Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第103話 燃ゆる王国の魔女 -1-
「何か言いたいことがあるのかね、白髪のお坊ちゃんよ。お前もなかなか癇に障るスカした顔してんなぁ」
「恐怖で支配? 力尽くで従わせる? やれるものならやってみろよ、癇に障る顔はお互い様だろ?」
黒騎士の青年の首を静かに床へ横たえたジハードは、感情を一切省いた無機質な顔でヴェリオルを振り返った。
惨殺されたこの青年は、妹の姿が重なると言ってティエルのことを気にかけてくれていた。
恐らく彼はティエル達に寛大な措置を願って上部に申し出たのだ。それがヴェリオルの逆鱗に触れ、惨殺された。
己の部下をこうも残酷に殺せるものなのか。様々な意見を聞き、己の行いを見直すことも上に立つ者には必要だ。
意見を述べた相手を無残に殺すなど、単なる暴君である。そしてこのゾルディスではそれが罷り通ってしまう。
皆が差別されることなく暮らせる国を作る前に、この国はやるべきことが多すぎる。それに何故気付かないのだ。
「焔の魔女といったね。……あなたはこの状況を目にしても、何も思うことはないのか。感じることはないのか」
「何かしら。理想の国を作るためには、少々の犠牲がつきものでしょう。意のままにならない者など必要ないわ」
「だから殺すのか」
「……え?」
「意のままにならないぼくらを同じように殺すのか。その黒騎士の若者と同じように、首を刎ねて殺すのか」
薄布の向こうに浮かび上がる焔の魔女のシルエットは、殺気を放つジハードの様子にたじろぐ素振りを見せない。
ティエルやサキョウですらも、冷水を浴びせられたような錯覚に陥るほどの殺気だ。確実に彼は怒っている。
謁見の間に控えていた黒騎士達や魔女達はジハードから滲み出る魔力を危険だと判断し、彼らの間に緊張が走る。
「そうね」
「!」
「あなた達が協力してくれないのならば、誰であろうと殺すわ。それがたとえ家族でも恋人でも。仲間でもね」
「それがあなたの考え方か。……可哀想な人だね」
「従順な人間だけが私には必要なの。私はいつだってそうやって生きてきた。ねぇ、若く聡明な魔術師さん。
あなたが他人よりも少しだけ高い魔力を持っていたとしても、戦意を失ったお姫様を……守りきれるかしら?」
非情なる焔の魔女の声が、謁見の間に響き渡った。まるで罪人達に容赦のない死刑の執行を合図する声のようだ。
それと同時に周囲の魔女達が詠唱を始め、黒騎士達は音もなく剣を構える。
焔の魔女はジハード達を決して見縊ってはいなかった。見縊っていないからこそ、全力で叩き潰そうとしている。
謁見の間に連なる黒騎士や魔女は三十名を超え、更には実力が未知数である焔の魔女やヴェリオルも控えている。
……しかし、こちらはたったの三人だ。その上ティエルは剣を奪われており、完全に丸腰の状態である。
サキョウとジハードの二人でティエルを守りつつ抵抗したとしても、戦力の差は歴然だ。長くは持たないだろう。
ティエルの肩が小刻みに震えている。……自分もあの黒騎士の若者と同じように、無残に殺されるのだろうか。
剣を持たないティエルは単なる幼い少女であった。箱の中で大切に育てられてきた、ただの無力な姫君であった。
そんな彼女を守ってやらねばとサキョウは拳を強く握り締める。ヴェリオルだけには彼女を奪われてはならない。
「クソ坊主と白髪のお坊ちゃんはどうでもいいが、オレの可愛い未来の妻だけは決して傷付けてくれるなよ。
全てが終わったら、オレ達は誰にも邪魔されずに幸せになるんだ。ティエルもそう望んでいるに決まっている」
口元に下卑た笑みを浮かべたヴェリオルが、巨剣デスブリンガーを肩に担ぎながらゆっくりと歩み寄ってくる。
やはりこの男は危険だ。ヴェリオルは確かにティエルを愛しているのだろう。しかし、その愛は酷く歪んでいた。
震えているティエルに向かって伸ばされた手を、前に立ちはだかったサキョウが掴む。
「……あぁ?」
「妄想も大概にしろ、ヴェリオルよ。ティエルが本当にお前と共に生きることを望んでいると思っているのか?」
「離せよ、クソ坊主が。お前も愚かな兄と同じ最期を迎えたいのかね!」
不機嫌を隠すこともなく掴まれた手を振り払ったヴェリオルは、表情を歪めながらデスブリンガーを振り下ろす。
それが合図となったように、一斉に魔女達から灼熱の魔法が放たれ、剣を構えた黒騎士達が向かってきたのだ。
あまりにも一方的な、嬲られることが前提の勝ち目のない戦いだ。……だが、精一杯抵抗してやろうではないか。
「ジハード!」
「分かってる!」
振り下ろされたデスブリンガーを両手で押し戻しながら振り返ったサキョウに、ジハードは軽く頷いてみせる。
同時に次々と絡み合う虹色のリボンが出現し、薄いヴェールを織り成していく。魔術を跳ね返す障壁陣であった。
ジハードが素早く完成させた虹の壁は、魔女達から放たれた灼熱の炎を全て弾き返す。彼の魔力が勝ったのだ。
弾き返された炎は、こちらに向かってきた黒騎士数名を巻き込んで激しく燃え盛る。
ごろごろと転がりながら断末魔の悲鳴を上げる黒騎士。人間の燃える悪臭が辺りにつんと漂う地獄絵図であった。
しかしここで手を止めるわけにはいかない、一瞬の隙が命取りとなる状況だ。ジハードは瞬時に思考を巡らせる。
「ヴェリオルよ、兄の無念をその身に受け止めろ!」
デスブリンガーを完全に押し戻したサキョウは、鍛え抜かれた自慢の蹴りを繰り出した。
だがヴェリオルは難なく蹴りを避け、すぐさま態勢を立て直す。……その瞬間、背後で男の悲鳴が上がったのだ。
眉を顰めつつ振り返ったヴェリオルの瞳に映ったものは、足を氷に包まれ身動きの取れない黒騎士達の姿だった。
勿論ジハードの極陣魔法である。凍り付いた範囲は狭いとはいえ、完全に溶けるまで暫くの時間がかかるだろう。
ああ、全く小癪な真似をしてくれる。忌々しそうに呟きながら軽く舌打ちをしたヴェリオルに向かって、
ジハードが続けて発動させた風の魔法をその背に受けたサキョウが、巨体に似合わぬ速さで突っ込んできたのだ。
……一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
頬が痛い。口の中に血の味が広がっていく。己は殴られたのだとヴェリオルが理解するまで少々の時間を要した。
振り返るとサキョウは態勢を立て直している最中であり、ジハードは間髪を容れずに次なる詠唱を開始している。
魔術師に隙が生まれるのは詠唱を開始するこの瞬間であった。確かにこの瞬間、ジハードには隙が生まれていた。
「……ジハード!」
「危ない、避けてぇっ!」
「!」
サキョウとティエルが声を上げたのは同時であった。
隙を見せてしまったジハードに向けて、ヴェリオルはその怪力でデスブリンガーを一直線に投げ付けたのだ。
禍々しい剣は巨大な杭となり、哀れな犠牲者を貫くために凄まじい速さで風を切る。最早避けられぬ速さだった。
巨剣を投げ付けるなど信じられぬ話である。
武器を手放すことは戦場ではまさに死を意味する。そこまでして彼には殺さねばならない理由があるのだろうか。
己に避けられぬ危機が迫っているというのに、ジハードは詠唱を止めてふとそんなことを考えていた。
そもそもこのヴェリオルという男が、病的といえるほどティエルに固執し続ける理由は一体何なのだろうかと。
彼はティエルを妻に娶りたいと言っていた。ならば彼女を愛しているのだろう。大切に思っているのだろう。
しかし大切に思っているのなら、何故ティエルを苦しめるのだろうか。大切な相手には幸せでいてほしいはずだ。
……ジハードにはそれが、分からなかった。
必死の形相で駆け寄ろうとするティエルとサキョウの姿が瞳に映った。そして笑みを浮かべるヴェリオルの姿も。
もう無理だ。この速さは、人間が決して追いつける速さではない。……そう、人間には。
その時、影が飛び出した。
目では追えぬその様子は青い突風宛らだった。松明の炎で煌く青い髪。ふわりと広がる紺を帯びたドレスコート。
一体誰なのか、目で追えずともジハード達には確認する必要もない。人外の速さを持った、悪魔族の伯爵である。
巨大な杭となったデスブリンガーの速さを優に超えた彼は、そのままジハードの身体を軌道外へと突き飛ばした。
獲物を失ったデスブリンガーは、重い音を立てながら大理石の柱に深々と突き刺さる。
すぐに受身を取って立ち上がったジハードは、音もなく傍らに降り立った悪魔族の伯爵に早速悪態をつき始めた。
「もう、いきなり痛いじゃないか。もっと優しく助けられないのかな、相変わらず力の加減ができない伯爵様だ」
「串刺しになるか、地面に転がされるかの二者択一だろ。助けられておいて文句を言う……」
「ありがとう。……生きていてくれて、ありがとう」
「……」
悪態をつきながらもふらふらと歩み寄ってきたジハードに突然強く抱きしめられ、クウォーツは言葉を止める。
数日振りに目にしたクウォーツの様子は、ジハードだけではなく誰の目から見ても明らかに憔悴しきっていた。
恐らくはまだ絶対安静の状態だろう。……それでも彼は身を隠すこともせずに、わざわざ渦中へと戻ってきたのだ。
どうして戻ってきたんだとクウォーツを詰っても、恐らく彼に伝わることはないだろう。首を傾げられるだけだ。
だから今は素直にクウォーツの無事を喜ぼう。彼に言葉で伝えることは難しい。ならば、態度で示すしかない。
だがいつまでも抱きしめられた形であるクウォーツが身動ぎを始めた。気のせいか居心地が悪いようにも見える。
「なに、どしたの」
「……い」
「え?」
「暑苦しい」
「何だそりゃ。言うに事欠いてそれかい、もっと別の感想はないのかよ」
親愛の情を理解できないクウォーツらしい台詞であった。
一体何を言ってくれるかと思えば。あまりにも素っ気無い彼の台詞に、ジハードは逆に笑いを吹き出してしまう。
「……よかった……」
「ティエルよ、諦めるのはまだ早いとは思わぬか? 必ず全員でこの国を抜け出すことができると信じるのだ」
心底安堵したのか、身体中の力が抜けてしまったティエルの肩を、背後からサキョウがしっかりと支えて笑った。
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