエル。ティエルでいいよ、よろしくね」
「こちらこそ。森に勇んで入ったのはいいけど……心細いし転んでしまうし。本当に散々だったんですのよぉー」


若干明るすぎて喧しいと言えなくもないリアンの性格。
だがティエルは先程まで感じていた心細さが、いつの間にかすっかりと消え失せていることに気付いたのだ。
メドフォード城で仲の良かった同性は、死んでしまった侍女サリエだけであった。
サリエとのやり取りはこんな軽いやり取りではなかったが、ティエルは思わずリアンにサリエの姿を重ねた。

急に沈み込んでしまったティエルの様子には全く気付いておらず、リアンは思い出したようにぽんと手を打つ。


「ねえティエル。そういえばあなた、こんな不気味なマンティコラの森に一体何の用があるんですの?」
「え?」
「見たところ旅慣れた風にも全く思えないし、箱入りのお嬢様みたいですし……はっきり言って無謀ですわよ」
「そ、そんなのリアンに関係ないじゃない。わたしはどうしても行きたいところがあるんだ」

「ふーん……行きたいところ、ねえ……」
「それを言うなら、リアンだってそうだよ。一人で何やってるの? この森は怖い所だって知ってるんでしょ?」
「勿論知っていますけど……マンティコラの森は、私の目的地への近道になるんですもの。仕方ないじゃない」
「目的地?」

「私の旅にとって重要な人物に会いに行くはずだったんですけど……その、ほんの少しだけ迷っていただけで」


顔を上げたリアンの大きなカーネリアンの瞳に、ティエルは一瞬だけ目を奪われた。
そこに複雑な感情の色を垣間見たような気がしたのだ。裏表のなさそうな明るい彼女にしては、不釣合いな色。
その感情の正体が若干気になったティエルだったが、初対面の人間に対して訊ねるべき内容ではないだろう。

肝心のリアンはぶつぶつと文句を口にしながら、豊満な胸元から皺くちゃになった地図を取り出して見せた。

「私ったら、実は地図を逆さに見ていたんですのよ。もう今自分がどこにいるのかさっぱり分かりませんわぁ」
「それなら一度出口に戻ったらいいんじゃないかな? わたしあっちの方向から来たし……」

笑顔で元来た道を指し示したティエルの表情が凍り付いた。道が変わっている。
いや、そんな。まさか。確かに自分は一本道を真っ直ぐに歩いてきて、ここでリアンと出会ったのだ。
しかし、一本道だったはずの背後の道のりは、二本三本と複雑に分かれていた。





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