Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第106話 燃ゆる王国の魔女 -4-
灼熱の風が吹き荒れるゾルディス王国、謁見の間。
黒騎士や大臣は魔女部隊の作り出した結界の中に避難しており、周囲には無残な焼死体が何体か転がっている。
全てを燃え尽くすかのような熱風の中心で、魅惑的な赤い衣装を身に纏った焔の魔女は短い詠唱を完成させた。
「内腑煮たぎり、魂燃え尽くす、冥府に潜む者達集いて灼熱の火炎となれ……メギドフレア!!」
先程アリエスが唱えたメギドフレアの威力とは、まさに桁違いといえる溢れんばかりの魔力の拡散であった。
まるで太陽が急激に膨れ上がり、一気に弾け飛んだかのような錯覚に陥る。少なくともティエルにはそう感じた。
凄まじい熱を含んだ火炎の塊がいくつもこちらへ向かってくる。触れれば恐らく火傷だけでは済まないだろう。
その瞬間、ジハードとクウォーツが同時に前へと飛び出した。
二人は即座に詠唱を終わらせると、襲い来る火炎に向けて魔法を発動させる。虹色の極陣魔法と召喚魔法だった。
極陣は虹の障壁となってティエル達を優しく包み込み、召喚用魔法陣からは次々と異形の怪物が生み出された。
耳まで裂けた口と毛深い身体を持ったジャイアントバット達は襲い掛かる魔力の塊に食らい付き、吸収していく。
逃げ遅れた近衛兵の数名は炎に包まれて、文字通り骨も残さず消滅してしまったようだ。恐ろしい威力である。
「……予想していたとおり、焔の魔女の魔力は半端じゃない。人間の限界を超えた魔法の威力だよ」
額に汗を浮かせたクウォーツに肩を貸しながら、ジハードが険しい表情のままティエル達へと歩み寄ってくる。
いつまでも魔法を弾き返しているだけでは埒が明かない。持久戦になれば、こちらの力が尽きてしまうのが先だ。
その上、病み上がりの状態で魔力を使ったクウォーツの容態は思わしくはない。立っているのが精一杯だろう。
「どんな者にも必ず隙はある。相手を倒すことではなくこの場から逃げ出すことを目標にして、反撃を考えよう」
「うむ、陽動ならばワシに任せろ。生き残るためには何だってやるぞ!」
「クウォーツはもう魔力を使っちゃいけない。今の状態で魔力を使うということは、命を削る行為と同位だから」
「……」
「絶対に使うなよ」
「魔力を使用せずとも、どうせ死んだら全てが終わりだろ。私は私のやりたいようにやる。誰の指図も受けない」
「クウォーツ!」
「……死にたくないよ……」
相変わらず己の身を顧みないクウォーツの様子に、ジハードが眉を顰めながら彼の名を口にした時。
自分自身を抱きしめるような形で腕を交差させたティエルが、がたがたと震えながら絞り出すような声を発した。
「死ぬのは怖いよ、嫌だ……まだ死にたくないよ! なんでわたし、こんなところにいるの……!?」
温室育ちの少女には過酷な状況が続いたためだろう。
明るく太陽のようだと喩えられた勇ましい姫の姿はなく、彼女は既に何もできない無力な少女と成り果てていた。
そんな彼女にいつものように全く表情の浮かんでいない人形じみた顔を向け、クウォーツは淡々と口を開く。
「そう思っているのは、まさか自分だけだと思っているのか」
「……」
「死にたくなければ立ち向かえ。生き残りたいのならば足掻き続けろ。傷付くことを恐れては何も得られない」
「でも」
「クウォーツの言うとおりだ、ティエルよ。お前は何もせぬまま、ただ死にゆく時を待つだけなのか?」
クウォーツの隣で、サキョウが火傷した腕を押さえながら朗らかに笑った。
もう止めないよと大きな溜息をつき、クウォーツに肩を貸しているジハード。誰一人として諦めてはいないのだ。
「どうして」
「うん?」
「どうして、諦めないでいられるの!? だって周りは敵だらけなんだよ? 逃げ切れるわけないじゃない!
みんなここで死んじゃうんだよ! 死にたくないよ、でもきっと……何をしたって無駄なんだから……!!」
「どうしてってさ」
「……」
「あなたが教えてくれたんじゃないか」
「え?」
「最後まで諦めちゃ駄目だって。どんな絶望的な状況でも、諦めたら終わりだって。だからぼくは今ここにいる」
ティエルの発した搾り出すような大声に、ジハードは空色の瞳を瞬きながら何を言っているんだと笑ってみせた。
もしも海底神殿であの時早々に諦めてしまっていたら。
恐らくジハードはパンドラの箱の契約を破棄できぬまま、カリュブディスと共に宝珠の爆発に巻き込まれていた。
「一番諦めが悪いのはワシよりも誰よりも、ティエルよ。お前だったはずだ」
「サキョウ」
「ワシやリアンは、そんなお前の頑固な性格に今日まで付き合ってきたのだ。それを忘れたとは言わせぬぞ?」
ああ、確かにそうだ。彼らを巻き込み続けてきた。そして、彼らはずっとティエルに付き合ってきてくれたのだ。
「私に、世界を見せてくれるんだろ」
「え……?」
「虹の橋の宝物とやらを探しに行くんだろ。昼の庭園を散歩するんだろ。このままでは、何一つ果たせていない」
「クウォーツ」
「たとえお前が既にその約束を忘れていたとしても、私はずっと忘れない」
そう口にしたクウォーツは支えにしていた妖刀幻夢を静かに構えると、未だ力が入らず震える足で前へ進み出る。
……無茶だ。いくらクウォーツでも、そんなぼろぼろの身体で戦うなんて。彼が傷付くところはもう見たくない。
しかしティエルが静止するよりも早くクウォーツは床を強く蹴り、焔の魔女へと突っ込んで行ってしまったのだ。
それが戦いの合図になったかのように唸り声を上げながらサキョウも続いて駆け出し、ジハードは詠唱を始める。
焔の魔女を取り囲む虹色の魔法陣。
次々と生み出されていく氷の刃は、焔の魔女の背後の柱に全て突き刺さった。彼らしくもなく標的を誤ったのか。
可哀想にとうとう恐怖で呆けてしまったのか、と焔の魔女は口元に嘲笑を浮かべる。だがその魔法は囮であった。
いつの間にか目前までサキョウが迫っていた。火傷のために赤く晴れ上がった両腕で彼女に掴み掛かろうとする。
それよりも、焔の魔女が魔法を完成させる方が早かった。至近距離からサキョウに向けて同じく氷の刃を放った。
「アイシィレイジ!! 」
「なっ……!?」
予想よりも早い魔法の完成にサキョウは驚きを隠せなかった。
避ける間もなく、全身に針のように細かな氷の洗礼を浴びる。痛点ばかりを確実に狙った拷問じみた魔法である。
獣のような悲鳴を上げながら地を転がるサキョウへ、楽にしてあげるわ、と彼女は一際巨大な刃を生み出した。
しかしその氷の刃はサキョウへ突き刺さる前に、クウォーツの剣によって横から弾き飛ばされたのだ。
「小癪な真似をしてくれるわね、死に損ないの色男さん。……本当は立っているのも限界なんじゃないのかしら」
「……っ!」
「ブノワ大臣からあなたの身柄を買い取ってあげたのは私なのよ? 命の恩人に剣を向けるなんて、悪い子ねぇ」
剣を振り上げたクウォーツに向けて、焔の魔女は鈴を転がすような笑い声を上げながら風の魔法を叩き込んだ。
容赦なく全身を襲う鋭い真空の刃。まさに身体中を引き裂かれるような激痛に、クウォーツは思わず膝を突く。
そこへ間髪容れずに次なる風の刃が彼を襲った。……直撃である。普段の彼ならば避けられるはずの魔法だった。
「あははは、いい気味ね! のこのこと戻ってくるあなたが悪いのよ。折角助かるはずの命だったのにねぇ?」
「……」
「己の過ちを悔いながら死になさいな!」
「させるか!」
更に呪文の詠唱を開始するために振り上げられた彼女の細い腕を、リグ・ヴェーダを手にしたジハードが掴む。
「悪魔族の公爵か知らないけれど……いくら強大な力を持つ悪魔族と契約したところで、あなたの実力ではない」
「それがどうしたの?」
「ぼくが極陣を習得した時のように不相応な力は大きな代償が伴う。焔の魔女、あなたはそれを知っているのか」
彼女の腕を強く握りながら、ジハードは倒れたまま動かないサキョウとクウォーツにちらりと視線を走らせる。
出血が酷い。一刻も早く治療しなければ、手遅れになってしまうかもしれない。
焔の魔女を説得できるとは今更思えなかったが、契約の危険性を彼女が少しでも知れば何か変わるかもしれない。
恐らく人間である焔の魔女が、己のキャパシティを軽く凌駕した魔力を手にし続けていれば。
いずれは肉体は悲鳴を上げ、精神の崩壊が起こり得る。それほどまでに不相応な契約とは恐ろしいものなのだ。
「……勿論、知っているわ」
「なら、どうして」
「それでも私には力が必要だったのよ。ねぇ、分かってくれるでしょう? あなたと私はよく似ているのだから」
「!」
ほんの、一瞬だけ。焔の魔女が寂しげに笑ったような気がした。
思わずジハードが緩めてしまった手を焔の魔女は振り払うと、爆発の魔法バーストスプラッシュを発動させた。
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