Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第2章 旅の幕開け

第11話 カーネリアンの魔女 -3-




「リアン!?」

ティエルは我が目を疑った。
既にどこか遠くに逃げ去っていたと思われたリアンが、再び目の前に現れたのだ。これは決して夢などではない。
完全に見捨てられたと思っていた。もう二度と生きて出会うことは無いだろうと思っていた。なのに、どうして。

「どうしてここに戻ってきたの!? そのまま逃げていれば、リアンは助かったのに!」
「どうしてって……」

大木に背中を打ち付けた時の衝撃が未だ残る身を起こし、ティエルは目を見開きながらリアンを振り返った。
既にリアンは次なる攻撃に備えて呪文の詠唱を完了させている。幾多の攻撃魔法を自在に操る魔女という存在だ。
ティエルのように生まれながらに全く魔力を持たない者もいれば、生まれながらに魔力を持った者も稀に存在する。

彼女に問い掛けられ、リアンは魔力の宿った杖を前に構えたまま、暫く答えを迷っているかのように俯いていた。

「ハーブ……くれたじゃない」
「え?」
「手当て、してくれたじゃない。本当に下手くそな包帯の巻き方でしたけど。借りは返そうと思っただけですわ」
「それだけで……?」
「ええ、それだけよ。何か文句がありますの?」

爆風で乱れた長い髪を軽く払い除け、リアンはまつげの縁取った大きな瞳を細めてマンティコラを睨み付ける。
体毛に燃え移った炎は粗方鎮火したようだ。大火傷であるはずなのに、思ったほどダメージは少ないようだ。
生きるか死ぬか。ただ強い者が勝つ。甘ったれたことなど言っていられない。隙を見せた方が殺られるだけだ。
そして、それをリアンは痛いほど思い知っていた。だから、相手が誰であろうと容赦なく討つ。


「私は殺されるために戻ってきたわけじゃない。こいつを殺して、生きてこの森を抜けるために戻ってきたのよ!」


リアンの掲げた杖の先端から突風が巻き起こり、それは強力な風の刃となってマンティコラへと向かっていく。
真空の刃は火炎によって焼かれた魔物の表皮を容赦なく切り刻み、耳を塞ぎたくなるような叫び声が響いた。
その隙にティエルは遠くへ飛ばされた剣を掴むと、叫び声と共に剣先をマンティコラの首に深々と突き刺した。

緑の血飛沫が上がる。魔物は暫く痙攣を続けていたが、やがて力を失ったようにだらりと舌を出して地に崩れた。

再び森に静寂が訪れる。
剣の柄を握ったまま息も荒く立ち尽くしているティエルに、リアンは苦笑を浮かべながらハンカチを差し出す。
頭から返り血を浴びてしまったために、ティエルは全身緑色の体液でどろどろだった。


「女の子がそんな液で塗れててはいけませんわ、これ使って拭きなさいな」
「……」
「なんて顔をしているのよ。今までどんな温室暮らしをしてきたのか知りませんけど、この世界は強い者が勝つ。
 力のある者が勝ち、弱い者は淘汰されるんですのよ。一歩間違っていれば死んでいたのはあなたの方なのよ?」
「そう……だね」

リアンからハンカチを受け取ったティエルは、顔に付着した生臭い緑の体液を拭う。そうだ。自分は勝ったのだ。
こんな些細なことでいちいち立ち止まって悩んでいては、この先旅を続けることなど到底不可能だ。
国を取り戻し、仇を取る。だが、今のままでは目的を達成する前に行き倒れる。一体どうすればいいのだろうか。

それよりも今は、助けに戻ってきてくれたリアンに感謝しなければならない。彼女がいなければ今頃死んでいた。


「助けてくれてありがとう。わたし……ここで死ぬのかもしれないって思った。でも絶対に死にたくなかったんだ」
「どういたしまして。けれど、生息しているマンティコラは沢山いるわ。今のうちにこの森から脱出しましょう」
「うん」

衣服に付着した煤を軽く払ったリアンは、注意深く周囲を見回した。大丈夫。魔物の気配は感じられない。
人を誘う黄色の花に気を付けていればマンティコラに出会う確率はかなり低くなる。
確かに周囲には魔物の気配は感じられなかった。だが、それとは違う何かの気配が多く集ってきているようだった。

彼女達を取り囲むかのように、黒い人影がじわじわと集っている。
周囲に漂う腐臭。肉が落ち、腐肉をこびり付かせた骨を剥き出しにした亡者達。アンデッドと呼ばれる者達だ。

彼らの中には恐らく元は人間だった者も存在するだろう。
何らかの形で命を落とし、禁呪によって歪んだ生を与えられた不幸な者達である。理性も記憶も全て失い、
新鮮な肉への欲求だけが残っている。首を飛ばされるまで術者の命令に永遠に従い続けるのだ。


「動かないで。……凄い数ですわ。どうしてこんな場所にアンデッドがいるんですのよ……」

魔力を宿した杖を構え、リアンは緊迫した表情を浮かべながらティエルの前に立ちはだかった。
メドフォード城を襲ったアンデッド達と同じ兵士装束をしていることから、間違いなくゲードルの追っ手である。
彼らの目的はティエルだ。これ以上無関係のリアンを巻き込むわけにはいかない。彼女だけでも逃がさなければ。


「……リアン、あなたは逃げるんだ。こいつらの目的はわたしだから、これ以上巻き込むわけにはいかない」
「えっ? 一体どういうことなの? そもそもどうしてあなたがアンデッドに狙われているんですのよ」
「それは……ごめん、言えない」
「何なのよ、もう! さっき死にたくないって言ったじゃない。一人でここに残って、生き残れると思って!?」

じりじりと迫るアンデッドの壁に気圧されながらも、ティエルは剣を握ったまましっかりとした口調で振り返る。
だが当のリアンは状況が飲み込めずに、困惑したような顔付きであった。

「戻ってきてくれてありがとう。とっても嬉しかったよ。でも、これ以上リアンに迷惑をかけたくないんだ」
「本当に逃げますわよ。もう二度と助けに戻りませんわよ。それでもいいの……?」
「うん。……ありがとう、リアン」


正直一人は怖い。リアンが一緒に戦ってくれればどんなに心強いだろう。だが、彼女を巻き込んでは駄目なのだ。
アンデッドの壁を切り崩し、彼女を逃がす。それが今自分が選ばなければならない選択肢だとティエルは感じた。
リアンに笑顔を向けたティエルは意を決したように唇を噛み締め、アンデッドの群れへと斬りかかって行った。

数は多いがアンデッド一体の力はマンティコラの比ではない。確実に仕留めるために、弱点である首を狙う。
首を切断すれば二度とアンデッドが甦ることはなく、彼らに永遠の安息を与えることができるのだ。
リアンを無事に逃がす時間くらいは一人で稼ぎたかった。何もできない人間だと彼女に思われたくなかった。

けれど、決して死ぬためにアンデッドと戦うのではない。生きて、また必ずメドフォードに戻るために戦うのだ。


擦れた声でティエルの名を呟きながら次々と襲いかかってくるアンデッド達に、彼女は無我夢中で剣を振るう。
今は亡きガリオンに叩き込まれた全てを思い出しながら、まずは一体を切り捨てた。
腐った肉が飛び散り頬にべとりと貼り付く。斬った感触が生々しく手に残るが、気にしている暇などはなかった。

続けて二体目を切り捨てた時、背後から音もなくもう一体がティエルに忍び寄る。
振り下ろされた剣を、ほぼ反射神経のみで振り向きざまに受け止めるが、身体ごと大きく弾き飛ばされてしまう。
じんじんと痺れ始めた右手を押さえながら、再び立ち上がろうとした時。目の前に、リアンが立っていた。

「リアン? どうして逃げなかったの!?」
「……言ったでしょ」
「え?」
「私、こう見えても結構なお節介だって。……それにアンデッドには、火炎魔法が最も効果があるんですのよ!」

リアンが大きく掲げた杖の先端から、勢いよく火炎が巻き起こった。
巨大な炎の蛇のようにアンデッド達に絡み付き、骨すら残さずに焼き尽くす。彼らのもう一つの弱点は炎である。
一瞬にしてアンデッド二体を消し炭に変えたリアンは、光沢を帯びたハニーシアンの髪を払い除けて振り返った。


「それに私はあなたと……ティエルと一緒に必ずこの森を出るって決めたんですの。拒否権はありませんわよ」
「……うん」

思わず涙が溢れそうになる。リアンが一緒なら、何でも乗り越えられるような勇気が湧いてきた。
再びリアンの魔法が発動すると同時にティエルは地面を蹴って飛び出した。もう欠片の迷いも見せずに剣を振る。
一人では泣きたくなるほど心細かったのに、誰かがいるとここまで心強くなるものなのだろうか。

先程までは、背中に誰もいなかった。けれど、今はリアンがいる。背中を預けることができる存在がいるのだ。
それだけで十分であった。


(わたし、頑張るから。ミランダおばあさま……ゴドー、ガリオン。……ずっと、見守っていてくれるよね?)


言葉にならない叫び声と共に最後の一体の首を飛ばしたティエルは、剣を握り締めた自分の手をじっと見つめる。
十数体近く集っていたアンデッド達を全て倒すと、どこか森の雰囲気が明るくなったような気がした。
辺りに咲いていたマンティコラの花の姿がない。どうやらアンデッド達と戦っている間に罠を抜けていたらしい。

黄色の花がないことにリアンも気付いたようで、彼女はにやりと不敵な笑みを浮かべながら口の端を持ち上げた。
美人が若干台無しになってしまっていることは黙っておこう。


「無事にこの森から脱出することができそうですわ。早く晴れ渡った青空を目にしたいですわねぇ」
「……リアン、聞かないの? あのアンデッド達がどうしてわたしを狙ってきたのか」
「だって話したくないんでしょ。無理に聞き出そうとはしませんわよ、それよりも森を抜けることが先決ですわ」

森を抜けたら。まずは、ゴドーの弟が住んでいるというベムジンに向かわなくてはならないのだ。
ゴドーを死なせた上に助けを求めるなんて図々しい、と。もしかしたらゴドーの弟に罵倒されるのかもしれない。
それも勿論覚悟をしている。罵倒され、助けてもらえなくとも、自分は彼に兄の死を知らせる役目がある。


「やっぱりベムジン寺院はここから遠いのかなぁ……途中で行き倒れないようにしないと」
「今なんて言いましたの?」
「え、行き倒れないようにしないとって」

「その前ですわよ! ベムジン寺院がどうとか言いませんでした?」
「言ったよ。ベムジンっていう町に、知り合いの弟さんが住んでいるみたいで。そのひとに会いに行きたいんだ」
「やだ、凄い偶然ですわ。実は私もベムジン寺院に向かっているんですのよ」

リアンがそう口に出しながら顔を上げると、ティエルが期待に満ちた眼差しで彼女を見つめていた。眩しすぎる瞳。
確かに女の一人旅は危険と不安が付き物である。しかし、二人旅ならば幾分か危険は軽減される。
このままベムジンまでティエルと行動を共にする方が、お互いにとって大きなプラスになるのではないだろうか。

「リアン、あのね」
「……もう、乗り掛かった船ですわね。お節介ついでに、もう少しだけティエルのお守りを続けてあげますわよ」
「ほ、ほんとに!?」
「どうせ目的地も一緒ですし。二人旅の方が、女の一人旅よりも生存率がずっと高くなりますからね」

「ありがとう、リアン!」


差し出されたリアンの手を両手で握り締めたティエルは、故郷を奪われて以来初めて心の底から笑顔を浮かべた。
寂しさと悲しみで何度も心が挫けそうになった。憎しみのあまり何度も我を忘れそうになった。
生きることを完全に放棄しそうになったことすらあった。この先、恐らく色々な出来事が待ち受けているだろう。

その殆どが辛く厳しい現実であっても、それでも生きなければならない。生き続け、必ず国を取り戻してみせる。
ティエルの長い旅は、まだ始まったばかりだ。





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