Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け

第10話 カーネリアンの魔女 -2-




「あれ? どうして道が変わっちゃってるんだろう!? わたし確かにあっちから来たはずなんだけど」
「うーん」

愕然とした表情で立ち尽くすティエルとは裏腹に、リアンは暫くじっと考え込むようにして腕を組んでいた。
こんな様子を眺めていると森の妖精だと勘違いしてしまったのも頷ける。彼女は喋るとイメージが崩れるのだ。
怖いくらい真剣な表情のまま、やがてリアンは足元で揺れている黄色の花に目を留める。

「この花って」
「え?」
「この黄色の花は、恐らくマンティコラの花ですわ。人を惑わす幻想花粉を持っていると言われているんですの」
「確か、マンティコラが人を誘き寄せるために咲かせる綺麗な花なんだよね? ということは……」

「私達は既に誘き寄せられていたようですわね。こうなった以上、いつまでもここに留まっているのは危険だわ」
「……ど、どうしたらいいの?」
「とにかく走って森を抜けるんですのよ!」

突然荷物を掴んで駆け出したリアン。
後ろを振り返る様子もなく、先程まで足を痛めていたとは思えぬ走りっぷりである。万能ハーブの効果は抜群だ。
そんな彼女の後ろ姿を口を開けたまま眺めていたティエルだが、はっと我に返ると慌てて走り始める。

「待って、待ってよう! 置いていかないで!」


駆け出したリアンを追うような形で走り続けていると、急に彼女がぴたりと立ち止まった。
立ち止まっているというより、硬直していると表現した方が正しいリアンの背後から、ティエルは顔を覗かせる。
前方に巨大な生物が立っていた。その姿を瞳に映したティエルも同じく凍り付いたように動けなくなってしまう。

獅子の身体に老人の顔。こんな異形の生物は、ティエルが今まで読んできたどの本にも載っていなかった。
彼らは『魔物』と呼ばれる者達である。知能が極端に低く、ただ本能に忠実に生き続ける恐ろしい生物だった。

「……マンティコラですわ。手の付けられない凶暴な性格の上に人肉を好む。対処法はひたすら逃げ続けること」


用心深くじりじりと後ろに下がり始めるリアンとは裏腹に、ティエルは固まったまま動かない。動けなかった。
温室育ちの彼女は生まれて初めて魔物を目にしたのだ。あまりにも人間とはかけ離れている恐ろしい存在だった。
完全に恐怖で身が竦んでしまった。がたがたと小刻みに震え、彼女はマンティコラを凝視し続けている。

「ティエル、何をぐずぐずしているんですの! 早く逃げないと殺されますわよ!?」

既にマンティコラから遠ざかっていたリアンが振り返って叫ぶが、それでもティエルは動けなかった。
脆弱な獲物を前にしたマンティコラの顔が醜く歪んだ。久々に肉が食えそうだと言わんばかりに唾液を滴らせる。
完全にティエルを標的に決めたようだ。もう逃げる時間など無い。


低い唸り声を上げながらマンティコラは、丸太のような太い腕を力任せにティエルに向けて振り下ろした。
速い。その一撃は兵士訓練所で剣の稽古をしてくれたどの相手よりも速く、重い一撃だった。当たれば致命傷だ。
足が竦んでしまっていたティエルは、ほぼ無意識の内にふらふらと力が抜けたようにその場に崩れ落ちてしまう。
途端に風を切るような音が聞こえ、彼女の頭上をマンティコラの腕が掠めていった。

……あと少し遅ければ、確実に死んでいた。

周囲に守られながら大切に育てられてきたティエルにとって、外の世界の厳しさをこの時初めて思い知ったのだ。
力の入らない足を奮い立たせて這い蹲るようにして逃げる彼女の首を掴み、マンティコラは軽々と持ち上げる。
このまま首をへし折るつもりなのだろう。獲物の苦しむ表情を楽しんでいるかのように、魔物は笑みを浮かべた。

「い……いやあぁぁっ……!」







一方。振り返ることもなく森の中を走り続けていたリアンは、響き渡ったティエルの叫び声に思わず足を止める。
このまま逃げてしまうか、それとも戻って彼女を助けるか。マンティコラを一人で相手にするのか? 無理だ!
誰かをかばいながら戦って勝てるような容易い相手ではない。折角助かった命をむざむざ無駄にするつもりか?

危険を察知するのも生き抜くためには必要なことである。ティエルにはそれが、少しだけ足りなかっただけだ。
可哀想だが見捨てるしかない。そして忘れてしまえばいい。ティエルとは出会わなかった。そう思うしかない。
賢い選択とは、そういうことだ。勿論リアンは選択を誤ったことなどなかった。
彼女は大切な目的のために旅を続けている。目的を遂げる前に、厄介事に首を突っ込んで死ぬわけにはいかない。

「……ごめんなさい、ティエル」

数歩進んだところで、ふと己の足首に巻かれたハーブが目に映る。お世辞にも上手い包帯の巻き方ではなかった。
それからリアンはもう一度だけ立ち止まり、叫び声が響き続ける森の奥を振り返った。







首からみしみしと嫌な音がする。このまま死んでなるものかと、ティエルは必死に逃れようと暴れ続けていた。
しかしマンティコラの怪力は彼女が一人で逃れられるほど甘くはない。
力で敵わないのならば方法を変えるだけだ。ティエルは大きく口を開け、マンティコラの手の肉を噛み千切った。
汚物のような臭いのする肉の味が口の中に広がる。だが手応えはあったようで、魔物の手が不意に緩んだのだ。

乱暴に地面に投げ出される。すぐさま彼女は体勢を立て直し、ガリオンの形見となってしまった剣を引き抜いた。
マンティコラの顔を近くで見続けたことによって若干耐性ができてきたようだ。それとも麻痺してしまったのか。
流れ落ちる冷や汗を拭い、ティエルは魔物を強く睨み付ける。

「どうせ殺されるんなら、精一杯抵抗してやる……!」

自分は生きると誓った。たとえ絶体絶命の状況でも、生き残るために精一杯抵抗してやろうではないか。
腕を食い千切られていきり立ったマンティコラが突進してくる。身体が大きな分、無駄な動きが多いようだ。
ガリオンとの訓練だと考えればいい。落ち着いて、相手の動きをよく観察する。そう、彼が常に口にしていた。

訓練と大きく違う点はただ一つ、命が懸かっていることだけだった。負ければ確実に死ぬ。食われてしまうのだ。


振り下ろされた腕を飛び退いて避ける。……かわせた。冷静になれば、もしかしたら勝てる相手かもしれない。
己の勢いでバランスを大きく崩しているマンティコラの左肩に向かって剣で斬り付ける。
確かな感触。肉を斬ったという手ごたえがいつまでもティエルの手に残った。だが躊躇している暇などなかった。

次なる攻撃に備えて剣を握り直したティエルの身体を、複雑な動きを見せたマンティコラの尾が横へと吹っ飛ばす。
衝撃で剣が彼女の手から離れてしまった。
大木にしこたま背中を打ち付け、ティエルは暫く呼吸ができずに背を丸めて何度も咳き込む。痛い。泣きそうだ。
そんな脆弱な獲物に向けてじりじりとマンティコラが向かってくる。もう逃げられない。食われる……!


「内腑煮たぎり、魂燃え尽くす、冥府に潜む者達集いて灼熱の火炎となれ。……メギドフレア!!」


聞き覚えのある高い女の声と共に、灼熱の火炎がマンティコラの毛深い身体を包み込んだ。
体毛に燃え移る炎を消そうと転がり回るマンティコラの背後には、長いハニーシアンの髪をした女が立っていた。
彼女が掲げる杖の先端には橙色の光を纏った水晶玉。魔法であった。肩を上下に揺らし、リアンは口を開いた。

「万能ハーブのお礼はいたしましたわ。……覚えておいて。私、こう見えても結構なお節介なんですのよ」





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