Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第102話 Who will save you ?
「……やっぱここは一段と冷えるし陰気臭いな。あーやだやだ、こんな場所に一日でもいたら気が狂っちまうぜ」
苦しみの声や呪いの声があちこちから響き渡る地下牢の細い通路を、アリエスはおっかなびっくり歩いていた。
ゾルディス王国の負の部分を凝縮させたような、できることならあまり近寄りたくはない場所である。
どの独房にも人影が見受けられたが、その殆どが動いておらず、生きているのか死んでいるのかすら分からない。
「リナには危ないことはするなって散々言われちまったけど……しゃーねぇや、まぁ乗りかかった船だもんなー」
ここにはいない姪に対して、まるで精一杯の言い訳をしているかのようだ。
我ながら情けないが、怖いもの知らずであるアリエスが唯一頭が上がらない存在が姪のリーナロッテであった。
彼女の厳しい言葉は全てアリエスの身を案じているがゆえの言葉であり、それを分かっているからこそ弱いのだ。
鍵の束を回転させながらゆっくりと進んでいくアリエスの足が、やがて一つの独房の前で止まる。
か細い灯りに照らされた牢の中には、ぼろ布の上で身体を丸めて死んだように横たわっている青年の姿があった。
くしゃくしゃに乱れて絡まってしまった青い髪に隠されて、ここからでは彼の表情を窺い知ることができない。
生きているのか、それとも死んでいるのか。解毒剤を飲ませているのならば、そろそろ効果が出始める頃だった。
慣れた手付きで鍵を開けたアリエスは、全く警戒することもなく青年——クウォーツへと歩み寄って行く。
肩を揺さぶってみるが反応はない。まさか死んだのでは、と腕を引いて乱暴にクウォーツの上半身を起こした。
その瞬間。アリエスは己の首筋に、ひやりとした冷たく硬いものが押し付けられていることに気が付いたのだ。
視線を下に移動させてみる。……短剣だ。銀色の刃に松明の光を反射させた短剣が、首筋に押し付けられている。
短剣を握っているのはクウォーツであった。瞬きすらせず、アイスブルーの双眸でじっとこちらを見据えていた。
「手荒い挨拶してくれるじゃねぇの、クウォーツくんよぉ。女々しい見た目の割にはなかなか根性あるじゃん」
「……」
「でも手に全然力が入ってないじゃんさ。そりゃそうだよな、本来あんたはまだ動けるような状態じゃねぇし」
数日ぶりに見るクウォーツの姿は、猛毒に冒され続けていたために随分と憔悴してしまっているようだ。
窪んだ目の下にくっきりと浮かび上がる隈。噛み切った痕が残る唇。泥に塗れて絡まった青い髪に、乱れた着衣。
想像を絶する苦痛だったのだろう。だが、そんな状態ですら彼は美しかった。……途方もなく、美しかったのだ。
その気のないアリエスですら理性を揺さぶられるのだ。ブノワ大臣をあれほど夢中にさせるのも納得が行く。
やはり悪魔族とは、人を堕落の道へと誘う恐ろしい生き物なのだとアリエスは改めて実感したのだった。
「凄いやつれちゃってるけど、大丈夫かい? ……とにかく、まずはその短剣を下ろしてくれると嬉しいかな」
「……」
「オレのことを全く信用してない様子だねぇ。分かるぜ、あんた達をヴェリオルの旦那に売ったのはオレだしな。
でもあんたを救ったのもオレだ。オレがいなけりゃ、今頃あんたは散々犯されて男のプライド全て失ってたぜ」
クウォーツは人形のように表情すら動かさぬまま、口を閉ざし続けていた。
彼が口を開く相手はごく限られている。警戒する相手に対しては徹底して意思のない人形として接しているのだ。
そのためアリエスは独り言のように台詞を続けているような錯覚に陥ってしまう。しかし彼は挫けなかった。
並べ立てられるアリエスの弁解にもクウォーツは全く態度を崩さなかったが、手からするりと短剣が滑り落ちる。
それと同時に身体を支える力を失い、アリエスへと倒れ込んでしまう。
解毒剤を飲んだとはいえ、すぐに健康体に戻るわけではない。まだ安静にしていなければならない状態だった。
「クウォーツくんがどう思おうとも、助けに来たのは本当だ。だから、大人しく言うこと聞いてくんねぇかなぁ」
いくら彼が病み上がりの身体とはいえ、悪魔族に本気で抵抗されてはたまらない。
顔を上げたクウォーツはやはり黙ったままだ。ただ、アリエスの真意を探ろうと硝子の瞳でじっと見つめてくる。
この瞳はどうも苦手だった。……見つめられていると嘘を全て見透かされているような錯覚に陥ってしまうのだ。
「……分かってくれたかい? オレが言うのもなんだけど、あんた達はこれ以上この城にいちゃいけないと思う」
一見普通そうに見えたとしても、この城の住人はどこかぶっ壊れている部分があるからな、とアリエスは笑った。
それは焔の魔女やヴェリオルを指しているのか、己を含めた全てを指しているのか察することができなかったが。
屈託のない笑顔を浮かべながら手を差し伸べるアリエスを、クウォーツは暫く口を閉ざしたまま見つめていた。
「あの……聞いてる? クウォーツくん」
「一つ聞きたい」
「えっ、何」
「他の奴らはどこにいる」
「……ああ、ティエルちゃん達ね。ってまさか、逃がしてやるって言ってんのにわざわざ渦中に飛び込む気かよ」
人間と悪魔族は永遠に相容れることはなく、憎み合う存在だ。決して混ざり合ってはならない存在だった。
人間であるティエル達と悪魔族である彼が行動を共にしている理由など、アリエスには知る由もなかったのだが、
恐らく利害関係が一致したのだろうと推測していた。己に危害が及ぶようになれば離れる、ただそれだけの関係。
だがクウォーツが発した今の台詞から察するに、彼は自分だけが助かろうとは考えていないようである。
全くもって意味が分からない。常識では考えられないような展開に、さすがのアリエスも二の句が告げずにいた。
勿論そんなアリエスの態度を気に留める様子もなく、クウォーツはふらふらとした覚束ない足取りで歩き始める。
召喚していた妖刀幻夢を支えにしながらゆっくりと進んでいくが、案の定ほんの数歩でバランスを崩してしまう。
危ねぇ、と声をかけるよりも早く反射的に手が伸び、アリエスはクウォーツの腕を己の肩に回して支えてやった。
「まったくもー、マジで人の話を聞かねぇ兄ちゃんだな。そんなんじゃ早死にしちまうぜ?」
「……」
「頼むからオレの言うとおりに逃げてくれ。どうせ今のあんたが行っても役立たずだ。無駄死にするだけだよ。
確かにあんた達を裏切ったオレがそんなこと言えた義理じゃねぇけど……一人だけでも生き延びてほしいんだ」
「何故」
「そう言われましても……ほんの一時期とはいえ、あんた達は一緒にイデアを取り戻しに行った仲間だからな」
「仲間? 仲間とは一体どういう存在を意味するのか、私には分からない」
硝子玉のような瞳に絡め取られ、アリエスは思わず低く唸った。やはりこの瞳は苦手だ。
この怖いもの知らずであるアリエス=ファレル博士にも苦手なものはあったのだと、我ながら感心してしまう。
先程軽々しく仲間と口にしたが、確かに仲間とは一体どんな存在なのだろう。友人や家族とは少し違う気がする。
「仲間っていうのは……どんな時でも見捨てたりしちゃいけない存在とでもいうのかな。うーん、難しいなぁ」
「それなら」
「ん?」
「それなら、どんな時でも見捨ててはならない存在が仲間だというのならば、尚更私は逃げるわけにはいかない」
「何だそりゃ? 血も涙もない悪魔族の兄ちゃんが、一体どういう風の吹き回しさ」
「あいつらに……仲間だと、言われたから」
感情の欠落したクウォーツに、勿論深い理由はない。大切だから、愛しいから。残念ながらそんな理由はない。
彼らに、仲間だと言われたから。だからこのまま彼らを見捨ててはいけない。……理由はただ、それだけだった。
仲間という存在は、たとえどんな時も見捨ててはいけないのだから。ならばその通りに行動しようではないか。
それだけが今のクウォーツの行動理由であった。
「なぁ、クウォーツくんよ」
「?」
「神に見放されたがゆえに、悪魔族は例外なく不幸な運命を辿る。それはオレも何度か耳にしたことがあるけど」
「それが何か」
「あんたにとっての最大の不幸は……先天性か後天性か知らねぇけど、間違いなく感情が欠落した所だと思うぜ」
「……」
「でもあんたは一人じゃないんだ。仲間と呼んでくれる奴らがいるんだろ? 悪魔族でも、幸せは掴めるんだよ」
アリエスの言葉は果たして彼に届いているのか。
色の薄い瞳でじっとこちらを見つめるクウォーツからは、やはり何の感情も読み取ることはできなかったけれど。
どうせ乗りかかった船だ。それならば、覚悟を決めて最後まで付き合ってやろうじゃないか。
「そんじゃ、そろそろ行くとしますか」
「?」
「首傾げないでくれよ、気が抜けちまうなぁもう。……行くんだろ? あんたを仲間と呼んでくれた奴らの所に」
「貴様は関係ない。むしろ貴様が私と共にいるところを見られたら問題があるのでは」
へらへらと笑みを浮かべるアリエスに、クウォーツは立ち止まったまま歩き始めようとはしない。
それも当然のことだろう。先程まではティエル達を見捨てて逃げろと言っていた彼が、逆のことを言っている。
用心深いクウォーツならば、何か裏があるだろうと考えてしまうのも無理はない。だがアリエスは笑ったままだ。
「……もしかしてクウォーツくん、オレの心配してくれてんの? いやー、なんだか嬉しいねぇ」
「そういうわけでは」
「まぁ何とかなるっしょ。こう見えてもオレは、ゾルディスでは焔の魔女に次ぐ凄腕の魔術師様だからな!」
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