Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス

第100話 Dear my father




焔の王国ゾルディス。

黒騎士達によってこの地下牢にティエル達が連行されてから、一体どれほどの時間が経過したのだろうか。
サキョウの体感では恐らく二日が経過している。だが精神的には一週間以上が経過しているようにも感じられる。
その間誰かの残飯のような饐えた臭いのする食事が差し入れられていたが、生きるためには食べるしかなかった。

周囲は静か過ぎるほどに静寂に包まれている。
心が弱っているティエルは殆ど食事を口にしようとはせずに、サキョウに凭れ掛かるようにして眠り続けていた。
こんな時だからこそ、疲れを癒しておく必要がある。この先に起こるであろうどんなことにも耐えられるように。


一方。目を覚ましたジハードからは、当初の動揺や焦りは既に感じられなくなっていた。
僧侶の厳しい修行を長年続けてきたサキョウだからこそ、自分を保ち続けることのできる絶望的な状況である。
己の半分ほどしか生きていないであろうこの青年の精神力に、サキョウは改めて感心すると共に驚かされたのだ。

思い返してみれば、ジハードはカリュブディスによって海底神殿に一年近く閉じ込められていたようなものだ。
通常の歳若い青年とは違い、過酷な状況における適応力が桁違いだというのも大いに頷ける。
そんな彼が、サキョウに背を向けた形で鉄格子の向こうをぼんやりと見つめ、独り言のように何かを呟いていた。


「……あーあ、暗い海底神殿の次は暗い地下牢か。我ながら変化に富んだ人生だなぁ」

誰に語りかけるわけでもなく、ジハードは両膝を抱えながらどこまでも澄んだスカイブルーの瞳を細くさせる。
二人の兄の庇護のもとにあった頃は、今と比べれば随分と平穏な毎日を送っていたものだと少し懐かしい。
けれど、自分は安息とは引き換えに大きく大切なものを得たと思っている。それは友達と呼べる存在であった。

海底神殿で出会ったティエル達の存在は、若干歪みかけていたジハードの価値観を跡形もなく砕いてくれたのだ。
初めは、彼らのパンドラの箱に対する願いを奪う形になった罪滅ぼしのために同行しているようなものであった。
だが今は違う。気付けば罪滅ぼしだけではなく、自らの意思で彼らと共にいたいと強く思うようになっていた。

ティエルはお転婆な妹のように可愛いと思っているし、リアンはくだらない事を延々と話し合える存在である。
大らかなサキョウには父の面影を重ねる時がある。そしてクウォーツの前では飾らぬ素の自分に戻ってしまう。
壊されたくない。……彼らを守るためには、この手を血で染めようが厭わないとジハードは思っている。


「何が変化に富んだ人生なのだ? ジハード」
「うわ、びっくりした! ……なんだ、起きていたのかいサキョウ。薄暗い中で見る無精ヒゲの顔は迫力あるよ」
「心配しておったのに酷い言葉だな。大体二日もヒゲを剃らんかったら、伸び放題になるのは仕方がないだろう」
「え、ぼくはヒゲなんて三ヶ月に一回剃ればいいくらいだけど……何でそんなに伸びるの早いのさ……」

独り言をサキョウに聞かれてしまった気恥ずかしさに、ジハードは半ば照れながら悪態をついて誤魔化している。
勿論それに気付いていたサキョウは、珍しく狼狽するジハードをにやにやと笑みを浮かべながら眺めていた。
そんな二人の場違いに呑気である言い合いに、ティエルも目を覚ましてしまったようだ。虚ろな目を擦っていた。


「おっ、ティエル。目が覚めたか」
「うん……まだ牢に放置されっぱなしなんだね、こんなに放置され続けると不安だな」
「却って好都合だと考えるのだ。時間があれば若干は冷静になるだろうし、お前も少しは落ち着いたであろう?」

サキョウの言葉にティエルは静かに頷いた。
確かに彼の言うとおり、ヴェリオルを前に動転していた気分が時間の経過と共に落ち着いてきているようだ。
しかし落ち着いてくると共に、ここにはいないクウォーツやリアンの安否が気がかりになってくる。

「わたし達……全員生きて帰れるのかな」

不安と、恐怖と。
その双方が交じり合ったティエルの心細い声は、静寂に包まれた地下牢に余韻を含みながら重く響き渡っていた。
生きて帰れるのか。その言葉は彼らの不安な心に重く圧し掛かった。全員殺される可能性も大いにありえる。
それどころか既にクウォーツやリアンは生きてはいないのかもしれない。……殺されているのかもしれないのだ。

その時。

「あのさ、オレ……そろそろ話してもいいかな? 真剣な話の最中に悪いんだけどさ」
「え?」

実に場違いなのんびりとした男の声が聞こえてきたのだ。
思わず硬直したように動きを止めてしまったティエル達の瞳に、真向かいの牢でもぞもぞと起き上がる影が映る。
勿論牢に入った当初からその人物の存在は認識していたのだが……ティエル達は完全な死体だと思い込んでいた。

「きゃーっ! 死体が、死体が動いたあぁー!」
「おおぉ……なんということだ。迷える死者よ、どうか未練を捨て安らかに眠りたまえ……!」
「二人とも落ち着けって、あれは生きた人間だってば」

アンデッドと戦ったことがあるはずのティエルは恐怖に慄き、サキョウは一心不乱に祈りの文句を呟いている。
一人真顔のままで首を傾げていたジハードは、やがてすたすたと鉄格子へと歩み寄って行った。


「……あなた、死体ではなかったんだね」
「誰が死体だよ、失礼な人達だな。ただ寝ていただけなのに」
「だったらもっと早く声をかけてくれよ、ぼくらは二日もここにいたんだから。死体だと思うのも仕方ないだろ」
「あんたって優男っぽい外見の割には、なかなか辛辣だなぁ」

ジハードから厳しい言葉の洗礼を浴びながらも、ゆっくりと鉄格子に近付いてくる男。
恐らくは四十代後半。ヒゲはぼうぼうに伸びており、顔は垢のために黒ずんでいる。窪んだ目に痩せ細った手足。
脂ぎって縮れた濃い茶色の髪。しかし、愛嬌のある顔の男であった。……誰かに似ているのは気のせいだろうか。

「寝ていただけだったんだね。おじさん、勘違いしてごめんなさい」
「気にしなくていいよお嬢ちゃん。そこの白髪くんの言うとおり、早く新入りさんに挨拶すればよかったんだし」
「新入りって?」
「この地下牢でオレは結構な古株なんだ。名前はモーリン。モッさんでもモリリンでも好きなように呼んでくれ」

「モッさん……」
「モリリン……」

垢だらけの手で軽く鼻を擦った男は、口元に笑みを浮かべた。悪戯好きのやんちゃな少年といった笑顔であった。
やはりつい最近どこかで見たことがあるような笑顔だ。
劣悪な環境である地下牢の先輩にしては、モーリンと名乗った男は随分と気さくで明るい性格のようである。

「それにしても新入りさん、あんた達は一体何をやらかしたんだい? あ、黒騎士に失礼な態度を取ったとか?」
「理由なんて、わたし達が聞きたいくらいだよ!」
「え?」
「いきなり説明もなく連れてこられたんだ。友達とは引き離されるし、わたし達が何をしたっていうの……?」

鉄格子を両手で握り締めたまま項垂れてしまったティエルを見つめ、モーリンはそうだったのか、と口にした。

「ここはそんな国だよ。どんなに理不尽な理由でも、焔の魔女やヴェリオルの機嫌次第で通ってしまうんだ。
 オレだって理不尽な理由でここに入れられている。……人質なんだ。父さんがこの国から逃げ出せないように」
「人質?」
「焔の魔女は父さんの力を必要としている。悪巧みにかけては右に出る者がいないからねぇ、オレの父さんは」


半ば諦めかけたようなモーリンの笑顔。
この地下牢から逃げ出すことを完全に諦めてしまっている、そんな表情であった。

「父さんや妹はオレのためにゾルディスから逃げ出すことができず、焔の魔女に従い続けているんだ」
「妹さんまでもかい?」
「ああ。そろそろ父さん達を解放してやってくれてもいいだろうに。二人にはどうか幸せになってほしいんだよ。
 オレがいなくても、妹がいる。父さんにはまだ大切な家族が残っているんだ。きっとオレのことも忘れられる」

「……それで」
「え?」
「それでいいのかよ。他に大切な家族がいるから忘れられる? 家族なんだから、忘れられるわけがないだろ?」
「……」
「あなたの妹はあなたの代わりにはなれない。勿論その逆も。……幸せになるのなら、三人で幸せになるんだよ」

そう言ってから、ジハードは柔らかく微笑んだ。
彼の指の先から淡い緑の光の玉がゆっくりと離れ、モーリンを優しく包み込む。高等魔法である遠隔治癒だ。
優しい色の光に包まれ、モーリンの土気色をした肌に若干赤みが戻っていく。心まで癒されていくようであった。

呆然とした顔のままジハードを見つめていたモーリンだったが、やがて瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れていく。
押し殺したような嗚咽が響き渡った。今まで堪えていたものがジハードの言葉によって決壊してしまったのだ。
まるで小さな子供のように泣きじゃくる彼の姿を、ジハードは黙ったまま暗い眼差しで見つめていた。


「……ぼくらがここを生きて出られたら、あなたの父さんにあなたのことを伝えるから。もう泣くなよ」
「そうだよ! モーリンさんはお父さんの迎えをいつまでも待っていますって、わたし達が必ず伝えるからね」
「ありがとう、本当にありがとう……」

ジハードの隣で拳を握り締めるティエル。その背後ではサキョウが腕を組みながら深く頷いている。
暫く泣き続けていたモーリンだが、手の甲で涙を拭う。その表情は憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。
四十代後半だと思っていた彼はよく見ると若かった。相当の恐怖を体験したために、老け込んでしまったのだ。

「オレは諦めないで待ってるよ。いつの日か、父さんと妹が迎えに来てくれる日を。……信じて待ち続けるよ」
「モーリンさん」
「あの日、父さんが約束してくれたんだ。必ず迎えに来るって」


痛々しいモーリンの笑顔にティエルが表情を曇らせた時。
こちらに向かって数名の黒騎士達が足音を立てながら歩いてきたのだ。反射的にティエル達の表情が強張った。

「焔の魔女殿がお呼びだ。その汚れた身体をすぐに清め、身なりを整えた後……お前達を謁見の間へ連れて行く」





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