Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第101話 Witch of the flame
地下牢から連れ出されたティエル達は、焔の魔女との謁見のために半ば無理矢理に浴場で身体を清められた。
衣服を剥ぎ取られた際に思わず悲鳴を上げたティエルだが、ゾルディスの侍女達は淡々と仕事を続けている。
本来湯浴みとは心を癒す効果も十分にあるはずだが、強引に身体を洗われるという行為はただの苦痛でしかない。
まるで物に対する扱いだ。無駄な口を開かず、そして無駄な動作はしない。徹底的に教育をされているのだろう。
ティエルが恐る恐る声をかけても、彼女達は表情すら動かなかった。
泥と血で汚れた衣服はいつの間にか綺麗に清められており、それに着替えた頃、数人の黒騎士達が迎えに来た。
とうとうあの焔の魔女との謁見である。聞きたいことは山ほどあった。確かめたいことも山ほどあった。
何故自分達を捕らえたのか。これからどうするつもりなのか。クウォーツとリアンの二人は果たして無事なのか。
魔力で燃え盛る松明が続く廊下を歩かされてから既に十数分。一体いつまで歩けば謁見の間に辿り着くのだろう。
元は単なる偏狭の小国であった片鱗など見事に消え失せ、軍事大国としての威厳と重厚を携えた城内であった。
深いワインレッドの衣装を纏った侍女達と時折すれ違うが、やはり死んだ魚のような目でこちらを見つめていた。
焔の魔女とはどんな人物なのだろうか。皆は口を揃えてとても恐ろしいお方だ、そして気まぐれなお方だと言う。
全く怖くはないと言えば嘘になるが、それでもティエルはしっかりとした足取りで歩いていた。
やがて先頭を歩いていた黒騎士の足が止まる。目の前には巨大な扉が行方を塞ぐかのように立ちはだかっていた。
黒ずんだ木製の扉であった。よくよく眺めてみると細かいレリーフが彫られており、実に芸術的な扉である。
しかしこの奥には間違いなく恐ろしい気配が二つ、息を潜めながらティエル達の来訪を待ち構えているのだろう。
気配のうち一人は勿論ヴェリオルであり、そしてもう一人は『焔の魔女』と呼ばれる謎に包まれた宰相だ。
「さあ、ここが謁見の間だ。病床の国王陛下に代わり、このゾルディス国を統べている二人が御座す部屋である」
「そ……それより、クウォーツとリアンは本当に無事なの? 彼らもここに連れて来られているの……?」
「ヴェリオル閣下が連れて行った女のことは知らん。毒に冒された悪魔族の男は、恐らく生きてはおるまいよ」
「……」
「焔の魔女殿。ヴェリオル閣下。罪人達を連れて参りました、失礼いたします!」
思わず言葉を失ってしまったティエル達に顔を向けることもなく、黒騎士は両開きの扉をゆっくりと開け放った。
現れたのは焔の間。燃え盛る炎を模った像が整然と立ち並び、数々の魔力の宿った炎が天井付近に浮かんでいる。
紅と黒、そして濃い茶色を基調とした空間であった。
謁見の間にはヴェリオル配下の黒騎士達、そして恐らく焔の魔女配下の紅の衣装を纏った魔女達が控えていた。
無表情で立ち並ぶ配下達の最奥で王座に腰掛けるヴェリオルの姿。
更に彼の背後では一段高くなった間が続き、真紅のヴェールが引かれた向こうには人影が浮かび上がっている。
この人影こそが病床の王に代わってゾルディスを陰で操る宰相、『焔の魔女』で間違いないだろう。
焔の魔女を人質に取れば、クウォーツ達の居場所が分かるかもしれない。この国から脱出できるかもしれない。
武器を奪われたティエル達に抵抗できる術はないと判断したのか、特に彼女達は拘束をされていなかった。
黒騎士の隙を見て、そしてヴェリオルを振り切ってヴェールの向こうの焔の魔女に掴みかかる自信は十分にある。
……そんなことをティエルが考え始めた時、低い女の声が響いた。
「ようこそ、焔の王国ゾルディスへ。私の名前は焔の魔女。あなた達を心から歓迎しましょう」
くすくすと笑みを交えた茶目っ気たっぷりの女の声色。あまりにも場違いで、却って底知れぬ恐怖を抱かせる。
口調とは裏腹に、声が随分とくぐもっている。地獄の底から亡者達が呻いているような錯覚さえ起こしてしまう。
その声を耳にしただけで、ティエルの脳裏から焔の魔女を人質に取ろうなどという考えは跡形もなく消し飛んだ。
無理だ。掴みかかれば、一撃で殺される。
再びティエルに恐怖が襲い掛かった。がたがたと小刻みに足が震え、まともに立っていることすらもできない。
そんな恐怖に慄くティエルを眺め、ヴェールの手前で腰掛けていたヴェリオルの口元に満足そうな笑みが浮かぶ。
今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女を、背後でサキョウがしっかりと支えている。しかし、彼の手も震えていた。
「ふふふ……可愛い。そんなに緊張することはないのよ、なにしろあなた達は私の大切なお客様なのだから」
「お客様?」
「我が王は全ての種族が幸せに暮らせる王国を作ろうと考えているの。そのために現在軍事力を蓄えている。
大国メドフォード、僧兵の都ベムジンへのコネクション。稀代の天才癒術師、カリスマ溢れる悪魔族の剣士。
あなた達の素晴らしい力は、王の計画を実現させるために必要なもの。勿論快く協力してくれるわよね……?」
……一体彼女は何を言っているのだろうか。段々と焔の魔女の声が遠くなっていくような錯覚に陥った。
全ての種族が幸せに暮らせる王国を作る? そのために多大なる犠牲を出して、メドフォードを乗っ取ったのか。
祖母やゴドーをあんなにも残酷に殺したのか。……冗談じゃない。協力するとでも本気で思っているのだろうか。
確かに焔の魔女が言っている王国とは、ティエルにとっても願って已まない理想の王国である。
悪魔族は人に非ず。生かしてはならない。必ずや災いをもたらす。即刻殺害せよ、生きることが許されぬ存在。
そんな謂れのない差別を科せられてきた彼らが、これ以上苦しむことのない王国とはなんて素晴らしいのだろう。
しかしそれが、ティエルの大切な友人や家族を傷付け、故国を奪ってもいいのだという理由になどならない。
唇を噛み締めたままぶるぶると震えているティエルの様子に構うこともなく、焔の魔女は上機嫌に言葉を続ける。
「あなた達もこの国で蔓延る差別を目にしたでしょう? 新しい王国には、そんな差別は一切存在しないのよ。
特にこのゾルディスでは、悪魔族の地位は最下層。玩具としての取引が人目も憚らずに行われている現状。
罪のない悪魔族が辱められ、そして次々と殺されていく忌々しい現状を変えるために、新しい王国が必要なの」
焔の魔女が口にした『玩具としての取引』という言葉に、ヴェリオルの傍らで控えていたブノワ大臣が凍り付く。
悪魔族を性奴隷として飼っているこの男には、身に覚えがありすぎる言葉であろう。
「悪魔族のために命を懸けたあなた達が、協力を拒否する理由なんてないはずよ。一緒に王国を作りましょう?」
「……だったら……」
「なぁに?」
「だったら新しく国を作るよりも先に、まずは今蔓延っている差別を止めなくちゃいけないんじゃないの……?」
「どういう意味、かしら」
「協力なんて絶対にできない! そんな王国なんてどうでもいいから、早くクウォーツとリアンを返してよ!!」
まさにティエルの怒りが恐怖に打ち勝った瞬間である。恐怖に囚われていた彼女が見せた、精一杯の勇気だった。
それでも彼女の力強い声は、静寂に包まれた謁見の間に重く響き渡っていた。
しゃらん、と鳴る鈴の音。ヴェールの向こうでゆったりと腰掛けている焔の魔女が、足を組み替えた音であった。
重すぎる沈黙。周囲の空気が急激に緊迫したものへと変わっていく。
焔の魔女からティエル達へ向けて発せられる威圧感。先程までは確かに友好的な感情が少なからず含まれていた。
だがその空気が、がらりと変わったのだ。ティエルから完全な拒絶をされ、魔女は明らかな敵意を向けている。
「どうして、そんなことを言うの?」
「え?」
「どうして協力すると言わないの。分かってくれないの。素晴らしい王国よりも、彼らの安否の方が大切なの?
ほんの一言協力すると言うだけであなた達の命は保障される。それだけじゃない。それなりの地位も用意する」
どうして、どうして、と焔の魔女は呪いのように繰り返している。
その様子があまりにも演技とは思えなかった。彼女は本気で、ティエルが拒絶した理由を理解していないのだ。
「だから言っただろ、焔の魔女。……こいつらを手懐けるのは到底無理だってな」
「ヴェリオル元帥」
「いくら強力なコネクションを持っていようと、凄腕剣士や癒術師だろうと協力する気がなければ邪魔なだけだ。
力尽くで従わせるか……それが無理ならば、殺してしまえばいい。それがオレ達のやり方だったはずだろう?」
「……そうね、忘れていたわ」
「オレ達に逆らえば一体どうなるのか、こいつらにとくと見せ付けてやればいい。恐怖で支配するんだよ」
焔の魔女はティエル達が協力を拒むとは夢にも思っていなかったのだろう。
だがヴェリオルは予想通りの展開だといわんばかりにやれやれと溜息をつきながら背後のヴェールを振り返った。
最初から恐怖で支配すれば話が早かった、とヴェリオルは手にしていた塊をティエル達に向けて放り投げる。
「……!?」
投げ付けられた塊を反射的に受け取ってしまったジハードは、己の腕の中に視線を向けると息を吞み込んだ。
ヴェリオルが放り投げた丸い塊は、血に塗れ、絶命している人間の首であったのだ。
冷静を装いジハードは悲鳴こそ上げずにいたが、心臓が早鐘のように鳴り響く。この顔には見覚えがあったのだ。
『オレ、あんたと同じ年頃の妹がいるんだ。どうしてもあんたと妹の姿が重なってしまって』
ティエルに優しく声をかけてくれた黒騎士の青年だった。
どうか彼女達にできるだけ寛大な措置をと、焔の魔女やヴェリオルに嘆願書を提出すると言っていた青年だった。
恐怖に顔を引き攣らせたまま絶命した青年の表情は、命を失う間際にどれほどの絶望と後悔に苛まれたのだろう。
「なんてことを……」
「ん? 何か言いたいことがあるのかね、白髪のお坊ちゃんよ。お前もなかなか癇に障るスカした顔してんなぁ」
「恐怖で支配? 力尽くで従わせる? やれるものならやってみろよ、癇に障る顔はお互い様だろ?」
黒騎士の青年の首を静かに床へ横たえたジハードは、感情を一切省いた無機質な顔でヴェリオルを振り返った。
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