Lord of lords RAYJEND 第一幕「旅の幕開け」 第9章 焔の王国ゾルディス
第107話 Do not be afraid -1-
「……あらぁ、意外と口ほどにもない子達ね。これで終わりかしら。おねんねの時間にはまだ早すぎるわよぉ?」
しゃらん、と一歩。呆然と立ち尽くしているティエルに向かって、優雅ともいえる動作で焔の魔女が進み出る。
皆やられてしまった。起き上がる様子もなく、サキョウ達は床に倒れていた。
彼らは決して弱くはない。そんな彼らが束になっても敵わぬほどに、焔の魔女とは強大な存在だというのか。
辺りは気味が悪いほど静寂に包まれている。もしも死後の世界が存在するならば、このような場所なのだろうか。
燃え盛る松明の音が時折耳に響くことによって、漸く己がまだ生きていることを実感する。
全身が凍り付いたように動かない。辛うじて自由の利く瞳だけを前に向けて、ティエルはただ立ち尽くしていた。
氷の針の洗礼を受け、仰向けに倒れたままのサキョウ。風の刃に切り刻まれ、ぐったりとしているクウォーツ。
爆発の魔法に巻き込まれ、うつ伏せに転がっているジハード。服や髪の焦げた臭いがつんと立ち込めていた。
「あ……」
漸く、声が出た。我ながら情けないと思うほど、完全に呆けたような声であった。
倒れている。誰が? ティエルにとって何よりも大切で、生きる希望を与えてくれた者達が。みんな倒れている。
燃え盛るメドフォード城。あの時のように、物言わず床に転がっている。彼らは生きているのか、それとも……。
みんないなくなってしまう。ティエルの前からいなくなってしまう。みんな死んでしまう。殺されてしまうのだ。
失うんだ。また失ってしまうのだ。やっと手に入れることができたのに、今度こそ全てを失ってしまうのだ。
旅に出て、強くなった気になっていた。何かを守れる気になっていた。けれど何一つ変わっていないじゃないか。
誰一人守れなかった。守ることができなかった。己の状況に絶望して、足掻くことをしなかった。できなかった。
ここで焔の魔女に屈服すれば楽になるのだろうか。ヴェリオルの花嫁という未来を選択するのが賢いのだろうか。
死ぬのは怖い。心の底から怖い。
……けれど。何よりも怖いのは、既に家族とまで呼べる存在になっていた友人達を亡くしてしまうことであった。
ヴェリオルの花嫁になったところで、彼らの命の保障はない。恐らくみんな惨たらしく殺されてしまうのだろう。
神様。ねえ、もしも神様がいたら、お願い聞いてください。
一度だけでもいいから、ほんの少しでもいいから。どうか、わたしに勇気をください。守れる勇気をください。
せめて、真っ直ぐに立ち向かっていける勇気をください……!!
「なにかしら?」
また一歩、ティエルに向けて歩み寄った焔の魔女は思わず首を傾げた。
己の魔力が充満するこの謁見の間に、光の粒子が舞っているのだ。魔力ではない。これは、もっと別の何かだ。
粒子の発生源はどうやらティエルである。ただの無力な小娘から、まるで彼女を囲むように光の粒が舞っている。
いや、ティエルではなく……彼女の首から下げた封魔石イデアのペンダントから、次々と光が溢れていたのだ。
「そういえばイデアはあなたが持っていたわね。その宝石はあなたには過ぎた代物よ、私が預かってあげるわ」
「近付かないで」
「え?」
「……大嫌い。みんなを傷付けるお前なんか大っ嫌いだ! わたしの前から、今すぐに消え去れ!!」
「!」
イデアを取り上げようと手を差し出した焔の魔女は、その体勢のまま前に進むことができない自分に気が付いた。
前に進めないのではなくて、前に進むことができない。ティエルから溢れる光の粒は危険だと肌が感じていた。
彼女を昏倒させてしまえば光も収まるだろう。そう判断した焔の魔女は、努めて冷静に魔法の詠唱を開始する。
「大気に潜む怒りの粒子大きな力となり、慈悲なき女神の怒りとなれ! ……バーストスプラッシュ!! 」
「うるさい、お前は敵だ! わたしを苦しめるものは、みんな無くなってしまえばいいんだ!!」
魔法が発動した瞬間。
ティエルの怒号と共に彼女から発せられた光の渦。粒子が束となって焔の魔女へ一直線に向かってきたのだ。
予想外の反撃であった。焔の魔女は若干焦りを覚えたが、態度には出さずに光の呪文を唱えて相殺させる。
封魔石イデアがティエルの怒りに連動している。使い方を誤れば、国一つを滅ぼすことも可能である魔の宝石。
手にした者に望むとおりの力を与えてくれるこの恐ろしい宝石のために、多くの人間が争い命を落としたという。
怒りに我を忘れているティエルから放たれた光の渦は、次々と周囲を破壊していく。逃げ惑う黒騎士や魔女達。
それでも彼女は怒りに支配されたまま、ありとあらゆるものを破壊し尽くすまで恐らく正気に戻らないのだろう。
「駄目よ……わたくしの可愛いティエル。憎しみに、怒りに我を忘れてはいけないわ」
ふわりと響いた優しい声。光の渦の中心で、その時ティエルは懐かしい祖母の幻を目にした。
生前と全く変わらぬ姿をして微笑んでいる祖母ミランダ。この微笑みは彼女を諭すときに浮かべる笑みであった。
かつてティエルが何度か間違ったことをした時も、祖母は決して叱らずに微笑んだまま静かに彼女を諭していた。
「おばあさま……? 待って、おばあさま置いて行かないで! もうわたしを、ひとりにしないで……!」
「……ひとり?」
次第に薄れていく祖母に必死の形相で手を伸ばすティエルに向けて、ミランダは驚いたように首を傾げてみせる。
「あなたはもうひとりではないわ。目を開けて見なさい、現実を。あなたが守るべき存在……新しい家族の姿を」
「新しい……家族」
「もう二度と失いたくなければ立ち向かって戦いなさい。あの炎の夜を克服する瞬間は、今なのではないかしら?」
祖母の言葉に、漸く正気を取り戻したティエルは改めて現実を目の当たりにする。
そうだ。失うことを恐れているばかりでは、また以前と同じ道を辿るだけであった。誰も守れなかったあの時と。
あの時と己は何も変わっていないのか。……いや、変わったはずだ。確かに知ったはずだ。守る強さの意味を。
その刹那。イデアのペンダントが一際強い光に包まれ、巨大な剣へと姿を変えていく。美しい白銀の大剣である。
少女が手にするにはあまりにも大きすぎる剣であったが、彼女が握ると驚くほど重さを感じない。
「すっげぇ……イデアがティエルちゃんを認めたんだ……!」
「なんですって?」
「封魔石は主と認めた者が手にした時、その者が強く望む形へと姿を変える。
きっとイデアが剣へと姿を変えたのは、守る強さを強く望んだティエルちゃんの願いそのものだったんだろう」
さすがに苛立ちを隠し切れずにいる焔の魔女の背後で、対照的にアリエスはどこか満足そうな表情であった。
「ははは、どうだ焔の魔女さんよ。少々分が悪くなったんじゃねぇの?」
「あんな小娘を主に選ぶなんて、封魔石イデアも地に落ちたものね。ならばその力、奪い取ってやろうじゃない。
震えろ大地、バベルの塔すら地に崩し、人を哀れむガイアの怒りの如く! ……テラークエイク!!」
一瞬、天地が逆さまになったような錯覚を感じた。
立つことすらままならぬほどの大地震が、謁見の間を襲ったのだ。人が使用できる魔法の限界を軽く超えている。
「……くそ……動け、ワシの身体よ……!」
がらがらと大量に崩れ落ちる瓦礫。破壊されていく大理石の置物。次々と倒れる巨大な柱に、ひび割れていく床。
全身に突き刺さった氷の針は既に溶けていた。サキョウは半ば這いずるようにして進んでいく。
クウォーツとジハードは、倒れたまま動かない。このままでは瓦礫に潰されてしまう。守ってやらねばならない。
しかしサキョウの懇願も虚しくそんな二人に向けて、大きく崩れ落ちた天井の瓦礫が降り注いでいく。
その光景を目にしたティエルは弾かれたように暴れる地面を蹴り、降り注ぐ瓦礫に向かってイデアを突き出した。
「お願いイデア、彼らを……わたしの家族を守れる力が欲しい! わたしが望むものはそれだけなんだ……!」
ティエルの願いがイデアに届いたのか。
眩いほどの光の帯がイデアから発せられ、瓦礫の塊を次々と粉砕していく。改めて封魔石の凄まじさを実感する。
『……大丈夫、きっとあなたなら』
不意に、リアンの言葉が過ぎった。初めて訪れたベムジンで、彼女がティエルに向けて言ってくれた言葉だった。
『一番大切なのは強さよりも……誰かを守りたいという、強く願う心なんじゃないかしら』
うん。そうだね、リアン。守りたいよ。
もう二度と大切なものを奪われることがないように、わたしはもっと強くなりたいよ。最後まで守り抜きたい。
唇をぐっと強く噛み締め、ティエルは大きな瞳に涙を溢れさせながら焔の魔女を振り返った。
「封魔石に主と認められたくらいで勝った気にならないで頂戴な、無力な小娘が。ここで朽ち果てろ!!」
「黙れ、お前なんかに……お前なんかに負けてたまるか!!」
激しく崩壊する謁見の間。イデアを握り締めたティエルは、焔の魔女が放った炎の魔法を真っ二つに叩き切る。
そしてそのまま、驚愕に慄く魔女の腹を切り裂いたのだった。
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