Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第104話 燃ゆる王国の魔女 -2-
「……ちっ、淫売野郎め。生きてやがったのか」
再会を喜ぶティエル達に顔を向けてから、嫌悪感を隠そうともせずにヴェリオルは忌々しそうに口元を歪める。
悪魔族を壊すことで悪名高いブノワ大臣に売り付けてやれば、最高の屈辱を与えながら始末できると考えていた。
何故五体満足で生きているのだ。そればかりか、毒も抜けている様子だった。一体誰がこんな不愉快な真似を。
そこまで思考を巡らせたヴェリオルの脳裏に一人の男の名が思い浮かんだ。
緩んだネクタイと緑の帽子と長いローブを着込み、へらへらとした緊張感のない笑みが特徴の冴えない男の顔だ。
裏で何を考えているのか全く読めない男。ゾルディスきっての姦計の古狸と呼ばれる信用ならない男である。
「そこにいるんだろ古狸。さっさと出てこい、アリエス博士」
「……いやぁ、さすがはヴェリオルの旦那。気付かれちまったらしょうがねぇな。はいはいオレですよっと」
一体いつの間に潜り込んでいたのだろうか。
足元を凍らされた黒騎士の間を縫うように歩いてきたのは、緑の帽子を目深に被った茶色の髪をした青年である。
途端にざわざわと戸惑いの声があちこちから上がった。ヴェリオルとアリエスの不仲は、最早周知の事実だ。
アリエス博士はこんな緊迫した場に何の用で姿を現したのだろう。……彼のことだ、理由もなく行動はしない。
「淫魔を助けたのはお前の仕業か、博士? それはオレに対する裏切り、若しくは国に対する反逆と取っても?」
「いやいや、ヴェリオルの旦那に逆らうなんてとんでもない。悪魔族を助けた? はて、一体何のことやら」
「ほほう? それではお前はこの件には一切関わっていないと、あくまでも白を切り通すつもりなのだな博士よ」
「勿論ですとも、オレはこのゾルディスに命を捧げた身。それはヴェリオルの旦那もよくご存知なのでは……?」
本心の見えない笑みを浮かべているアリエスと、そんな彼を口元を歪めたまま睨み続けているヴェリオル。
まさに一触即発の状態である両者の睨み合いに突如終止符を打ったのは、焔の魔女が発した甘い声であった。
「それなら……あなたのゾルディスに対する揺ぎ無い忠誠を、行動で示してもらいましょうか? アリエス博士」
「ご機嫌麗しゅうございます、焔の魔女殿。して行動、とは?」
「至極簡単なことよ。私の理想に耳を貸そうともしない、そこの馬鹿な子達を殺しなさい。一人残らず殺すのよ」
「……やはりそうきましたか」
「勿論できるはずでしょう? あなたがまた手柄を立てれば、あなたの大切なあの子達もきっと喜んでくれるわ」
「!」
ほんの僅かに、余裕の仮面に包まれたアリエスの表情が凍り付いた。
それはよく見つめていなければ気付かないほどの些細な変化ではあったが、明らかに彼は動揺を見せていたのだ。
しかしそんな動揺も一瞬で消え失せ、既に普段のアリエスの様子に戻っていたのはさすがと言うべきか。
「と、いうわけで。ごめんな、ティエルちゃん達。ゾルディスを象徴する焔の魔女殿にはオレ逆らえないんでね」
「アリエス」
「……まぁ、最初からこうなる運命だったんだよ。オレの実力は知ってんだろ、だから潔く殺されてくんねぇ?」
「殺され……」
悪気のない笑顔で振り返ったアリエスを、ぼんやりとした表情で見つめるティエル。
もう完全に終わりだと思った。自分達はここで殺されるのだと。そう考えると、全てがどうでもよくなってきた。
クウォーツが生きていてくれたのは本当に嬉しい。だが、明らかに彼は衰弱している。頼るわけにはいかない。
しかし剣を奪われてしまった自分に、一体何ができるのだろうかとティエルは考える。あまりにも無力であった。
どうせ殺されるのならば、足掻いても仕方がないのではないか。静かに最期の時を待つ方が楽なのかもしれない。
足掻けば足掻くほど、余計に酷い目に遭うかもしれない。そしてティエルには抵抗する気力も残っていなかった。
その上、アリエスまでもが完全に敵に回ってしまった。
心のどこかでは、もしかしたら彼が助けてくれるのかもしれないと。そんな虫の良すぎることを考えていたのだ。
「……悪いけど、簡単に殺されるわけにはいかないな。こう見えてもぼくは、実に諦めが悪い」
「諦めの悪さならばワシだって負けてはおらぬわ。それこそゾルディスの歴史に残るほど派手に暴れてやるぞ!」
見事な白髪の先を弄びながら困ったように笑うジハード。仮面の笑顔ではなく、これが彼の本当の笑い方である。
彼の隣では負けてなるものかとサキョウが拳を握り締める。そして無表情で剣を支えにしながら立つクウォーツ。
彼らは精一杯抵抗するつもりである。勝ち目など、無きに等しいというのに。
(……どうして? みんな、死んじゃうんだよ? どうしてそんな顔ができるの。諦めないでいられるの……?)
既に諦めかけていたティエルには理解することができなかった。だが、サキョウ達は諦めてなどいなかったのだ。
普段と全く変わらぬ様子で、まるで何気ない会話を交わすように。それぞれ真っ直ぐに前を見つめていた。
「お、そうこなくちゃね。オレあんた達のそういう綺麗事を並べずにひたすら喧嘩っ早いところ、割と好きだぜ」
「喧嘩っ早い馬鹿だと言われているようで、褒められているようには全く聞こえないんだけど」
「そこまで言ってねーじゃん。相変わらずジハードくんは斜に構えすぎだなー。ま、そんじゃ始めましょうか?」
大きく杖を回転させながら詠唱を開始するアリエスの横に、軽々とデスブリンガーを担いだヴェリオルが立った。
「死に損ないの淫魔はオレに殺らせろ。その代わり、坊主とお前の大好きな白髪のお坊ちゃんは譲ってやる」
「旦那がそれでいいならいいけど……大好きとか変な言い方すんなよ。ほらジハードくんが嫌な顔してるじゃん」
「知るか」
二人の会話が耳に入ったのだろう。極陣の詠唱を続けるジハードが表情を歪めたのをアリエスは見逃さなかった。
大好きだという言葉は少々語弊があるが、気に入っているのは確かだ。露骨に嫌な顔をされてしまうと傷付く。
超重量であるデスブリンガーを振り上げヴェリオルは既に駆け出していた。相変わらず勇猛果敢な元帥殿である。
ふう、と大きな溜息をついたアリエスは中断していた詠唱を開始する。相手は手負いの獣だ。油断はできない。
巨剣を振りかざしながら迫り来るヴェリオルの姿は、まさに鬼神の如く。
誰もが慄き縫い止められたように凍り付いてしまう彼の姿だが、感情のないクウォーツには全く関係がなかった。
妖刀幻夢で身体を支え、瞬きすらせずにゆっくりと振り返る。思わずサキョウが駆け寄るが、硝子の瞳で制した。
手を出すなという意を察したサキョウだったが、そんな憔悴した状態でヴェリオルと戦うつもりなのか。無茶だ。
しかしクウォーツは剣すら構えず、ただ人形のようにじっと前を向いている。次第に周囲に渦巻き始める赤い霧。
恐らく何か考えがあるのだろう。彼は勝算もなく命をむざむざと捨てる無謀な行動は取らないはずである。
「とうとう観念しやがったか淫魔め。くくく……ブノワ大臣の汚ねぇ陰茎をケツに突っ込まれた感想はどうだ?」
「……そんな覚えはないが」
「あぁ? とぼけてんじゃねぇよクソ悪魔!」
「意味が分からない」
地下牢でのアリエスと大臣のやり取りを、意識を失っていたクウォーツは勿論、ヴェリオルも知らなかったのだ。
クウォーツは大臣にあのまま惨たらしく犯されたと思い込んでいるが、実際はアリエスによって阻止されていた。
そんなやり取りを続けている間に、既にヴェリオルに間合いを詰められていた。しかしクウォーツは動かない。
「ところで大国の元帥というのは、品性までは問われない役職なのか」
「なんだとぉ?」
「口を開けば下衆な台詞ばかり。私を何度も侮辱した代償は大きい。……貴様の身体で十分に償ってもらおうか」
「ほざけ、死に損ないが! 淫魔は淫魔らしく媚売って、地獄で亡者ども相手に股開いてりゃあいいんだよ!」
「……死ね。地獄に行くのは貴様の方だ」
デスブリンガーが容赦なく振り下ろされた瞬間、クウォーツの全身から赤い妖気が迸る。
同時に出現する毒々しい紫色に輝く魔法陣。そして魔法陣から生み出されたものは、巨大な蝙蝠のような魔物だ。
召喚魔法であった。醜い豚の様な顔に、耳まで裂けた口。紫色の体毛で全身をびっしりと覆われた、異形の怪物。
クウォーツが喚び出した巨大な蝙蝠はヴェリオルが剣を振り下ろすよりも早く、彼の喉へ勢いよく食らい付いた。
周囲に飛び散る血飛沫。さしものヴェリオルも、剣士の彼が召喚魔法を扱えるとは思っていなかったのだろう。
何が起きたのか理解できぬ表情で、目を見開いたままぐらりとバランスを崩す。
「サキョウ!」
「承知!」
振り返ったクウォーツから視線を向けられ、彼の意を察したサキョウは深く頷いてから拳を握って飛び出した。
目指す先は、蝙蝠を振り払おうともがいているヴェリオルである。紙屑のように殺された兄ゴドーの仇であった。
ティエルの国を残酷な形で奪い、優しい兄を殺したこの男だけは何があろうとも決して許してはならない存在だ。
漸く巨大な蝙蝠を地面に叩き付け、己の血を頭から浴びたヴェリオルの目前には拳を振り上げたサキョウの姿。
声を上げる間もなくヴェリオルは鋼のような拳に殴り飛ばされ、向かいの柱まで軽く吹っ飛んでいく。
暫く小刻みに痙攣を続けていたが、やがてぐったりとして動かなくなる。最早立ち上がるのは不可能であろう。
「ティエルや兄上が味わった絶望。クウォーツが味わった苦痛と屈辱を、とくとその冷たい床の上で味わうのだ」
既に意識を失ったヴェリオルの耳には届いていないだろう。
吐き捨てるようにして呟いたサキョウの隣では、じわじわと広がる血の池を感慨もなく眺めるクウォーツがいた。
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