Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第105話 燃ゆる王国の魔女 -3-
「あっちゃー……ヴェリオルの旦那がやられちまったか。驕りは身を滅ぼすってやつだな」
「アリエス。クウォーツを助けてくれたことには感謝するけど、こちらも命懸けだから。遠慮なく行かせて貰う」
「うん、それでこそオレの気に入ったジハードくんだ。戦いの場においては甘さは捨て、非情にならねぇとなぁ」
一方。睨み合いが続いていたジハード達だが、彼が一歩前へと足を踏み出した瞬間にアリエスの魔法が発動する。
メイジスタッフの先端から次々と飛び出す灼熱の塊は、並の魔術師の倍の威力はあるだろう魔法メギドフレアだ。
さすが大きな口を叩くだけあって、アリエスの魔力は非常に高い。ゾルディスが彼を手放さないのもよく分かる。
……だがいくらアリエスの魔力総量が高いとはいえ、それは並の魔術師と比べたらという話だ。
並外れた魔力キャパシティを持っているジハードの敵ではないが、彼は攻撃魔法を唱えることができないのだ。
治癒魔法と攻撃魔法は相反する力ゆえに、同時に習得することは不可能だった。勿論ジハードとて例外ではない。
生まれた時から治癒魔法の資質を持った彼は、どんなに望んでも決して攻撃魔法を手にすることができなかった。
「果たしてジハードくんはオレのメギドフレアを相殺できるかな? ……禁忌を犯して習得した極陣魔法でさ!」
「禁忌を犯して習得したとは聞き捨てならないね。ぼくに対して、魔法勝負を仕掛けるとはいい度胸だ!」
左手で虹の魔本を広げ、右手で素早く空中に極陣を描く。
攻撃魔法を習得できないジハードが最初に選んだ道は、武闘家の道だった。身体を鍛え、武術を身に叩き込んだ。
彼の長兄は武術の達人であり、二人の兄は魔術という存在を酷く嫌っていたことを思い出す。
しかしジハードの攻撃魔法への渇望は決して消えることはなく、むしろ日々更に強くなっていく一方であった。
そしてジハードはとうとう禁忌とされる極陣魔法に手を出した。彼の故郷に伝わる呪われし魔本リグ・ヴェーダ。
極陣を一つ習得する度に、己の寿命を差し出さなければならない恐ろしい魔本である。
空中に描かれた極陣は虹色の光を発し、本来ジハードが決して唱えることのできない炎の魔法を作り上げていく。
「行け、メギドフレア!」
「業火の陣!」
アリエスの放った灼熱の塊に勝るとも劣らない業火の塊だった。
二つの炎は勢いよく衝突し、四方に弾け飛ぶ。降り注ぐ炎の雨にジハードは即座に障壁陣を周囲に張り巡らせた。
そこへ容赦なくアリエスは次なる魔法を叩き込む。淡い緑を帯びた真空の刃、風の魔法ウインドカッターである。
「お次は風の魔法だぜ。どうだいジハードくん、攻撃魔法の応酬は苦手だろ?」
「まったく次から次へと挑発するような真似をして……確かに苦手だけど、負ける気はないよ。風伯の陣!」
「げっ、マジで唱えやがった。張り合うつもりかよ」
緑を帯びた風の刃と、虹色の風の刃。
戦意を失ったティエルの前に立ちはだかったジハードは、彼女を守るようにアリエスの魔法を打ち落としていく。
並外れた力を持つ魔術師同士の魔法の応酬とは、かくも凄まじいものなのか。周囲が手を出す隙すらもなかった。
焔の魔女の側近を務める選び抜かれた魔女達ですら、二人の戦いを呆然と眺めていることしかできなかったのだ。
「アリエス」
「なんだいジハードくん、改まってさ。今頃降参したって遅ぇからな」
「最後にもう一度だけ、あなたに確認したいことがある」
「すげぇ怖い顔だな。ジハードくんがその怖い顔で聞いてくる時は、決まって答えにくい質問なんだよなぁ……」
「……ぼくとあなたは、本当に初対面なのだろうか」
完成間近であった極陣を描く手を突然ぴたりと止めたジハードは、笑みを浮かべ続けるアリエスに瞳を向けた。
どこまでも晴れ渡ったスカイブルーの瞳。修羅と慈愛双方を抱え込んだ、歳若い青年とは思えぬ瞳である。
相変わらず本心の見えない薄笑いを顔に貼り付けたまま、アリエスはわざとらしく肩を竦める動作をしてみせた。
「さあ? 前にも言っただろ、ジハードくんは一度会った人間を忘れるのかって。オレの顔に見覚えないんだろ」
「確かにあなたの顔に見覚えはない。……でも今のあなたは、何らかの形で数十年も若返った姿だとしたら?」
「えぇー……こりゃまた突飛な仮説だな。いくらなんでも、普通に考えて若返るとかマジでありえねぇだろぉ」
「商人エリーズ」
「……」
「以前出会った時は、確かあなたはそう名乗っていたね。町から町を渡り歩く商人だと。六十代後半の姿だった」
魔法の余波で、ジハードが額に貼り付けている青い呪符がひらひらと揺れている。
対するアリエスは肯定とも否定とも取れない表情を浮かべ、淡々と続けられるジハードの言葉を聞いていた。
「荒野のテントで出会った時、あなたはぼくの名前を知っていた。聡明なあなたが犯した、唯一のミスだ」
「……あっちゃー……やっぱり気付いていたのね。オレとしたことがやっちまったなぁ」
「!」
「バレちゃあ隠す必要もねぇな。カリュブディスと手を組んで、ジハードくんを罠に嵌めたのはこのオレだよ!」
悪びれた様子もなく、アリエスは爆発の魔法を発動させる。
だが、ジハードは無防備のまま一歩も動こうとはしなかった。そんな彼の口元が微かに歪む。……笑ったのだ。
アリエスが発動させた魔法は、ジハードやティエルを直撃するはずであった。恐らくただでは済まないだろう。
その瞬間。アリエスの周囲を次々と虹色のヴェールが包み込んだのだ。魔法を跳ね返す障壁陣である。
アリエスをぐるりと取り囲んだ障壁陣は、彼の発動させた爆発の魔法を全て内側に向かって弾き返したのだ。
いつの間に、とアリエスの緑の瞳が驚愕に見開かれる。魔法は全て壁に弾かれ、彼を巻き込んで大爆発を起こす。
「うあああぁぁっ!!」
一際大きな爆発音。ほんの一瞬だけ、周囲が昼間のように明るくなった。
暫くすると虹色の障壁陣は段々と霞んでいき、中心に立っていたアリエスは黒い煙を発しながら地に崩れ落ちる。
焼け焦げた緑の帽子とローブ。煤で汚れたアリエスの顔は、意外にもどこか満足そうに笑みを浮かべていたのだ。
「……は、はは。今回はオレの負けだな。……畜生、オレとしたことが……なんてザマだ」
身体中に火傷を負ったアリエスは、頬の皮膚を引き攣らせながら低く言葉を発した。
そんな彼の言葉を、ジハードはリグ・ヴェーダを両手で抱えたまま難しい顔付きで黙って聞いているだけである。
「自分で発動させた魔法でやられるとはなぁ……流石オレの魔法だぜ。ダメージでけぇー……」
「アリエス」
「きっと……元々こうなる運命だったんだよな。オレはいつか……ジハードくんと戦って、敗北するってさ」
「止めは刺さないよ、アリエス。……かつて出会った商人エリーズは、確かにぼくを罠に嵌めた許せない男だった」
「そりゃそうだ……その所為でジハードくんは一年近くも海底に閉じ込められたんだから」
「……けれど、今目の前にいる男は考古学者アリエスだ。封魔石を共に奪還し、大切な仲間を救ってくれた男だ」
そう口に出すと、ジハードは彼に背を向けた。
アリエスに言いたいことは山ほどあるけれど、今はその時ではない。まずはこの国から脱出することが先決だ。
ヴェリオル、そしてアリエスが倒れた今。敵は焔の魔女ただ一人。周囲の黒騎士や魔女達など既に眼中にはない。
彼らの強さを目の当たりにした黒騎士や魔女達は、どうやら足が竦んでしまっているようだ。
国一番の剣の腕を誇るヴェリオルや、姦計の古狸アリエスでも勝てなかった相手に、自分達が敵うはずがないと。
クウォーツの恐ろしさを知ったブノワ大臣など、あまりの恐怖に失禁しており、足元に水溜りを作り上げていた。
己はなんて恐ろしく危うい存在を意のままに組み敷こうとしていたのかと、改めて恐怖が襲ってきたのだ。
「……負けてしまうなんて、口ほどにもない子達ね。けれど余興はもうお終い。あなた達の命もここで潰えるわ」
しんと静まり返った謁見の間に突如女の声が響き渡る。
ヴェールの向こうの人物が立ち上がったのだ。一歩前に進む度にしゃらんしゃらんと小気味の良い鈴の音が鳴る。
焔の魔女が皆の前に姿を現したことなど、ただの一度もなかった。そして音もなく薄いヴェールは取り除かれた。
「……あいつが」
「焔の……魔女」
ジハードかサキョウか。どちらかが呟いた。
まるで血を吸ったかのような毒々しい真紅の衣装である。フードを目深に被り、容貌は窺い知ることはできない。
魅惑的な身体の線を惜しみなく曝け出し、装飾品として小さな鈴があちこちに散りばめられている。
何よりも皆が息を呑んだのは、彼女の全身を包み込む、人間にはありえないほどの溢れんばかりの魔力であった。
後から後から費えることなく力の湧き出でる泉のようだ。如何なる魔の王と禁じられた契約を結んだのだろうか。
「今度はこの私、焔の魔女がお相手しましょう。理想に手を貸そうとしなかったことを悔やんでも……もう遅い」
……ああ、もう駄目だ。
決して怒らせてはならない人物を自分はここまで怒らせてしまったのだと、ティエルはがっくりと膝を突いた。
だからといって、焔の魔女の理想に手を貸すなど今更言えるはずもない。ならば待っているのは絶望と死である。
もうどうすることもできないと諦めている自分とは別に、一刻も早くここから逃げ出したいという自分がいた。
死ぬのは怖い。殺されるのは怖い。痛いのは嫌だ。死ぬのは怖い。死ぬのは怖い。痛いのは嫌だ。死ぬのは……。
「私の溢れ出る魔力の源は、誰よりも平和な世を願う悪魔族の公爵閣下と契約した証」
焔の魔女は一歩ずつ真っ直ぐにティエル達へと向かっていく。
彼女を中心として燃えるような熱風が激しく巻き起こる。これも、悪魔族の公爵という人物の魔力なのだろうか。
きらきらと火の粉が周囲を舞う様は、幻想的であり美しかった。状況も忘れてティエルは暫く目を奪われていた。
「……私の道を阻むあなた達は、理想のエデンには必要のない存在。私を拒絶したことを永遠に後悔なさい!!」
焔の魔女から一気に放たれる焔の熱風。
放心したまま彼女を見つめていた数名の黒騎士達が、勢いよく吹き飛ばされて次々と壁に身体を強打していた。
ジハードが咄嗟に張り巡らせた障壁陣のお陰で灼熱の風の直撃を避けることのできたティエル達であったが、
熱風を大きく吸い込んだために肺がひりひりと痛みを発する。もしも直撃を受けていたら今頃どうなっていたか。
周囲の気温が急激に上がっていく。静かに燃える緋色の炎は、ティエルにメドフォードの悪夢を思い起こさせる。
焔の魔女の魔力で、この謁見の間が次第に灼熱の世界へと変貌しつつあるのだ。熱い。頭がくらくらとする。
二の腕をむき出しにしているサキョウの両腕は、先程の熱風のために所々火傷を負ってしまっているようだった。
「私の炎は骨まで焼き尽くすわ。……あなた達の亡骸は骨も残さず、文字通りこの世界から消滅させてあげる」
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